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願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

という歌にとても心惹かれるものがあります。
たしか西行法師の作であったと記憶しております。

この歌に出てくる「花」とは何の花なのでしょうか?
今まで何となく桜だと思っていましたが、桜が日本人にとって最も代表的な花となったのは、もっと後の時代ではないでしょうか。西行法師の時代は「花」と言えば梅だったのではないかと思います。

そこで、月齢と旧暦の日付を調べてみたところ、今年は旧暦の2月の満月の日は新暦4月7日(旧暦2月17日、月齢15.36)でした。
となると、「花」はやはり桜なのでしょうか?

もう一つ、質問です。
「花は桜木、人は武士」という言葉が示すように、潔く散る桜を人の死と結びつける思想は、江戸時代の出てきたものと思っていました。しかし、この歌の「花」が桜であるとすれば、西行法師の時代に、すでに、桜を人の死と結びつける思想の源流があったと考えてよいでしょうか?

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A 回答 (7件)

まず、古文で「花」と出てきたら、奈良時代の一時期を除いて、桜のことと考えてよいと思います。



万葉集でいう「はな」が何を指しているかは、詠まれた数の多さから梅である説、あるいは、当時はまだ貴族社会の一部にしかひろまっていなかったため、桜であるという説など諸説あります。

奈良時代に中国から梅が入ってきた梅は、当時の貴族文化の中では主流になったのですが、外来文化の象徴でもあった梅に対し、古来から生活とともにあり、また民間信仰の対象でもあった桜は、平安時代が進むに連れて、ふたたび主流になっていったようです。
そうして947年には宮中の庭の正面に植えられていた「右近の橘左近の梅」の梅が桜に植え替えられたことなどにもあきらかなように、平安後期以降は、花といえば桜をさすようになります。

ご質問の西行の歌は、1190年のものですから、時期的にも桜であることに間違いはありません。

桜は古来から日本の民間信仰と深く結びついていました。
古事記や日本書紀にも登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、この神は春の女神で豊穣をもたらすとされたのですが、桜の木はこの神の依り代とされました。

桜の開花に農作業が始まる時期を知り、その年の開花に作柄を占った。
こうして桜は農作業と深く結びつきつつ、信仰の対象でもあったのです。
桜の大木の下は一種の聖域となり、豊穣を祈るためのさまざまな儀礼や宴が、年中行事となっていき、今日に至るまで続いています。

一方で、桜に対する見方も時代によって少しずつ変わります。
平安末期には無常観とも結びついていき、さらに時代が下れば、能や歌舞伎での異世界や狂気にも通じていく。
質問者さんが上げられている、仮名手本忠臣蔵の詞は確かに江戸時代のものですが、桜はそれよりはるかに古来から、人々の生活に結びついており、それゆえに、さまざまに解釈されてきた歴史があります。

ここらへんの見方の推移は『ねじ曲げられた桜 ― 美意識と軍国主義 ―』(大貫美恵子 岩波書店)に詳しいので、もし興味がおありでしたら、ご一読ください。

ただ、西行のこの歌は、やはり西行個人の信仰と無関係にとらえることはできないでしょう。

>その如月の望月のころ

とは、釈尊が涅槃に入った(亡くなられた)とされる二月十五日のことです。

「これは死に臨んでの作ではない。死を目前にして西行がこう歌ったのではない。…しかしおそらく六十歳代の半ばごろ、死もいつかはやって来る、もうそれほど遠くはないかもしれぬと思うにいたった老西行が、おのれの死をこういう言葉で表現し、こういう情景の中に見つめ、希求していたことは間違いなく読みとりうるのである」(『西行』高橋英夫 岩波新書)

この本は、西行の生涯だけでなく、さまざまな西行伝説や、西行と芭蕉の関わりなどにもふれられていて、大変おもしろかったです。

以上、なんらかの参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。ごめんなさい。m(__)m

ある時代までは梅、それ以後は桜、と簡単に分けられるものではないということですね。
そう言われてみれば、なるほどと思います。

如月の望月の頃と言えば、ちょうと今頃なんですね。
この季節に死にたいと詠った西行法師の心の中に、桜の美しさへの思いだけでなく、釈尊の涅槃にあやかりたいという思いがあったというのは、不学にして知りませんでした。

