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「私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。
私はその結果は語学は会話だということだった。
私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。
それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。」

この文章の悪いところはどこですか?

「私は」はないほうがいいですか?

「教科書」は「テキスト」のほうがいいですか?

「語学を教科書を」「使わずに効率的に」は変ですか?

「私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。」は、「私は、教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば、語学は自然に身に付くことになるのだ、と納得した。」のほうがいいですか?

「それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。」は、「それからの私の語学勉強方法の変化は別の日記に記す。」のほうがいいですか?

A 回答 (10件)

■「1.私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。


2.私はその結果は語学は会話だということだった。」
1の「私は」は無くても良い。特に日記なら考えているのは「私」であると想像がつく。
2の「私は」間違いです。あってはいけない。


「語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。その結論は語学は会話だということだった。」
または
「その結果、語学は会話だという結論に達した。」
「そして語学は会話だという結論に達した」

■「私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。」
・「語学」に異論はありますが私がいじることはできないように思います。
・読点の有る無しはこの文章ではさほど影響ない(どっちでも良い)と思います。
・この「私は」はあったほうが良いでしょう。「私の意見」である、人は違うかもしれないが、という強調をした方が良いからです。
前の文章「その結果は」の前に、間違っているのに「私は」を入れてしまったのは「私の意見」である事の強調の意味でしょうが、こちらに入っていれば充分です。
このままで良いと思います。

■「それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。」
・「別の日記」ではこの日記の別の日ではなくて、この日記とは違うもう一冊の日記の同じ日に書いてあるように読めてしまうから間違いです。
・もし書き換えるなら「この日記の別の日に記す」あるいは「別の日に記す」だけ。このままでも悪くはないと思います。

「それから“の”私“の”語学“の”勉強“の”方法“の”変化“の”ことは別“の”日“の”日記に記す。」
「の」の連続はおもしろいのですがちょっと多すぎるので
「それからの私の語学の勉強方法の変化は別の日に記す。」ぐらいで良いんじゃないでしょうか。でも元の文章もリズムがあって捨て難いですね。

この回答への補足

詳しい解説による指導ありがとうございます。

補足日時:2013/07/31 20:21
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私は語学を教科書を使わず、効果的に習得するにはどうするべきかを考えた。


そして、その結果は、語学は会話であるということだった。
教科書に頼らず、会話を中心に熱心に訓練していけば、語学は自ずと身につくことになると、
納得した。
それ以後の私の勉強の方法の推移に関しては、あらためて日記に記す。

質問者さんの文章でも意味は通じます。私はが多いと思います。
こういう表現もあるということでご参考まで。
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そうだ、この質問のタイトル「日本語の文章の不適切の箇所の変更の依頼 」、これは意味はわかるけど「~の~の」ばかりで良いとは言えません。


話しことばのようにするなら「この日本語の文章の良くない所を添削してください(直してください)」などにするべきでしょうね。

しかし、わかっている語彙を「の」で適当につなぐという方法は意味を通じさせる目的では早くできて誤解の余地が少なくて良い工夫だと思います。
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#7です。


すみません。訂正があります。

×
「私は」は蛇足。
前文に「私は」とあるので再度明示するとくどくなります。


「私は」は間違い。
「私は」の掛かる先が文中に無いからです。
  
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1.


>私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。

添削不要。
「語学を教科書を」「使わずに効率的に」ではなく、
「語学を」「教科書を使わずに」「効率的に」という構文ですから変ではありません。

2.
>私はその結果は語学は会話だということだった。
→その結果は語学は会話だということだった。

「私は」は蛇足。
前文に「私は」とあるので再度明示するとくどくなります。

3.
>私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。
→教科書を使わなくとも、一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだ、と私は納得した。

a.
「私は」の位置は、「納得した」の直前にするほうが自然な文になります。
b.
「たとえ~であっても」という意図を表わすために、「教科書を使わなくとも」のように表現すると自然な構文になります。

4.
>それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。
→その後の勉強方法の変化については改めて日記に記すつもりだ。
or
→勉強方法の変化については改めて日記に記すつもりだ。

a.
シチュエーションにもよりますが、「それからの」よりも「その後の」のほうが、おそらく適切です。
または、この部分は削除しても構いません。
むしろ、すっきりした構文になるでしょう。
b.
この時点で「私の語学」であることは明白なので、さらに明示するとくどくなります。
c.
おっしゃるように、「勉強方法」という熟語を使われたほうがすっきりします。
d.
「のことは」でも間違いではありませんが、「については」とするほうが自然です。
e.
「別の機会に」という意味の「改めて」という表現を使うと自然な文になります。
「日を改めて」のようにしても良いでしょう。
f.
堅い意志表明として「記す」と断定しても良いのですが、それほど重大な用件ではないため、若干堅苦しい印象を与えてしまいます。
「記すつもりだ」のほうが自然な文になるでしょう。

5.
<まとめ>
私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。
その結果は語学は会話だということだった。
教科書を使わなくとも、一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだ、と私は納得した。
勉強方法の変化については改めて日記に記すつもりだ。
  
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日本語としておかしなところはないと思います。



お気持ちは良く分かります。

>私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。」は、「私は、教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば、語学は自然に身に付くことになるのだ、と納得した。」のほうがいいですか?

