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《感動》と《感激》は、確かに違う言葉ですが、境界線が分かりません。

皆様は、どの様に使い分けていらっしゃいますか?

ちなみに、WEB辞書では、

《感動》ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

《感激》強く心に感じて、気持ちがたかぶること。

とありましたが、「心に感じて、気持ちがたかぶる」ことと「心を動かされる」ことは、ほとんど同じと思うのです.

しかし、似ているが違う、ようにも思えます。

ぜひ、よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

異論は当然あるものと思いますが、《感動》と《感激》、それぞれに対して私が持っているイメージを書き出してみました。



《感動》
・「包まれるもの、じんわりと浸るもの、外側(五感)から内側(心)へ向かうもの」
 「ゆっくりと心の中に入り込むもの、しみじみとしたもの」 
 というイメージがある。 

・自然と心の中から湧き上がる暖かな思い。
  

・出来事を通して、もともと自分の中に備わっていた感性が呼び起されたり、
 自分にはないと思っていた感性が備わっていたということに気付かされたりする
 心の動きで、「発見や再生という感情が好ましい方向に揺れ動くこと」。


《感激》
・直接的に感じ取ること、突然心の中に飛び込んで来る思いのことで、
 熱い感情を伴うもの。

・好ましい出来事に遭遇したり、好ましい感情を注がれたことに反応して、
 舞い上がったようになること。

・対象に対して何らかの力を感じて心が突き動かされること。

***

以上のことを踏まえて、《感動》と《感激》のニュアンスにはどんな違いがあるのか、例文を使って考察したいと思います。
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1)雄大な風景に思わず《感動》した。
  雄大な風景に思わず《感激》した。

2)この雄大な風景を私に見せてくれた彼の心配りに《感激》した。
  この雄大な風景を私に見せてくれた彼の心配りに《感動》した。
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《感動》と《感激》それぞれ1回ずつしか使えず、1と2の例文の《  》を埋めるという条件付きの問題があったとしたら、私はそれぞれ上の文章を選択します。
どちらを使っても間違いではないですが、《感激》には、若干ですが《感動》よりも対象に対する “愛着” が感じられますし、“意に応えたい”という気持ちが感じられるからです。

《感動》というのは《感激》よりも、もっと抽象的な大きな対象に使うことが可能な言葉で、《感激》の場合は対象や条件がもっと的が絞れていて、かつ、その思いや出来事に対する、“感謝”という気持ちが若干ですが強いように感じます。

2の例文を喧嘩中の友人同士や恋人同士に当てはめて考えるとイメージしやすいと思いますが、《感動》と《感激》を比べると、《感動》するのには何のお膳立ても必要ないけれど、《感激》するのには、ときとしてシチュエーションを要することがあるのではないかと思います。

この回答への補足

異論はありません、今の所。

非常に分かりやすいです。

微妙な言葉で有り、表現ですので、これから1週間くらい、毎日読み直してみます.
どうも、ありがとうございました。

補足日時:2013/11/06 04:17
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この回答へのお礼

初めに、お礼の遅くなったことをお詫び申し上げます。

しかし、キチンとした把握にまではいたらず、いたずらに時間を過ごしてしまいました。

僕自身が最終的な理解に至らないのは、自分の所為で、自分の持っている問題意識を、自分自身が正確につかめていないのでしょう。

ともあれあなたには、深く感謝しております。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/06/18 21:16

No.6です。

再度おじゃまします。
再回答の割に説明になっていないかもしれず、謎が深まったら誠に申し訳ありませんが補足したいと思います。
_____

《感動》  
・物事に深く感じ入って浸ること。

・素晴らしい出来事の余韻に思わず浸ってしまうこと。

・印象的な出来事が心の中に焼き付いて、
 勇気や生命力を吹き込まれたように感じること。

・思わず対象に魅了され感情移入してしまうこと。
       

《感激》 
・喜びが「ツボにはまった感じ・勘所を押さえられた感じ」
 になって、興奮せずにはいられないこと。

・突然、魂が撃ち抜かれたようになって喜びの頂点に上り詰めること。
 有頂天になること。

・感謝の気持ちで一杯になり恩義を感じること。 


感動は「じわじわと」、感激は「突然に」、そういうイメージがあります。
感動するときには、初めての感情や感覚に戸惑いを覚えることがあっても、感激するときにそこには悩みはないと思えるからです。感激の本質は喜びだから、とても解りやすく感受しやすいのだと。

陳腐な表現で すみませんが、感動は さざ波から荒波、そして渦潮と、表情を様々に変える海のようで、強弱の違いこそあれ、やはり「浸る」というイメージがあります。
感激はというと雷雨のように、ビリビリと打たれる感じ(スコールや集中豪雨と言っても良いです)、「直撃・ピンポイント・どんぴしゃり」というイメージがあります。