逆馬の故事で知られる熊谷次郎直実(蓮生房)などもそうですが、西行にも仏道への一途な思いが感じられます。武士を捨てて出家した彼らのほうが、むしろ武士以上に武士らしかったと言えるのではないでしょうか。

ご紹介くださった文献、ぜひ読んでみたいと思います。
詳しいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/17 01:54

宮中南庭に植えられていた梅がいつ桜になったかは諸説あるようですが、遅くとも西暦961年のこと。

このことで象徴されるように、平安後期以降は「花」といえば「さくら」のこと、さくらといえば「山桜」のこと、と見なしていいようです。

したがって平安末~鎌倉期の西行のころは山桜、と言い切りたいところですが、当時は「しだれざくら」が愛でられていたらしく、なんとも言えなく、悩ましいところです。ただ、西行の歌が群生する桜ではなく、一本の老桜こそふさわしいとは言えそうですね。

このように桜と死とは結びつきやすいと想像しがちだけれども、案外これは近代の産物。
桜の樹の下に屍体は埋まっていないし、いても凄絶に咲き狂う桜花の木下闇から現れる桜鬼くらい。

桜は美しいからこそ貴族に受け入れられたのであり、その生命のかがやきが女性の比喩ともなったのです。かくして木花開耶姫(このはなさくやひめ)も衣通姫(そとおりひめ)も桜の精だったということになり、また、当の女性たちもみずからを桜と一体となって生きたに違いありません。ここには死のイメージはありません。

もちろん、桜を見て死別した肉親を思う歌は作られましたが、これは触発された死のイメージというよりは人の情というもの。さくらはこぞことしを思いやすい属性があります。

「花は桜木、人は武士」は『仮名手本忠臣蔵』のせりふ。桜はまず文芸に、それから絵巻物に、そして陶芸や染物のあと、演劇に効果的に取り入れられました。けれどもここでも死は意匠であり効果であり、演劇上のあしらいであると言えると思います。
たとえば今でもドラマや映画などで浅野内匠頭の切腹の場面では、なぜか必ず桜がはらはら舞うことになってますが、壮絶な死というよりは物語の美的な発端という役割。

死が思想として捉えられるようになったのはやはり明治以降と判断せざるを得ません。いさぎよさ、男の美学、それらは皆さくらがイデオロギーの花と化してからです。それまでの伝統とは相容れない性質のものです。
たぶんそれは本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」あたりが淵源となっているのでしょう。この江戸期の巨大な国学者は詩心の欠如ということでも突出していたのではないかと思われますが、それはさておき、文明開化後の富国強兵、排外主義、国粋化のよりどころとされたようです。国家に奉仕するものとしての死。その称揚。ヒロイズム。エロス。死の美学。

「夜/さくらは天にむかつて散つていく」と詩人(片岡文雄)は歌います。観念でなく、実際に見ているからこんなに美しく歌えるのです。内面の情念や甘美な死を桜に託した文芸家の活動は、この国家の意図とはまったく別のものです。彼らは近代の表現法の獲得者という栄誉を担う人々です。どうかいっしょくたになさいませんように。

以上、近刊『桜の文学史』(小川和佑著:文春新書)に寄りかかって回答しました。委曲が尽くせず抜けも多く、土俗信仰や民俗にも触れていません。
美しいものを花という。けれども、桜は花であることを超えた何かです。

追記:われわれが普通にイメージする桜は今では「染井吉野」ですが、これは江戸末期に現れた新種。偶然が作り出したいわゆる里桜です。これが若葉の芽立ちより先に開花するのにひきかえ、山桜は花と赤みを帯びた葉が一緒に出ます。

この回答への補足

締め切りにあたり、回答を下さった皆様に改めてお礼申し上げます。
一部の方へのお礼と締め切りが大変遅くなり、失礼いたしました。
「桜」の一言だけでも答えになるような質問だったにも関わらず、参考サイト・文献のご紹介や、皆様の深い学識・文化観に裏打ちされたご解説をいただき、大変参考になりました。
ありがとうございました。

補足日時:2004/04/30 16:33
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

>平安後期以降は「花」といえば「さくら」のこと、さくらといえば「山桜」のこと、と見なしていいようです
>当時は「しだれざくら」が愛でられていたらしく、なんとも言えなく、悩ましいところです

