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フランス、イタリアなどのラテン民族は戦争に弱いという言葉を聞きますが、いつごろから言われているのでしょうか?
また、根拠はやはり第2次世界大戦でしょうか?

第2次世界大戦のときは、フランスはあっという間にドイツに占領されるし、イタリアはもっとダメだめでしたが、それまでの歴史をみると十分、強かったと思います。
古代のローマ帝国、中世以降の世界屈指のフランス帝国、ナポレオン戦争、等々ありますから。

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A 回答 (8件)

日本では、フランスが戦争に弱いという印象を第二次大戦に持ちましたが


ドイツでは、普仏戦争以降「フランスには充分勝てる」という思考を持っていますし
ロシアでは、ナポレオンを最初に負かしたのは自分たちだという気概を持っていますし、
イギリスでは、建国以来フランスには戦争で一度も負けていないというプライドがあります。
そもそもイギリスは、18世紀に北米の植民地争奪戦で勝っており、それがフランス帝国衰退の要因になりました。
以上のことから、「フランス人は戦争下手」という考えは、意外に古いかもしれません。
ナポレオンもいじわるに見れば、国力の衰えたスペイン、分裂したドイツ、まとまりのないイタリア、周辺の小国相手にしか勝っておらず、イギリスとロシアに大敗北してますからナポレオン個人の卓越した才能とタイミングだけで栄光を手にしたと言っても
もしかしたらあまり無理がないかも・・・。

イタリアは、西ローマ帝国滅亡以降、まとまった国家が成立しておらず、他国の侵略を受けっぱなし。
現在でもそれが続き、南北分裂の可能性さえある始末。

同じラテンのスペインは、国家として成熟する前に植民地を大量に抱えてしまい、中学生が株で大金を得たようなもので、その後はさっぱり。国内の少数民族独立問題や沿岸部と内陸の経済格差も解消できず、先進国の末席にかろうじてしがみついているようなもの。

第二次大戦でのフランスやイタリアの低迷は、その時に急に現れたのではなく、もっとずうっと以前から現れていたのです。

でも、フランス、イタリア、スペインって、料理がめちゃくちゃ旨いじゃないですか。
戦争上手のイギリス、ドイツ、ロシアってまともに食えるものが無い。世界一戦争好きなアメリカも大味で粗野な食い物ばかり。食い物のうまい国の国民は、無理して戦争に勝たなくてもいいのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2013/10/12 12:18

(4)ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ



16世紀前期のスペインの将軍

南イタリアのチェリニョーラで当時最強のフランス重装騎兵とスイスのパイク兵(長槍兵)からなるフランス軍を破る
その戦法は
壕と土塁で野戦築城し火縄銃兵の多段撃ち

この数十年後、南イタリアの地形に似た日本の長篠で織田・徳川軍が武田軍を破る
武田軍は騎兵隊でなく、徒歩の従者を率いた騎馬武者だが戦法は酷似している
宣教師が伝えたのか?


(5)クリミア戦争でのサルディニア軍

クリミア戦争でセバストポリの包囲を破ろうとしてきた後詰めのロシアの大軍を撃退したのみならず
英仏軍も苦戦した損害の多いセバストポリ要塞の砲台を着実に落としていった

(6)個の力の第二次大戦のイタリア軍

・海軍特殊部隊のデ・ラ・ペンネ大尉らはアレキサンドリア港へ潜入し
英戦艦二隻を大破着低させ地中海艦隊を弱体させロンメルの第二次攻勢を可能にさせた
大尉は連合国側にたったイタリア王国軍でも活動し
建造中で枢軸側にあった空母アクィラをはじめ、巡洋艦二隻など撃沈、行動不能にしている

・空挺特殊部隊のたった二名で連合国支配下にあったベンガジ郊外の空港へ降下し米軍爆撃機20機を爆破破壊

・海軍特殊部隊の特攻ボートでクレタ島にいた英重巡ヨークを大破

・魚雷艇二隻で黒海においてソ連重巡モロトフを大破


戦後、ソ連に引き渡された戦艦ジュリオ・チエザーレが黒海の軍港で謎の爆沈しているが
引き渡しを潔しとしないイタリア軍の旧特殊部隊員たちの仕業の可能性が強いといわれている


意外と思われるかも知れないが、イタリアの戦後史は同時代の西ドイツや日本と違い、暴力的だ

極左、極右だけでなく、マフィアやカモッラの犯罪組織、国家警察である憲兵(カラビニエリ)や治安警察も暴力的
カラビニエリが極右の軍事キャンプを奇襲し銃撃戦とか

また名称をコロコロ変えたイタリア情報部もCIAばりの謀略をやっているのが驚き
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/12 12:20

はたしてそうでしょうか?



