出産前後の痔にはご注意!

今歴史の勉強で侍のことを勉強しています。
勉強していて思ったんですが、侍と武士の違いはなんですか?
わかりやすくお願いします

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A 回答 (8件)

侍というのは、中世に発生したもので貴族や将軍に仕える


人達を指しました。
つまり、数ある身分の呼称の一つです。

その侍が戦国時代を経て、軍役を担当するように
なったため、侍のことを武士と呼ぶように
なったのです。
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この回答へのお礼

すごくわかりやすい説明ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/03 08:00

 あっ、一つ忘れていました。

「貴族」も「武士」も、テレビドラマや映画などで描かれているものとは全く異なりもします。
 『山科家礼記』という書物の中には、家中にある刀という刀全てを集めさせて庭の至るところにブスブスと突き刺しておいて、敵対する相手方が攻め込んできた時にはそれを手にして戦った貴族の話も出ていたり、平安時代ですらも、互いに殴り合う貴族の模様が描かれている作品もあります。
 貴族だから優雅な生活を営むだけの存在だったとイメージしてしまうのは誤りといえます。逆に戦国大名などは都に伝わる文化に憧れを持ち、争って『源氏物語』などの文学作品や『洛中洛外図屏風』を求めたり、都を離れた公家を自らの領地に招いて文化的な薫りを求めもしました。
 それによって、自らの社会的な名声を得ることも必要だったのでしょうね。小泉さんが歌舞伎やオペラに関心を寄せていることと似ているでしょう?。無骨なだけが武士ではありません。西行(佐藤義清)や古田織部そして小堀遠州の実例もありますから。
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 サックリ言うとね、「侍」は別の方も説明していますが、「さぶらふ者」の意味であって、この「さふらふ」は上代語の「さ・もらふ」から転じた言葉です。

「さ」は方向や様子を表す言葉そして「もらふ」は「モル(=守る)」に反復・継続を表す助動詞「フ」の付いた形の言葉です。こうしたことから「その辺りを守る。側にいる」となり、「候う者」といった意味になってくることとなりました。
 一方の「武士」にも「モノノフ」との読み方や呼び名があって、こちらは具体的に「武装した人」あるいは「武力組織を統轄する者」との意味があります。
 中世の「武士」はそのルーツとして奈良時代の郡司や郷司といった地元の有力な土豪層に端を発するケースが多く見られ、その彼等のルーツを更に遡ってみると奈良時代以前の「法的な政治システムのない時代」に地域を支配していた有力豪族の私的な武力組織にまで辿り着くケースもあります。
 「さふらふ者」と「もののふ」の違いがどこにあるかといえば、「さふらふ者」は必ずしも武力を持つ者だけとは限らず、行政官僚として勤務する者を指すこともあります。けれども「もののふ」にはそうした事例はありません。地域を統治するといっても、普通の農民と同様に田畑の耕作にも従事します。この田畑には「自らで開墾した土地」もあれば、「管理を委託された荘園」もあります。
 「富豪」「受領」「土豪」「悪党」といった言葉を図書館にある『國史大辞典』を読んでみたり、「日本史用語」でググってみたら、詳細な説明も覧られますので、参考にして下さい。
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okatetu0627さん、こんばんわ。



武士というのは武、つまり、戦闘行為に特化した人たちです。もともとは平安時代に私有地である荘園を開墾し、開発領主となり、夜盗から身を守るためやその土地を守るために武装化していましたが、国司からの納税や国司からの介入を避けるため、京の有力貴族である摂関家や公卿達に形だけの領有者としてを認め、荘園における自分たちの権限の保護をしてもらう代わりに、本家や領家という一種の名義と収入を与え、自分たちはその管理権を有する形ににして実質的な領有権から土地を支配してきました。「不輸不入の件」です。
さらに、その「不輸不入の件」を守るために開発領主である自分や一族の者を京にいる有力貴族である本家や領家である摂関家や公卿達の護衛に付けました。彼らは行列や屋敷の警護になりました。番役です。
この時に公家のそばにいること、つまり、「はべり」「さぶろう」という言葉が「侍」の語源らしいです。有力貴族達は夜盗から身を守ることが出来ると安心していた反面、人を切って殺したり、けがをさせたりする彼ら武士を忌み嫌っていました。
しかし、有力貴族による摂関政治はただ、文弱な政治であったため、次第に武士階級がその武断的な性格から、貴族から政治の実権を奪い取ることになります。これが武家政治の発端です。
武士といえば、仕える主のいない浪人も大名も将軍も武士です。侍は大名や将軍あるいは公家にに仕える武士というのが一般的だと思います。
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元々は、



