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「今は不景気で世相が暗い。人々は余裕がなく殺伐としている。」
「昭和の日本人は輝いていた。社会全体に活気があった。」
とはよく聞く言葉です。

しかし私はゆとり世代で昭和の記憶がありません。
物心ついた頃からずっと不景気で、今の社会がどれほど酷いのか客観的にわかりません。

そこで昭和を知っている方へ質問です。
今と比べて昭和の社会や人々の様子はどう違ったのでしょうか?
「明るかった」といったような観念的な言葉ではなく、出来るだけ具体的に違いを教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

昭和時代には確かにいくつかの好景気がありました。


ひとくちに昭和時代と言ってもいろいろですが、質問者さんはバブル景気のことをおっしゃっているのでしょうか?

昭和最末期ではなく、それよりちょっと前の話をします。

あきらかに違うのは、子供の数ですね。
特にベビーブーム、第二次ベビーブームのころは、学校そのものの数も、各学校・学年のクラス数も、そしてクラスの定員も、満杯の状態でした。人口の多い地区では、1学年7~8クラスとか平気でありましたし1クラス40人台後半は当たり前でした。

OA化という言葉がありました。
手作業でやっていたことを機械にやらせましょう、ということです。今では当たり前ですが。
オフィスではパソコンなんてなくて、いろんな計算も表やグラフを作るのも全部手作業でした。

駅には自動改札なんてなくて、駅員さん(改札係)が何人も並んで座っていて、ひとりひとりお客が切符を渡して鋏でパンチを入れていました。

エアコンなんて貴重でしたね。
一般家庭にはお金持ちの家しかなくて、あってもだいたいリビングに1台しかないとか。
電車にもクーラーが無かった。夏は窓を全開にして、天井の首振り扇風機がまわっていました。

コーラやジュースのPETボトルは無かった。1リットルとか1.5リットルとかはガラス瓶だった。
持って帰るの重かったし、落とすと割れるので、後始末が大変でした。
缶ジュースは今は350ミリ缶が主流だけど、昔は250ミリ缶だった。

たばこに寛容だった。
駅のホームはたばこ吸ってる人たくさんいた。
電車が来るとみんな線路にポイ捨てしてましたね。火が付いたままでしたね。

野良犬がいた。下水道が無かった。田舎は汲み取り便所だった。
正月三が日はお店が休業して、その前に買い溜めしないといけなかった。

私は正直、昭和が絶対良いとは思わないですね。
比較したら今の時代のほうが良いです。個人的には。
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昭和も60年以上ありますからね。



太平洋戦争がありましたから、15年あたりから20年代前半の国民の生活はかなり苦しかったでしょう。
このあたりのことは実感がないのでよくわかりません。

私の記憶が始まる30年代から40年代あたりはいろいろな意味で活気はありましたが、公害問題などもなおざりにされていて、苦しんだ方もたくさんいらっしゃいました。
現代の中国の都市部が相当ひどいことになっているようですが、かつての日本も工場排水は垂れ流し、工場排気も今のようには処理されず大気を汚していました。

私は東京のことしか知りませんが、今は魚が泳ぎ鳥が遊ぶ河川もこの時代はゴミとヘドロでどろどろで本当に汚かったです。
いい大人がそこいらで立ち小便をするし痰は吐くしタバコの吸殻も投げ捨てるしで個人も企業もモラルは低かったですね。

老人、妊婦、障害者にたいする配慮も今よりもありませんでしたし、性差別は平然と行われていました。

50年代は携帯電話とインターネットが無いくらいで今とそれほど違いはありません。
しかしいわゆるバブル期は本当に浅ましい時代でした。
まあ、実体のない景気だったからこそバブルと表現されるわけなんですが
あれを良い時代と振り返れるのは物欲が何よりも優先されるような感性や知性に欠ける人だけでしょう。

ただ、どの時代にも良い思い出や経験を持つ人はいるでしょうから、それに注目して記憶を辿れば輝かかったり人々の希望に満ちた時代であることは確かでしょうね。
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ビジネスや金回りには活気があったんだろうけど、素行や行儀の悪い人は今よりも多かったですよ。

