先日研修会で座禅(宗派は省略します)を体験してきました。
そこで疑問に思ったことがあります。
渡された小冊子に色々な経文が書いてあったのですが、その中の題に「陀羅尼」と
書いてあったんです。
そこには「消災呪」とも書いてあったのですが、所謂「陀羅尼」って密教系の真言なのではないでしょうか?
それとも、広義と狭義があって全仏教で共通で使用するものなのでしょうか?
単なる知的好奇心なのですが、お教えいただければ幸いです。

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A 回答 (1件)

 禅宗である臨済宗の経典に「大悲心陀羅尼」というのがあります(参考URL参照)。


「陀羅尼」は、もともと、サンスクリット語のダーラニーが音訳されたもので、仏教全般の魔から身を守る呪文でした。
http://www2.plala.or.jp/yuri_world/onmyou_do/mik …
 なお、法華経でも使われています。
http://www.sunlotus.org/tales/yasashi/yasashi20. …

 

参考URL:http://www.shintosya.co.jp/tips/benri/sikiten/te …
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この回答へのお礼

「陀羅尼」とは仏教全般で使用される呪文だったのですね。
大変よくわかりました。
また疑問点が沸いてきましたら、よろしくお願いします。

お礼日時:2001/05/29 19:23

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Q不動明王様のご真言と手印について

 不動明王様にお詳しい方の御回答を宜しくお願い申しあげます。
 
 質問は以下の2つです・・・
 
質問(1):不動明王様のご真言の冒頭部分ですが、
 
『のうまく【さまんだ】・・・』と
『のうまく【さんまんだ】・・・』
と、言い方が2つに別れているようですが、どちらが正しいのでしょうか?
  
 ネットで沢山調べても、【さまんだ】と言う所もあれば、
 【さんまんだ】と言う所もあり、ご真言としてはどちらが正しいのか、はっきりしません。
 
 
質問(2):不動明王様の手印についてですが、
 
 九字の中の、
【臨】の『独鈷印』を結ぶという説と、
【者】の『内獅子印』を結ぶという説があります。
 
 これもネットで沢山調べたのですが、
 『独鈷印:不動明王』という所と、
 『内獅子印:不動明王』という所があり、
 どちらが正解なのか、はっきりしません。
 
 
 以上2つの質問に、どうか御回答頂ければ幸いです。
 お詳しい方、何卒御教授の程、宜しくお願い申しあげます。
 
 長文駄文失礼致しました。

 不動明王様にお詳しい方の御回答を宜しくお願い申しあげます。
 
 質問は以下の2つです・・・
 
質問(1):不動明王様のご真言の冒頭部分ですが、
 
『のうまく【さまんだ】・・・』と
『のうまく【さんまんだ】・・・』
と、言い方が2つに別れているようですが、どちらが正しいのでしょうか?
  
 ネットで沢山調べても、【さまんだ】と言う所もあれば、
 【さんまんだ】と言う所もあり、ご真言としてはどちらが正しいのか、はっきりしません。
 
 
質問(2):不動明王様の手印につい...続きを読む

Aベストアンサー

私も、印相の方は分からないのですが、真言の方は、先の回答者のおっしゃるようにサンスクリットの音訳ですので、二種類の読み方があるのだと思います。

真言は、訳すに訳せない“秘密の呪文”ですから、サンスクリットの発音に似た発音を持つ漢字を羅列して表わしています。
で、不動明王の真言の冒頭部分は、「曩莫三曼多……」という漢字を当たわけですが、問題の部分は「三」という漢字を当てています。
サンスクリットの元々の発音を私は知らないのですが、「三」ですから、「さ」とも「さん」とも読めるため、二種類の読み方ができあがったのだと思います。

『般若心経』では、「観自在菩薩」を、「かんじーざいぼーさ-」と読みますが、「菩薩」は「菩提薩“土垂”」の略で「bodhisattva」の音訳です。これをカタカナで表記すれば「ボーディサットバ」です。普段の読み方では「ぼだいさった」略して「ぼさつ」と読みますが、経典を読む時は「ぼーさー」と発音します。

そういうのと同じで、もともとの発音から漢字を当てたわけですが、時代を経て、読みやすい方に流れていき、今の読み方は元のサンスクリットとは全然違う読み方になっています。

特に宗派によって読み方が変わったりする場合が多々あって、おっしゃっているお不動さんの真言も、真言宗内の各派、天台宗など、宗派によって違うのかもしれませんから、一概にどちらが正しくてどちらが間違いとは言えないのかもしれません(このあたりは専門外なのでよく分かりません)。

ちなみに、「曩莫三曼多……」の「曩莫」ですが、別の音訳では「南無」と表記します。
音訳が違うため、「のうまく」と読んだり「なむ」と読んだりしますが、どちらも意味としては同じ、「帰命(帰依)いたします」になります。

私も、印相の方は分からないのですが、真言の方は、先の回答者のおっしゃるようにサンスクリットの音訳ですので、二種類の読み方があるのだと思います。

真言は、訳すに訳せない“秘密の呪文”ですから、サンスクリットの発音に似た発音を持つ漢字を羅列して表わしています。
で、不動明王の真言の冒頭部分は、「曩莫三曼多……」という漢字を当たわけですが、問題の部分は「三」という漢字を当てています。
サンスクリットの元々の発音を私は知らないのですが、「三」ですから、「さ」とも「さん」とも読めるため、...続きを読む

