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仏教の開祖は釈迦ですが、阿弥陀如来の概念は釈迦が作り上げたものなのでしょうか?
それとも、それ以前からあった概念を利用したものなのでしょうか?
そうでないとすれば、どの分派がその概念を生み出したのでしょうか?
(さまざまなヒンドゥー教の神々が、後々取り込まれているようですが、そのひとつなのでしょうか?)
同じように、大日如来についても、その生まれがよくわかりません。

足利学校と鑁阿寺に旅行に行き、唐突に仏教に興味を持ちました。
にわか勉強ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

 釈迦の言った言葉をそのまま残した書物はありません。



 仏典は、釈迦入滅後に、弟子たちが聞き覚えていたことをもとにできていますので、すべて「如是我聞」・・・ 私はかくのごとく聞いた、で始まります。

 したがって、阿弥陀如来にしろ、大日如来にしろ、弟子たちが記録した経典の話や他宗教をもとに、後世作り上げられた存在だと言ってよいでしょう。

 例えばAという宗教の信者を「平和裏に」改宗させるには、Aの主神よりも仏教のほうに強い神様がいるのだ、Aの主神はかくかくしかじかの経緯を経て、仏に負けたのだと説明(折伏)するのが、一番手っ取り早いからです。

 平和的宗教は、そういう過程でいろんな宗教の影響を受け、いろんな宗教の神を取り込んでしまう宿命にあります。

 (唯一神を信じる宗教の場合は過激で、そんな手間のかかる説得はせず、圧倒的な信念・武力を背景に、改宗か!納税か!戦争(死)か!と問うてオシマイです。他宗教は全面否定の対象ですので、ある意味純粋です・・・ それでも実際はサンタクロースなど土着宗教の影響を受けますが)

 大日如来は、帝釈天と戦うあの阿修羅と同系統の宗教(大本はゾロアスター教だったと記憶)から入ってきた仏様(阿修羅族の神)だそうです。

 宇宙万物の根源的存在として密教に入り、大いに尊崇されました。

 大日如来は、全宇宙(曼荼羅)の中心に存在しているだけで、阿弥陀如来などのように、なにかしてくれる存在ではないはずです。

 しかし言い方を変えれば、全ての菩薩や如来は大日如来から発生しているので、大日如来は諸仏の王であり、大日如来像だけは王冠を被って作られ(描かれ)ます。

 その大日如来に祈れば全ての仏・菩薩に祈ったことになるの・・・ カモしれません。
 
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この回答へのお礼

さっそくのご回答、ありがとうございました。

きわめて明快な回答で、すんなりと理解ができました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/17 11:31

>阿弥陀如来の概念は釈迦が作り上げたものなのでしょうか?


「概念」となると難しいのですが、取敢えず阿弥陀如来と釈迦本人とは直接関係はありません。

>それ以前からあった概念を利用したものなのでしょうか?
利用と言いますか、概念から生まれてきたと考えた方が宜しいかと思います。

>どの分派がその概念を生み出したのでしょうか?(さまざまなヒンドゥー教の神々が、後々取り込まれているようですが、そのひとつなのでしょうか?)

仏教のザットした歴史を眺めてみませんと御理解が難しいかと思います。
 
インダス文明と呼ばれるインドの古い文明の中から、ヴェーダ宗教と呼ばれるものが形作られていきました。
このヴェーダ宗教の中にバラモン教とよばれる宗教が生まれ、シャカもこの宗教の基で修業を修めました。
このバラモン教が一時衰退した後にヒンズー教と呼ばれる形で復活して今日まで伝えられています。

一方仏教は、釈迦がバラモン教の教えの延長線上で独自の宗教理論を展開したのが初めです。
釈迦の考え方は、釈迦が亡くなられた後も弟子たちによって代々つたえられていきました。
年代が経った結果、弟子たちの間に色々な考え方や解釈の違いが出てきて、沢山のグループに分かれました。
このグループの中の一つが、タイやミャンマーなどの現在も伝わっている南方仏教(小乗仏教)と呼ばれるものです。

釈迦が亡くなられてから500年位経ったころに、この色々に分かれていたグループを横断した形の宗教理論を構築しようという動きが出てきました。
これがのちに北方仏教(大乗仏教)とよばれるものです。
この大乗仏教が中国に伝わり、中国語即ち漢文に訳されました。
漢文に訳されると同時に中国の人達の思想も取り込まれていきました。

