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私は川上哲治さんのことは名前しか知りません。その前に野球をよく
知らないのですが。「打撃の神様」と呼ばれていたそうですが、そんなに
凄い選手だったのですか?
テレビで王さんや長嶋さん、その他大物の人たちが「尊敬していた」と
いったことをコメントしているのを聞きました。
私の中では王さんが1番すごい選手だったというイメージがあるのですが
(王さんってたくさん記録持ってますよね?)、王さんより優秀な
選手だったのですか?あと人望もあったのですか?

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A 回答 (5件)

確かに記録や記憶では上を行く選手はいるでしょうね。



でも、その質問者様をはじめとする現在のプロ野球ファンが見ている”最高のプロ野球選手”は、川上哲治氏をはじめとする1960年代までのプロ野球選手が作り上げてきたことは、誰にも否定出来ません。今の野球においての常識はほぼすべて、この年代の選手に作られてきたからです。

例えばストライクとボールの概念。川上氏がなぜ打撃の神様と呼ばれるようになったのか。当時以前の打者は、少し穿った見方をすれば、

「投手はストライクに投げるのが当たり前。」

要するに、投手が投げた球はすべて打てる、という信念があったわけです。しかし、川上氏はといえば、ルール上でストライク判定されるゾーンは存在するのだから、そこから外れる投球に無理して手を出す必要はない。そう考えた、日本で初めてのプロ野球の打者です。今聞くと何を今更と思うでしょうが、川上氏の打撃の神様たるゆえんの第一は、この「ストライクとボールの見極め」をプロの世界に導入したことです。無論、この時代のアマチュア野球でそんなもの存在するはずもありません。たまたま手が出なかった直球の判定がボールだった、程度のことです。この見極めがなければ、おそらく大打者にはなっても”神様”と呼称される存在にはなり得なかったでしょう。好球必打と書いて川上哲治と呼んでもいいくらいです。
※実際生涯8424打席で四死球は867(四球823、死球44)、プロとして望んだ打席の1/10で四死球を選んでいます。当時としてはかなり異色の選手です。この辺りが、天才であっても神様と呼ぶにはやや遠い、張本勲やイチローと対比出来る点だと思います。

次に、監督として実に細かい作戦立案をした点。これは、当時MLBで弱小と呼ばれたブルックリン・ドジャーズの快進撃を記した書籍を参考にしたらしいのですが、当時の日本プロ野球では、試合前のミーティングで大まかな相手投手の攻め方を指示するくらいで、後は現場の選手任せだった事がほとんどでした(その最後の名残が南海系の選手・監督の采配でしょうか。初代親分こと鶴岡一人に始まり、野村克也(ここは意外でしょうが)、大沢啓二、須藤豊と概ね事前ミーティングに時間を掛けるタイプばかりです)。

しかし、その南海勢にとって川上率いる巨人の、それこそ投球の1球1球、打席での1球ごとのブロックサインやら守備位置の変更、バッテリーへの指示などは意外を通り越して呆れるほどだったと言います。しかし野村克也だけは巨人の強さの本質は選手の能力ではなく、川上監督・牧野コーチをはじめとするベンチワークの結果だと。極論、そこに王や長島がいてもいなくても結果はたいして変わらない、とまで。おそらく、事実でしょう。

打者としてのセンス、監督としての戦略戦術眼、どれをとっても神と呼ぶにふさわしい存在です。どちらかに秀でる人物はプロ野球に他にもいますが、どちらも優れた選手はそうはいません。そもそも、王も長島も、川上監督の巨人以外なら、あれほどの成績は上げていないでしょう。王さんに至ってはおそらく投手失格の時点でプロ野球選手として終わっていたはずです。あれは当初から投手では使えないが打者として取ると川上氏が決めてかかったようですが。

ましてそれ以降の打者の成績は、すべて川上や青バット大下弘の打撃論を基礎にしているものばかりです。この時代のプロ野球選手なくして、現在のプロ野球も…極端に言えば、WBCでの連覇もなかったでしょう。スモール・ベースボールと言葉だけ一人歩きしていましたが、結局川上監督率いる巨人がV9を達成していた野球そのものでしたから。別にONの打棒だけで9連覇出来るわけがない。