13世紀末から16世紀前半までの欧州ではフランスが最強で
それを破ったのはスペイン
17世紀のヴァサ朝のスウェーデンが現れるまではラテン系の方が強かったのでは?

ラテン系のエピソードでは

(1)アルモガバルス
アラゴン、カスティリアに雇われていたスペイン人の傭兵隊
戦いは強いが、凶暴さでも知られ両王国でももて余していたところ
オスマンに苦しめられていたビザンツに貸し出された
アルモガバルスは小アジア上陸後、オスマンに対し連戦連勝

しかし資金不足のビザンツは給金を払わないどころか傭兵隊長を謀殺
激怒したアルモガバルスは小アジアを荒らしまくり、とばっちりを受けたアテネ公国は国を滅ぼされた

(2)マルタ騎士団
オスマン最盛期のスレイマン大帝は大軍を用いマルタを征服しようとしたが
寡兵にも関わらずスペイン人、イタリア人主体のマルタ騎士団はオスマンに大損害を与え撃退した

(3)ヤーコポ・デル・ヴェルメ
ミラノ大公国最盛期のジャン・ガレアッツォの右腕で大公国軍の司令官
傭兵隊長にも関わらずジャン・ガレアッツォに終生忠誠を尽くす

ジャン・ガレアッツォは兵農分離をし、産業を振興させ、軍も外国人を排除しイタリア人のみで組織した
フランスなど大国や教皇派都市に囲まれていた状況下でヤーコポは内線作戦の利を利用し巧みに戦い続け
ついに教皇派都市筆頭のフィレンツェ軍を率いる史上最も凶悪なイングランド人ジョン・ホークウッドを打ち破り撃退
1398年にはアルマニャック伯率いるフランス軍をミラノ大公国独力で破り
1402年には神聖ローマ帝国軍を独力で破った

フィレンツェは本市以外の全トスカーナをヤーコポに占領され風前の灯だったが
ジャン・ガレアッツォが急死し、無能な後継者争いに嫌気が差したヤーコポは軍籍を除籍し帰郷してミラノ大公国は凋落してしまう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/12 12:19

qazxcvfr4さん、こんばんわ。



hitiです。ナポレオンは将軍達にいちいち指示を出していたらしいです。ロシア遠征の時は最終的には50万人の兵力の配置や指揮には、さすがのナポレオンも能力の限界を超えていたのでしょう。敗れてしまいました。普仏戦争は実際の地の元老である大山巌が直接観戦しています。それ以後、フランス式だった日本陸軍のシステムをドイツ式に改めます。フランスは第一次世界大戦ではイギリス、アメリカ、ロシアと同盟してやっと勝利を収めました。一時はパリは陥落目前でした。第2次世界大戦は質問者様の言うとおりです。マジノ線という要塞はアルデンヌの森という穴が開いてました。そこをドイツ機甲部隊に襲われたのです。これは本当に何も考えていないのと同じだと思います。第一次インドシナ戦争ではベトミン軍に破れ、植民地である仏領インドシナを失います。つまり、植民地すら維持できる状態ではなくなります。
イタリア統一の母体となるサルジニア王国はクリミア戦争を英仏と連合してロシアと戦ったりしていました。まだ、都市国家が乱立していたため、装備や訓練がいきわたらない軍隊は弱体なので、絶えず当時の大国との同盟関係を締結してから戦争に踏み切りました。1858年まず、フランスと同盟しオーストリア戦争に邁進。経済的に豊かなロンバルディア、中部イタリアのパルマ、モデナ、トスカーナを次々と併合しました。フランスにニースとサヴォイアを割譲しました。統一した1861年以後も、オーストリアやフランスに奪われた領土を回復するためにドイツやと同盟を結んで戦争を仕掛けます。これらの戦争に勝利して最終的なイタリア王国になったのは第一次世界大戦以後のことです。ある意味この時代のイタリアの方がフランスより巧妙な立ち回りをしています。

イタリアはもっとダメだめでしたが、
第2次世界大戦でのイタリアの失敗はソマリア・エチオピアという植民地を維持しようとして失敗したためということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/12 12:16

フランス、イタリアなどのラテン民族は戦争に弱いという言葉を聞きますが、いつごろから言われているのでしょうか?