また、感動は「存在そのものに魅かれること」にあると言えます。
ただ受け手になるだけではなく、自らも送り手となって分かち合えたならば、更なる喜びとなるものでしょう。…そう考えると恋愛と似た面があると思います。
感動が色褪せずに記憶の中に留まっているのは、印象の鮮やかさだけではなくて、ときに想起するような出来事に遭遇することがあるから、感動は感動によって呼び起される、そういった性質を持っていると思います。

そして、感激はというと「友情や温情を注がれる・幸福感を一身に浴びる」といった出来事で喜びが完成形になって届くことでもたらされると言えると思います。最大級の喜びが、花火のように鮮やかに真っ直ぐに心に届くので、感謝の気持ちもまた ひとしおとなるのでしょう。

端的に言うのならば、「何故、世の中にはこんなに素晴らしいことがあるのだろう?」と出来事やそれに携わった人に対して感慨深くなるのが感動で、「何故、私(みんな)のためにそこまで…」と感謝せずにはいられない気持ちが感激だと思います。

ご考察の一助となれば幸いです。
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直感で感じるのは、感動=(他)へ広がる感じ、感激=自身に向かってくる感じ。


適切な表現でもありませんが。
感動は他人にも伝えることが可能なようにも思います。
感激は感激したこと、感激していることは他人に伝えられますが、感激そのものはどうでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

たしかにもっと 普遍的な表現に近い言葉があるものとは思われますが、取りあえず私には、分かりやすく面白いです.。

ただし、この言い方では、違いが分かりやすくても、同一部への表現が曖昧過ぎるように思いました.

しかし、十分に参考になりました.
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 23:59

「感動」は、心を動かされたこと自体を直裁的に表現していますが、


「感激」は、心を動かされた結果として、心がどのように変化したのか、という点について表現しているのだと思います。
心が受けた直接的影響が感動で、受けた影響によって心に起きた変化が感激。
という気がします。
「○○」から受けた影響を素直に表現したい場合は感動。
「○○」かた受けた影響による心の変化(高ぶり)を表現したい場合には感激。
微妙な違いなのでどちらも共通して使える場面は多いと思いますが、どちらか一方でなくてはしっくり来ない場合も多いと思います。
思わぬ親切を受けて心が動かされた、という事実自体を素直に表現したい場合には、「思わぬ親切に感動した」。
その親切を受けて、自分がどのような気持ちになったかを表現したい場合には「思わぬ親切に感激した」。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何度か読み返しましたが、脳では理解できるものの、今ひとつ、しっくり来ないのです.

例文も有り難く拝見しました.
その例文に限れば、その通りですが、普遍性に欠けるような気がします.

感謝します。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 04:13

程度の差ではないような気がします。



誰か他の人の話しとかドラマや偉人伝など、自分が聞き役だとか、観客のような立場なら「感動」する
自分自身に嬉しいことがあった時に「感激」する

そんな気がします。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 分かりやすく面白い回答です.

 意味にこだわらなくても、明快な回答が出来ることに、「感激」しています。

 どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/05 01:14

 結論としては、明確な境界は無いと思います。



 その上で、感動と感激の違いを考えると、
 例えば、それぞれの言葉の前に、しみじみととつけて下さい。

 すると、
(1)しみじみと感動する⇒ありますね。⇒これを別の言葉で表現すれば「哀れ」です。
 古語で言えば、もののあはれとか。
 類似の言葉には、感慨があります。しみじみとした感慨にふける等です。

(2)しみじみと感激する⇒聞きませんね。
 しみじみとした感銘を受ける⇒使いませんね。

 次に、程度を表現する言葉、「とても」という意味で言うと

(1)ひどく感動して。

(2)いたく感激して。となります。

 要するに、ニュアンスは似ていますが、日本語として使われてきた風習の違いかと思います。

 ですから、時代の変遷と共に、使い方や意味まで異なってきてしまい、本来の使い方とは、極端な場合には、逆の意味になっているものすらあるからです。

 言葉って難しいですよねぇ~。

 豊かに表現する方途を身につけることで、相手に、より適切に伝えることができたらと願いますが、いざとなると、本当に私も自信がありません。あしからず。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 明快な論説ありがとうございます。
 「言葉って………」同感です。
 しかし、「風習の違い」や「時代の変遷」では切りの付かない、同一性と違いとを、この2つの言葉に感じるのです。

 どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 20:36

私は国語学者ではないので、正解だとは言えませんが。



「感動」は心が「動く」で、「感激」は「激しく」でしょう。

動より激の方がやはりより『激しい』のではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 確かに、そのような解釈は成立します。
 しかし、その解説だけでは、他に口を挟む余地があります。

 どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 20:32

感動、感激という抽象的な言葉を遣わずに、「ああ、感動としているのだな」とか、「感激しているのだな」と知れるような文脈で、文章とか、言葉を構成すべきと考えます。

よって、「感動した」とか、「感激した」という言葉を安易に用いる人は、私にとって胡散臭い人に思えます。本当に感動すると、人は、「感動した」とは言わずに、もっと感覚的な言葉を発します。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 その通りです。しかし、その上で言葉の意味を問うものと、お考えいただけると嬉しゅうございます。

 ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 20:30

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