下のほうが文章としてはいいのではないでしょうか。

ただ、なぜ教科書をそれほどないがしろにされるのか、ここでは理解できません。
論理的にくどいところがあります。
>教科書を使わずに これがなくても当然のことで、常識です。
教科書が積極的に悪い理由が必要ですね。
わたしはそうはまったく思っていませんし、これは間違いだとすら思います。

この理由を知りたいです。

この回答への補足

この質問は、この日本語の学習法が変かではなく、この日本語の文章の構成が変かを問うものです。

補足日時:2013/07/31 20:21
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追加


「別の日の日記に記す。」

「また日を改めて記す。」
などもよく使われている。

この回答への補足

ありがとうございます。

補足日時:2013/07/31 20:28
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語学は会話だけでは決して身に付かない。

第一、正しい日本語を使える人物が貴方の周囲に居るという保証は無い。また、インターネットがこれだけ普及した今、やはり、書き言葉が大切だということに気付かなければいけない。


私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。←貴方の日記には貴方以外に書く人は居ない。故に、明らかに特定されている「私」を、そのように書く必要は無い。→時として、より効率的に日本語を学ぶには、どのようにしたら良いのかと考えることがある。

私はその結果は語学は会話だということだった。←冒頭で示したとおり、これは間違い。→そして、考えあぐねた結果、どうやら、まずは、会話からという結論に達した。

私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。←語学(文法)は自然には身に付かないし、そういう無理なことに納得してはいけない。→多くの人との会話を通して生きた日本語を習得したいと考えるが、一方では、話し言葉と書き言葉との乖離(落差)が大きい日本語特性を考えると、最低限のテキスト文法も欠かせない。


それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。←こういうのも日記には不要。書きたい時に書けば良いことで、自分の日記に断りを書く必要は無い。

この回答への補足

この質問は、この日本語の学習法が変かではなく、この日本語の文章の構成が変かを問うものです。

補足日時:2013/07/31 19:44
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その文章を書いた人が日本人なのか外国人なのか、それは日記の文章なのか公にする目的で書かれた日記風の文章なのか、そういった情報が質問の文章に含まれていないことが気にはなりましたが、示された文章が個人の日記の範疇に入るものであれば、書いた本人に分かればいいものですから、特に添削の必要もないかと思います。

しかし、外国人が日本語の学習の一環として、日記風の文章を書いてみて、それを添削して欲しいという依頼をされたのだとすれば、話は別になります。

 > 私は語学を教科書を使わずに効率的に勉強するにはどうすればいいか考えた。
 > 私はその結果は語学は会話だということだった。
 > 私は教科書を使わずに語学に一所懸命に関わっていけば語学は自然に身に付くことになるのだと納得した。
 > それからの私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す

日記の文章は、一般に簡潔なものです。そういう面から見ると、個人の日記としては文がくどいです。

質問者さまご指摘のように 「私は」 はすべて削除対象です。日記なので、1人称なのは当然ですから。

他は、些細な点ばかりで、そのままでも日本語の文章として通用するレベルだと思います。仮に書き換えてみると

 語学を教科書を使わずに効率的に学習する方法はないものかと考えた。
 結局、語学は会話だと思った。
 教科書を使わずとも、実際にその言語を用いることで語学は自然に身に付くのではあるまいか。
 今後、学習方法に変化があれば、そのつど記す

この回答への補足

「語学を教科書を使わずに効率的に」
ここはそのままでいいのでしょうか?

補足日時:2013/07/31 19:45
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なかなかお上手です。



私はその結果は語学は会話だということだった。

 これはご指摘のとおり、『私は』は浮いてしまっています。そこで

 その結果、私が得た結論は語学が会話だということだ。 としてはいかがでしょうか。

私の語学の勉強の方法の変化のことは別の日の日記に記す。 というのが少し変です。『の』が重なり過ぎるのが気になるのです。そこで下記のように変えて見ました。

私の語学勉学法の変化については後日の日記に記すことにしたい。

>「教科書」は「テキスト」のほうがいいですか? そのままでいいでしょう。

>「語学を教科書を」「使わずに効率的に」は変ですか? これは順番が悪いのです。

 教科書を使わずに語学に一生懸命関わって行けば言葉は自然に身につくと私は考えた。とすると流れがよくなります。つまり主語と述語(動詞)をできるだけ近づけるようにするのがコツです。語学の勉強をして身につくのは日本語という言葉ですよね。

この回答への補足

詳しい解説による指導ありがとうございます。

補足日時:2013/07/31 19:46
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