この中国で広がった教えが日本に伝わりました。
日本には、6世紀の初めに伝えられた教えと、次に9世紀に密教という形で伝えられた教えと、12世紀頃に日本独自の解釈を加えた教えが、現在も受け継がれています。
日常的に仏教と一言で言い表しますが、日本の仏教はある意味で複合体です。
これが、我々庶民にとって仏教を判り難くしています。
特に、日本独自の解釈の中に、古代から受け継がれてきていた神道の考え方が溶け込んでしまった為に非常に判り難くなっています。

>大日如来についても、その生まれがよくわかりません。
大日如来というのは、9世紀に伝えられた密教の教えの中に現れた仏さまです。

ザットご説明しましたように、現代の日本仏教には、古代インドで生まれた神から日本で生まれた神や中国で生まれたものまで全部含まれています。
どの仏様の初めは誰か、何時誰が考えたのか、ということを近代的な科学的思考で理解するのは不可能です。
仏教という宗教の性格が複雑なのと、インドの人達が歴史というものには全く無関心だったことから、文献資料が全くと言っていいほど残っていないことも大きな原因の一つです。

インドには、いわゆる輪廻転生という考えかたがあって、全ての事象はグルグル回っているだけと考えます。
時間軸に従って時系列で物事を考えるという方法は取りませんでした。
歴史などという時間軸を遡るような考え方はしません。
現在でもインドにはお墓というものはありません。
死んでもまたグルリと一周して戻ってきますから、古くなった遺体には何の用もありません。
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この回答へのお礼

さっそくの回答をありがとうございます。

ご親切な説明でたいへんわかりやすく、感謝しております。
特に、輪廻転生という考え方と物理的な時系列の比較の話は、
たいへんおもしろく、とても興味深いものがあります。
また、お墓の話も初めてで少々驚きました。

貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/17 11:56

大体の意味合いはWikiを読めばいい。


釈迦仏教の根本の一つは、神と仏の違いです。
仏性について調べてみましょう。

厨二病をこじらせたラノベのキャラではない事は確かですw
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この回答へのお礼

早速の回答をありがとうございました。

私の質問の仕方が悪かったのでしょう。
「概念」の内容は、Wikiで調べています。
その「概念」の創造者が誰かを、知りたかったのです。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/17 11:34

如来とは悟りを開いた人。

釈迦以外にも阿弥陀、大日、他色々な人がいる。もともとの仏教には神という概念はなかったはず。ちなみに菩薩は悟りを開く修行をしている人。修行中なので、如来と違い仏像でも、装身具をたくさんつけている。そのため、仏像で美術的価値が高いのは如来像でなく、菩薩像に多いらしい。
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この回答へのお礼

さっそくの回答をありがとうございます。
私の質問の仕方が悪かったようです。
「概念」の内容のことではなく、
その「概念」そのものの制作者(創造者)が誰か、が知りたかったのです。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/17 11:26

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Q阿弥陀如来と大日如来

釈迦如来は俗に言うお釈迦様なので理解できるのですが、なぜにその上に阿弥陀とか大日を作ったのでしょうか。キリスト様の上にゼウスを作るのと同じと思うのですが、それゆえに観念的で理解しずらいのです。
個人的にはお釈迦様の教えやキリスト様の教えで良いと思うのです。権威を高める効果よりも権威をおとしめる効果の方が強いと私は思うのです。また孔子様の上には居ないと思います。なぜなのでしょうか。

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

☆結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。
◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
大乗仏教において、仏陀の拡大が行われた、と考えるべきなのでしょう。
そして、応身、報身、法身という仏身の考え方は、大乗仏教特有なものです。
いわゆる小乗仏教では、こうした仏身の考え方をしません。
小乗でかつて最も有力な学派であった説一切有部は、思弁的な存在としての法身の存在は認めていましたがね。
といいますか、
法身というものを考えついたのは、説一切有部らしい。



☆東南アジアの仏教では釈尊が崇拝されています。
◇東南アジアの仏教は、テーラヴァーダと呼ばれる、小乗仏教の一派です。
ですから、阿弥陀仏や大日如来を仏陀としては認めていません。
ただし、
彼らの経典に登場する、釈迦以前にいたとされる六仏の存在は認めています。