やっぱり桜ですね。桜と言うと、現在人はどうしても染井吉野を思い浮かべてしまいますが、当時は桜と言えば山桜だったんですね。
しかも、しだれ桜の可能性もあるということで、さらに新しい疑問が出てきてしまいました。

>死が思想として捉えられるようになったのはやはり明治以降と判断せざるを得ません。いさぎよさ、男の美学、それらは皆さくらがイデオロギーの花と化してからです。それまでの伝統とは相容れない性質のものです。

この点はたしかに見落としがちですね。この質問をしてから、西行や桜についての文献を何冊か読んでみて、そう感じました。桜の美しさをイデオロギーに利用することは不純なことであるけれど、しかしまた、それに騙されやすいこともたしかなようです。
西行の桜への思いは、もっと純粋なものだったんですね。
イデオロギー化されていないからこそ、西行の桜への憧憬には、かえって鎌倉武士らしい一途さを感じます。

とても参考になりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/30 16:26

読んだのがはるかな昔で記憶があやふやなので(^_^;)、今ひとつ確実性はないかもしれませんが、おおざっぱにいって万葉時代は花と言えば梅、古今、新古今の時代はおおむね桜、というのを読んだことがあります。


尤もこれは絶対にそうだったというわけじゃなくて、万葉集でも桜を詠んだ歌はありますし、古今集、新古今でも「花」で梅を指している歌はあります。梅好みから桜好みへの変化はゆったりしたもので、あまり線引きにこだわらない方がいいのではないでしょうか。正確なところは歌毎の個別対応が安全でしょう。

それを踏まえて、梅→桜のおおざっぱなところの移行は、私見ですが、おそらく国風文化隆盛あたりが時期的に合うんじゃないでしょうかねえ。
梅がもてはやされたのはその清冽な香りもさることながら、当時の”カッコイイ”外国であるところの中国の匂いがしていたからでしょう。その梅の良さは良さとして、昔から見慣れた桜もいいな、と気付き始めたというのは平仄が合うんじゃないでしょうかね?遣唐使廃止後のいわゆる”和風”の時代の感覚として。

さて西行さんですが、この歌の「花」は桜です。彼は桜が大好きだったんですよ。
梅の花ももちろん詠んでいますが、桜にべたぼれです。ご存知かと思いますが、桜の名所である吉野に庵を結んでしまったくらいです。けっこうな山の中で、わたしは「こんなところでは暮らせん!」と思いました(^_^;)。
山家集には、桜の歌が山ほどあります。

たぐいなき花をし枝に咲かすれば櫻にならぶ木ぞなかりける

花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら櫻の咎にはありける

これが名歌!だとは思いませんが、桜賛美はよくわかりますね。
(上記は平仮名を漢字に変えた部分があります)

山家集、もうお読みかもしれませんが、他にも良い歌が沢山あります。まだ未読でしたら是非どうぞ。

>西行法師の時代に、すでに、桜を人の死と結びつける思想の源流があったと考えてよいでしょうか?
ここですけれど……これは言い方によってどちらも言えると思います。
「花は桜木、人は武士」と言っちゃうと、ちょっと違うような気がします。「潔さ」がこの言葉ではクローズアップされていますよね?
平安の昔からたしかに散り際の美しさが桜の美の大きなポイントでしたが、その華やかな散り方を愛でられると共に、クローズアップされていたのは「惜しさ(愛おしさ)」なのではないでしょうか。(「潔さ」を全く含まないものではないとは思いますが)
なので、やっぱり平安と江戸の意識はかなり違うだろうと思わざるを得ない。
しかし武士を引き合いに出さずに「人の死と結びつける」ということで言えば、散る桜と人の死が心情的に結びつくのは容易だと思います。

深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け
               (古今集・上野岑雄)

このあたりからも繋がるものを感じることが出来るような……。やっぱりここには散る桜の風景が浮かんで来ると思いませんか。

以上のようなところで失礼します。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。ごめんなさい。

前の方へのお礼にも書きましたが、ある時代までは梅、それ以後は桜、という考えに、こだわりすぎていたようです。
やはり桜を愛でる風習も、古くからあったのですね。

>しかし武士を引き合いに出さずに「人の死と結びつける」ということで言えば、散る桜と人の死が心情的に結びつくのは容易だと思います

ここがポイントですね。西行さんの時代にも、桜は死と結びつけて意識されていた、しかし、それは江戸時代のように武士道と結びついたものではない、ということでしょうか。

桜の潔い散り際を愛でる心は、教条化された武士道を叩き込まれた江戸時代の武士たちよりも、墨染めを纏った西行法師のほうが、むしろ純粋で、激しいものがあったようにも思えます。

