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人間は不完全です、自身で存在を維持することは出来ません、人間が不足を補う為には、本質的に「与えられる」「奪い取る」の二つのうちのどちらかでしょうか?

以前は、与えられるものも奪い取るものも「価値」の概念で包括できるような気がしたのですが、「不足しているものが価値」と言う言葉には何の意味もないことに気がつきました。何を「与えられ」「奪う」かも判りませんが、最初からやり直しのようです。不出来な質問ですか、宜しくお願いします。

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A 回答 (7件)

以前の質問は読んでいませんが、哲学では、価値は「『よい』といわれる性質」または、反価値、すなわち『わるい』といわれる性質も含めて「価値」と呼んでいますよね。



人に「よい」と思ってもらえると「与えられる」、「わるい」と思われると「奪われる」というのが、質問者さんの発想だと思います。

しかしそうでしょうか?
人には「無関心」というのもありますよね。

無関心な人間から、ひとは何かを奪ったり、何かを与えたりはしませんよね。
無関心はそもそも無関心です、関心がないのだから、関係もない。

また、人間には「与え合う」という概念もあります。
奪ったり与えたり、という単純な関係のほかに、「与え合う」という関係もあるのです。
お互いの不足を埋めあったり、お互いにあるものをお互いに(相手の不足に関係なく)与えたり・・・。

そもそも、人間が「不足を補う」という概念も、常に真実であることは確定していません。
というのも、不足と感じるためには、それ以上の「100%の状態」ということを想定しなくてはなりません。
しかし、今現在あるものをすべてと思って生活している分には「不足」というものも存在し得ないわけです。

また、もし「不足」を常に感じていたとして、なにかを「与える」という行為で、その不足をどのように補うのでしょうか。

以上をまとめると

・ひととひとの関係は「与える」「奪う」では解決できない
・「与え合う」「奪い合う」関係も成り立つ
・「不足ゆえに奪う」ということはありえるが、「不足ゆえに与える」とは、宗教的な反語としてはありえるが、通常のロジックではありえない
・「無関心」の前には、「与える」「奪う」どころか、あらゆる関係が成り立たない

すなわち

「人の本質を『与えられる』『奪い取る』という二元論的な考え方で説明することはできない」

ということがいえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

不出来な質問で、誤解を与えてしまい反省しています。

無関心は、大いに関心がある事柄ですが、人間の意識や恣意性以前の不足を考えています、説明不足で申し訳有りません。
地球が有限な存在とすれば、そこに依存する生命は、関心に関係なく、依存関係が成立しているのでは?

「与え合う」「奪い合う」関係を考える場合、「与えるもの」「奪われるもの」は、元々(何処かから)「与えられたもの」か「奪ったもの」かの二つに一つしかないのだろうかという疑問です。説明不足で本当に済みません。

お礼日時:2004/04/03 05:13

えーと、fishbowl66さんはみずからを「非常識」としておられますから、そのような枠の外から答えさせていただきます(通常、私はご質問者の思考の流れを意識し、その流れに沿う形で流れの内側で回答いたしますが今回は敢えてその流れの外から答えさせていただきます)。



人間は自身で存在を維持することができないというのが無意味な言明ではないかと思われます。それ自身で存在が確立し維持しているものは、この宇宙には宇宙自身を除けば何一つないと思われます。物質を構成している素粒子そのものにも寿命があるようですし、宇宙の内部ではその素粒子(これもクォークによって構成されているようですが・・)で出来ている原子や分子が絶えず結合の在り方を変えているだけだと考えられます。

そうした中で人間という一つの塊があると仮定するのであればご質問のような事態も生じうるかも知れませんが、所詮は一つの仮定ですしその仮定の取り方は幾通りもあり得ますからどの様にお答えしようといずれも正解と成りうるでしょう。そのように答えが一つに定まらない言明および質問は無意味であると私は考えております。