他の方も指摘しているが、ヘタリアで認知が広がったようです。
※ 「今度はイタリア抜きでやろうな」というエスニック・ジョークはかなり前からありましたが、一般的ではなかったかと。
40年くらい前、軍事マニアの小学生だった私は、当時から上記のジョークは知っていました。
軍事マニアはドイツ好きが多いですから。


http://blog.livedoor.jp/ishibe/archives/50251563 …
この辺を読むと、日本側の片思いのようでもあります。

"next time without Italy"で検索したところ 2004年に該当の文字を入れたTシャツが販売されたというのが、一番古いようです。

書籍検索だと
Machiavelli's children: leaders and their legacies in Italy and Japan
RJ Samuels - 2003 - books.google.com
以外には 古いものは見つからない。


戦争が下手というと、第二次イタリア独立戦争での フランス+サルディーニャ VS オーストリア が 下手同志の戦いと言われています。
1859年のマジェンタの戦いとか。
ちなみに勝ったのは フランス+サルディーニャ のラテン系で 負けたのが オーストリア。
民族で云々というのは、基本的にはナンセンスだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/12 12:13

私もうろ覚えで回答してはいけないのですが、今のイタリア人とローマ帝国のローマ人は確か直系の子孫ではなかったような・・・?


ローマ人からするとガリア(フランス)人は蛮民族もいいとこですからね。ガリア戦記で、戦いの直前になるとガリア人が興奮して裸になり出すのを見て、文明人のローマ人は「は?これから斬りあいするのになんでアイツら服脱いでるの?野蛮人はなに考えてるかわけわかんねえ」って戦慄したそうですから。

フランスはそれこそルイ王朝の昔から大陸軍国だったので、一度や二度負けたからといって評価が劇的に下がるというものではないでしょう。現に、今でも世界に冠たる陸軍国であることには変わりありません。

イタリア人が戦争に弱いと揶揄されるのは第二次大戦以降じゃないですかね。最も、第一次大戦で若き日のあのロンメル将軍(当時は確か中隊長)に大戦中最大の敗北を喫していますから。
ただ、イタリア人の名誉のためにいうと、個人的な勇気が試されるような場面だとイタリア人は大活躍なんですよ。小型潜水艇に乗って潜水服で密かに侵入して爆弾を仕掛けるなんていうのに第二次大戦中のイギリス軍が手こずっているんです。たった1人か2人で敵中突破ってのはちょっと日本人には真似はできないですよね。でも、集団になるとなんだか腰抜けになっちゃう・笑。
もっとも、イタリアが弱いって揶揄が一般的になったのはあの「ヘタリア」とかいうアニメだかマンガだかによってじゃないかな。それまでは、軍事マニアの間だけで揶揄されてましたから。

これ、あくまで自説なんですが、戦争のときのその国の兵隊の強さとメシの美味さは反比例の関係にあるのではないかと思っています。フランスもイタリアもグルメ大国だし、中国もそうですよね。
一方、ドイツ人はじゃがいもとソーセージとザワークラフトくらいしか食べないそうですし(じゃがいもの消費量は世界一。ドイツはリサイクルなどで有名ですが、家庭から出る生ゴミの量ってものすごく少ないのだそうです)、イギリス、アメリカのメシのまずさは世界に冠たるものです。私、どこの国にいっても「お米が食べられなくてホームシック」ということはなかった人ですが、アメリカに行った時だけは「なんでこの国はどこで何を食べてもこんなにまずいんだ」って泣きたくなりましたもん。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

メシのうまさと反比例するという傾向はあるかもしれませんね。
しかし、日本はどうなるんでしょうか。
メシがうまい国といえると思うんですが。

お礼日時:2013/10/12 12:12

qazxcvfr4 さん、おはようございます。



フランスが戦争に弱いのは普仏戦争後から言われていました。それまではナポレオンの影響でヨーロッパ最強の陸軍の一つと呼ばれていました。だから、日本が陸軍建設にモデルに最初になったのはフランス陸軍でした。
フランスの軍事的アイデアは光るものもありますが、総じてドイツほど実際的ではありませんでした。また、装備の更新には後氏としては画期的な装備も不統一な見解からたびたび中断、もしくは遅らせられるなど、はっきり言って物事をしっかり考えてから出来ないという感じを受けます。つまり、物事をしっかり考えるナポレオンのような強力なリーダーがいないとだめなのです。