この時代の人で、もう一人気になる人が、逆馬の故事で知られる熊谷次郎直実、改め蓮生房です。
関東下向の際、西方浄土に背を向けてはいけないと、後ろ向きに馬に乗ったという人です。
鎌倉武士の気骨を、仏門に入ってもそのままに、いやむしろいっそう激しくもち続けたという点で、西行法師と連生房には、一脈通ずるものを感じます。

たくさんの歌をご紹介いただきました。恥ずかしながら、どの歌も知らなかったものばかりでした。
山家集は、後でゆっくり読んでみたいと思います。
いつもながらalcheraさんの博識ぶりに、感嘆しております。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/19 18:32

こんばんは。



桜であれば、山桜ですね。
私たちがお弁当を持って見に行くのはほとんどが染井吉野(ソメイヨシノ)という品種で、わりあい近年になって大量に植樹された物です。

昔は桜とは山桜でした。
染井吉野より1週間から十日ほど遅く開花します。また、染井吉野と違って、花と葉が同時に出ます。
染井吉野とは一味違う、わずかな渋さがあります。うちの近所に大木があるのですが、美しいんですよ。
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この回答へのお礼

山桜ですか!
染井吉野と山桜の違いは、考えもしませんでした。
今は桜と言えば染井吉野が代表種になってしまっていますが、これは意外にも新しい種類なんですね。
山桜と染井吉野は、色合いも咲く時期も、微妙に違うんですね。桜と聞くと、つい染井吉野を想像してしまいますが、西行法師の「桜」は山桜だった・・・そう思ってこの歌を読んでみると、また違った味わいがありますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/10 01:50

桜で正解だと思います。



http://www008.upp.so-net.ne.jp/bungsono/shisoro/ …
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この回答へのお礼

ご紹介くださったサイト、とても興味深く読ませていただきましt。
西行法師は、歌に詠んだ通りのことを実行したのですね! これは知りませんでした。すごいことですね。
きっと、満足な最期だったでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/10 01:39

この歌の花は桜です。


たしかに「花見」といえば最初のころは梅をさしたようですが、桜を愛でる風俗がなかったわけではありません。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)
「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則)
など、桜を歌った歌も、古くからあります。
香りを楽しむ梅とはまたちがった風情を楽しんでいたのでしょう。

桜の散り際を武士の潔さと結びつけたのは江戸時代になってからのようですが、西行のこれは、べつに武士らしい心得を歌ったものではありません。
桜の散る風情を純粋に美しいと賛美し、風雅の極みを追求しようとしているのでしょう。
ただし、散り際を愛でるという意味で、いくぶん死の匂いがあることは確かかもしれませんね。
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この回答へのお礼

やはり桜なんですね。

引用してくださった在原業平と紀友則の歌、たしかに高校の教科書に出ていましたね。はるか昔のことで、すっかり忘れていました。

>西行のこれは、べつに武士らしい心得を歌ったものではありません。

そうですね。しかし、西行という人は、武士を捨てて仏門に入った人でありながら、武士よりも武士らしい一面があったように思えてならないのです。
純粋に風雅の極みを求める心に、ほんの少しだけ死への憧れが垣間見えるところに、この歌の妙味があるような気がします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/10 01:32

やはり桜であるとおもいます。


「西行桜」という言葉もありますし。
京都には西行の庵「桜元庵」跡がありますし。
答えになってませんね。
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この回答へのお礼

>答えになってませんね

とんでもありません。答えになっています!
やはり桜ですか。桜が日本人にとって代表的な花になったのは、意外に古いんですね。
「桜元庵」跡という所があるのですね。機会があったら行ってみたいと思います。
早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/08 19:56

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Q願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃

西行法師の有名な歌ですが、この季節になると思い出します。

しかし、それと同時に疑問が湧きます。
「花」は、ほんとに桜なのか?
桜というのが定説のようですが、「旧暦2月15日に桜は咲くのか?梅ではないのか?」という疑問です。

桜が3月中に咲き、卒業の花、別れの花になったのは、ここ十数年くらい、21世紀になってからこと。
20世紀の日本では、桜は4月新学期の花。「桜咲いたら1年生~」でした。

旧暦2月15日は、今年2016年でいえば、3月23日。
暖冬の今年で、やっと開花したかしないか、です。
平安時代は3月下旬に桜が当たり前、ってほどに暖冬だったのか?

