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第二次大戦以前、自動車が普及していなかった当時、弾薬や大型の武器(重機関銃・山砲・迫撃砲など)を兵士が担いで運んでいたそうですが、こういう兵士は行軍中自分の背嚢はどうしてたんですか?背囊がないと生活できませんよね。

A 回答 (5件)

>こういう兵士は行軍中自分の背嚢はどうしてたんですか?背囊がないと生活できませんよね。



 背嚢を背負った上で、分解した大砲を肩で担いで運ぶのですが…。
 (実際に、戦場へ行った歩兵等の人の手記などでは、その苦行を見かねて背嚢などの荷物を分割して持ってあげた何て話は良くありますが…。)

 九二式歩兵砲だと分解したのを十人で運びますから、一人当たり20Kg強です。
 背嚢が3~40Kgとしても、別段不可能な数値ではありません。
 (現在の自衛官でも、ロケット弾や機関銃等の担当は、背嚢とは別に1~20Kg程度の荷物を運びます。)
 
 まして青函トンネルが開通する前では、青函連絡船の手荷物に制限が無い事を理由に、小柄な女性が背に100Kg近い米を背負って北海道へ運ぶ何ていうのが日常的に行われていたのですから…。
 (「かつぎ屋」のお母さんなど)

 まして、砲兵は元々、一般歩兵より体格が頑強な者が優先して選ばれます。←弾薬分隊はそうでもない様ですが…。
 (戦況が不利に成るとそんな事言ってられませんが…。)

 まあ、兵隊さんに必要なのは自分の体重以上の荷物(背嚢+α)を背負って戦える体力な訳ですから、5~60Kgでヘバッテもらっては困ります…。
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日本軍の装備で良いですか?


重機関銃には前に2本、後ろにコの字型担ぎ棒を取り付けて4人で持ちます。お神輿の原理です
山砲は基本馬匹ですが、人力の場合は紐と取っ手(付いている)で引っ張ります
迫撃砲は砲身・底板・脚を分解して運びます。これは自衛隊でも米軍でもやっています。

あと、根本を勘違いしているんだと思いますが、背嚢無くても生きれますよ。
背嚢に入ってるのは着替えとかですから…
緊急用食料は雑嚢に入れるんです
基本は輜重部隊が毎日食料を届けに来ます
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基本的には、バラしてみんなで分担して担ぎました。

例えば日本軍の92式重機関銃の場合は、下士官1名(指揮官)に兵士10名、馬2頭で1丁の銃を担当する編成になっていました。1丁の銃を10人がかりなわけです。
自動車が普及した今でも、軽機関銃(銃の性能が発達した現代では、車載型を除けば重機関銃はほぼ廃れています)や軽迫撃砲や対戦車ロケット砲なんかは兵隊さんが自ら背負っています。
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早速のお礼ありがとうございます


人の足で行軍できない場所は馬やロバを使ったりして運んでいました

第二次大戦以前というと近代というイメージですが
馬やロバは戦場にも投入されていましたよ
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背嚢を専用に運ぶ背嚢部隊がありました

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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
背囊って20キロくらいありますよね。
平地ならリヤカーに乗せて引けばいいですけど
山岳地や不整地の場合・・・
あれを2つ背負って行軍するんですか?

お礼日時:2013/11/26 19:26

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