プロが教えるわが家の防犯対策術!

WBCの監督決定の会見で小久保氏が自ら「小久保ジャパン」と発言していたのを聞いて杞憂かも知れませんが私は「んん??」と思いました
前々監督の原氏が監督の要請を受けたときに「私のチームでは無く日本の代表で行くので監督の名前をチームの頭につけるのは辞めて欲しい、他のネーミングをつけて下さい」と言う経緯があり「侍ジャパン」になりました

それまではサッカーでもバレーでも監督の名前が先につき、その後に「ジャパン」が普通だったのですがそれからは「なでしこジャパン」や、はては「ポセイドンジャパン」なんてものまで出てきましたが、その根幹にある発想はとても良いものだと関心して見ていました

そこへ来ての「小久保ジャパン」発言です
しかも他人が言うならまだしも本人が言う事に違和感を覚えました
それまでは「頼れるリーダー」「組織の体質が変わる新しい血」などと好意的に見ていましたが、この発言を受けて見方が変わってしまいました
「選手の事よりも自分が優先なのかな?」「我を通すのは選手、特にピッチャーなら分かりますが、監督がそれでは監督の本分を履き違えているのでは無いのか?」とも思いました

まだ一試合もやる前にケチをつけたくは無いですし、揚げ足取りをするつもりは無いのですが、以上のことから不安を覚えました

しかし、かつてのWBC二連覇の感動を再び味わいたいとも当然思っています

この不安を払拭出来るようなアドバイス、又は小久保氏の知られざるエピソードなそがありましたら教えて下さい

宜しくお願いします

A 回答 (4件)

野球のプレートは無関係です。

気にすることはありません。歴代監督の発言にも縛られることはないと思います。
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この回答へのお礼

確かにそうかもしれませんね

お礼日時:2013/10/14 22:02

以前オリンピックだったかな?


長嶋監督が倒れて中畑コーチが監督代行を務めたとき
友人が「1度ぐらい中畑ジャパンて呼んでやれよ…」と言っていたのを思い出しました


別に「小久保ジャパン」でもいいと思います
サッカーだって「ザックジャパン」じゃないですか
私はむしろ「侍ジャパン」のほうに違和感を感じます

チームを率いる監督の名前で呼ぶのは普通だと思います
小久保さんが小久保ジャパンと呼んでくれと言うのだからそう呼びましょうよ
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この回答へのお礼

そう呼んでくれなんて言ってません
間違えて何回かポロリと出てしまったんです

そのチームを率いる監督の名前がおかしいと思って侍ジャパンになったわけですが・・・

お礼日時:2013/10/14 14:48

自己主張もできない人が一流選手にも一流監督にもなれないでしょ。


おとなし~い誰だっけあれ? みたいな人じゃお話になれない。

黙って俺についてこいや!
くらいがつがつ引っ張っていく人じゃないと球団の壁を越えて一癖も二癖もある一流選手をまとめられるとは私は思わないです。
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この回答へのお礼

自己主張をするのと今回の話しは違います
気遣いの話しです
侍ジャパンで誰も文句が出てなかったのに何故わざわざ異論が噴出するようなネーミングに蒸し返したのかということです

黙ってついてこい、の中日高木、WBCピーコはどうなんですかね・・・
名監督かどうかはそこが問題じゃないと思うんですが・・・

お礼日時:2013/10/14 14:52

むしろ、指揮官が率いるチームを「自分のものではない」と思う方が却って心配。



王ジャパンは周りが付けたもの。原監督時の侍ジャパンは原さんが選手寄りに気遣ってあえて名前を引っ込めたもの。山本監督時の侍ジャパンは、すでに侍ジャパンという組織・商標が出来上がっていたので使っていただけのもの。過去3代の監督も、それぞれの名前を付けて王ジャパンに原ジャパン、山本ジャパン(特に一部民放ではあえて山本ジャパンと表記したところもあった)という意識も(監督の腹の内では)当然あったはず。

小久保監督が自分の名前を付けて我がチーム、と表することに何の違和感もありません。そもそも今回、小久保監督を筆頭にほぼ若手で構成されるであろうコーチ陣が、気遣わなければいけない選手はメンバー入りしませんし(はっきり言えばMLB勢。つまり次期WBCにはマー君は出てこない。自分的にはメジャーリーガーがいないことが不利だとはまるで思いませんが。事実メジャーリーガーしかいないアメリカ代表が1度も優勝出来ていないのだから)。

そもそもわずか3シーズンの所属で最終年度には(あの外様冷遇の)巨人で主将を務めたほどの人物です、それなりに表に出す自我があって当然。端から見ても、前大会の山本浩二監督はじめとする監督コーチ陣が、ある意味”選手に舐められている”雰囲気は感じていたはずです。こういうことは最初の1発目が大事ですから、最初の段階で自分を大きく見せるやり方は、むしろ好感を持ちます。

※昨今の指導者による体罰問題などで、今や指導する側よりされる側がでかいツラするのが当然のような風潮です。たまには偉そうな態度の指揮官・指導者の下でチームスポーツを、というのも悪くない。事実、某元プロ野球・メジャーリーガーは”殴って子供は育たない”と偉そうに吹いていた割に、教えていた大学野球部は当然のように64連敗。自分は”偶の鉄拳制裁”は否定しない派ですので。小久保監督も、台湾での親善試合に招集する若手選手への指導には、偶のケツバットくらいはかましていいと思いますよ。
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この回答へのお礼

何言ってるんですか
時代錯誤もいい所です
そして何故体罰の話しにまでなっているのですか
そこはつながっていませんよ
体罰をすればその内、失明する人や死人が出る、それでも良いんですか?
例えそれがあなたやあなたの身内であっても?
たとえ良いのであっても決して良いということにはなりませんが


舐められるのと選手への気遣いは別の話しです
一緒にしてもらってはこまります

かつての西本さんのように「愛のある拳は防げない」というのも今は昔、それを良しとしたとしても、それにしても選手への配慮も足りません

自我があって当然とあなたが思っても選手がそう思ってついてこないことには意味がないですよ
それにはやはり配慮が欠けてると思うのです

お礼日時:2013/10/14 12:40

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