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去年の夏初めて、靖国神社に参拝にいってきました。
巷では、参拝についての賛否両論がありますが、一般人が参拝に行くのは国民の義務ではないかと思っております。
なぜなら、この国のために戦って亡くなられた方たちに敬意を示すという思いからです。
ただし、戦争を肯定することになるという方もおられます。
政治家の場合、他国との関係もあるのと、政教分離の観点から行くべきではないと考えております。
毎年この時期になると騒ぎ出しますが、一般人の参拝について、どのように考えられているかご意見を聴きたいと思っております。

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

今年も靖国神社へ参拝に行きましたが、国民の義務とは思っていません


自由意志で参拝しました
私も国の為に戦った人に敬意を示すのは当然と思っています
この参拝が戦争の肯定になるという意見には同意できません
政治家こそ率先して、参拝するべきと思います
皆、それぞれの考えで行動しているのですから、他の一般人の不参拝には異義ありません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
同感です。

お礼日時:2013/08/25 08:06

>大多数の犠牲者とほんの一握りの戦争指導者。


>自分は大多数の犠牲者のことを考えたら、一握りの戦争指導者などどうでもいいと思ってしまいます。

なんと不謹慎な!
どうでもいいわけないでしょう。
そういう間違った考えだから,外国と摩擦が起きて国際問題になるのです。
いいですか,一握りの「戦争指導者」によって国策を誤り,無謀な戦争への道へまい進したのです。
この指導者たちが道を誤らなければ,大多数の犠牲者は発生しえないのです。
そのことを考えれば 国を滅ぼした「戦争指導者」は未来永劫永遠に斬罪されてしかるべきで,これを「昭和殉教者」「公務死」などと称して大多数の犠牲者と一緒に祭るのはまったくの言語道断です。
茶番です。あってはならないことです。
ゆえに靖国そのものの真価や姿勢がとわれます。
時代錯誤の「戦争肯定」と非難されてしかるべきです。
首相が参拝すると外国から非難されるのも当然なのです。
大多数の犠牲者の遺族も,もっとこの点を声を大にして言うべきです。
国を滅ぼした一握りの亡国の徒党どもと一緒にするな!と。
これに触れないで参拝ばかりを強要する世の人たちは間違っています。
繰り返しいいますが,一握りの「戦争指導者」たちが国策を誤らなければ,兵隊たちは死ななくてすんだのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
勉強になりました。

ただ、戦死された方々を参拝する思いは、一握りのA級戦犯が祭られているという不条理さに勝るといっているのです。
あなた様の考え方は、理屈はどうであれ戦死者を思いやる気持ちより、体裁や憎しみの方が勝っているということになりませんか。

お礼日時:2013/08/27 21:14

多くの人がとんでもない間違いをしていますけど、靖国参拝は政教分離とは無関係ですよ。


政教分離とは位置宗教に有利な政策を行わないという事であり、政治家が個人的にどこにお参りしようが関係ありません。
靖国を意見だなどと言っているのは共産主義・社会主義の者だけです。世界の常識に関係なく日本だけの政教分離が靖国参拝だというのなら、まさに日本の常識は世界の非常識という事です。

日本は明治時代以来信教の自由を掲げています。それは憲法でも保障されており、従って、逆に靖国参拝が国民の義務だという姿勢は違憲です。

果たして靖国の英霊は国のために戦った兵士全員が祭られているでしょうか。私はそうではないと断言します。それは歴史を見れば判る事です。
それに大東亜戦争では挙国一致、国民全員が戦ったんです。でも国民は一人も祭られていません。
私は靖国は極めて偏った政治的意図によって作られた神社だと確信していますし、現在は単立神社でしかありません。なのでたまに近くに行ったときしか参りません。むしろ各地の護国神社。戦没者慰霊塔を詣でたほうがマシだと思っています。
私の近くには米軍による虐殺現場があり、近く寺に慰霊碑があります。もちろん彼らは靖国には一人も祭られていません。だから私は事あるごとに慰霊碑にもうでます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
理屈で考えると、必ずどこかで矛盾が生じます。
お墓詣りするのに、先祖で祭られていない方もいるでしょう。
そういう方もすべてひっくるめて供養しています。
靖国も同じです。

お礼日時:2013/08/25 08:28

靖国神社には、たしかに 日本国のために命を捧げたと言われる将兵が祀られています。


しかしながら、それら将兵と同じように、人によってはそれら将兵以上に、日本国のために軍需工場で働いたり空襲で死んだりその他 徴用されて命を無くした軍属や民間人は祀られていません。
逆に、遺族が祀らないでくれと言っているのに拒否され祀られたままの人もいます
靖国神社に詣でる/詣でないは個人である限り、その人の自由と考えますが、本当に国のために尊い命を捧げた人たちを慰霊すると言うのならば、靖国神社1か所だけを詣でて済む話ではありません。(政治的パフォーマンスならば別ですが)
現状を見られたら、大村益次郎先生もさぞかし呆れておられると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
参拝する大多数の方は、戦争に行った方々および犠牲になった方々を参拝に行っているのだと思います。
気持ちの問題でありが優位に立っており、体裁はその次だと思います。

