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1964年の東京オリンピックに向けて、東海道新幹線や東京モノレールの開通、
羽田空港、首都高、名神等の交通整備がされましたが、
上記の整備した交通施設以外の既存の施設を利用した一般道や鉄道等は、
普段よりいつも混雑するような形でしたか?
また、混雑が予測されるものに対して、既存施設では何か対策をとられていたのでしょうか?

(例えば、増発等)

よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

昭和39年は、私も幼くて、45年の大阪万博の時は、もうしっかりとした記憶があります。


戦後19年目の国家大プロジェクトは、戦前に一度流産した五輪の再現です。
新幹線計画も、戦前にあった弾丸列車計画の、電化焼き直しです。
当時の国鉄近代化は、1956年に東海道線完全電化、58年から高速電車特急が、
ようやく東京ー大阪間を結びます。
新幹線開通がオリンピック9日前の10月1日で、たしかに日本中の交通網のうち
東海道と山陽線(完全電化)は一変いたしました。
しかし、その前の1961年10月に、主要幹線に特急列車が走り出すダイヤ改正を
実現して、日本は近代国家を標榜出来るようになったと思います。
これがオリンピックと新幹線の布石だと思います。

交通機関の大整備というと、1970年の大阪万博の方が大量輸送のピークだと思います。
東名高速が前年に開通し、航空網も飛躍的に整備されました。
国鉄のダイヤは、1968年10月に「よんさんとお」改正で、さらなる大増発。
人口増社会に対する、国家の答えも、蒸気機関車を廃止して近代化を。
路面電車を無くして地下鉄を。でコンセンサスは一致していました。

でも無理矢理成長した時代の弊害は、1973年の石油ショック以降、公害とか
新幹線騒音訴訟とかに長く残りました。

今回は国内人口減社会下における、オリンピック開催です。
国外からの参加者数は、1964の比ではないでしょう。
けれども、日本中から団体列車が、東京を目ざす時代は、終わりました。
たとえば、大型ホテルの建設は、1964の東京や、1970の大阪ではホテル時代の
始まりに過ぎず、その後の時代の方が、暴力的に加速しています。

むしろ地方にいる人口が、半世紀前より大幅に減少し、仕事を求めて、3大都市圏に
集中しているのが、現状です。
五輪開催の交通機関の混雑は、2週間程度の臨時イベントに過ぎず、過剰な応対は
ないと考えます。
もう、オリンピックで騒ぐ世代は、旧人類だけで、粛々と対応を計画するだけなのが
交通機関であり、ホテル業界だと思います。
マスコミも騒ぐだけの権力は残っていません。

国家や都市形成の歴史的検証で見るのなら、1964は面白かったです。
私より上の世代の、評論家の松本健一、作詞家の松本隆、音楽界を代表する
松任谷由実。みんな昭和39年の東京オリンピックで、子どもの頃にみていた
原風景が一変した、失われたと、作品に影響を残しています。

今度の五輪には、それだけの影響力はないのでは。ノスタルジー的に
私は、そう感じています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、新幹線開通も、(安全性とかの確証はできていても)
かなり強引なものだった感じもしています。
とはいえ、弾丸列車の土地と、既にトンネルが掘られていたのもあり
早期開通につながったのは、あるかと感じられています。

※それも一つの原因として、(カーブが多いのと、パラストで)
270km/h制限がかかってますからね。

しかし、当時は鬼のような混雑のようなものがあったということで、
今回も、それなりに混雑してしまうのでは。。とも感じられました。

お礼日時:2013/09/20 12:52

1964年には生まれておりましたが・・・他の方のような明確な経験はないので、上の世代の方から聞いた内容と私のわずかな知識から



> 1964年の東京オリンピックに向けて、東海道新幹線や東京モノレールの開通、
> 羽田空港、首都高、名神等の交通整備がされましたが、
> 上記の整備した交通施設以外の既存の施設を利用した一般道や鉄道等は、
> 普段よりいつも混雑するような形でしたか?
・辛うじてマルス101が稼動するが、全列車対応とか団体客対応の前なので、10月の予約開始日(昭和39年9月1日)は、例月ら比べて殺人的であった。
・物流が留まってしまい、関西-関東間の荷物が届かずに難儀した

