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僕は現在大学1年生です。嫌な過去のことについて打ち明けてみるすることにしました。第二部に分けて打ち明けたいことがあります。
第一部は、小学校から中学校まで、いわば故郷に関してのことです。
僕は最寄りのコンビニまでいくのに自動車で8分程かける必要があるくらい、周りにはこれといった建物のないド田舎に生まれました。
父、母、姉、そして僕の4人家族は、いわゆる「機能不全家族」(少なくとも僕はそう思っています)でした。
父は、意気地なしで、子供にそんなに関心なさそうで、あまり遊んでくれませんでした。ですが今は、家族のなかで一番まともだと思っています。
母は、過干渉(例えば友達はあの子にしなさいと言った)、過保護(僕をあまり人前に出さなかった)、そのくせ面倒臭がり(冬の時期には小学生の頃の自由参加のクラブの送迎を嫌がって、参加するなとか言った)、ヒステリー(躾というよりは息子の僕に感情をぶつける感じだった)といった親でした。子供の気持ちも考えず自分は教育ママにでもなりたかったのか、周りの連中はバカだから遊ぶなと言って、子供の気持ちも考えず勉強にだけ力を入れさせたり(中学校の部活に関して否定的なことを言ってばっかりだった)、親として子供に対して言ってはいけないようなことを言ったりしてきました(自分のことを「バカっ子」「ガキ」と罵ることがあったり、やたらとあらゆることにたいしてネガティブなことを言ったりといった感じ)。
姉は、僕のことを何だかんだいっても大事にはしてるような感じでした。当時は勉強ができ、活発で気が強い姉で、短気ではあるものの内向的な僕のちょっとした憧れであると同時に、トラウマになるようなことを言ったこともありました(例えば、大人しいといじめられるよとか、家が小さいから友達を家には呼びたくないよとか言った)。ですが、うまくいかないことは親や他人のせいにしていました。また、両親、特に父のことを異常に嫌っていて、ちょっとしたことで家族全体が険悪な雰囲気になっていました。第一部では、姉の影響を受けてポジティブな気持ちになれたこともしばしばありました。
こういった家庭で育った僕は、子供の割にはどこか無気力で内気な性格になっていきました。小2の頃に小学校が合併するといったこともあって、転校してきて、あまり友達の家にいって遊ぶといったこともなく(ある程度グループとかできていた)、母親もアレのせいで、世間知らずに育ってしまい、周りから仲間外れにされたり、いじめを受けたりしたこともありました。
中学校時代は、小学校時代よりもかなりひどい目に遭いました。周りからは陰口を叩かれて馬鹿にされたり、部活ではいじめられたりすることがありました。部活では、上記のように、母から悪影響を受けたために、練習もきつく、部内の人付き合いも悪く、徐々に無気力になっていき、体たらくでふがいない思い出になってしまいました。
第一部での要点は、問題のある家庭に育ち、内向的で世間知らずな性格になってしまい、周りからは僕のことをあまり受け入れてもらえず、辛い思いをしたことです。
第二部では、主に高校から現在のことについてです。
姉は第一部で述べた問題に満ちた家庭でもめげずに努力して、仮面浪人を通して難関大に合格しました。僕も姉の影響を受け、県内の進学校に進学しました。
高校1年から2年までは自分でも受け入れられるくらいに充実した高校生活でした。強いて後悔することを上げれば、当時に過去を振り返って嫌な気持ちになったことと、もうちょっと遊んでおけばよかったかなといったことです。
姉とはケータイでよく電話して、たわいもない話をしたり、時には辛かった過去を打ち明け合ったりして、姉のことを信頼するようになっていきました。
しかし高校3年では、受験勉強でものすごく辛い思いをしました。当時を振り返ってみて、1番の原因になったのではと思うのはじつのところ姉との関係です。