武士とは「武を職とする家の者&その家人」。

侍とは、高位貴族に「さぶらう」人。付き従う人。ごく初期には文官の方が多かったが、武士中心になってくる。よくある間違いで、低い身分と思われがちだが、藤原忠平に「さぶらう」平将門は官位を持っている。武士の中では、侍は身分が高いのだ。
しかし、後々には、侍という言葉の価値が下がり、地侍とか侍身分とか、下級武士にも使われるようになっていった。
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>今歴史の勉強で侍のことを勉強しています。


>勉強していて思ったんですが、侍と武士の違いはなんですか?
>わかりやすくお願いします

⇒語源的には、
武士は「つわもの・戦う者」の意味であり、
侍は「さぶらう者・(主君の)脇に控えている者」
の意味でした。

つまり、武士の方が、いわば「上位概念」で、
より広い意味範囲をカバーしますね。

それで、No.1さんが明快な回答を寄せているように、
「地位や階級」を表わすようになったわけですね。
なるほど、「武士階級」とはよく言いますが、
「侍階級」とはあまり言いませんね。

ただし、両者の意味が重なることもあって、どちらも
ほとんど同じ意味を表わすこともあります。

落語にこんなのがあります。
「昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬して、
女の婦人に笑われて、短い刀の短刀で、
割腹をして腹切った!…」。

わざと同じ意味の語を2つずつ並べたわけですが、
ちょっと可笑しいですね。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB

ご参考までに。

以下は、「私見」です。
「武士」と呼んだ場合は、「戦闘が本分の侍」。
これに対して「侍」と呼べば、戦闘以外の家職や役職を勤める人間も指す事に成ります。
つまりは、「侍」の方が「広い意味合い」ですね。

「戦国時代」を筆頭に、「武芸を職能とする侍」である「武士」の出番は多かった筈です。
そんな事から、「武士」は「侍」の別名みたいに、或いは「武士」と「侍」は混同されて行ったのかも知れません。
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浪人と侍の違いは解る?


浪人は誰かに使えていない
侍は誰かに使えている

そういうのをひっくるめて武士という
武士は基本的には生涯変わることのない一つの地位や階級だ
侍はその人の雇用状況によって呼び名が変わる
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Q侍と武士の違いについて

侍について調べていて疑問に思ったのですが、

「侍」と「武士」の違いについておしえてください。

ネットで調べていたのですが、なかなかハッキリとした答えがわからなくて…;;
よろしくおねがいしますm(><)m

Aベストアンサー

「侍」はもともとは「さぶらい」といい、主人の側近くに仕える者という意味で、またその人たちの詰所も「侍」「侍所」といわれました。「諸太夫・侍」と併称されるときは六位以下の官位者を指します。鎌倉幕府は御家人身分を侍と定め、また中世には課役が免除された特権的有力村民も侍と呼ばれました。豊臣時代には武士に仕える若党を侍とし、江戸時代は士分を一般的に侍と呼びます。
「武士」は平安後期以降、常に武器を携行し、武力を行使する身分をいい、この集団が主に皇族・貴族の侍として仕えたので、侍が武士を意味してくるようになりました。武士は地方では公的権限を有するようになり農地開発や、血縁・地縁・主従による団結によって結束していき、後に幕府を開くなど為政者へと発展していきます。
 ですから厳密に言えば「侍=武士」でなく、「侍>武士」の方が正確でしょう。
参考
『岩波日本史辞典』(永原慶二監修・岩波書店)

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q武士とは何をしてたの?