> また、混雑が予測されるものに対して、既存施設では何か対策をとられていたのでしょうか?
ご質問の趣旨から外れますが、当社の親会社(メーカー)は文句が来たら『オリンピックだから』と言って笑って済ませたらしいけれど、事前に在庫を増やしておくという問屋・小売側の協力を依頼しておいた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、新幹線開通も、(安全性とかの確証はできていても)
かなり強引なものだった感じもしています。
とはいえ、弾丸列車の土地と、既にトンネルが掘られていたのもあり
早期開通につながったのは、あるかと感じられています。

※それも一つの原因として、(カーブが多いのと、パラストで)
270km/h制限がかかってますからね。

しかし、当時は鬼のような混雑のようなものがあったということで、
今回も、それなりに混雑してしまうのでは。。とも感じられました。

お礼日時:2013/09/20 12:51

今でも憶えていますが、首都圏のラッシュアワーの混雑は今の比ではありませんでした。

総武線、京浜東北線の上の秋葉原間は乗車率400%、殺人的でした。もちろんエアコンなどなく、殺されそうでした。
名神高速道はありましたが、東名高速はまだありませんでした。国道一号線をシコシコ走りました。
東海道線以外はすべて蒸気機関車がメインでした。東北本線上野ー仙台間は蒸気機関車で10時間かかりました。仙台に着くまでにすすで顔が真っ黒けになりました。
北海道へは青函連絡船で渡りました。青森から函館まで4時間半掛かりました。
東京の地下鉄は戦前からある銀座線と丸ノ内線しかなく、一区間10円でした。
23区内に都電が縦横に走っていて、乗車賃15円でした。一回だけ乗り換えが出来、15円で23区内どこへでも行けました。
オリンピック以外、何の対策も取られませんでした。その頃の日本はすこぶる貧乏で、金がなかったのです。でもいい時代でした。

この回答への補足

ありがとうございます。

通勤時間帯が殺人的な混雑であるのはわかるのですが、
オリンピックの交通機関とすれば、それ以外の時間も使われるはずです。

特に、昼や夕方(帰宅ラッシュ前)の時間帯はどうでしたでしょうか?

補足日時:2013/09/09 09:54
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>1964年の東京オリンピックに向けて、東海道新幹線や東京モノレールの開通、 羽田空港、首都高、名神等の交通整備がされましたが



首都高を除けばオリンピックを理由にした国土基本軸の整備事業ですね

現在でも国立霞ヶ丘競技場最寄りの千駄ヶ谷駅に東京オリンピックの時に造られた臨時ホームが残っています。信濃町駅にも臨時ホームが造られましたが、これは駅改築の際に撤去されました。また、代々木競技場最寄りの原宿駅には明治神宮参詣のための臨時ホームがあり、オリンピックの時にも使用されています。
既存の公共交通施設で直接オリンピックに関係して増強されたのはこれくらいじゃないかと思います。地下鉄銀座線の青山一丁目と外苑前は特にいじらなかったはず。国電、地下鉄、都電、都バスなどが競技に合わせて増発したかは不明です。

なお、都内の主要道路はオリンピックに向けてかなり整備されました(青山通りの拡幅等)

駒沢のオリンピック公園は、公共輸送機関としてはバスと路面電車(玉電)しかなく、開催時に増発はしたのでしょうが、玉電の走る玉川通りは既に道路交通が逼迫していましたから、増発の効果が出たかは微妙だと思います(東京オリンピックの5年後に新玉川線として地下線化するために廃止)。

この回答への補足

ありがとうございます。

TVで見たのですが、よく考えると大江戸線が今回の5輪のアクセスラインとして
かなり使われそうな感じのような発言をしてましたね。

また、都営地下鉄?と都バスが24時間営業をするという話もあるようですが・・・


まずは、臨時ホームができたからといって、乗降するのに便宜がよいだけであって
車内の混雑度はそれだけではかわらないはずですが・・
(ただ、乗降がスムーズになることにより、増発をしやすくするのはありますが)
このあたりはどうだったでしょうか?

補足日時:2013/09/09 09:53
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