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生きるためには他の命を食らうというのもそうですが、

気に食わないものを排除する人間の本質が、私は嫌いです。

本質と言ってよいのか疑問ではありますが。

わたしも、どうしても許せない人間は許せないし殺してやりたく思います。
でも、人それぞれ相容れない価値観を持っているわけで、私も憎い相手と同類なわけです。

質問ですが、

生きる、ということに対してどのような思いを抱いていますか?

A 回答 (18件中1~10件)

人生とは何か、人間とは何か


人はどう生きるべきか。
これらに対する答えはありません。

考えるだけ無駄です。
混沌は混沌のままにしておきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

できればそのように考えていきたいと思います。

お礼日時:2013/09/23 12:59

NO.16/17です。



質問者様は生きる為には殺す事が必須と考えておらるようですが、そうではない生き物は沢山います。

単純に硫化水素を分解して生きている生物は何も殺していません。

高等生物でも分解者は特に生体は食べませんし、寄生生物等は最終宿主を殺したら自分が死にます。


生きることの本質は『生きる』事であり、殺す事はその生き物が選択した『生き方』でしか有りません。


つまり、

生きるとは生命を繋ぐ事・紡ぐ事。(説明が足りなかった様です。明日に命を繋ぐ・今日を紡ぐでして子孫を残すではありません。第一それでは子孫を残せない個体は無価値になってしまいます)

殺すとは数多有る生き方の中の一つ。それも時と都合によって。

生命はこんなにも自由です。
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>生きる、ということに対してどのような思いを抱いていますか?



自分がこの世に生きているのは、別に自分が望んだ結果ではないし、誰かに生まれてくるように頼んだ覚えもないし。
特に、人間として、この世に生を受けた以上こうあるべきとか、大層な信念は持っていません。
仕方がないので生きているという感じです。

>わたしも、どうしても許せない人間は許せないし殺してやりたく思います。

そこまでは思わない。日本という法治国家では、一般人が他人の存在を脅かすことはできないので。
そもそも、「許す」「許さない」の境目って何でしょうかね。
殺さないで泳がせておくことが「許す」?殺すことが「許さない?」
どっちにしても自分本位の身勝手な考えだと思うが。

質問って、単純に
「嫌なヤツがいる」・「そいつを殺したい」・「だけどそれは無理」・「どうすればいいの俺様」
という話の流れかと思うんですが。
他人を無理に認める必要はないと思うけど、その相手の存在を自分の中で消せばいいんじゃないの。
私もFacebookで気に入らない書き込みしているヤツは自分のタイムラインにあがらないようにしているし。
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No.16です。



>その本質を一言で言い表すと何が最適かと思いました。

『紡ぐ』です。

始まりから終わりまで、それはある一人の人間の人生であっても、種であっても、星であっても、宇宙であっても、空間であっても・・・・・・

それは『時』と不可分の存在である我々そのものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、紡ぐというのも捉え方のひとつだと思います。

しかし紡いでいるものは、他の命ですよね。

私は、殺すことだと思います。

紡ぐというのは、殺すという不都合な事実から目を背ける口実だと思うのです。

お礼日時:2013/10/19 09:28

生きるとは命を繋ぎ続けると言う事です。



私はその為に他の命を摘む事に大した良心の呵責は感じません。

無い訳では無いですが。


生きるという事は、突き詰めると罪を積み上げる事になります。

日々、命を繋ぐ為に命を摘み続けるのです。


そして私の命も何時かは摘み取られる時が来るでしょう。

何時かは土に成る時が来ます。

それが本質ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

その本質を一言で言い表すと何が最適かと思いました。

お礼日時:2013/10/14 23:08

正確には自分は殺されないようにしながら他は殺すことだ。


しかしそれは所詮君だけの考えだよ。
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この回答へのお礼

忌嫌う、という感情は、どんなに小さいものでも「他を殺す」ことに基づいていると思います。

私だけの考えでしょうか

お礼日時:2013/09/27 13:20

生と死を対立するもののように考えておられるようですが、生とは死を避けたところに残るものではなく、死あるがゆえに種としては進化があり、個としては愛(交配や世代交代)があり、即ち、より良い死(自己の可能性を使い果たす)とより良い生は、同一なのです。