※ただ人望という面では、巨人軍の監督経験者は長嶋さん以外ほぼすべて、球団・親会社と何某か諍いを起こして距離を置いていますので、球界からの人望ほど巨人軍・讀賣新聞社から重用されていたわけではないのは間違いありません。ただ、球界全体の人望を見れば、それは小さな問題というしかない。何より、重鎮として齢90を越えるまで存命で居続けただけでも、十分に意義がある人生だったと。
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この回答へのお礼

成績のことはよくわかりませんが、現代日本のプロ野球の礎を築いた人なのですね。
王さんが野球選手として終わっていたかもしれなかったなんて知りませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/02 02:56

川上氏は、常に努力の人だった様ですよ。

昭和13年に東京巨人軍に入団以来から始まり、藤本定義監督に打者転向を言い渡されてから川上氏の記録は始まります。川上氏はプロ野球をメジャーなスポーツにされた中のお一人です。常に弾丸ライナーの打球を打つ為の研究は日々されていた様です。赤バットの川上、青バットの大下、黒バットの藤村と並んで常にスター選手でした。日本で初めての2000本安打を記録。長嶋茂雄氏が入団し昭和33年に現役引退。長嶋氏とは1年だけ一緒にプレーされています。
その後、水原監督の下でコーチを経て
昭和36年から昭和49年迄監督をされました。
戦術的には、牧野茂氏にドジャース戦法を学ばせ実践、長嶋茂雄氏や王貞治氏を育てました。王貞治氏を
投手から打者に転向させたのも川上氏です。又、王氏が最初は打てなくて荒川博氏をバッティングコーチとして招聘し一本足打法が誕生しました。柴田勲氏をスイッチヒッターにしたり、バスター打法を取り入れたりして昭和40年から48年迄のV9が達成されました。
ただ川上氏の監督時代は賛否両論色々あった様です。でも川上哲治氏は37年間のプロ野球生活で日本のプロ野球は進化したことは間違いない無いと思います。
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この回答へのお礼

日本のプロ野球にとても貢献した人なのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/02 02:30

確かにホームランという意味では


通算181本ですから 王や長嶋よりは劣ります
安打も2300本程です

彼が打撃の神様と言われたのは
バッティングが上手かったからです
野手の間を抜くヒットやポテンヒットなどが特に多い
イチローを彷彿とさせるような技術の打撃を見せた人だったからではないでしょうか?

さらに監督となってからは
王 長島 そして3000本安打の張本など
名だたる名打者を育てています
彼の打撃理論をしっかりと吸収した選手たちはいずれも大物となり活躍しました

そして巨人を前人未到の9連覇に導いたその指導力
やはり神様なのでしょう 彼は
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この回答へのお礼

イチローの打撃法も川上さんが基本になっているのでしょうかね?
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/02 02:27

私も現役時代は知りませんが、王、長嶋を抱えていたとはいえ、V9という偉業を達成した偉大な監督だったことは確かです。

そのあと就任した第一次長嶋監督はこれと比較したら惨憺たる状態で、まさか終身名誉監督に就任することになるとはだれも思いませんでした。
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この回答へのお礼

V9ってすごいですね。私は個人的には、長嶋さんって国民栄誉賞を受賞するような
人かな…と思っています。王さんならわかりますが。松井選手に至っては言わずもがな
です。ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/02 02:37

娯楽の少ない時代に、『赤バットの川上』の愛称で親しまれていたようですね。


家が貧しかったので、日本で初めて契約金を条件に巨人に入団する程の実力があったとか。
当時は、プロ野球選手でも、皆でおでんの屋台を囲んで和気あいあいの時代だったようです。現在の巨人とは違い、チームの仲が良かったようです。これが人望に繋がっている気がします。
他チームの投手を全て熱心に研究した先駆者でもあるそうですから、王さんより優秀というよりは、王さんより先に優秀なバッターになるための道を切り開いた人と言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>王さんより優秀というよりは、王さんより先に優秀なバッターになるための道を切り開いた人
なるほど。ありがとうございました。
猫の写真かわいいですね(^ω^)

お礼日時:2013/11/02 02:45

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