では、何故にこの質問に私はお答えしようとしたか・・それは私のPCのフリーズのために「貧困はテロの原因か?」という質問に答えることが出来なかったからでもありますが・・fishbowl66さんの思考過程を理解する為でもあります。今一度、別の形での質問を立てていただければありがたいのですが。
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この回答へのお礼

やや、意味がないと仰るのですか?
「仮定」か、「事実」かが問題になるわけですね、理論的な証明の仕方は私は苦手なのですが、すべてが不完全と言うことでは一致しているようで、これを手がかりに再挑戦してみます。
「貧困・・・」の質問にご関心が有るのですね、同じ質問はルール違反ですから少し変えて、此処のカテゴリーで出してみます。

お礼日時:2004/04/05 03:59

本質的不足を、人間の生存に不可避な問題として考えた場合、一つは衣食住を中心とした物質、もう一つは親も含めた他者が挙げられると思います。


 そうすると、私なら「与えられる」「奪い取る」のどちらも間違いに思われます。
 漠然と考えても、また人類史を思ってみても、物質に関しては「生産する」を軸に動いてきたように思いますし、他者に対しては「共存する」を軸に動いてきたと思います。

 ですので私の答えは、足りないものは「生産する」
外にあるものとは「共存する」ことで不足を補うべし。
ということになります。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。
この回答は、一つの見識としても常識的にも正しい解答だと思います。
回答者の不幸(?)は質問者が非常識な奴だと推察できなかったことではないでしょうか(笑。
以下は私の偏見です、回答に対する批判でも議論でもありません、意見の違いを楽しんでいただける方と推察しての事です。
「生産する」「共存する」ともに綜合的概念のような気がします、無から有が作れないよう、「生産」は、自然に対する奪い取り又は単なる位置の変更です、「共存」は、与えたり・与えられたり・交換したり・そして奪い合ったりする関係の総称ではないでしょうか?
本当に非常識なお礼になって済みません、大きな心でご笑破いだけることを祈ります。御蔭様でこの質問の非常識さを強調できました重ねて感謝いたします。こんなお礼ではもう回答はこないか(笑

お礼日時:2004/04/04 06:06

ご質問内容は以下のように置きかえて考えることが


できるのではないかと思います。
(これを質問に置き換えたのかも知れませんが)

人間は愛なくして生きれない。
愛すべきか?
愛されるべきか?

そもそも愛とはなんぞや?


私の考えは、愛は人間活動のエネルギー源。(現時点では)
このエネルギーを人間は無尽蔵に出力することが出来る。
エネルギー不変の法則はこれには適用できない。
愛はエネルギーゆえに様々な形態をとる。
愛は主軸にある重要なものであるが、
愛から可逆的に解いていくのは出来ない(ような気がします)。

結局、答えになっていませんね。すいません。
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この回答へのお礼

うわ~美しい、こんな回答が出来る方が羨ましい限りです。これでは、私は冷酷無比な合理主義者になってしまいます。「愛が無尽蔵」それなのになぜ私は愛に餓えているのでしょう(笑。

私は、理論的考察が不得意で、難しい言葉を使うと「ボロ」がでてしまうので、あまり使いたくないのですが、仮に人間が、絶対的・普遍的・先験的に不足(自己自身を完結的に、自己の定常性を保てない)しているなら不足を補う方法は、理論的に、「与えられる」「奪う」この2つ意外に方法がないのかを確認したいのです。
出発点で実は結構困っています、美しい回答有難うございます。

お礼日時:2004/04/03 18:34

うーん・・


質問が難解すぎて、ちゃんと受け取れてはいないんですが。

なんとなく気になるので・・思いついたことを。


おっしゃるように生き物とは「代謝」によって維持されてる存在なんですから、奪ったり与えたりが基本でしょう。
(人間とかは少しだけ事情が違ってきましたがまあその辺は置いといて・・・。)

そこで人間も「不足を補おう」と頑張るわけです。
それが意思と言われてるものでしょう。
意思から価値が生まれます。(かな?)

それを不完全といえばそうですが、それも含めて上ぇーのほうから神くらいの視点で見れば「なんて世界は完全なんだ」ともいえなくもないんじゃないでしょうか?