人類の細胞も、DNAの最後に回数券のようなくり返し配列が(50回ほど)あり、一回細胞分裂するごとにくり返しが1つ減って、なくなるとそれ以上細胞分裂できず、自ら新陳代謝せずに老化して死ぬようになっています。
殺す事が悪どころか、自己の遺伝子自体が、自らの命を絶っているのです。

生物は、有性生殖以前の「突然変異による多様化と、その淘汰による選択」という人まかせで遅い進化に対して、交配する事で、遺伝子の配列をシャッフルして多様性を生み、また交配のための種内の競争による選択という、すばやい進化を可能にしたのです。
そこにおいて、世代交代しなければ個体数が増える一方なので、自ら寿命を制限しているのです。

細胞分裂で増えるゾウリムシ(単細胞生物)は、有性生殖など必要ないようですが、実は時おり、他の細胞とくっついて遺伝子を交換する、「接合」を行います。
もし接合をせずに、細胞分裂だけしていると、百数十回ほど分裂したところでそれ以上分裂できなくなり、死んでしまいます。
接合をすると、また若返って、百数十回分裂できます。
それほど「遺伝子の交配=世代交代」というのは、進化に有効なのです=長生きは退化。

死は世代交代を意味し、その有性生殖において愛は生じ、親や子供は存在するのです。
人は往々にして不死に幻想を抱きますが、人も愛さず、子供もいない、そんな社会が魅力的には思えません。
逆に愛があれば、自己の肉体の限界を超えて、意志(=精神的充足)は広がります。

生と死は対立概念ではなく、「より良く死ぬことが、より良く生きること」なのです。
それは死から逃げるものではありませんが、また死を目指すものではありません。
自分を勘定の中心に据えるのではなく、社会生命としての自覚化=助け合いとしての社会全体の他我化において、最大限の貢献(それは生きる事でも死ぬ事でもあり得る)=愛から演繹されるものです。
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群れを成す動物として進化してきた人間は、各人がそれぞれ自己発現してその結果を互いに享受し合うという分業体制をとってこそ真価を発揮できる生き物(社会的動物)だといえると思います。

異種間の常識である弱肉強食という考え方を適用しない同種の生き物としての協調体制をとることが、その‘真価‘に拍車をかけます。そして、より限界を越えにくい世の中を実現することによってよりスムースに協調体制がとれる(多様なものが多様でいい範囲内で共存できる)社会が実現されていくものだと私は考えます。そうした精一杯平和な協調体制のとれた世の中でそれぞれがそれぞれなりに生まれてきた意味を模索できるようになるために(現代の繁栄を次世代へ手渡すというつなぎ役なだけでもいいから)何かできたら、というのが現状における生きる意味なのではないでしょうか。
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人も動物もほかの命を食らいます。



ただ、人間に限っては、生存のため以外で命を奪いますよね。

恨みで人を傷つけたり、快楽で動物を傷つけたり。(子どもが虫を踏んだり、娯楽の釣りなど)

その点は愚かです。

が、それが現実です。

キライと言っても、あるのです。

ある以上は受け入れるしかない。

常に自分の破壊願望を自覚して、制御することですね。

あなたは自覚がある分、ない人よりはるかにマシです。
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たしかに、生物的には生きるというのは、つまり生き残るということなので、自分が生きるために他を排するという行為は正しいと言えるでしょう。


しかし、人間として生きるということを考えると、わたしは、やはり何か付加価値を生み出したいという欲求を持っています。ただ生きるために生活するというのは、何かむなしいものを感じます。
ひとえに人間が科学や芸術を進歩させてきたからなんでしょうが、そこに加わりたいということです。

進歩する必要があるのか?成長する必要があるのか?ということもありますが、やはりより良い何かを生み出すことは魅力がありますね。
こういったサイトがあるのも、そういう目的ではないかと思いますし、ここに参加する質問者や回答者も退化や現状維持ではなく、進歩、成長することを考えているかと思います。
だって人間だもの。
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