お礼日時:2013/08/25 08:19

>一般人が参拝に行くのは国民の義務ではないかと思っております。



このような犠牲者がでることになった当時の「戦争指導者」(a級戦犯として処刑)も一緒に祭られているのだから,そのような不浄なところに行く気は一切ありません。
「戦争指導者」とその犠牲者である一般兵士とは分けるべきであり,これをしないから賛否があるのです。「戦争指導者」さえ祭っていなければ,誰も反対しないでしょう。
「戦争指導者」という不浄なものは即刻取り下げるべきです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
大多数の犠牲者とほんの一握りの戦争指導者。
自分は大多数の犠牲者のことを考えたら、一握りの戦争指導者などどうでもいいと思ってしまいます。

お礼日時:2013/08/25 08:14

 66歳の私のおじさんは28歳で中国で餓死しました.志願兵で将校でした。

凛々しい姿は胸のあばらが浮いていました。
 
 靖国神社にまつられていますが、嬉しくないでしょうね。
 お国のため、という中身は他国の民を殺し自国の戦争を企んでおいて自分たちは安全に過ごしていた連中のコマになったのですから。

 おじさん英霊などといわれて気分悪い事でしょう。
 
 お参りしたい人はいったらいいです。

 先日娘と婿が(30代後半),今日は終戦記念日だから黙祷をしよう、といって瞑想の真似をしていました。
 其れで、何を考えるのか聞いたら、エーーー、記念日だから黙祷よね、です。
 心ある黙祷をする気があるなら自分の関係で戦争でどうだったのか関心もって欲しいと思いました。
 話してみましたが実感なさ過ぎて、フーーンで終わり。
 
 こんな風に無関心なのに自己満足のセレモニーされて、おじさん腹が立つ事でしょう。
 
 きちんと戦争と国民国家についての反省と教えを継続出来ない日本です。
 
 今に孫が自衛隊に行って国防軍になって戦争に行って死んだ時、英霊、などといって大事にしたフリなんかしないようであって欲しい
 もんです。
 あんな娘夫婦を見たので、コレからは確り伯父や戦後の先祖の苦労について伝えなければなりません。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
中身のある黙祷かセレモニーとしての黙祷は明らかに大違いだとは思います。
でも、気持ちを向けているのは確かなので、悪いことではないと思います。
戦争に行った方々の気持ちを実感することは不可能です。
ちょっとでも考えることが重要なのではないでしょうか。

お礼日時:2013/08/25 08:11

>>一般人が参拝に行くのは国民の義務ではないかと思っております。




その様な事はないでしょう。
行きたければ行けば良し。
行きたくない人もそれで良し。

憲法でも、他人(国民)の心の中には関与しません。
出来ません。
例えどの様な権力を持ってしても・・

そもそも、権力に心の中をどうにか出来るほどの力もないですし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
行きたければ行く、行きたくなければいかない。
それでいいと思います。

先祖のお墓詣りに義務はありませんからね。
ただ、先祖を敬う気持ちは持っていたいものです。

お礼日時:2013/08/25 08:05

靖国神社は宗教法人ですから、宗教上行きたくても行けないと言う人達も居るでしょう。


だから国民の義務とは決して思いませんし思えません。
国民の義務だと言うのであれば、一宗教法人の中に戦没者を祀るのでは無く公立の追悼施設なりを作るべきでしょう。
その事で宗教上云々も無くなりますし、国会議員による参拝に対し国内でも賛否両論有る『政教分離の原則に反する』と言う考え方の解決にも為ります。
一般の参拝については、宗教上入れないと言う人達を除けば何の問題も無いと思いますが。
ただ、日本のメディアもですが、参拝する事で日本人は過去の戦争を肯定していると評する事については残念な事ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
参拝することを戦争を肯定するという発想は理解できません。
理不尽に戦争に掻き立てられて戦場で散った方々を参拝したい。
ただそれだけですね。

お礼日時:2013/08/25 08:02

行きたい人は行けば良いし、行きたくない人は行かなければ良いし。



戦後生まれは78%とか、戦争って何だろ?って人がほとんどですね。

祖国を守った人たちを祀るということですけど、結局守れなかったのでは?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よくよく考えると、義務と書いたのはいきすぎでした。
でも国を守るために戦った方々を供養したいという気持ちは理屈抜きで
自然のことだと思ってます。

お礼日時:2013/08/25 08:00

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