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どこが魅力ですか?

私は現代も江戸も同じ人間が生きていて試行錯誤しながら生活している人間の力、みたいなものが魅力的に思います

A 回答 (7件)

 私は権力がバランス良く分散されていた点に、他国にない魅力を感じます。



 ほんの一部を紹介しますと、

 「権威」は天皇にあり、誰も(建前上将軍でさえ)頭を下げなければならない方ですが、ほとんど生涯、皇居から出られませんでした。

 現代風に言うと、「幽閉」です。

 で、「日本は人民も国土も天皇のもの」という建前はあったものの、金銀財宝にまみれて暮らせたかというと貧乏を絵に描いたような暮らしぶり。

 「日本は人民も国土も天皇のもの」というのは実効性がないのかというと、幕末、開国を求める外国に対して老中の誰だったかが、「大名のほとんどが開国に反対しているが、いま天皇の勅許を求めていてもうちょっとたてばもらえる。そうすれば開国反対の声は消える」と言った。

 誰だったかな。びっくりした外国人が「なぜ!」と尋ねたら、老中が「日本は人民も国土も天皇のものだから、天皇が公然と"是"と言ったら反対する者はいなくなる」と言ったので、その外人は二度びっくりした、というくらい本気の思想でした。


 「権力」将軍、もしくは武士にありましたが、将軍様もほぼ江戸城に幽閉状態。

 大名や旗本もほとんど家から出られません。江戸城と役所と自宅(江戸の屋敷・国元)を往復するくらい。

 姫様や奥様なんて、家から出られない。あまりにかわいそうなので、門の窓の一部に簾をかけて、祭りなどの際には女中などと一緒に簾越しに外が見られるようになっていたんだとか。

 最下級の貧乏御家人でも、将軍を警護し奉仕するという建前なので、「御用」などでないかぎり江戸から出られない。旅行不可。江戸にいても、夜までには帰宅しなければならない、という不自由な生活。

 勉強もしたし、一部例外もあるでしょうが、厳しく自分を律して町人の範となったので、どんな貧乏御家人でも、どんな若侍でも、町人と一緒の時は上座に座って町人の挨拶を受けることができた。


 「財力」は町人に。

 活動は自由で、どんなうまいものを食べるのも、原則自由。贅沢禁止令などは、時々出たものの、お上の裏をかいて着物の裏地などで贅沢を競ったり。

 非公式な場では江戸家老が大商人に頭を下げる(借金の時)こともあったかもしれませんが、反面公式の場では、江戸一番の大金持ちでも老成した隠居でも、貧乏御家人でも青二才でも武士の下座に控えて、頭を下げなければならなかったり。

 (主に、石川英輔の「大江戸○○」という資料本より)


 西欧も、他のアジアもアフリカも、王様はすべてを掴んで贅沢をしているでしょ。「朕は国家なり」とか言って、すべてを掴む。貴族もね。

 中国なんて、いまでもそうでしょ。青二才の二世がアメリカ留学してフェラーリなんて乗ったりする。

 日本ほどバランス良く権力を割り振って、それぞれがそれなりに満足し(←ここが大切)、長期間紛争もなく過ごせた国はほかにないんですよ。

 西欧式に、わざわざ三権分立とかにする必要はなかったんじゃないかと思うほど。なんでも西欧基準をもってくればいいというもんじゃないんだと思いますよ。

 この点だけでも、私は日本の歴史を誇りに思っていますよ。
  
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この回答へのお礼

そういった目線もあるんですね!
日本のよさも再認識しました

お礼日時:2013/08/08 09:20

一番大事な事を忘れていた。


地方分権。
中央集権じゃなかったから白人の植民地にならずに済んだ。その地方分権のお陰で世界史に誇れる奇跡の明治維新が成功した。しかしその成功は中央集権として滅亡の道を進み、現在の中央集権国家はアメリカの植民地だ。この状況を打開する地方分権がない。つまりかつてのシナや朝鮮と同じ中央集権のアジア国家として脱出不能の属国状態にある。
明治維新は浪人が活躍して地方分権の武家という個人集団が起こしたものでありお上に従うしか能のない日本の大衆が成し得た物ではない。

余談をすれば武家よりも公家、つまり上流貴族がさらに貧乏で、王である天皇が金に不自由していたなんて国こそ世界に珍しい。上流武家の貧乏さは現代の地方自治体にも似て金を使いすぎた自業自得。役所の建物を豪華に作ったり役立たずの公務員を首にしないせいです。しかし地方分権だから地方単位の自己責任であり、地方交付金どころか地方を管理できなければ幕府から処罰される。
外様の地方自治体が誇り高く中央政府へ対抗心を忘れずに真剣勝負だったから幕府を倒して日本が救われたのです。
いくら日本人が優秀であったとしても江戸時代が地方分権でなかったら今の日本はない。軍閥が乱れていた歴史の中国同様の今だったかもしれません。というか江戸時代が地方分権でなかったならば世界は今も白人が植民地支配していたでしょう。
国力が分散していたから世界史をひっくり返す日本帝国が誕生したのです。個人主義を否定し国力の集中ばかりを信仰している愛国社会主義者は歴史を学んでも科学的に正しく考えていない。
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役割分担が決まっていたことですかね。



インテリ指導層の武士がいて、それなりの権威を持っていたが
多くの武士は贅沢とは縁が無かった。
下級武士などは、職人より貧しかった。
こんな事は他の国では考えられない。
それでも、武士の矜持を失わない。
ちゃんとした武士の立ち居振る舞いは、それは見事なもので
食事する姿さえ、見ほれるほど美しかった、と言われます。

職人なども親子代々同じ仕事をして、親が子に技術を教え
伝えるという、父子のあるべき姿をみることができる。
やるべき仕事が決まっているから、現代みたいに、
俺の進むべき道を探し続けたままで人生を
終えるみたいなことはない。

公的な福祉制度が貧しかったから、庶民はお互いに助け合う
しかなかった。
そこに情が生まれ、公徳心が芽生える。
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この回答へのお礼

素敵ですね!

