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ある調査で、大人から「やられたらやり返してよい」と教わった生徒は、小学生・中学生ともに、
「いじめなし<いじめの被害にあった<いじめた加害経験あり<被害・加害両方あり」
の順で、割合が多くなっていく結果となりました。

要するに、いじめの経験がない生徒よりもいじめられた経験がある生徒の親、またいじめられた生徒よりもいじめた生徒の親の方が、“やられたらやり返せ”と教えていると言えそうです。

さてそこで、皆さんだったらどうしますか?
自分の子供に対して、“やられたらやり返せ”と教えますか?
子供のいない方も、もし子供がいたとしたらどうしますか?

A 回答 (17件中1~10件)

こんばんは



人は鏡
と教えています
我慢ではなく、感謝して、ありがとう、と教えてます

自分は
ついてる、楽しい、嬉しい、幸せ、感謝、ありがたい、
ゆたかだ、大丈夫、ゆるします、あいしてます、ありがとう

を教えています

馬鹿と言われたら
自分の足りない所を教えてくれている
感謝して・ありがとう・と返しなさいと、教えています。
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この回答へのお礼

>馬鹿と言われたら自分の足りない所を教えてくれている
うーん、すばらしい!達観した考えですね。
確かキリストの言葉に、“右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい”というのがあったと思いますが、まさにそんな感じがしますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 07:49

 やり返し方が違うな。

絶対暴力とか暴言とは使うな。ただし、自分の意見をぶつける形の反撃はしなさいとは言って居ますが。
 私自身、相手の自滅を誘うような戦法を考えますが。出来るだけ自分が傷つかないようにして。

 
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この回答へのお礼

リシュリューの言葉に“ペンは剣よりも強し”というのがありますが、それに似ていますね。
ただ相手のまとも度合いが低いほど、高等戦術が必要のような気がします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 17:30

これは難問ですね。



>自分の子供に対して、“やられたらやり返せ”と教えますか?

やられたら、というのは暴力的な行為、またはそれに等しい精神的に追い詰める行為ということですよね。

子どもがいますが、そういう風には教えませんでした。
幸いにも、いじめられたことも、いじめたこともなかったせいかもしれませんが。

世の中には理不尽なことがたくさんある。やられたらやりかえしたいという気持ちは当然だが、そこからは何も生まれない。
理不尽な目に遭ったら、それに対して、自分の中でどう対処していくか、どのように折り合いをつけていくかが大切。

もしも、やりかえしたいと思ったら、勉強でも運動でもなんでもいいから、ほかのことで相手を打ち負かしてやればいい。正当な方法で自分を高めて相手に勝て、と。わたしはそういう風に教えてきたつもりです。しかし、自分自身、それが実践できているかどうか、自信がありません(苦笑)。
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この回答へのお礼

>勉強でも運動でもなんでもいいから、ほかのことで相手を打ち負かしてやればいい
そういう意識の転換が図られる強い子供だったらいいですが、中には恨みを抱え込んだままになってしまう子供もいますね。
不当な方法に対して、正当な方法をどうやったらどれだけ有効なのかは、親がきちんと教えないと子供は??だらけになってしまいますね。
リシュリューの言葉に“ペンは剣よりも強し”というのがありますが、それで行きたいですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 17:25

これは、”やられたらやり返せ”ではなく、問題は平和的に、議論することで解決してゆくのが理想的である。

けれども、現実的には、無法状態が作り出されることがあり、そのときには、”秩序の回復のために”敢然として立ち上がらなければいけないときがある、と教えました。

そうです。私はアメリカ在住。アメリカ型の正義の遂行ですね。

実際には、意地悪をされたら、足を思いっきり踏んだやったり、手のひらをつねったり、大きな声で言い返したり、そういう他愛ないことですが、それができないと、後々、尾を引くことが多いです。その辺がいじめが続くかどうかの境界線だと思います。

母の対応は、”よしよし、正義を行ったのね。”という、おおらかなものでした。
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この回答へのお礼

なるほど、アメリカですか・・・
>アメリカ型の正義の遂行ですね
自分のことは自分で守るという考えが浸透しているのでしょうか。
アメリカといえば銃の問題がいつも出てきますが、人間の力の差・優劣は銃を持つことで対等になると言ってますね。
明らかな違法行為に対する銃使用は仕方ないにしても、ちょっとした諍いで容易に最終手段を行使するという意識のハードル(自制心)がどの程度国民に備わって機能しているのか、ちょっと知りたい部分ではあります。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 17:16

こんばんは



昔なら、わんぱく小僧にやられたら、やりかえしてやりなさい。
と言えましたが・・・
やりかえす、レベルが半端なく、加減も知らず、無知で幼稚で悪質なので。

今の時代では言えません。
「やられたら」「やりかえす」「やりかえされたら」「またやりかえす」

永遠に続きます。どちらかが、どうにかなるまで・・
今の世の中は、いけない事を教える人が少なすぎて、何でも許されてしまう。
何でも許されるから、悪い事をしている自覚すらない。
自分を顧みる事はせず、他人に責任を転嫁する。

