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「春眠暁を覚えず」は、よく使われる言葉ですが、ほとんどが本来の意味と違って使われていると思います。
そこで「春宵一刻値千金」の正確な意味も知りたいので教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

「春眠暁を覚えず」は孟浩然の「春曉」ですが、「春宵一刻値千金」は北宋の蘇軾(蘇東坡)の「春夜詩」ですね。



春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん)
花有清香月有陰 (はなにせいこうあり、つきにかげあり)
歌管楼台声細細 (かかんろうだいこえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)

歌管=歌と楽器の音。
楼台=高殿。
鞦韆=(女性が遊ぶための)ブランコ。
院落=中庭。
沈沈=日本語で言えば深々でしょう。

ということで素直に訳すとまあこんな感じでしょうか。

春の夜は、何とすばらしく値打ちがあることか。
花のいい匂いが漂い、月はいい具合に霞んでいる。
高殿から聞こえていた音曲ももうおさまったようだ。
中庭のブランコに今夜は静かに更けていく。

で、わたし流の解釈はといえば、・・・・。
きっと作者は、高殿の宴会から意中の女性を連れて中庭に抜け出したのではないでしょうか?
暑からず寒からず、とてもいい気持ちの春の宵だ。
霞んだ月のおかげで回りからは見られる心配もないし、女の髪の甘い匂いにうっとり。
先ほどまでの宴会も、いつのまにか終ったようだ。
ふたりブランコで寄り添い、愛を語らいながら、ずっとこうしていたいなあ。
・・・・といった気持ちを詠んだのではないかと想像しますが

蘇東坡といえば中華料理でブタのバラ肉を蒸したあの東坡肉(トンポーロー)も彼が考案してその名を今に残していますね。
きっと人生を楽しむ達人だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なんとも良い詩ですね。
shishishishiさん流の解釈を読むとその情景を鮮明に想像することができました。昨日、会社の帰りに涼しくてあまりの心地よさにふと「春宵一刻値千金」という言葉が思い浮かびました。詳しいご解説ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/21 11:41

国語辞典ででてきます。


蘇軾の「春夜詩」にでてくる文で
元の意味はそのまま「春の夜の一刻は千金に値する趣がある。」です。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/1373/ko …
「一刻千金(時は金なり)」「百万ドルの夜景」なんてよく使われますね。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/1373/ko …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
意味はそのままのようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/21 11:35

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MicrosoftOnlineはどうでしょうか。
アカウント登録が必要ですが、インストールの必要のない
MicrosoftOfficeのWord、Excel、PowerPointが無料で使えます。
アカウント登録も無料です。
https://www.office.com/
「オンライン アプリを今すぐ使う」の下の
使いたいアプリをクリックしてください。

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  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q忠臣蔵の浅野匠守の辞世の句の意味をおしえてください

忠臣蔵はとても好きなのですが、浅野匠守の辞世の句

「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」

これの意味がぜんぜんわかりません。
解釈を教えてください。

Aベストアンサー

大石蔵之助はこの主君の辞世の句を読んで
その仇討ちを決意したと言われています。

「春の名残」とは匠守が吉良上野介を
討ち果たすことが出来なった後悔の念をあらわし
「いかにとやせん」に「何とかして
わが無念を果たして欲しい」
との意思が込められています。

通解すれば

風に誘われて散ってしまう桜の花も
名残惜しいのであろうが 上野介を討ち果たせずに
散っていく=自害しなければならない自分のほうが
はるかに無念である。
(何とか自分の仇を討って欲しい
=上野介を討ち取って欲しい)

となると思います。

Q「願はくは花の下にて春死なむ・・・」の「花」は何の花?

願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

という歌にとても心惹かれるものがあります。
たしか西行法師の作であったと記憶しております。

この歌に出てくる「花」とは何の花なのでしょうか?
今まで何となく桜だと思っていましたが、桜が日本人にとって最も代表的な花となったのは、もっと後の時代ではないでしょうか。西行法師の時代は「花」と言えば梅だったのではないかと思います。

そこで、月齢と旧暦の日付を調べてみたところ、今年は旧暦の2月の満月の日は新暦4月7日(旧暦2月17日、月齢15.36)でした。
となると、「花」はやはり桜なのでしょうか?

もう一つ、質問です。
「花は桜木、人は武士」という言葉が示すように、潔く散る桜を人の死と結びつける思想は、江戸時代の出てきたものと思っていました。しかし、この歌の「花」が桜であるとすれば、西行法師の時代に、すでに、桜を人の死と結びつける思想の源流があったと考えてよいでしょうか?