しかも、現代日本の開花宣言はソメイヨシノ、江戸時代の花。
西行の頃の桜は山桜。山桜は暖冬でも3月にはほとんど咲きません。
咲くとしたら、河津桜くらいです。平安時代の桜は、河津桜系だったのでしょうか?

西行法師は、願いとおり、如月の望月の頃に亡くなったそうですが、
その日桜は咲いたのか?  とても気になるのです。

彼の願いは、花咲く木の下で死ぬこと。
その花が梅ならば、西行の願いは叶い、満開の花の下、梅の香りに抱かれ、かすかな笑みを浮かべて永遠の旅路に旅立った。その上に、花びらがひらりひらりと舞い落ちる。

でも、もし、桜ならば、葉一枚花ひとつない寒々とした冬木立の下にひっそりと横たわり、その上を肌寒い風が吹き抜ける。ひゅ~るるるう~~

そう思うと、西行が可哀想で涙がでそうになります。
だから、ぜひとも、花は梅であって欲しいのです。

どうして桜が定説になったのか知りませんが、「花は桜木、男は武士よ」とか「朝日に匂うやまさくら花」とかの江戸時代の「花=桜=潔い男」のイメージに結び付けられてできた定説ではないかと、邪推してしまいます。
私は、「西行が潔かった」とも思いませんので、つい邪推してしまうのです。

如月望月の頃の花は、梅ではないんでしょうか?
梅だと思う方はいらっしゃいませんか?

西行法師の有名な歌ですが、この季節になると思い出します。

しかし、それと同時に疑問が湧きます。
「花」は、ほんとに桜なのか?
桜というのが定説のようですが、「旧暦2月15日に桜は咲くのか?梅ではないのか?」という疑問です。

桜が3月中に咲き、卒業の花、別れの花になったのは、ここ十数年くらい、21世紀になってからこと。
20世紀の日本では、桜は4月新学期の花。「桜咲いたら1年生~」でした。

旧暦2月15日は、今年2016年でいえば、3月23日。
暖冬の今年で、やっと開花したかしないか...続きを読む

Aベストアンサー

まあ私はろくな教育も受けてないのに、知ったかぶりで回答するのですが。

「望月の如月」とは、釈迦の入滅(にゅうめつ)の時を指している。西行はお坊さんだから、「お釈迦様と同じ時季に死にたい」と夢見た。
入滅のエピソードは有名で、釈迦は死期を悟り、沙羅双樹の木のたもとに横たわった。そのとき、沙羅双樹は急に季節外れの満開の花をつけ、花びらが釈迦に降り注いだという。釈迦の死とともに急に枯れた。
しかし、日本で沙羅双樹はそこらへんに生えているようなものではないので、西行は桜に代えたのだろう(彼の時代の桜は山桜)。西行は釈迦のように奇跡を起こせないから、たとえ願っても、季節外れの花は咲かない。その切なさ、叶わぬ夢が、この歌の妙趣である。
しかも、旧暦2月15日は今で言ったら3月下旬、山桜は(種類にもよるが)ギリギリで開花直前くらいと思う。その「ギリギリで叶わない」ところが、切なさを弥増(いやま)すのである。

そもそも西行は旅僧であって、「行き倒れ」の無惨な死も覚悟していたはずだ。だからこそ、その対極の美しい臨終を歌に描いた。釈迦と自分がかけ離れていることも、当然意識していた。
ところが、ご質問者は対極ではなく中間で合理化してしまうというか、梅の花と解釈すればいいとおっしゃる。残念ながら、それはこの歌の妙趣を台無しにしてしまう。

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まあ私はろくな教育も受けてないのに、知ったかぶりで回答するのですが。

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Q願わくば花の下にて・・・西行

西行法師の歌として、下記の2つをHPで見つけました。どちらが正しいのでしょうか。

1願わくば花の下にて春死なむこの望月の如月のころ

2願わくば花の下にて我死なむそのきさらぎの望月の頃

Aベストアンサー

 真理は中間にありのようです。
ねかはくは/はなのもとにて/春しなん/そのきさらきの/望月の比
(続古今和歌集巻第十七/雑歌上/花歌中に/西行法師)
国文学研究資料館の21代集検索を参照してください。
http://asuka.nijl.ac.jp/xml/genpon/waka21.html

