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大人になっても理解できないままでいます。


よく災害時とか弱者(子供、女性、老人)を優先的に保護しようという意見が出ますよね。

これって「命の重さが平等」という観点では矛盾しています。

実際、私は命の重さの差はあると思っています。

例:認知症で身体障害がある介護が必要な高齢者 と 幼い子供。 
⇒子供の命が優先されるべきだと思います。

例:週6日で1日12時間働くお医者さんと、働く気が全くない毎日が日曜日なニート。
⇒明らかにお医者さんの命が優先されるべきだと思います。


理想郷を作り上げようとした社会主義が崩壊したように、「平等」も理想論だし、「無理」があると
思うのです。

旧世代のような「血」で人を差別するのは間違っていると思いますが、
生き方によって「差別」されるのは当然と私は思っています。

私は平等論というのが究極の理想論に思っています。


敬意を払える人にはいくらでも尊敬の念を感じるし、また私より身分が上であっても何の不満も
ありませんが、そうでない人間(敬意を全く払えない人間)が私と同じ社会で暮らしているのが
納得できません。どうして同じ土俵で発言ができるのか!? どうして同じ土俵で生きていられるのか?

私にはやはり疑問です。
多分、この考え方は10年、20年先も変わらないと思います。

何の罪もない認知症のお年寄りは可哀そうだと思いますが、やはり天秤にかけたら
「若い子供」の命の方がはるかに重いと思っています。

また少年法で保護されているが故に極刑にならないケースも強い違和感を覚えます。
結局、凶悪犯罪(殺人レベル)をする人間は年齢に関係なく、社会から駆除されるべきだと思います。 私はそんな人間の為に命を奉げる気も寛容になる気もありません。
自分の子供がそんな被害(殺されたら)を受けたら、自ら犯罪者になってでも復讐するでしょう。

そういう風に考える私はおかしいのでしょうか?

医者とニートの場合も歴然とした差があります。
自分の大切な時間(人生)を使って人の命や健康を救う医者と
誰にも貢献しない、保護者に迷惑をかけ続けるだけのニートと

命の重さが平等という考えはおかしいと思います。

よく犯罪者(殺人者)が極刑にされない理由の1つとして、更生し社会に貢献する余地があるといった意見も見られますが、

それこそ理想の極致ではないでしょうか?

命の重さが真に平等であるなら、その命を奪った人は、命でしか償えないはずです。

「命の重さは平等」の理想論をあげる一方で、こういう矛盾も多々存在します。

やったもん勝ちというか、生きたもの勝ちというか・・・。
更に「命の重さは平等」だと言うならば、世界的に見てみれば酷い境遇に遭ってる人達はかなりおります。

社会的な利益を優先した場合、犯罪者の更生を期待するよりも駆除した方が有意義だと思います。
同様に弱者である(なぜ、無条件で弱者となるのか疑問だが)お年寄りよりも、バリバリに働いている
現役世代を優遇した方が社会的には意義があると思います。

日本は超高齢者社会になっていますが、今後さらに加速します。
お年寄りを過保護に優遇した挙句、日本の未来を担う子供を育てる現役世代が貧困に喘ぎ日本が更に傾斜していくならば、切り捨てもやむ負えなしと思います。

冷たい考えかもしれませんが、現役引退してから20年30年(8、90歳)と長生きしても社会(利益)
的には何の貢献もしません。「豊かな老後」は理想論だと思います。

私が年寄りの立場なら貯蓄が尽きたり、認知症、重大な介護が必要になった時点で安楽死を希望します。

国は各家庭の問題として避けていますが、介護疲れで両親を殺害し逮捕されるケースは今後さらに
増えるでしょう。


あなたは命の重さについてどのように考えていますか?

確かに現実の社会で私は老人を切り捨てろ!なんて事は口を裂けても言いません。
ですが、直面する現実を考えたら長生きすることが必ずしも本人にとって幸せでないばかりか
家族、社会にとっても大きな負担になることは間違えないと感じています。

A 回答 (23件中21~23件)

命の重さはおおむね平等であると考えています。



おっしゃるところの「命の重さ」は個人的には「命の値段」と言っています。
社会的な価値観で、個々の命を見たときにどれくらいの価値があるのかということです。

私の考える「命の重さ」は生死を選ぶ権利のようなもののことだと思います。
命の値段に関わりなく、生死は誰にでも平等だと思います。

そう考えた場合、値打ちのある命が優先されるのも理解できますし、
値打ちがない、あるいはマイナスの人も生きていることが許されたり、
死にたくて死ぬ人、生きる屍になっても生にすがる人などもおおよそ説明できます。
重さと値段は別個のものであり、相関がないのです。

時々命の値段に関わりなく命の重さが不平等になる事態が発生します。
個々の命が生を選択しているのに死を与える、殺人、戦争などでそれらはそれゆえタブーとされるのでは、と考えます。

命をテーマに扱うとき、命の重さと値段が混同して考えられがちなので、
なかなかきちんとした結論に至らないのだと思います。
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この回答へのお礼

命の重さと値段は別ということですか。

私には違いがよくわかりません。

お礼日時:2013/09/22 23:09

命の重さが平等なのはあの世での話で、この世では平等ではありませんよ。


もし平等なら虫や家畜を殺す人間、堕胎する人間はみな極刑。年寄りより若者が優先されるのは人間が使い捨てだから。
医者の息子が将来、大量殺人鬼になろうと、ニートの息子が将来ノーベル科学者になろうと関係ない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

あの世の話までになってしまうと私は良くわかりません。

お礼日時:2013/09/22 23:08

命、魂の重さはみな21グラムです。



21mg、、、という映画を観ればわかりますす。

ただ、人間の重要度、、身分、、、、お金、、、、そおいうものについて、違いわあると思います。

21gだけで考えれば、同じでしょう。
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この回答へのお礼

皆さま、熱い回答ありがとうございます。

お礼は少し時間をかけてしたいと思います。m(_)m

そんな映画があるんですね。

機会があれば見てみたいです。

お礼日時:2013/09/22 23:07

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