江戸時代に士農工商の身分制度があったことは小学生の時に習いました。農民、工作人、商人などは読んで字のごとくでどんな仕事をしていたのか良く分かりますが、武士とは具体的にどんな仕事をしていたのですか?刀を差して道を闊歩するだけで何に対してお金を得ていたのですか?

Aベストアンサー

武士のルーツは、自営農民が自分の土地を守るために武装したのが始まりです。
平安時代の後半から武士らしきものが発生します。
大化の改新以来、律令制という体制で日本は支配されますが、
この法律には、土地は国家のものという基本的な考え方あります。
自分で開墾した土地でも、せいぜい自分の代でしか所有できません。
また、重い税金も課されます。
こんな制度のもとであほらしくて農民なんぞやっとれません。
(ちなみに稲作とうものは、農業土木といって非常に土地の手入れに手間のかかるものです)
なんやかんで、貴族や寺社の名目上の私有地にしてもらえば、収奪されるものも比較的少なく
何とか実質的には自分の私有地として経営していけるな、ということで、
始まったのが荘園制度です。
ところが、貴族や寺社には司法権も警察権もありません。
農民同士で土地争いや水争いが起きると、それぞれが自分自身の武力にたよるしかありません。これが、武士のルーツです。
このような、自営農民が日本各地に増大し、互いに争って疲弊することを避け、自分自身の土地や家族を守るために、
もっと確かな制度が必要と考えて生まれたのが鎌倉政権です。
ちなみこの時代までは、西部開拓時代のアメリカと似ています。
この発生原因は、収奪のためにのみ存在した中国や朝鮮の王朝とは全く異なるところで
あります。

中国で武士が発生しなかったのは、
土地が広く、一カ所に住みにくくなれば、他の土地に逃げれば良かったからです。
意地を張って一カ所しがみついて戦う必要はありません。
このような逃げた農民は流民といわれ、飢饉や圧政のたびに大量に発生します。
この流民を集めて巨大な武力集団にすることができたものが次の王朝の
創始者になります。いわゆる易姓革命ですな。

ポイント->日本では武士が発生したが、中国では流民が発生し易姓革命が起こった。

ちなみに、江戸時代、大規模な潅漑工事というものは
たいてい、藩が指導して行いました。
侍のルーツは農民だからであります。
橋を架けたり道路を整備したりなどの公共工事も、各藩の指導で行われます。

李氏朝鮮では、住民のための公共工事を行うことがなかったそうです。
このことは、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」に書かれております。

武士のルーツは、自営農民が自分の土地を守るために武装したのが始まりです。
平安時代の後半から武士らしきものが発生します。
大化の改新以来、律令制という体制で日本は支配されますが、
この法律には、土地は国家のものという基本的な考え方あります。
自分で開墾した土地でも、せいぜい自分の代でしか所有できません。
また、重い税金も課されます。
こんな制度のもとであほらしくて農民なんぞやっとれません。
(ちなみに稲作とうものは、農業土木といって非常に土地の手入れに手間のかかるものです)
なん...続きを読む

Q最後の侍

日本、最後の侍と呼ばれる人は誰か教えてください。
それは本当に幕末時代の最後でもかまいませんし、考え方などなどいろいろなんでもかまいません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。
映画「ラストサムライ」はご覧になられたでしょうか!(^^)!
ひさびさにいい邦画をみたと、私は思いました。

さてこの映画の最後の侍は「西郷隆盛」がモデルになっているのですよ。
歴史上の西南の変をモデルにして作成された映画なのです。
西南の変では、反乱の大将に祭り上げられた西郷隆盛(映画では勝元役の渡辺謙です)、と明治新政府の礎を作った大久保利通が対立します。トムクルーズは反乱鎮圧のために日本政府の要請で日本にきますが、武士道に触れ、勝元側につくっといったストーリー展開です(トム役は完全に作り話でしょうけどね)

西郷隆盛も大久保利通ももとは同志でしたが、明治維維新後、侍を軽視しはじめた新政府に対する不満が募って、薩摩藩内の武士が反乱を起こします。
(まげを切らないと極刑とか、とにかく西洋文化をどんどん取り入れた時代だったみたい。「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする!」なんて、ごろだけはいいですけどねぇ)
西郷隆盛は反乱の大将として祭り上げられますが、戦いに敗れ戦死、反乱も鎮圧されます。