☆阿弥陀如来も薬師如来もクリクリ頭ですが、大日如来は帽子をかぶって頭を隠しているのです。
◇大日如来のあの姿は、インドで生まれた密教の経典に書かれており、それを図像として表現したものです。
頭に冠かぶり、光り物を付けている姿は、実は、菩薩の姿なんですよ。
パンチ頭姿でネックレスなどの光り物を付けない姿が、仏さまの姿。
じゃぁ、何で、大日如来は菩薩の姿で書かれているの?
これは、分かりません(ポリポリ)。
「他の仏(釈迦や阿弥陀仏)などと区別、差別化をするためで、
仏の中の王者であることを表わすために、冠や光り物を身につけているのだ」
という説なんかは存在しますが。
ちなみに、奈良の大仏も大日如来です。

で、何で、菩薩は冠やネックレスなどの光り物をつけているかですが、
菩薩の姿は、出家前の釈迦の姿なんですよ。
お釈迦様は、出家前、王子だったから、冠や光り物を付けていた。
だから、菩薩は冠やネックレスなどの光り物を身につけている。

チベットには、日本に入ってこなかった、インド最末期の仏教(密教)が入っているので、チベットで描かれる大日如来の姿は、また、日本のそれとは異なっています。
チベットの大日如来には、お妃がいますしね~♪
そして、お妃とエッチなことをしている姿で描かれていたりします。
───これはこれで、深い意味が込められています───

仏さまにも、時代によって流行り廃りがあるようで・・・、
これ以上書くと混乱させるだけなので、止めておきます。


☆インド人ではないと言っているかのごとくです。大日如来は中国人が作ったものなのでしょうか。
◇ですから、大日如来は、インド人が作ったものです。
ただ、それを絵や仏像として表現する時には、
中国ならば中国人的な顔に、
日本ならば日本人的な顔になりますけれど。
ですが、
その姿は経典などに書かれています。

お礼、ありがとうございます。

☆結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。
◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
大乗仏教において、仏陀の拡大が行われた、と考えるべきなのでしょう。
そして、応身、報身、法身という仏身の考え方は、大乗仏教特有なものです。
いわゆる小乗仏教では、こうした仏身の考え方をしません。
小乗でかつて最も有力な学派であった説一切有部は、思弁的な存在としての法身の存在は認めていましたがね。
といいますか、
法身というもの...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Aベストアンサー

歴史上の釈尊が悟られた「法(ほう<ダルマ>)」そのものを尊格化した仏が大日如来です。このように法そのもの尊格化した仏を「法身仏(ほっしんぶつ)」といいます。
教科書的に言うと仏教を開かれたのは釈尊ですが、たとえ釈尊が存在していなくとも、法そのものは始まりも無ければ終わりも無く永遠に連綿と存在しています。そしてその法(=大日如来)は、この宇宙を構成するすべてに包括されていて、一切のものは大日如来の顕現であります。それを図式化、視覚化したものが曼荼羅です。そしてその法はすべての衆生が悟ることが可能であると密教は説きます。こう考えるとこの法を悟られ、そして説かれた釈尊の偉大さがよりいっそう際立つと思いませんか。

Q釈迦と阿弥陀如来の関係

今日「阿弥陀如来は釈迦の先生だよ」という人に会いました。
またネット検索をかけると、「阿弥陀如来はフィクションの存在である」と書いてあり、どちらが正しいのか分かりません。
どなたか分かる方がいましたら、ご回答ください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

歴史的なものの考え方と思想的なものの考えかたを混同されますと、混乱して誤解を生じますので注意して下さい。
今日「阿弥陀如来は釈迦の先生だよ」という人に会いました。とありますがこの方は思想上の話をされています。
ネット検索をかけると、「阿弥陀如来はフィクションの存在である」と書いてあり、・・・
ネットで記載された説明は歴史的なものの考え方に基づいて説明しています。

歴史的なものの考え方が正しいのか、思想的なものの考え方が正しいのか、という議論は無意味です。
生き物について議論する際に、生物学的な考え方が正しいのか、化学的が正しいのか、物理学的なのが正しいのか、ということを議論するのと同じことです。
物理学の世界で言えば、エネルギーの集合体である、という答えがでます。
化学の世界であれば、分子が結合した高分子の集合体である、という答えがでます。
生物学の世界であれば、なに科、なに属、なに種に属する生き物である、という答えがでてきます。
どの答えが正しいとか間違っているとかは言えません。