というのは当時姉はだんだんとどこかしら精神的におかしくなっていき(おかしくなる原因を作ったのは姉の過去のことだと思われます)、自分のやり方、考え方を語り、僕に押し付けるようになりました。僕の考え方と異なると、それでも僕の考え方よりも自分の考え方が正しいと主張するようになりました。こんな風になってしまった姉との関係を切れなかったのは、両親、周りの人を信用しきれなかったということ、言ってしまえば自分が精神的に弱かったから、そして姉には今までの借りがあるからです。
姉の考え方に納得できるようにならなければという、一種の恐怖心に襲われるようになり、同時に自分が周りとは少し隔たっていくような感覚を覚えたこともあります。なぜならその考え方は一般には受け入れがたい、しかし過去に傷を抱えた自分にとっては受け入れてしまいたいようなものだったからです。
その頃から学校の勉強の方針と自分のしたい勉強方法にズレが生じてしまい、成績が伸び悩むようになりました。当時志望校にしていた京大からは少しずつ遠ざかってしまいました。11月くらいに姉に心境を打ち明けたところ、「京大はキビシイかもしれない」と言われ、受験勉強に対して熱意をだいぶ失ってしまいました。勉強はさらにうまくいかなくなり、センター試験もあまりよくなく、前期で京大の試験を受けられなくなりました。結論を言えば、京大には及ばないものの、難関大に合格したのですが、受け入れがたい受験生時代になってしまいました。
難関大に合格したものの、イマイチ達成感がなく、新入仕立ての友達作り、サークル選びにもこけてしまいました。そして、あまり心の通う友達ができず、もの寂しい生活を送るようになってしまいました。
この頃から、姉はさらにおかしくなっていき、とうとう7月には統合失調症になってしまいました。ちなみに現在も病院にいます。
第二部での要点は、信頼していた姉が崩壊していったことです。
こういった過去を経験した僕ですが、楽しかった思い出もあります。高校時代くらいからは、こういった過去にもめげずに、いろいろな作品に触れたり、不器用ながらも周りの人と接点を作ったりするように努力をしました。大学時代も、いろいろな作品に触れ、9月頃からバイトを始め、人付き合いも少しずつ頑張るようにしました。サークルはもう辞めてしまいましたが、充実した生活を送れるように前向きに努力するようになれました。
少しずつポジティブになりつつありますが、現在もすごく辛いことがあります。
一つ目は、人付き合いに関してですが、知り合いができても友達がなかなかできないことです。どこが人とうまく打ち解けられないのはルーツを辿っていくと過去にあると思います。
二つ目は、信頼していた姉が統合失調症になったことで、周りのひと、そして何よりも自分をうまく信じられなくなったことです。どこが人と話していても壁があるような感じがありますし、自分の行動が果たしてその人の心に届いているか疑問を感じています。
三つ目は、将来にすごく不安を覚えることです。自分も統合失調症、あるいは変な病気にかかったらどうしようかと不安になります。また、将来のなりたい職業も曖昧で今後どうなるのか不安です。
これが僕の大まかな過去のコンプレックスです。自分でも認めていることなのですが、過去が痛ましいものになった直接の原因は自分です。自分がもっと強かったら、もっと優しくなれていたら、もっと素直になれていたら、状況はもっと良くなっていたのではないかと思います。両親のことも、姉のことも、人付き合いのことも、部活のことも、受験勉強も、なにより自分も…
こんな自分でも、周りの人と認め合って楽しんだり、いろいろなことに挑戦したり、作品に触れて感性を豊かにしたり、恋人ができて、その人を守れるくらい強くなったりしたいと思っています。ただ、過去のことを思うとこういったことを実現するのはとても難しいのではないかと思ってしまいます。
この過去についてどうおもいますか?またこの夢はどう思いますか?長文で大変申し訳ないのですが、コメントをお願いしますm(__)m。
なお荒らし、中傷はご控えください。