映画はそんな感じでしたね。
武士道を守って生きる日本人魂が美しく描かれていたと思いました。

ということで、私の解釈だと「西郷隆盛」ですかね・・・。

こんにちは。
映画「ラストサムライ」はご覧になられたでしょうか!(^^)!
ひさびさにいい邦画をみたと、私は思いました。

さてこの映画の最後の侍は「西郷隆盛」がモデルになっているのですよ。
歴史上の西南の変をモデルにして作成された映画なのです。
西南の変では、反乱の大将に祭り上げられた西郷隆盛(映画では勝元役の渡辺謙です)、と明治新政府の礎を作った大久保利通が対立します。トムクルーズは反乱鎮圧のために日本政府の要請で日本にきますが、武士道に触れ、勝元側につくっといったストーリ...続きを読む

Q江戸時代の武士の階級について

将軍家>親藩大名>譜代大名>外様大名>高家>旗本>御家人
(左は高く、右は低いという設定です。)

こうのような認識でよろしいですか?
間違っているところ、抜けているところがあれば教えてください。

Aベストアンサー

>こうのような認識でよろしいですか?

残念ながらよろしくないです。
なぜならば、階級のようなものを曖昧にして、誰が偉いのか分からなくするのが徳川家康の狙いだったからです。

親藩は将軍の親戚だという「名誉」があるだけで、藩主は幕府の要職には就くことはできません。
外様大名は禄高が多い大大名が多いですが、これもまた、幕府の要職には就けません。
譜代大名や旗本は徳川家直属の家臣で、禄高はあまり高くないですが幕府の要職に就き、実際の権力を持ちました。
特に旗本でも高家と呼ばれる旗本は、格式ではその辺の大名よりずーっと上でした。
有名な「忠臣蔵」の悪役、吉良上野介は4千2百石の旗本でありながら、5万石の大名である浅野内匠頭を「田舎侍!」などとののしっています。(まぁ、これはお芝居の話ですが)

名誉、禄高、権力、格式を分散させたのです。
これは謀反の防止の為です。

ようするに、色々な分野でNo1を作ることによって、誰かが徳川に対して謀反を起こそうと仲間を集めようとしても「俺の方が偉いんだ、お前の下になんかつけるか」「俺の方が偉い、いいや、偉いのは俺の方だ」と、誰かが突出したリーダーシップを取るのを防ぐ為です。

 

>こうのような認識でよろしいですか?

残念ながらよろしくないです。
なぜならば、階級のようなものを曖昧にして、誰が偉いのか分からなくするのが徳川家康の狙いだったからです。

親藩は将軍の親戚だという「名誉」があるだけで、藩主は幕府の要職には就くことはできません。
外様大名は禄高が多い大大名が多いですが、これもまた、幕府の要職には就けません。
譜代大名や旗本は徳川家直属の家臣で、禄高はあまり高くないですが幕府の要職に就き、実際の権力を持ちました。
特に旗本でも高家と呼ばれる旗本は、...続きを読む

Q江戸時代の侍は、普段何をしていたのでしょうか?

江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれ...続きを読む

Q武士と侍

武士と侍の違いを教えてください。

ウィキによると
侍は身分が高く騎馬に乗れること=ここで言う身分が高いとは具体的に官位を指しているのでしょうか?
またその他違いがあると思われることがありましたら教えてください。

Aベストアンサー

まず侍と言うのは、「侍う(さぶらう)」と言う言葉に由来します。侍うとは、貴人の側について身辺を警護する、と言う様な意味です。
そこから転じて、貴族の身辺を警護する武者を「侍」と呼ぶ様になりました。

武士はそもそも武装化した人たちの総称ですが、その中には武装農民の様な人たちも、また、武官だった家柄の人も含まれます。

ですから一般的に侍と言えば、士分のうち「騎馬を許される身分(江戸時代の幕臣で言えば、旗本)」ですし、単に武士と言えば足軽、軽輩(幕臣で言えば御家人)まで含まれる訳です。

奉行所勤めであれば、騎乗が許されるのは「与力(寄騎)」で、その下に徒武者である「同心」がつく事になります。確かに騎乗の許される与力の方が身分が高いのは確かですが、それでも官位云々と言う話までにはいきません。あくまでも武家の中の家柄程度の話です。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q白味噌、赤味噌、赤だし、どう違うの!?