参考URL:http://asuka.nijl.ac.jp/xml/genpon/waka21.html

Q桜を詠んだ短歌・俳句を教えて下さい。

いい季節ですね。
桜を詠んだ短歌・俳句はたくさんありますが
古典として有名なもの、また皆さんのお気に入りなどを教えてください。
超有名な歌でも 結構うろ覚えだったりしますので、ぜひこの機会にちゃんと覚えたいのです。よろしく。。。

Aベストアンサー

情景の美しさでは次の2つが気に入っています。

  ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀友則)
  山里の春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける (能因法師)

西行には花の歌が山ほどありますが,このちょっと皮肉な歌が好きです。

  花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜のとがにぞありける

参考URL:http://www.wombat.or.jp/arumukos/unnk/unncssry/prl.html

Q世の中にたえて桜のなかりせば…

『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』の返歌である『散ればこそいとど桜は愛でたけれ…』
の後半部分と詠み人の名を教えて下さい。

Aベストアンサー

伊勢物語の歌ですよね.
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
は在原業平ですね.

返歌の方は
「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」
ですね.
確か,桜を見ながら惟高親王はじめみんなで(身分を問わず)酒盛りしたときの歌で,
たぶん身分の低い人の歌だったので,作者を書いていなかったような.

今,手元に本がないので,記憶だけで書いています.
歌自体は間違っていないと思いますが.

Q芭蕉の桜の句

お世話になってます。
今度は俳句の背景について、また教えてください。
松尾芭蕉が伊賀上野で詠んだらしいのですが、

さまざまなこと思い出す桜かな

という一句です。

茶道の師匠に教わり、確か「同じように見える桜も毎年違う花をつけ、自分も桜を見るたびにいろいろな思い出がよみがえる」というような意味だったと思います。でもこれ、かなりうろ覚えなので、この歌の詠まれた背景を詳しくご存知の方いましたら、教えてください。
ちなみに、伊賀の方では、この歌にちなんだ干菓子(桜型の軽いおせんべいのような)もあるそうです。「さまざま桜」とかいう名前で…

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

正しくは、
「さまざまの事おもひ出す桜かな」
です。

伊賀上野は現在の三重県上野市で、芭蕉の生まれ育った地です。
芭蕉が中年になり、江戸から伊賀上野へ帰ったところ、旧藩主の下屋敷に招かれて数十年ぶりに花見をしたところ、辺り一面が昔のままで、花を見るや昔の色んな事を思い出し、感慨無量の気持ちを詠んだとされます。
この旧藩主というのが藤堂良忠という人で、俳人でもあり、芭蕉の若いころから交流がありました。この時はすでに病死していて、藤堂良忠の子・良長がこの花見を催した人とされています。

この歌にちなんだお菓子があるのは知りませんでした。
調べて見ると紅梅屋というところが販売しています。
参考URLをどうぞ。

参考URL:http://www.koubaiya.com/contents/contents_frame.htm

Q25歳以上で大学へ行ったひと

経験談を聞かせてください。




1、何の目標があって何学部にいったのか
また、その動機は ?
2、受験勉強の期間
3、就職はできましたか?

Aベストアンサー

経歴は自分のHNをクリックしていただけるとわかりますので、あとで読んでみてください。

私は24歳11ヶ月で明治大学法学部に社会人入学試験を受験して入学し、卒業しました。

1.本当は政治系学部に入学して、市議会議員or町議会議員になるためのステップにしようと思っていたのですが、明大だけは願書を取り寄せた時点で政経学部の願書提出〆切が終わっていたため、やむを得ず同じ社会科学系学部の法学部にしたというのが偽らざる理由です。しかし、他の大学も合格してみて、明治の学費の安さが際立っていたので(当時は新校舎が未建設だったのでかなり安かったが、新校舎建設を機に学費が上がったらしい)、それが決め手になりました。