釈迦についても同じではありませんでしょうか。
釈迦という歴史上の人間について議論するのか、釈迦の思想について議論するのか、では議論する対象が変わってきます。
阿弥陀如来についても、歴史的に何時から思想上に現れたのかを議論するのか、阿弥陀如来の思想について議論するのかでは議論の内容が全く異なります。

歴史的なものの考え方というものも
歴史学であれば文献資料に基づいて議論されます。
考古学であれば遺跡や遺物に基づいて議論されます。
この観点からすれば、阿弥陀如来に関する文献史料は釈迦に関する史料よりも400年~500年ほど後のものとされるものだけが見つけられています。
文献史料に基づけば、法華経と呼ばれる経典は釈迦が亡くなられてから400年~500年後に、当時の人達が作り上げた経典であるとされています。
少なくとも釈迦という歴史上の人物は与り知らない経典ということになります。
つまり、歴史学的に言えば、法華経を元にして釈迦について議論されても、釈迦本人は困惑してしまいます。

一方思想上からであれば、釈迦は修行して悟りを得たとされますが、釈迦が修業したのは如何なる思想に基いて修行したのか、ということを考える必要があります。
思想の連鎖というものを考える必要があります。
詳しくは下記のサイトをご参照ください。

古代思想は何処へ行ったのか
http://journal.seijo.ac.jp/gslit/student/europe/pdf/eur-020-01.pdf

仏教思想においては、仏は釈迦以前の遠い昔から存在していたとされます。
阿弥陀如来も仏の世界の一員ですから、釈迦に教えを説くことは可能であるということになります。
思想の連鎖という観点からしても、釈迦の思想に後に仏呼ばれる概念についての思想が影響を与えていたと考えられます。
この概念の象徴として阿弥陀如来が影響を及ぼしたと言ってもあながち間違いとは言い切れなくなります

誰が如何なる背景に基づいて発言しているのか、ということを常に考える習慣をつけられることをお勧めします。
その意見を信じるか信じないかはあくまでも質問者さんの問題です。
他人が信じるから信じる、信じないから信じない、ではどうにもなりません。

歴史的なものの考え方と思想的なものの考えかたを混同されますと、混乱して誤解を生じますので注意して下さい。
今日「阿弥陀如来は釈迦の先生だよ」という人に会いました。とありますがこの方は思想上の話をされています。
ネット検索をかけると、「阿弥陀如来はフィクションの存在である」と書いてあり、・・・
ネットで記載された説明は歴史的なものの考え方に基づいて説明しています。

歴史的なものの考え方が正しいのか、思想的なものの考え方が正しいのか、という議論は無意味です。
生き物について議論す...続きを読む

Q釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来

如来というのは仏のことですよね。
仏教を開いたのはお釈迦様(ゴータマシッダルタ)と聞いていますが、
その人物が釈迦如来ですか?
釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来は別人ですよね。
しかし同じ境地に達した人なのでしょうか?
時代的に言うと3人の前後関係はどうなっているのでしょう?
お釈迦様が仏教を開いたのに、3人は同格なのでしょうか?
お釈迦様は仏教で最高位ではないのですか?

これらのことについて全くわからず、少し調べてみたのですが難しくてよくわかりません。
わかりやすく教えていただけたらうれしいです。

Aベストアンサー

ANo.1です。

>ということは、観音様や~菩薩というのも実在した人物というわけではないのでしょうか?

そうですね。実在した「菩薩」は、修行時代のお釈迦さまだけで、観音菩薩も地蔵菩薩も、実在の人物ではありません。
「行基菩薩」など、実在の高僧が“生き神様”みたいな意味で、「~菩薩」と呼ばれたりすることはありますが、お寺などで「○○菩薩」としてお像が祀られているような菩薩、経典に書かれているような菩薩は、皆フィクションです。

観音菩薩を初め菩薩方は、薬師如来や阿弥陀如来よりも、さらに我々衆生に近い存在として描かれています。
お悟りを開かれた最高の存在である仏さまよりは、まだ修行中の身である菩薩さまの方が、衆生に近い存在、親しみやすい存在ということです。
社長に直接お願いするよりは、営業の社員にお願いした方が、取引がスムーズにいく……こんな譬えをすると、また宗教家の方からは怒られるかもしれませんが、そういったイメージだと思います。

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q釈迦の位置付けって?