お味噌には、白味噌、赤味噌、赤だしとあると思うのですが、どう違うのでしょうか?
原料、製造工程や各お味噌の特徴、使い分けなどを詳しく教えてもらえるとうれしいです。
よろしくお願いします。(>_<)

Aベストアンサー

味噌は、赤でも白でも基本的に大豆と麹(米、麦、豆)で作られます。ですので、違いは製法にあります。

赤味噌に使う麹は、米、豆がもっぱらです。
作るときに大豆を蒸しますがこのとき、大豆のタンパク質が分解され、アミノ酸に変わり、糖と反応することで赤褐色になります(メイラ-ド反応)。
加えて、何度かかき混ぜて、長期間熟成させるので、いっそう反応が進み、濃い褐色になるのです。

一方、白味噌は、使う麹は、米がもっぱらです。
また、大豆を茹でて作りますが、このとき、糖がお湯の中に流出するため、反応が抑えられます。
加えて、熟成期間が短く、攪拌することもないので、大豆の色が残った、白っぽい色になるのです。

ちなみに塩分は赤が10%、白が5%ほどです(赤が高いのは長期の熟成に耐えられるようにするため)。

一方、gあたりの栄養価は赤のほうが高いです(白は茹でるときに栄養分も流れてしまう)。

赤だしは、赤味噌にカツオや昆布のだしを混ぜたものですが、米や麦麹のものをただの「赤味噌」と言う代わり、とくに豆味噌のことを「赤だし」と呼んで区別する場合もあります。

味としては、一般的に赤味噌は塩気、白味噌は甘味が強いです。ですが、赤味噌でも甘めのものもありますし、その逆も然りです。
ですので、特に使い分けと言うことはありません。あれこれ試してみて、好みに合わせて使うといいでしょう。

なお、赤だしはもっぱら味噌汁に使われます。

味噌は、赤でも白でも基本的に大豆と麹(米、麦、豆)で作られます。ですので、違いは製法にあります。

赤味噌に使う麹は、米、豆がもっぱらです。
作るときに大豆を蒸しますがこのとき、大豆のタンパク質が分解され、アミノ酸に変わり、糖と反応することで赤褐色になります(メイラ-ド反応)。
加えて、何度かかき混ぜて、長期間熟成させるので、いっそう反応が進み、濃い褐色になるのです。

一方、白味噌は、使う麹は、米がもっぱらです。
また、大豆を茹でて作りますが、このとき、糖がお湯の中に流...続きを読む

Qサムライの文化・風習について教えてください。

最近イギリス人の友達にサムライについて教えてくれとせがまれています。サムライの文化・風習で今現在残っているものはないでしょうか??どなたかご教授お願いします。。

Aベストアンサー

サムライとは武士道を規範として生活していた人々とみるべきだとおもいます。新渡戸稲造が外国人に日本人は信仰心が無いそうだが道徳をどうするのか、と問われ日本には武士道があると答え後に「武士道」を英文で出版しています。武士道はイギリスの騎士道に通じる事柄が多く含まれていますので外人にも理解しやすいでしょう。
「義を見てせざるは勇なきなり」は武士道の規範として有名ですが、戦後教育ですべて軍国主義の名のもと義、勇、仁、礼、誠、名誉、は教育
されません、家庭教育で上記の規範で生活されている人もいるでしょうが稀です、現在の犯罪のすべてが武士道を教えず信仰心もない者が作った社会です。質問者の真意が判りませんが、サムライと言ふ語感からは
我々はある信念を持って行動している人の代名詞にしています。
「武士道」は現在でも出版されていますので参考にしてください。


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