今の60代以上の年輩(特に都市部。田舎は意外と穏やかな年輩が多いかも・・)を見ていればわかるでしょ?
ただこれも「戦後の不安定な時代の副作用」というか、日本人自体は昔から世界からも「行儀のいい民族」と見なされてきたようです。民族や国民の気質なんてものは、たぶんそう変わらないのだと思います。アメリカや中国が昔から変わらないように・・・


「今の日本(社会)は駄目だ」なんて言う人は、世界のことなんて何も知らない人だと断言出来ます。真に受けない方がいいです。
日本は恵まれていますし、世界的にも稀に見る、平和で豊かで、人権の観点も含めて、成熟・洗練された社会を持つ国です。これはうぬぼれではなく、海外に関心を持ち注目して見てきた者ほど、それを実感出来るでしょう。


「今の社会がどれほど酷いのか」というご質問なので、こういう回答になりました。
「素晴らしい国・社会」なんてのは総合的に判断した方がいいです。中国がどんなに景気が良くても、国・社会として「羨ましい」とか「お手本にすべき」などと考える外国人は、世界的にはそうはいないと思いますので。
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毎年春になると、労働組合は賃金闘争というのを始めて、企業によってはストライキをしました。


仕事をボイコットしてしまうのです。
一般企業だけでなく、公共交通機関も止まりましたよ。
電車、バスが動かないのです。
私の仕事はストライキが許されない業種だったので、会社まで歩いて行ったことがありました。
歩けない人は泊まり込みですね。

そして労使の交渉がまとまると賃上げです。
記憶では基本給が1万3千円上がった年もありました。
毎年上がるのが当たり前で、賃金カットボーナスカットなど、あり得なかったです。

その代わり、社員はその会社に骨を埋めることが求められました。
男性は定年まで、会社のために家庭も顧みず働きました。
女子は「寿退社(ことぶきたいしゃ)」と言って結婚で仕事を辞めるのが普通でした。
他の理由でやめるのは恥ずかしいことでした。

就職にしても、有効求人倍率が学生の何倍もありました。
就職の際、公務員も視野にいれていたのですが、やめておけと言われました。
ロクに仕事もしない人間ばっかりだから、そういう目で見られて嫁のもらい手がなくなると。
楽をしたい、怠けたい人間がなる職業と思われていたのです。

これはバブル期以前の話です。
とにかく右肩上がりだった、としか言いようがないです。
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バブルに踊ったのは昭和でも末期の62~3年から、平成3~4年頃までの話です。



昭和時代は63年と1ヶ月ありましたが、日本が急成長したのは戦後の混乱が収まり、高度成長期に入った40年代のことです。

この時代は決して皆が豊かだった訳ではなく、今以上に貧富格差はありました。
むしろ現在は、デフレが長らく続いたおかげでモノの値段が下がり、どの家庭にもテレビやエアコンはあるし、誰でも牛丼や回転寿司を食べられるし、子供まで携帯電話を持っています。

当時の子供のズボンの膝にはツギアテが当たっていたし、鞄や靴は兄弟のお下がりだったし、外食など滅多にできませんでした。
当然コンビニなどなく、スーパーマーケットがやっと広がりだしたのも高度成長期でした。

今と比べると随分「貧しい社会」であったことは間違いありませんが、ただ明日に対する希望のようなものがありました。去年より今年、今年より来年がもっと豊かになって、日本という国がどんどん大きくなると誰もが信じていたように思います。

私自身は、子供の頃と今と比べると、今のほうがずっと豊かで安定した社会のように感じます。
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定期昇給と ベースアップ 毎年1-2万円ずつ上がっていましたね。


それにボーナスも 今考えると全く夢のよう。
特に何もしなくっても 年齢給は保障されたし・・・

銀行預入金利もすごかった
信託銀行に5年預けていたら 1.5倍になって帰ってきた時代
100万円が5年後には150万円 8年後には倍になっていたのだから・・・。

しかしローンもすごかった
800万円のローンを組んで15年払いにすると
最初の数年なんか 元本が全く減ってこない・・・
何せ9.5%の民間住宅ローンしか相手にされなかったのだから・・・
銀行さんなんか 貸し渋っちゃって・・・。

今の人たちが2000も3000万円ものローンを組むのを見ると 空恐ろしい事では有ります。
皆が35年ローンだから・・・と、変な安心感が有るのかな?