2.受験期間は二年です。何気に浪人しました(笑)一年目は9月くらいから勉強を始め、2月に受験した為、ほとんど勉強らしい勉強をせず、受験に望んだ為、国士舘大学二部政経学部と早稲田大学政経学部を受験し、前者に何故か合格し、後者は当然落ちました(汗)ちなみにその当時の偏差値は20ちょいくらいでした(滝汗)。ゆえに「こんな状態で大学生になるのはおこがましい・・・」という思いがあったので、国士舘大学の入学は辞退して、浪人という道を選びました。そして、一年間の猛勉強の結果、翌年の春は十校くらい受けて、落ちたのが三校ぐらいでしたので、努力が実って晴れて大学生になることが出来ました。

3.就職は現在していますよ。ただ、普通の18~20歳くらいの年齢で入学した大学生のような就職活動は出来ませんよ(※年齢制限があるため、求人がないから)。ゆえに、とりあえず卒業後は法学部だったので、司法試験を受験すべく勉強しました。が、結婚適齢期になったため、今のかみさんに騒がれて断念し、足しげくハローワークに通って、現在の職場を見つけました。

個人的には「25歳以上で大学に入る」という行為はあなたが女性だったら勧めますが、あなたが男性なら絶対勧めません。理由はこんなことをいうと物議をかもし出すかもしれませんが、女性の場合は最悪結婚すれば、永久就職が出来ますが、男性の場合は日本ではまだまだ「専業主夫」は一般的ではないですからねぇ。

『学歴に劣等感がある』からという理由で男性が受験して、入学するには、ハイリスク・ハイリターンの素ですよ。私一個人としては、社会人入学試験は何も大学だけが行っているのではありません。専門学校でも看護学校でも行っています。今、私が25歳なら、間違いなく『医療系の学校』を受験して、手に職をつけるという狙いで受験しますね。医療系の以外の理系学部や文系学部では就職は困難だと思います。

もし受けるのなら、スキルアップして大学を卒業するというのが、もっとも理想的だと思いますので、帝京平成大学のヒューマンケア学部or健康メディカル学部を受験していると思います。医療系は一旦資格を取ってしまえば、その業界は就職が売り手市場なため、年齢制限に関係なく、就職が出来ますしね。

経歴は自分のHNをクリックしていただけるとわかりますので、あとで読んでみてください。

私は24歳11ヶ月で明治大学法学部に社会人入学試験を受験して入学し、卒業しました。

1.本当は政治系学部に入学して、市議会議員or町議会議員になるためのステップにしようと思っていたのですが、明大だけは願書を取り寄せた時点で政経学部の願書提出〆切が終わっていたため、やむを得ず同じ社会科学系学部の法学部にしたというのが偽らざる理由です。しかし、他の大学も合格してみて、明治の学費の安さが際立っていた...続きを読む

Q体をアルカリ性にするには?

こんにちは。
先日病院にて血酸値だか尿酸値が高いとの事で
体をアルカリ性にしなさいと言われました。
そのお医者さんの先輩が痛風持ちの方だったらしいのですが
毎朝バナナを1本食べて酸の値が下がって健康になったとの事で
バナナを勧められました。
ですが買い物に毎日行けない為、バナナは買いだめになり
痛みが早くて困っています。

さてバナナ以外に体をアルカリ性に出来る
食べ物って有りませんでしょうか?
どうか教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

お医者さんも、ちょっと説明が大雑把だったのかな?
(話をわかりやすくするために、あえて「体をアルカリ性」といった表現で説明したのかも?)

人間の体は高度な恒常性を保っており、皆さんがおっしゃるように、食品で体が酸やアルカリに偏ることはありません。

ただし、通風の予防・治療にアルカリ性食品は、とても意味のあることです。

体液のpHの調節には尿が使われており、酸性食品を摂ると尿が酸性に、アルカリ性食品を摂るとアルカリ性になって、酸やアルカリを体外に排出してバランスをとっています。
要するに、アルカリ性食品というのは、尿をアルカリ性にする食品ということです。

そして、通風の原因となる尿酸はそのほとんどが尿で排出されますが、アルカリ性の方が溶け出しやすく、スムーズに排出されます。
ですから、尿をアルカリ性にすることは、通風(や尿路結石)の予防・治療に効果があります。


さて、ご質問の食品についてですが、大まかに言うと、リンや硫黄、窒素を多く含むもの(肉・魚)が酸性、カリウムやカルシウムを多く含む物(野菜・果物)がアルカリ性食品です。

