No.12ベストアンサー
- 回答日時:
まあ、シンプルに。
日本の戦争目的は、南方地帯の資源確保です。
陸軍を南方にコンヴォイで送り込み、その補給をコンヴォイで維持し、陸軍が米英オランダオーストラリア軍を撃滅することで、この目的は達せられます。
そのコンヴォイの護衛と安全の確保は海軍の仕事です。日本の南方作戦を頓挫させることができるのは、
1
シンガポールを基地にした英国の海軍
2
ハワイを基地とし、フィリピンに展開するであろうアメリカの海軍
でした。1と2の脅威を、少なくとも陸軍が南方を確保する半年は無力化しなくてはなりません。
陸軍を維持するコンヴォイの護衛と、策動する敵海軍戦艦の撃滅を同時に行うのは、戦艦には戦艦でしか対抗できない(コンヴォイを巡洋艦が護衛していても、戦艦が来たらオシマイです)。かといって、戦艦の護衛をつけていたら敵艦隊は戦艦のいないところで自分の戦艦に好き勝手な作戦をさせることができるので、これまた勝利は非常に困難です。
しかし、半年のあいだ邪魔されなければ、陸軍が所定任務を完遂し、資源(=燃料)の確保、そして占領地帯に航空機、艦艇を展開して基地にできるので、長期不敗態勢を整えることができます。
戦艦が足りないけれど、敵の戦艦を無力化するにはどうすればいいか?
そこで、飛行機で攻撃し無力化よう、という考えが日本海軍におこり、まず陸上を基地にした双発機で、これができるかどうかを、自軍の戦艦を的にして研究し始めます。
結果は、できる、でした。
一方、真珠湾の約1年前の1940年11月に、英国が地中海のイタリア海軍基地のタラントを、一隻の航空母艦の艦載機で攻撃し、港にいる戦艦3隻に魚雷を命中させ、2隻が約半年、1隻は修理失敗、という戦果をあげました。アフリカ戦線の戦いははじまったばかりでしたが、戦艦3隻を行動不能にしたことによりシーレーンを確立した英国は、初期の反撃作戦、コンパス作戦でイタリア軍に大損害をあたえることに成功しました(その結果、ロンメルが来てしまうのですが)。
1隻の空母でこれだけの戦果をあげたのなら、日本の正規空母6隻の航空機を真珠湾に停泊しているアメリカの戦艦攻撃に使ったらどうなるか。
--------
陸上機は、シンガポールを基地にしていた英国戦艦2隻を撃沈しました。
空母艦載機は、真珠湾のアメリカ戦艦群を、南方作戦完了まで行動不能にすることができました。
結果として敵戦艦の妨害をうけることがなくなり、日本は陸軍で、南方資源の確保、地域制圧、そして兵力展開の戦略目標を達成することができました。
つまり、初期戦略目標遂行の時間を確保するため、真珠湾攻撃は行われたのです。
No.11
- 回答日時:
どのみちやられることは間違い無い。
だったら、こっちから攻撃してやれ。
そうすれば、勝ち目が出るかもしれない。
座して死を待つべきではない。
戦わないで負けるなどというのは
情けない。
こういうことだったと思っています。
当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。
マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。
では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。
私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。
米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。
ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。
湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。
その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
回答ありがとうございました。確かにアメリカという国家は、いつの時代も冷徹なリアリズムに徹していると僕も思います。ところで僕は、真珠湾攻撃の戦略的意味というか、どのような青写真のもとで遂行されたのかなと疑問を感じました。
No.10
- 回答日時:
場の力、というのではないのですが、一人一人が負けると分かっていても、複数人が集まると何故か真逆の結論に至ることがあります。
これは最近の心理学ですが。まぁ簡単には「負けるから戦争しないほうがよいのでは?」などと言えば、「この軟弱者が!」と言われかねないということです。そういえば戦時中にあるお坊さんが、戦争は日本の国力を削ぐから戦争をしないほうが良いと発言し、国家の一大事に戦争反対とは何事かと大騒動になり宗派から破門された方が居て、数年前になってようやく当時の判断は誤りだったと破門を解かれた、という話を新聞で読んだのを思い出しました。
No.9
- 回答日時:
「戦力は二乗される」という法則があります。
10隻の戦艦と8隻の戦艦が戦えば10隻の側が勝つのは分かると思いますが、8隻の戦艦が全滅したとき、相手側は何隻の戦艦が残っていると思いますか?2隻ではなく、6隻なんです。
100(10×10)-64(8×8)=36(6×6) だからです。