イタリアはドイツとほぼ同じく、19世紀半ばになってから統一したので、まだ地域国家の寄せ集めのような感じですので、フランスよりも条件が悪く、装備更新についておくれがちで統一したシステムがありませんでした。
ラテン民族の方々は理論よりも感情に重きを置いているのでこういう組織的でかつ冷静な判断を求められる事柄には不得手なのかもしれません。
一番、良い方法はこの二カ国とドイツを比較するのが良い方法かもしれません。
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この回答へのお礼

おはようございます。

ご回答ありがたいのですが、疑問を感じます。
フランスは普仏戦争で敗れましたが、そこだけで急激に評価が下がるのでしょうか。
世界屈指のフランス帝国はその後も長い間、続くわけですし。

それと「ラテン民族は」というくくりで表現しているわりに、イタリアはまだ統一されたばかりなので、
その時点では弱いとか強いとか評価しようがないのではないでしょうか。

お礼日時:2013/09/14 11:20

西洋のうち、地中海に面した南欧は比較的温暖で、昔から生きていくのに苦労しませんでした。



 北欧系の国は寒冷で碌に作物も育たず、海外に進出していくしか生きていく手段がなかったのです。主食にして南欧はパンだったのに対し、北欧はかつては野生動物、農耕が入ってきても牧草で家畜を養うくらいしかできなかったので、肉が主食です。南欧の戦闘というのは支配者に限定されていたのに対し、北欧系は国民性が闘争的なのです。

 つまり、農耕民族と狩猟民族みたいなもので、民族性の違いとしか言いようがありません。

 日本人は韓国、中国では歪曲されていますが、世界的に見れば温厚な民族です。温帯地域で、米が大量にとれたため、海外に進出することが無かったためです。戦国時代など支配者である武士の歴史しか学びませんから誤解している人が多いですが、大多数を占める農民は支配者が変わっても無関係でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/14 11:15

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現在では軍事力という点では上がいます。
しかし、下の方が多いでしょうね。
自動小銃が1丁あれば、武器を持たない市民からは
充分驚異です。

 真に強いというのは、永世中立国時代のスイスの様な
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「他国に頼らず」に、自国(広義の領土と国民)を守り、内政を安定させる為にのみ由来すべきであると思います。

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>アメリカ軍と一緒にイラクにケンカ売ってるスペインですが
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自動小銃が1丁あれば、武器を持たない市民からは
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 真に強いというのは、永世中立国時代のスイスの様な
国だと思います。
強力な軍隊の存在意義は、
「他国に頼らず」に、自国(広義の領土と国民)を守り、内政を安定させる為にのみ由来すべきであると思います。

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Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
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又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
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日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

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Q白人世界でアジア人を差別しない国はありません、それが現実ですがどう思いますか?

一年以上白人国家を旅行した人なら理解できると思いますが、最低でも1度や2度必ず差別を受けた経験があると思います、その時必ず中国人か日本人か聞かれます、ある店でボッタクリが嫌なので嘘をついて中国人と言ったらその後無視され出て行けと言われました、その後冗談で実は日本人と言うと180度態度が変わりました。白人は正直露骨です。
そして肌の色でもアジア人を美的感覚から見下します。
ロスで仲良くなった白人が言ってました、表面では言わないが
アジア人や黒人は現実に今も差別されている「日本人の君はまだマシな方だ」と。
日本でも差別問題はありますが白人国家は現在でもアジア人を差別しています、中国人とか韓国人と言うととんでもない嫌な思いをさせられます、皆さんこの現実をどう思いますか?

Aベストアンサー

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざるをえなくなったのは、後の方の世界的な大戦のあとではないかと考えます。第一次世界大戦ののちある有色人種の国家が提案した人権平等条項の提案は英米によって葬り去られました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

「ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

 「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。」
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/964059/


人間は好き嫌いのほかに生理的嫌悪ということもあります。戦後は戦争の被害ということも理由に付け加わりました。

オバマ大統領はなぜ黒人なのか。ハーフではないのか。白人男性の主人と黒人女性奴隷の間に生まれた子どもは、生まれながらにして奴隷であり、色が白いほど高く売れたと聞きます。人種差別に法的に最終的な決着がついたのは1964年(昭和39年)かともいわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

>日本人の君はまだマシな方だ
そんなわけで、白人にすれば納得ずくというより、無理やり人種平等を誓わされたわけで、本人からみた多層な差別意識があるのはある面いたし方がないと考えます。

武力ということではないにしても、要は実力で認めさせるほかはないと考えます。

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざ...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む


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