お礼日時:2013/08/08 09:15

現代日本人は国民年金と皆保険制度の廃止を希望してからそういう事を言うべきです。


年金と公費健康診断を欠かせない日本人のどこが今を生きているのですか。
全く試行錯誤してないじゃん。保険証持って病院行きましょうなんて。
社会問題なんて概念が江戸時代にあったのか。てめえの不遇はてめえの問題なのによ。
庶民生活において現代日本と共通点を感じるという時点で、とても江戸時代が好きとは思えません。時代劇好きの間違いじゃないの。こんなに飽食で風呂だ電気だとエネルギー使ってないでしょ。
江戸時代の魅力はあまりないよ。のんびりしていた事くらいだろ。一万円札の先生は江戸時代は最悪だみたく語っていないか。馬鹿が威張りすぎていたから。
生きる力じゃないのだよ。力強いのは明治近代化以降の日本人です。江戸時代は超テキトー。努力なんて美徳はなかっただろ。好きな事を好きなだけやって死にたい。ただし世間はうるさい。ものすごくうるさい。それは最悪だな。だから金持ちはすぐに隠居する。うるさい世間対策に試行錯誤していただけで後はリキむことなくちゃらんぽらんに生きていたのでしょう。

この回答への補足

補足日時:2013/08/08 03:40
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この回答へのお礼

お礼日時:2013/08/08 09:18

水野忠邦邸に石を投げたりって首相になった人でさえ、偉い人扱いしない現代と似ているといえば、似てます。



その後は阿部正弘、堀田正睦の時代になり、具体的に国難を認識し始めるというところが現代は右傾化気味なところは違っているのかも。

あと雄藩(薩長土肥など)の存在で乗り切ったのが、現代はその起爆力がないのも違う。

とはいえ、似ている点は多く自由に議論された江戸時代をもっと学ぶべきでしょう。
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文化が爛熟していて、現代とあまり変わらないところですね。



江戸時代に作られた浮世絵に、武士が公衆トイレに入っているのが残っています。その絵で、当時の武士はトイレの中にも刀を持っていたことが分かり、トイレの中にはおちんちんとかが描いてあって、当時からトイレの中に下品ないたずら書きがあったことが分かりました。トイレに下品ないたずら書きが何百年も前からあったなんて面白いですよね。人類はトイレに下品ないたずら書きをするリビドーを持っているようです。
さらに、なぜそもそも「公衆トイレに入る武士」なんていう誰得な浮世絵を描いたんだろうと思わずにいられません。しかもフルカラーで。意味が分かりません。そんなところも面白いですね。

あとは、良くも悪くも情が通じちゃうところかな。八百屋お七という有名な事件があって、一目惚れした男に会いたくて放火をしちゃった娘がいたんですね。ところが彼女は15歳だった。放火ってのは今も昔も重罪で、死罪は逃れられません。しかし当時の法律は14歳なら今の未成年扱いで死罪は逃れられたんです。
で、奉行が憐れんでお七ちゃんに対して「お前は14だな」っていうんです。もしお七自らが「私は14です」っていったら奉行を騙したことになるから許されない。だけど、奉行が間違えてただ彼女が「はい」とさえいえば、彼女には罪がない。だから奉行は「お前は14だな」というセリフにすべてを含めたのです。彼女はそれに「はい」とだけ答えれば死罪は逃れられたのです。
だけど、お七は「いいえ、私は15です」といいました。本人がそういうのだから奉行としてもどうしようもない。彼女は刑場の露と消えました。すると、江戸の市民がそれを憐れんでお七を神社に祀ってしまうのです。男会いたさに放火しちゃうとんでもない非常識娘なのにね。
最近の世知辛くて子供にも容赦しない世相をみるにつけ、賛否両論はあるでしょうが、当時は情ってのが通じたんだなーと思います。似たような話って結構あるんですよね。当時は未亡人が妊娠しても野暮なことはいわずに「菩薩様の恵みだねえ」で片づけちゃいましたしね。

ひょっとしたら、現代より面白い時代だったのかもしれないのかなと思います。
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この回答へのお礼

とてもキレイな文章で読みやすく面白かったです

若干震えが起き、感動しました

とても毎日を正しく生きている方なのだろうな、と思いました


よろしければ武士のトイレの浮世絵を紹介して頂けないでしょうか?

回答ありがとうございました

お礼日時:2013/08/07 12:25

江戸時代は好きですが、少し感覚が違うかもしれません。


江戸時代の「江戸」つまり時代劇でよくある東京の生活はあまり興味無いのですね。むしろ地方の在り方に興味があります。
階級制度が確立し、エタ、非民などもはや人間扱いされない人たちはどのように生活していたか、飢饉もおおく、人間が人間を食べてしのいでいたという歴史もあります。そんななか華やかな江戸とのギャップをどう埋めて、どうとらえていたか。教育は当然ないでしょうし、子供たちは口減らしのために間引かれた。男は労働力として尊重され女子は厄介者あつかい。
強姦、夜這いは当然のごとく行われ、誰の子供かなども無頓着。そういう中でどういう感情を持っていたか、村八分などの制度にも興味ありますね。
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この回答へのお礼

ダークヒーローの誕生ですね!

お礼日時:2013/08/07 12:20

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