まともな事が通らなさすぎる、おかしな世の中で生きているので「やられたらやり返せ」は、この先は言えない。子供はもう成人していますが、中学生くらいの時から、「変な人と目をあわせるな」と教えました。いんねんをつけられるから。「カツアゲされたら、その場はお金を出した方がいい」とも。対処はあとでするとして、「自分でどうにかしようとすれば、ケガもする、万が一の事があってもいけない」と教えました。私の子供の頃より、はるかにおかしな世の中なので「正義はなかなか勝てない世の中だ」とも。「逆恨みされる」のに、巻き込まれるのはバカらしいので、「変な正義感は残念だけど、少し蓋をした方が良い」と情けないですが、子供を守るために、「気持ちとは少し違う事を説明しながら教えました」
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この回答へのお礼

そうですね、やられたらやり返す・・・となったら悪の連鎖、悪循環となって、後に残るのは憎悪と後悔だけになります。
問題なのは、いじめをする側の親が子供にそう教えている割合が高いということです。
これは子供の問題ではなく、親の資質に関わってくるような気がします。
こういう親の出現も、確かにおかしな世の中です。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 17:09

そういう風に言われて育ってないので・・・教えなそうですね・・・


イジメをあまり見てないので、そう思うのかも。(にぶいだけとも思う)

ただ、理不尽に何かをされたら、直接の仕返しをせず 自分の仲間を増やすとか、こっちに同情票が集まるようにするとか「穏やかに相手を排斥するようにしなさい」とは、教えちゃうかも・・・
こっちの方が性質悪いか。
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この回答へのお礼

なるほど、多数派工作ですか!
とりまとめが得意になりそうですね。
学校の生徒会長とか、行く行くは政治家になりそうな素質が養われそうですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 12:43

私の子供は幸いにもいじめにはかかわらず大きくなりましたが、


友達や教師に対する不満を口にすることはけっこうありました。
「理不尽なものなら我慢する必要はない。抗議しなさい」と教えました。
相手を沈黙させる抗議の仕方をずいぶんとレクチャーしましたが、
関係を断ち切ることにつながることはしたくないと、
自分なりの方法を見つけて切り抜けたようです。

子供は、教えたとおりには育たないものです(笑)
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この回答へのお礼

小さいうちからこのようなことを教えていれば、人を見る目が養われるでしょうね。
感情即行動ではなくて、一旦考える「間」が養われそうです。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 12:37

ドラえもんはジャイアンにいじめられたのび太くんの仕返しのお話しです。

大人気です。

いじめの経験がないと実態がわからないから我慢しなさいとか無責任なことが言えるんだと思います。

いじめてくる人がいないんだったら仕返しもでてこないから先にしてきた人が悪いに決まっています。

仕返しした人を責める人は心の冷たい人です。偽善者です。


叩かれると痛いからやめてくださいと言葉で伝えてそれでも叩いてきたら叩き返して良いです。叩き返してあなたも叩かれると痛いでしょ。私も同じなのよで良いと思います。

そうしないと人の痛みのわからない人なんですから。


やり返すと言葉にするときつくなります。
いじめに真っ向から立ち向かっていくという言葉にすれば受け取り方は違ってくると思います。
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この回答へのお礼

>いじめに真っ向から立ち向かっていくという言葉
>叩き返してあなたも叩かれると痛いでしょ
いじめられている子供の論理としては納得のいく考えかもしれませんが、いじめる子供の親が“やられたらやり返せ”と言っていることの理不尽さが理解できません。
叩く子供がいなければ叩かれる子供も発生しないし仰っている状況にはならないのですが、連鎖の「始まり」を断ち切る方策をどう考えるかが大事のような気がします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 08:20

「復讐するは我にあり」・・


神様にお任せして、
自分を大事にするように教えるとか・・。
難しいですね。
憎しみの感情を持って生きるのは苦しいと思います。
仕返しして、それから解放されるのでしょうか。
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この回答へのお礼

本当に難しいですよね。
多分そういう親御さんは、子供が不甲斐ないと感じるのでしょう。
自分が子供の頃はもっと強かった・・・という感じでしょうか。
まるで自分がいじめられているような心境ですが親は手を出せない、だから子供に託すということかも知れません。
いじめる場合は、これはもう親のエゴしかないような気がします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 07:59

 そんな教え方をすると、教師並の馬鹿になっちゃうから.別の教え方をします.



 《すべての人間は対等である》ことを前提条件に、様々なトラブルには、主体的に取り組ませるようにしています.
 ただ、人はそれぞれ条件が違うので、腕力や体力、知性や教養や育ちなどの優劣を、判断材料に、自分の対応を考えるように仕向けます.
 他の条件が加わることもあります.

 そして、必ず結論を出させます.

 子どもが5歳以上の場合です。

 
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この回答へのお礼

>腕力や体力、知性や教養や育ちなどの優劣を、判断材料に、自分の対応を考えるように仕向けます
小さいうちからこのようなことを教えていれば、人を見る目が養われるでしょうね。
感情即行動ではなくて、一旦考える「間」が養われそうです。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/07 07:54

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