日露戦争が終わってから、日本海軍の仮想敵国は運命的にアメリカ海軍となりました。どう考えても大国アメリカに海軍力で勝てるわけはないのですが、それを決定的にしたのが、イギリスの戦艦ドレッドノートでした。
とてつもなくスケールがでかいものに対して「超ド級の」なんて言葉を使いますが、そのド級のドとはこの戦艦ドレッドノートからきた言葉です。巨大な船体に巨大な大砲を載せたドレッドノートは、一夜にして世界中の戦艦を時代遅れにしました。
世界中の海軍はド級、超ド級の戦艦を必死に建造しますが、国力の差で日本海軍はアメリカ海軍に追い付けない。
毎年、日本海軍ではアメリカ海軍との海戦を想定した机上演習をしていましたが、結果は毎年同じでした。アメリカ海軍側の勝利が決定的となった場面で「そこまで。以上、引き分けとする」というものだったのです。
それをなんとかするための、月月火水木金金の猛演習であり、46センチ砲の大和級であり、空母機動部隊だったのです。ついでにいえば、重雷装艦なんて珍兵器も作りました。日本海軍ご自慢の酸素魚雷をまとめて射撃できる船でアメリカの戦艦にダメージを与えられないかなーと願ったのです(ちなみにこの重雷装艦、航空機中心の戦争に当然出番はなく、大砲がなくフラットな形をしていたので高速輸送艦として活躍(?)しました)。
真珠湾攻撃に先立つこと1年前の1940年11月11日、地中海でイギリス艦隊の空母攻撃機がイタリア海軍のタラント海軍港を空襲、戦艦1隻が沈没し2隻が大破する大戦果を挙げました。
これを見た山本五十六が「んじゃ、真珠湾奇襲すりゃいいんじゃね?」と言い出したのです。
しかしハワイには陸軍航空隊の基地もあるわけで、そりゃ「首相官邸に侵入して首相を暗殺してこい」みたいな無茶苦茶な話です。当然みんな猛反対したわけですが、山本五十六は「じゃ、他にいい(勝てる)方法があるならいってみろよ。ないなら、やる。文句あるなら連合艦隊司令長官を他の奴にしろ」といって実現する運びとなったのです。
ところで、山本五十六は「俺ァ海軍やめたらモナコに行ってバクチ打ちになるんだ」というほどの博打好きでした。真珠湾奇襲は山本五十六だからこそ実行できた「レバレッジ1000倍で一発勝負作戦」みたいなものだったのです。
あまり知られていないのですが、常識人だった南雲提督は真珠湾攻撃に向かう道すがら草鹿参謀に「僕ァとんでもないことを引き受けてしまった」と言い出して、草鹿参謀が慌てて「今さらそんなこといわないでください」と諭された、というエピソードがあります。
しかして山本五十六はその先に考えがあったわけではありません。彼は連合艦隊司令長官といういってみれば現場の長です。半沢直樹みたいなもので、銀行の経営を考えるのは頭取の仕事でしょ?彼は「現場を預かる身としてベストの道を模索した」に過ぎません。このあたり、サラリーマンなら誰でも理解できる苦悩ではないでしょうか。
では日本はどのような戦略で対米戦に臨んだか。
なにもなかったのです。
迷わずゆけよ、ゆけばわかるさと猪木イズムで突っ走ってしまったのです。しかしこの辺りは我々に批判する資格はありません。福島第一原発事故を受けて日本のエネルギー戦略をどうするか誰も決められないまま福島第一原発の収束もできずに泥縄的対応が続いているのですからね。昨年当時の野田首相が原発事故収束宣言をしましたが、あれはミッドウェーの敗戦を勝利とウソをついた当時の大本営とまったく同じですよ。
いつの日か、後世の人々はなぜ私たちが原発を速やかにやめることができなかったのか議論することでしょうね。
詳しい回答ありがとうございました。大変参考になりました。現在の原発事故の惨状になぞらえたお話がありましたが、正直僕もこの先日本に破滅が待っているかもしれないと思っています。
No.8
- 回答日時:
他の方も言われてますが
日米戦力比較です
日本・米太平洋・米大西洋・英太平洋・英大西洋
高速戦艦4:0:2:2:3
戦艦6:8:7:1:10
大型空母6:3:3:0:1
小型空母3:0:0:1:6
開戦時の戦力
高速戦艦4:0
戦艦6:9
大型空母6:3
小型空母3:1
42年末
高速戦艦2:4
戦艦8:6
大型空母4:0
小型空母2:0
43年末
高速戦艦2:6
戦艦7:11
大型空母5:6
小型空母4:9
43年半ば迄は日本の方が戦力優勢だったんですよ
日本海軍は航空機恐怖症にかかっていたんです
航空攻撃を受けると軍艦はひとたまりもないと思い込んでいました
実は42年末で航空機にやられて港外で撃沈されたのは
祥鳳・レキシントン・赤城・加賀・飛龍・蒼龍・龍譲・プリンスオブウェルズ・レパルスだけ
地上機の爆撃機や戦闘爆撃機に限定すると撃沈は0なんです
その後を入れても
ローマ(誘導爆弾)、大和、武蔵、瑞鶴、千代田、千歳、飛鷹、瑞鳳、プリンストンだけ
この内、地上からの爆撃機はローマだけ
海軍は地上発進の航空機攻撃を恐れて大事な攻勢が出来なかったんです
伊号・呂号作戦を空母で接近して実施してたら搭乗員の疲労と損耗は少なかったのに…
と、悔やまれます
No.6
- 回答日時:
ABCD包囲網
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B …
によって、資源の供給を止められた日本は、いずれかに進出して石油を確保することが経済上必須になりました。