Q「南無関・・」から始まる経文を探しています

確か「南無関・・」から始まる経文だったと思いますが探しています。
どうかお教え下さい。

Aベストアンサー

『大正新脩大蔵経』(100巻)のデータベースで調べましたが、「南無関」という文字列が出てくる経典は一つもヒットしませんでした。

先の回答にもありますが、「南無」は、「あなたに帰依します」の意味ですから、「南無」の続きには帰依する対象である仏・菩薩等の名前が来るはずです。

いわゆる仏教における有名どころの仏・菩薩等で、「関」で始まる名前を私は見たことがありません。

ですから「南無関」が誤字や記憶違いでないとするならば、他に考えられることとしては、「関」で始まる高僧に帰依します……という内容の文書(経典とまでは言えないもの)、あるいは何か民間信仰のようなもので作られれた経典、そんなものではないのかなあと思います。

Q座禅で結跏趺坐をする理由は?

私には座禅の経験はないのですが、子供の頃に、映画などに登場する僧侶の真似をして、結跏趺坐を組んで、どの程度耐えられるかということを試していました。それを思い返して、疑問に思っているのですが、なぜ、座禅は結跏趺坐とセットなのでしょうか。例えば、正座をして同様の呼吸・精神的働きを心がける場合と、異なる過程や結果があるのでしょうか。また、教義上の理由(宗派によってことなるでしょうけれど)があれば、知りたいです。ぜひ、教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。。

 自分も真似事程度に座るぐらいですが・・・お邪魔します。

 インドの人に聞いたわけではないのですが、結跏趺坐は「座りやすい」座り方だというのが、まずは第一の理由かと思います。どれぐらい耐えられるかとか、ムリヤリ組むとかいうのではなく、安定して長時間座ることに(インドの行者さんが)適しているとされたのだということかと。
 お寺さんにお尋ねしたことがあるのですが、両膝部分がペタンと無理なく床につくのが理想的な結跏趺坐で、それができないなら片足のみを組む半跏坐でよい、ということでした。通常日本で座禅というと半跏坐になるかと思います。

 あちこちからの引用ですが、右足を上にする結跏趺坐は「吉祥坐」「蓮華坐」とも呼び、如来の坐法とされる、逆は修行者の坐法とされ、宗派によって、どちらを上にするかは異なるとのこと、確かに、密教系が右が上、禅系が左が上だったかなと思います。

 『大智度論』(だいちどろん)という論書の7巻に坐法を説明した部分があります。多くの坐法がある中で、仏はなぜ結跏趺坐するのか?という問いに、「結跏趺坐は最も安隠にして疲極せず・・・」とあり、引用として『身安く三昧に入り、その威徳を人敬仰すること、日の天下を照らすが如し。』と挙げられ、心が乱れることなく、魔王が恐れるほどだと書かれています。
 この部分では、身を直くすることが心の平静につながるとされ、そのために最も適しているのが結跏趺坐だと強調されています。

 体型や文化・習慣の違いなどから、日本人にそのままあてはまるのかどうかはともかく、インドの仏教ではそうなっていた、というところでしょうか。では。

 

こんばんは。。

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Q止観座禅とは

止観座禅とはどのようなものでしょうか?
「仏前に座り心静かにして今後どうすべきかあるいは今日一日どうすべきかを思索したり心を鬼にして喝を入れたり夕時は自らを省みたり褒めて労わる事」と解釈しています。
臨済宗の座禅と異なる点は何でしょうか?

Aベストアンサー

ざっくりした意味では、「止観」≒「坐禅」です。

「止観」は主に天台宗で用いられる用語ですが、『広辞苑』には、

心を一つの対象に集中させて雑念を止め(止)、正しい智慧によって対象を観察すること(観)

とあります。
そのように心を集中させて、ものごとを正しく観るために「坐る」のが坐禅です。
「止観坐禅」とは、そのような考えに基づいた修行方法のことでしょう。

臨済宗の坐禅と大きく違うことは、臨済宗では「坐禅」=「公案禅」です。
師匠が「公案」という問題を提示し、弟子はその「公案」の答えを求めて思索しながら心を統一し、坐禅をします。

もう一ついえば、「阿字観」というのが、真言宗における「坐禅」の形態です。
「阿字」という梵字と一体化するために精神を統一し坐るのが「阿字観」で、これも「坐禅」の一形態と言えると思います。

いずれにしろ、最終的には「煩悩にとらわれず、真実を観る」ための修行方法ですから、大きくは違いません。

Q【仏教】密教の「三鈷杵(さんこしょ)」はどのように使うものなのでしょうか?独鈷杵(どくこしょ)と

【仏教】密教の「三鈷杵(さんこしょ)」はどのように使うものなのでしょうか?

独鈷杵(どくこしょ)というのもありますがこれはまがい物ですか?

三鈷杵、独鈷杵の使い方と意味を教えてください。

Aベストアンサー

三鈷杵も独鈷杵も、金剛杵という法具のバリエーションで、基本的には同じものです。
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