学生のころ、「如来とは悟りを開いた人で、菩薩とはもうすぐ如来になる人だ」と習いましたが…
阿弥陀如来、大日如来、薬師如来…等、宗派やお寺によっていろいろなご本尊がいらっしゃいますよね。それぞれの宗派(という呼称が正しいのかわかりませんが)にとって、お釈迦様はどのように位置付けられているのですか?釈尊も「釈迦如来」という呼ばれ方をしますが、対等な立場でそれぞれ違った悟りを開いたということなのでしょうか?
過去の質問は読んだつもりですが同じような質問があったら申し訳ありません。

Aベストアンサー

ご質問のポイントがはっきりしましたので、再度回答させてもらいます。

>「~宗にとっては釈迦如来よりも~如来のほうが上」とかあるのかな

およそ伝統的な宗派では釈迦如来を否定することはありませんが、“格下”に位置づけることが全くないとも言い切れません。幾つかのパターンがあると思います。

まず、阿弥陀如来を至上の存在とする浄土宗や浄土真宗では、釈迦如来は特に礼拝の対象とはなっておらず、あまり大した扱いを受けていませんが、それでも否定されているわけではありません。少し詳しく見れば、むしろ大変尊敬を受けていることがわかります。

例えば、これらの宗派が拠り所にする浄土三部経のひとつ、「無量寿経」には阿弥陀如来のいわば来歴が語られています。阿弥陀如来は遥か昔には宝蔵という菩薩だったこと、誓願をたててそれが果たされるまでは菩薩でいることを誓ったこと、今は西方十万億土の浄土にいること、などが阿難ら仏弟子に語られるのですが、その語り手が釈迦如来なのです。
つまり、遥か昔の阿弥陀仏の生誕から成道まですべて見てきた、言わば全智の語り手の立場にあるのが釈迦如来なのです。信仰の現場では阿弥陀如来一本槍ですが、釈迦如来はちゃんと然るべきポジションを得ている、と言えると思います。

一方、法身仏である大日如来を礼拝する密教では、少し複雑なのですが、ざっと言えば“大日如来の主たる化身として”釈迦如来を高く位置づけています。

実際に曼荼羅を見れば、五智如来といって大日如来の5つの智慧を5人の如来で表した部分があるのですが、その5人(大日如来、阿弥陀如来、多宝如来など)の中に釈迦如来も入っています(名前は不空成就如来となっていますが、釈迦如来と同じこと)。
要するに、宇宙の働きそのものである大日如来が表す真理をわかりやすく衆生に伝えるひとつの姿として釈迦如来が位置づけられていて、釈迦如来を通じて人は大日如来の真理に通じることができるのだ、というわけです。

こういった教義を厳密に適用すれば、釈迦如来よりも法そのものである大日如来のほうが格上、という理解や信仰もあり得るとは思います。先に書いたように、釈迦如来は法の部分集合ですから、お釈迦さんが釈迦如来となれたのも、それは法が万古不易で存在するからこそ、つまり大日如来の御蔭なのだ、と言い得るわけですから。

ただし、現実問題としてやはりその法を説いた歴史上のお釈迦さんの存在を全く意識しないというわけにはいられないのもまた自然ですし、その大日如来の先にまたお釈迦さん、あるいは釈迦如来を投影してみる感覚も否定できませんから、このあたりの意識は少し複雑ですね。お釈迦さんと法、釈迦如来の間の関係は入れ子構造になっているからです。
(例えば真言宗寺院で、大日如来を本尊としながら釈迦牟尼仏を脇や別院に祀っているところは割と存在していて、法であって人格性の薄い大日如来一本槍では済まされない、という信仰の現実が伺えます。)

結論としては、法身仏を頂くところでは、原理的に「こちらが釈迦如来より上」という言い方はできるのですが、実際には、必ずしもはっきり上下を打ち出さない場合の方が多い、ということではないでしょうか。

ご質問のポイントがはっきりしましたので、再度回答させてもらいます。

>「~宗にとっては釈迦如来よりも~如来のほうが上」とかあるのかな

およそ伝統的な宗派では釈迦如来を否定することはありませんが、“格下”に位置づけることが全くないとも言い切れません。幾つかのパターンがあると思います。

まず、阿弥陀如来を至上の存在とする浄土宗や浄土真宗では、釈迦如来は特に礼拝の対象とはなっておらず、あまり大した扱いを受けていませんが、それでも否定されているわけではありません。少し詳しく見...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む


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