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かなり前のテレビで、死刑の是非を問う番組をやってました。

その中で、誰かが「何故、加害者の人権ばかり言うんだ?被害者の人権は無視なのか?」と、人権屋の女弁護士に聞いたところ、「あのね、[人権]とは生きてる人間にしか無いの。亡くなった人にはないの」と、さも[お気の毒]と言わんばかりに言ってました。

[何故、被害者に人権が無くなったか]は関係無しとばかりに、「だから、加害者の人権は守らなきゃならないの」と駄目押し。

これには、皆、絶句。

これが、死刑反対論者の考えのようです。死刑反対派弁護士は人間の屑であることが分かる。加害者に殺されて人権が奪われたのが事実。

以前は、裁判に[遺影を持ち込むのは禁止]でした。

理由は

・被告が動揺するから

・モノの持ち込みは、そもそも禁止だから

皮肉な事に、[死刑廃止論者の人権屋弁護士]が、妻を殺されて[被害者遺族]になり、そこで初めて、被害者や遺族が、いかに踏みにじられているか知り、[被害者遺族の会]を作り、[被害者の尊厳と遺族感情]に配慮するようになりました。

弁護士をもってしても、自分が[その立場]に立たなくては、何も気が付かなかった訳です。
岡村弁護士について調べると分かります。

何も悪い事していない人が殺されて悪い奴が生きている事がおかしいと思います。身勝手な動機の殺人で被害者1人だからと死刑にしないとか言う裁判官もキチガイだと思います。殺人だろうと傷害致死、危険運転致死、危険運転致死だろうと人を身勝手に死なせた罪は法定刑死刑だけにしてほしいぐらいです

冤罪は全ての刑罰も冤罪あります。冤罪で死刑、懲役があるから刑罰止めましょうと理屈
冤罪の可能性ある死刑囚は死刑執行しません。
よく死刑反対派が飯塚事件で死刑執行され冤罪とほざくがDNA鑑定以外に久間元死刑囚の車から被害者の血液と尿が検出されていて完全に黒。足利事件の冤罪は出鱈目DNA鑑定だけで犯人扱い、飯塚事件と訳が違う
死刑反対派は死刑囚がやった殺人見た事ないから綺麗事言えると思います。

ぼくは高卒で馬鹿ですが、有識者の皆さまは いかがお考えですか?

A 回答 (4件)

冤罪や犯罪被害者軽視を別として、簡単に言うと死刑は野蛮な刑罰だから廃止しましょうと言うのが先進民主国家の行き方だからです。

何度も言いますが死刑はイスラム国家や朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国での権的な国家の刑罰です。日本も早く先進民主国家、文化的国家の仲間入りしましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/02 08:43

 死刑に関しては、被害者の家族でもないあなたが、加害者をそれほどまでに死刑にしたがる理由はどこにあるのでしょう。



 被害者の人権、家族の心情を、あなたが想像すると加害者は死刑にした方がいいと言うことですね。その想像力の豊かさとあなたの心情はわかりますが、第三者であるあなたの想像や心情が、加害者を死刑にすべきであるとする根拠になるのでしょうか。

>死刑反対派は死刑囚がやった殺人見た事ないから綺麗事言えると思います。

死刑賛成派のあなたが死刑囚がやった殺人を見た事があるから、綺麗事ではないこと言えるのであれば、その経験のない私からは何も言うことはありませんが・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/02 08:44

確かにその立場にならなければ分からないことは一杯あります。



ただし、岡村弁護士にしても、だから死刑賛成者に回っている訳ではありません。被害者に立った側の人権があまりにも、加害者の方に比べて低いため、全国犯罪被害者の会を立ち上げて、被害者、及びその家族の人権を、せめて加害者と同等とすることは、人間の基本的人権を守ることだからこそ、行っているのです。
裁判員制度が始まる前から、少しづつ犯罪被害者への意識の高まりが増えてきましたが、犯罪被害者、及びその遺族の方達は、この基本的人権が被害者側にないことを問題視しているのであり、死刑制度の存続について活動している訳ではありません。法治国家なので、感情論としては身内が殺された場合、相手に死んで欲しいと思うほどの憎悪を持つのは当然ですが、彼らからすれば、全てを明らかにし、自分のやったことを認めて謝罪すること、それを被害者の側が法曹界で閉じられているものを、事件の当事者でもある自分達にも開いて欲しいということなのです。目には目を、は当然感じる感情ですが、それは自分達への人権のなさを感じるがために、何も分からないまま加害者が守り続けられるのはおかしい、それならば相手だって死んで平等になるべきだと言う怒りからなのです。

死刑制度に関しては、同じ被害者の方達の間でも別れています。山口県光市の母子殺人事件の遺族である方は、極刑でもって罪を償うべきだと強い思いにかられていましたが、本当に死刑と言うもので罪を償えるのか、という問いから、自身がアメリカに行って死刑囚等に面会したり、ありとあらゆる方面から探り、死刑という極刑が目の前にあると言う事が、加害者を真の反省に導くことができると言う結論に彼は達したから、死刑を持って償いを求めました。
しかし、同時に死刑になった途端、謝罪の言葉もなく加害者が世の中から消えて、さらにむなしい思いをしている被害者の方達も多くいます。それよりも生きて罪の償いをし、謝罪をして欲しかった、とも言う方もおられます。

人権派の弁護士の中には、変な人がいるのも確かですが、死刑制度と言うよりもむしろ絞首刑という刑の執行法が残酷なのではないかと言う人が多いと思います。これは元刑務官の方達が持つ、大きなトラウマです。
あと、死刑を目前にして、本当に改悛した人が死刑となって良いのか。これも大きな課題です。日本では死刑までに随分と時間がかかります。それまで、今日自分の名前が呼ばれるのか、今日は呼ばれなかったが、明日か、と待つ間、やはり自分を見つめざるを得ないことは確かなようです。これは山口県光市の遺族が、この点はやはり死刑という刑があってこそ、確実に加害者が行う内観だと結論付けたものです(しかし、これは彼個人が自分のケースのみに絞って考察した結果で全ての遺族にはまるものではありません)。

悲惨なニュースを聞けば、当然怒りも湧きますが、事件に関係のない人達が「死刑は当然」と言うのは、少し違うと思っています。むしろ、事件に関係がない立場だからこそ、なぜ死刑が当然なのか、当然でないのか、を、色々な立場の人間から聞いて考えて行くべきだと思います。感情論だけで進むのは、また被害者の方達とも違う方角に進んでしまうと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/02 08:45

わたしは有識者でもなんでもありませんが、あなたに同感です。



被害者軽視の風潮がひどすぎると思いますね。

殺され損ですよ、何の落ち度もないケースだっていっぱいあるでしょう。
本人はもちろん遺族もあまりの理不尽さにやり切れないでしょう。

しかもそんな殺人犯が何年か経って、ほとぼりが冷めればシャバに戻ってきて、普通に酒を飲んで女と遊び
笑って暮らしている。

ありえませんね。
被害者一人だから死刑適用外? 冗談じゃありませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>被害者一人だから死刑適用外? 冗談じゃありませんね。
そうですね。どうせ死刑になるのなら、できるだけ沢山の人を殺した方が得ですね。

お礼日時:2013/11/30 11:35

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