私なんか500万円ほど(それでも怖かった)の借金をして7年で返済して行きました。
その都度買い換えて また500万円借りて少し大きな家にして・・・
結局、中古物件を4軒買っては売って・・・儲けは無いかったけれど、何とか家族4人 人並みに生活できました。

運のいい人は バブルに乗って財をなした人もたくさんいました。
反対にバブルがはじけて、惨めな生活を送っている人たちがいる事も確かです。

いつの時代にも「堅実」の二文字が必要でしょうね。
だって 35年ものローン生活 どうするんでしょうね、
30歳で借りても65歳までのローン地獄・・・。
人生 「家の為」に生きているのではないのですから・・・ましてやその頃には子供達は出て行って老夫婦がぽつんと広い家に取り残されて・・・

ましてや会社がそこまで働かせてくれるとも限らない・・・
いやありえない。

あーあ 奥深い地獄が待っている・・・
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一口に昭和と言っても、



戦前 これはさすがに私も知りませんが・・・。

戦後、昭和35年(1960)くらいまでは貧しかったけど、人と人の「絆」がありました。
貧しいながらも、助け合う心がありました。
電話、車、クーラーはもちろんテレビ、冷蔵庫などもまれにしか所有してませんでした。
逆にごく一部にしか無かったので格差を感じなかったのでしょう。

さらに、昭和45年(1970)くらいまではこの前の期間と似たようなもので、
成長の予感はあったものの、実際の生活水準は低いものでした。
それでも満足感は結構あって、バブルへの序章だった気がします。
学生運動が盛んだったのもこのころです。
良し悪しは別としてみんな真剣に悩み考え、より良い生活を目指し燃えたのでしょう。

さらに、昭和64年(1989)くらいまで、
まさにバブルの絶頂期、期間としてはあと3-4年、1993年くらいにはじけるまで
すべてが絶好調、何をやっても成功し浮かれていた時期でしょう。
でも、バブルと云う通り、虚飾であって本当に生き生きと生活していたとは思えません。
見栄の張り合い、ツッパリ合いで、あまり充実していた期間とは思いません。

>「昭和の日本人は輝いていた。社会全体に活気があった。」

そう思えるのは、昭和45年(1970)例の万国博から10年、本当のバブルのちょっと手前、
貧しさもあり、日々生活が良くなっていく実感もあり、一億総中流意識が芽生えた期間。
このころじゃないでしょうか。

今は世の中全体としてはゆたかで、どこの家にも車がありPCがあり、各人がスマホを持ち
SNSを通じて他の人とつながっている(と云う錯覚をしている)
バブルのころと比べても、間違いなく今のほうが物質的にはゆたかです。
なのになぜ幸福感が低いのでしょう。

不公平感とか格差感があること、本当の意味で「絆」のなんと薄い事。
貧しさの中から這い上がったという達成感が無いこと。
若い人が安定した職業に就けない事。
そのためじゃないでしょうか。
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50代の女性です。



今の恋人達は、割り勘が多いと聞いてビックリしました。

私が20代の頃は、割り勘にしてと言うと『失礼なことを言うな!』と、男性に怒られましたよ。

アッシー君(車でどこでも送迎してくれる男友達)やメッシー君(車で送迎+食事をご馳走してくれる男友達)がたくさんいました。

彼氏とデートする時も、待ち合わせの場所に、他の男性が車で送ってくれました。

夜間学校の帰りも、いつも駅まで彼氏でない男友達が車で迎えに来てくれましたよ。


仕事も凄かったです。

私は20代の後半、家で引きこもっていたのですが、洋裁の技術があり、婦人服のサンプルを作っていました。
 
スーツが一着12000円で、ブラウスは一日4着仕上げて24000円でした。

昼過ぎまで寝ていて、テレビを見ながら楽しく仕事をして、なんと月収50万以上ありました。

数年で知らないうちに一千万以上の貯金が出来ていて、自分でもびっくりしました。


その代わり、バブルがはじけた後は、賃金10分の一以下のアジアに仕事を取られてしまいました。

しかたなく保険の外交員になるしかありませんでしたが・・・。c


昭和は本当に良い時代でした
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給料が5万円の時代
それでも毎年4月になると3000円とかの昇給があった
昇格も重なれば給料が1万円上がった年もあった。
 
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 一言で言うと、夜の飲食店が大繁盛だった・・という事でしょうかねぇ。



 あの頃が懐かしい・・・
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