満州に進出して経済規模を広げつつある日本に対しての経済封鎖を打開するために、当然日本ではアメリカとの交渉を続けていましたが、ハル・ノートと呼ばれる、今までの努力をすべて無にせよというむちゃな要求を最後に突き付けられ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB% …
難しいとわかっている中で、開戦に踏み切らざるを得ませんでした。
なので、何を狙っていたのかと言えば、資源の確保を狙っていたわけです。
すでに当時の航空機の燃料の備蓄が底をつき始めていたと考えられていましたので、あとはもうやるしかないよね、ということで、窮鼠猫をかむことをにしたわけですが、結局は意図通り敗退を余儀なくされました。
No.5
- 回答日時:
>日米の膨大な戦力差が
よくある間違いです。
開戦時の空母数は、9対7で日本優勢。
さらに日本海軍は、ほぼすべてを太平洋に回せますが、アメリカは大西洋に分けねばなりません。制式空母は完成までに2年半もかかるんです。44年まではアメリカ軍も圧倒的な多数ではないんです。
当時のアメリカは、平和主義・平和産業が圧倒的でありました。戦後の日本のような国だと思ってください。
現代の日本に対して、
(1)公務員の自衛隊はまともに戦わない。
(2)若者は軟弱でまともに戦えない。
という評価があるように、当時のアメリカをそのように評する人々は少なくありませんでした。
ドイツがイギリスを倒して、
日本が、大量空母完成前のアメリカ海軍に大打撃を与えたら、
軟弱なアメリカ市民は戦う気を失って講和に応じる。
という、一応の「計算」はあったのです。
間違ってますけどね。
No.3
- 回答日時:
最初にあげておかねば成らない事なのですが、当時の海軍中枢部にはアメリカと戦って勝てるなど思っていた人はほとんどおりません。
(海軍反省会という一連の記録(戦時中に将官~佐官クラスだった人達が中心に成って戦後に開催した会の記録)で、軍中央部に勤務していた人に勝利の目算が有って開戦したのかを問いただしていますが、有ったと断言した方は居なかった…。)
極端な言い方ですが、開戦した理由って軍令部総長(海軍全体の作戦・指揮を統括する)の永野修身大将の以下の台詞にすべてが凝縮されているかと…。
(ハワイ王国のその後[ハワイの原住民なんて、現地人の大虐殺等をへて今や総人口の10%以下にまでなっている]から、当時の上層部は総統の危機感は相当の物だったでしょうし…。)
>戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。
なお、真珠湾作戦が望外の大戦果を得た事(南雲艦隊が全滅する事も覚悟していた)で、永野大将が涙を見せるほどまで喜んだと伝えられています。
>真珠湾攻撃によって当時の軍部首脳は一体何を狙っていたのですか?
山本五十六大将らの連合艦隊司令部は、海戦初頭に米海軍の主力に大被害を与える事で、講和の端緒を作りたいと考えていたと思います。
(見込みを問われた時に「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。」と回答した様に、開戦初頭に大戦果を挙げなければ先は絶望的だと考えていたようです。)
なお、真珠湾作戦は連合艦隊司令部が実施を強固に主張して実施された物で、軍令部等では戦局の推移に左程影響を与えない(当時の常識では、航空機が戦艦等の大型艦を撃沈するのは殆ど困難だと考えられていた)との理由により反対していました。
(連合艦隊が、真珠湾を了承しないなら司令部上層メンバーは揃って辞表を出すと脅迫した為に、軍令部が折れた…。)
なお帝国海軍の作戦を統括する軍令部としては、最終的に南方作戦(日本が開戦したのは米国が石油等を禁輸した為、それを確保できる東南アジアを取得する為)の間接支援に成るのでは、との意図で了承しています。
フィリピンやマレー半島やインドネシアに軍を大量に輸送している為、その輸送線上に米海軍が現れて妨害されるのを抑制(一度自国の大海軍基地が攻撃されたのですから、以後軽率に再攻撃の危険を無視して艦隊主力を、遠征させないだろうとの判断)するのに効果が有るのではと考えたからかと…。
(この種の米軍の妨害作戦は、開戦初頭では殆ど行われませんでしたが、第二段階以降(ミッドウェー以降の米軍本拠地を奇襲する余力が無くなってから)のガダルカナルなど、陸軍兵の餓死という形で大戦果をあげています。)
まあ、軍令部は昭和17年以降に行われる、日米大艦隊決戦が戦争の終了に繋がると考えていましたから、大和は開戦時に完成していませんし、ミッドウェーに参戦した第一艦隊等の主力も開戦時の作戦には参加(呉にいた)していません。
(要するに、開戦時の諸作戦は当時の主力を温存するより優先度が低い価値しかないと考えていた。)
シンガポールには、イギリス極東艦隊の新型戦艦(プリンスオブウェールズ)が居るのに、呉にいる戦艦を増派しなかったくらい兵力の温存に御執心でしたから…。
(陸攻隊が航空戦力でプリンスオブウェールズとレパルスを撃沈できなかったら、旧式戦艦の金剛級2隻で対抗しなければ成らないのに…。←勝ち目はかなり薄い)
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