一個体としての「自分」に完全さをもとめるのは無理なきがします。
でも宗教とかは、それをほのめかすことで人心を惹きつけてきたんじゃないでしょうか?

哲学も同じで「より完璧に近い理屈」がひとを魅了するもんだとおもいます。

これも、まさにへ理屈ですが・・(;´д`)
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この回答へのお礼

質問者も難解さを理解せずに、無謀な質問だったでしょうか(笑。
完全を求めているわけではなく、経済哲学的に「交換」を考えた場合、交換するもの(ひとまず価値とでも呼びますか)は、どこからきたのか?これが判らないのです。

へ理屈を楽しんでいる私たち「価値実体」は存在するとすれば私たちの内面にありそうですね。参考になります。

お礼日時:2004/04/03 05:28

以前、民営化の哲学で、一度だけお邪魔したことが


あるみたいですね。けど、続の前の「価値の哲学」
というタイトルは、探しましたが、お目に掛かれませんでしたので、
どういう意味でそのようなご質問をされたのか、ちょっと
分かりにくいところはあるのですが、
だいたい、いつも、私が考えていることをお話します。
ご参考頂ければ幸甚です。

人間は不完全です。
ということですが、これ一つとってみても、
私には、とても大変な内容に思えます。
私は、クリスチャンなので、人間は堕落したと
信じております。ですから、不完全なのです。
不完全な理由は堕落にあります。
神様の真の愛から離れてしまい、利己的な愛の血統に
染まってしまったのです。これが、
「人間は不完全です。」という時における、
私の「理由」です。

さて、そこで、不完全だという時、
完全=善だと仮定しますと、
「奪い取る」ことは「悪」なので、
悪なる行為をしておきながら、、「完全」になることは
あり得ないと、キリスト教では解釈され得ます。

つまり、不足があるとするのなら、「与えられる」では
なくて、「より与える」ことで、完全に近づく。
すなわち、補完され得るのだ。と思うのです。

不出来な質問では決してありません。
が、「価値」を論ずるときは、
少なくとも、人間は偶然に産まれてきた、
なんて思わないで下さいね。
もし、人間が目的もなく、単なる偶然にこの宇宙に
発生したのなら、最初から、存在目的が無いのですから、
生来、存在価値もあり得ません。

そのような無価値な物を捕まえて、「人間とは・・・?」
と問い質し、悩んでみてもナンセンスだと思うのですね。

その当たりから、やり直されても、ご一考かも知れません。

私は、その当たりから人生やり直した結果、現在も
クリスチャンになっておりますです。ハイ。(笑)

ではでは。
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この回答へのお礼

ご自分を、神を信じる者と言える方は羨ましいです!
完全性とは、他に依存せず、自ら存在できるはずです、万物は重力・エネルギーの相関関係にあり、完全な存在があるとすれば、「神」のみでしょうね(うん~羨ましい。
人間が不完全なのは、堕落したと考えるのではなく、元々不完全で、完全な存在とはなれないのでは。
赤ん坊は、生まれた途端に不足を意識して泣き出すのでは、酸素も水分も熱も不足を補わねば、存在できませんが、幸い、赤ん坊は母親から、不足を与えられます。

その不足を補う方法は、与えられるのか奪うのか、二つに一つになってしまいそうなのです。

前回の「価値の哲学」は、大雑把に言えば価値の主観性の確認でした。有難うございました。

お礼日時:2004/04/03 04:53

充足分はすでに「与えられている」と考えれば、不足分は「奪い取る」ことになるとと思います。


経済学的な価値ではなく、広義の価値の問題ですね。難しいですね。
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この回答へのお礼

経済的価値の本質に「広義の価値」が有ると思うのです、それ抜きで「経済的価値」だけ取り上げても正しい結論にはならないような気がするんですね。
難しいですね。同感です、尤も私は責任もありませんので楽しんでますが(不謹慎でしたかな。有難うございました。

お礼日時:2004/04/03 04:30

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