A 回答 (2件)

要は、自分が劣悪なのは周囲のせいで、自分で改善のしようがないという事ですね。


うん、既に立派な病人ですので、神経内科か心療内科でしっかりとした治療を受けて下さい。
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大学1年生ということなので18か19歳でしょうか。


ご家族のことで、様々ご苦悩されてきたのでしょう。
「機能不全家族」、そこに貴方の悩みの結論を求めても、過去は変えることはできません。
貴方には未来しかないのです。

これからの人生をどう生きるかは貴方自身が決めることでしょう。
心から許せる友人や親友は、ほんの数人の方がほとんどだと思います。無理して知り合いを増やしてリア充っぽくふるまっても、真の友人と知り合うのは無理してできるものではないでしょう。

ただ、学生時代はお互いに利害関係がないので、社会人になってから知り合う人とは親密度は違ってきます。
1年生で学部はわかりませんが、ゼミや協力し議論しながら一つのことを成し遂げるという機会があるはずです。
勉学はどうなのでしょうか?バイトより充実しませんか。
同年代が無理なら、キチンと勉強すれば、教授とか講師の方と仲良くなれますよ。あと少数派なのでしょうが「この学問をやる」ために、その大学に入学した同期生とか。
学問を突き詰めていくと、他人の意見を聞きたくなり、そして議論したくなったりするものです。そういった時間を過ごしているうちに友人ができてきたりしますよ。

貴方様が単に「難解大」という選択肢で入学されたのなら、残念が。せっかく大手を振って学問研究に打ち込める場にいるのに。。。

高校大学と進学され、貴方様の努力はもちろんですが、そこまで到達するにはご自身ひとりで成し遂げたことでしょうか。
ご自身の親御さんを否定するのはかまいませんが、少しでも楽しい思い出や親御さんのご苦労などを少し考えるご年齢になっているのではないかと思います。

少々でもいいので感謝の気持ちなどありせんでしょうか。「感謝」の気持ちがなければ人は本能的に距離をとります。
貴方様は高校大学とご自身のお金や住居、生活費を調達して生きてきたのでしょうか。
親御さんに限らず、先人の方々の努力によって、今の日本があるです。
コンビニまで車で8分、比較論からすると私の田舎はコンビニないです。島なので。便利じゃないですか。いいな。

お姉さまのご病気は誰しも罹患する可能性のあるものです。

誰しも自分のことを他人に100%理解されることは不可能です。
誤解されること、嫌われること、いじめられること、阻害されること、嫌なことはいっぱいあります。

今現在、苦悩されていることが、今後の人生にきっと役立つと思います。

「機能不全家族」論は安易に使わない方がいいかと私は考えています。だって対象物が「機能完全家族」でしょ。そんな定型的な人形家族など存在しません。
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます。

個人個人の過去は十人十色だし、それだから、考えや価値観も十人十色ですよね。納得できるものもあるし、そうでないものもある。100%理解するのは難しいわけですね。ただ、人が生涯に何らかの形で築き上げた考えを否定するのはおかしいとは思いますね。

勉学は思えばあまり頑張ってないな…ただ強いて言うなら以前よりは頑張っている気はします。振り返ると勉強で議論した記憶ってないような気はします。議論することで、以前よりも賢くなるし、仲間意識も作れるというのは一石二鳥ですね。

100%認められる親ではないし、もし過去に悩みの結論を求めてしまえば一生許せない人間になると思います。でも、そんなことをしても僕が朽ちていくだけでしょう。正直のところ、姉は過去に異常に固執してました。それが統合失調症につながってしまったのは紛れもないことでしょうね。

正直今親がいなくなってしまえば、またまた苦労に苦労を重ねた日々になるんだろうなと思います。父は登下校の際に車で毎朝駅まで送ってくれて、降りる際には、「いっておいで」と言ってくれました。そういったなんてこともないことでも、言葉ではうまく言い表せない温かみを感じることができるようになりましたし、だからもう少し素直に会話したいなと思っています。そうすれば感謝もおのずとできるようになるとおもいます。母とはもう少し時間がかかるかなとは思いますが…それでもいつかは…

姉とのことも統合失調症になってからは、否定しがちになってしまいました。それでも、姉が僕を励ましてくれていたのは真実ですし、何とかして励ませればいいなと思っています。

ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2013/11/13 02:15

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