具体的には、以下の表を参考にしてください。
http://www.wellba.com/wellness/food/contents/00301/table.html

表の見方の注意ですが、酸度・アルカリ度の数値だけでなく、食べる量も考慮することが大切です。
例えばシイタケはアルカリ度の高い食品ですが、一度にそれほど多く食べるわけではありません。
一方、先生がおっしゃったバナナは、カリウムを豊富に含み、かつそれなりの量を食べられます。

こういったことを加味して効率の良さそうなアルカリ性食品を挙げると、果物、根菜類、芋、あと(表にはありませんが)ワカメはかなりアルカリ度が高く、少量でも意味がありそうです。
一方、大豆や干しいたけはアルカリ性食品ですが、プリン体も多く含みますので、微妙です。

逆に、注意すべき酸性食品は、鶏肉、卵黄(卵白はアルカリ性)、マグロ、玄米あたりでしょうか?

ただし、食品は薬のように即効で効果があるわけではありません。
以下のサイトでも、実際に影響が出るまで1ヶ月以上かかっています。
http://www6.plala.or.jp/yamaski/fruits/alkaline.htm

「バナナを食べればそれでOK」ではなくて、基本的な食生活を改善する(肉や魚介類を控え、野菜をたくさん摂る。アルコールは通風にも悪影響がありますので、お酒は控えめに。など)ことが大切だと思います。

参考URL:http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2001q1/20010117.html

お医者さんも、ちょっと説明が大雑把だったのかな?
(話をわかりやすくするために、あえて「体をアルカリ性」といった表現で説明したのかも?)

人間の体は高度な恒常性を保っており、皆さんがおっしゃるように、食品で体が酸やアルカリに偏ることはありません。

ただし、通風の予防・治療にアルカリ性食品は、とても意味のあることです。

体液のpHの調節には尿が使われており、酸性食品を摂ると尿が酸性に、アルカリ性食品を摂るとアルカリ性になって、酸やアルカリを体外に排出してバランスをとっ...続きを読む

Qパーセントの計算がまったく出来ません…

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○円で、65%オフ!?ということは○○円ですね!?」などとパッと暗算で計算しているのを見るととても驚きます。

暗算とまではいかなくても計算機(ケータイにもその機能はありますし)があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。

また、今のバイト先で、商品の売り上げ目標というのを作るのですが、先輩たちのミーティングを見ていると「目標○○万円でしたが、××円しか売り上げがなく、△△%の達成率となってしまいました」と報告をしているのですが、この場合もどのような計算式で計算しているのでしょうか?

消費税を出す場合につきましても教えて頂きたいのですが、今現在の税率は5%で、その計算をする場合は「定価×1.05」で出ますよね。なぜ、1.05をかけるのかわからないのです。

本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。よろしくお願いいたします。

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○...続きを読む

Aベストアンサー

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。
つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。
だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた
残りである700円が答えです。
でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。
30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。
つまり、1000円の70%なので700円、となります。
ここまではいいですか?

次、達成率の計算ですが、、
目標100万円に対して売り上げも100万円だったら達成率は100%なのは
感覚的に分かりますよね?
つまり、達成率=(実際の値÷目標値)です。
%で表現する場合はこれに100を掛けます。(●%=●÷100だから)
たとえば目標50万円で売り上げ35万であれば35÷50×100なので70%になります。

最後、消費税。前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。
つまり、税抜き●円であれば、●円と●円の5%を足した金額が税込み金額です。
式にすると●+(●×5÷100)です。
これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。
5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。
ですから●×(105÷100)です。
ここで出てくる(105÷100)は1.05ですよね。
つまり、元の値段●に1.05を掛ければよいのです。

おまけ。暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。
1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、
  順番を無視しても答えは一緒です。
  上の例でいくと35÷50×100は35×100÷50でも答えは一緒です。
  で、100÷50を先に計算して、それに35を掛けます。
  これならすぐに暗算できますね。

2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば35÷50であれば、前後に2を掛けて(35×2)÷(50×2)でも
  答えは一緒です。
  35÷50の暗算は一瞬悩むけど、70÷100なら簡単ですよね。

3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば25×32を計算する場合、32は4×8なので25×4×8を計算しても
  答えは一緒です。
  25×4は100、100×8で800ということで25×32=800です。
  これなら暗算できそうですよね。

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場...続きを読む

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)


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