Aベストアンサー

まず、古文で「花」と出てきたら、奈良時代の一時期を除いて、桜のことと考えてよいと思います。

万葉集でいう「はな」が何を指しているかは、詠まれた数の多さから梅である説、あるいは、当時はまだ貴族社会の一部にしかひろまっていなかったため、桜であるという説など諸説あります。

奈良時代に中国から梅が入ってきた梅は、当時の貴族文化の中では主流になったのですが、外来文化の象徴でもあった梅に対し、古来から生活とともにあり、また民間信仰の対象でもあった桜は、平安時代が進むに連れて、ふたたび主流になっていったようです。
そうして947年には宮中の庭の正面に植えられていた「右近の橘左近の梅」の梅が桜に植え替えられたことなどにもあきらかなように、平安後期以降は、花といえば桜をさすようになります。

ご質問の西行の歌は、1190年のものですから、時期的にも桜であることに間違いはありません。

桜は古来から日本の民間信仰と深く結びついていました。
古事記や日本書紀にも登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、この神は春の女神で豊穣をもたらすとされたのですが、桜の木はこの神の依り代とされました。

桜の開花に農作業が始まる時期を知り、その年の開花に作柄を占った。
こうして桜は農作業と深く結びつきつつ、信仰の対象でもあったのです。
桜の大木の下は一種の聖域となり、豊穣を祈るためのさまざまな儀礼や宴が、年中行事となっていき、今日に至るまで続いています。

一方で、桜に対する見方も時代によって少しずつ変わります。
平安末期には無常観とも結びついていき、さらに時代が下れば、能や歌舞伎での異世界や狂気にも通じていく。
質問者さんが上げられている、仮名手本忠臣蔵の詞は確かに江戸時代のものですが、桜はそれよりはるかに古来から、人々の生活に結びついており、それゆえに、さまざまに解釈されてきた歴史があります。

ここらへんの見方の推移は『ねじ曲げられた桜 ― 美意識と軍国主義 ―』(大貫美恵子 岩波書店)に詳しいので、もし興味がおありでしたら、ご一読ください。

ただ、西行のこの歌は、やはり西行個人の信仰と無関係にとらえることはできないでしょう。

>その如月の望月のころ

とは、釈尊が涅槃に入った(亡くなられた)とされる二月十五日のことです。

「これは死に臨んでの作ではない。死を目前にして西行がこう歌ったのではない。…しかしおそらく六十歳代の半ばごろ、死もいつかはやって来る、もうそれほど遠くはないかもしれぬと思うにいたった老西行が、おのれの死をこういう言葉で表現し、こういう情景の中に見つめ、希求していたことは間違いなく読みとりうるのである」(『西行』高橋英夫 岩波新書)

この本は、西行の生涯だけでなく、さまざまな西行伝説や、西行と芭蕉の関わりなどにもふれられていて、大変おもしろかったです。

以上、なんらかの参考になれば幸いです。

まず、古文で「花」と出てきたら、奈良時代の一時期を除いて、桜のことと考えてよいと思います。

万葉集でいう「はな」が何を指しているかは、詠まれた数の多さから梅である説、あるいは、当時はまだ貴族社会の一部にしかひろまっていなかったため、桜であるという説など諸説あります。

奈良時代に中国から梅が入ってきた梅は、当時の貴族文化の中では主流になったのですが、外来文化の象徴でもあった梅に対し、古来から生活とともにあり、また民間信仰の対象でもあった桜は、平安時代が進むに連れて、ふた...続きを読む

Qcloud nine と seventh heaven

英語にとっても幸せだーっていう意味の
I'm on cloud nine.
I'm in seventh heaven.
という慣用句がありますよね。
そのcloud nineとseventh heavenの意味を教えてください。
seventh heavenなんかは直訳すると第七天国ですが、キリスト教には第一天国から順番にいくつも天国があるんですか?
そこら辺も含めて由来を教えていただければうれしいです。

Aベストアンサー

アメリカ口語辞典からの引用です。

be on cloud nine
(嬉しくて)浮き浮きしている
字義どおりには「九番目の雲の上にいる」だが、その由来については後述のとおりである。Sally's on cloud nine because her favorite rock star spoke to her.(サリーはいちばん憧れているロックスターに声をかけられ、嬉しくて浮き浮きしている)。Is he happy? He's on cloud nine.(彼はハッピーかって? もう嬉しくて、足が地に着かないよ)。さて、この表現の成り立ちについていうと、もともとはbe on cloud nineではなく、be on cloud sevenといっていた(今でも、時に、sevenを使った言い方を耳にすることがある)。このbe on cloud sevenは、be in seventh heavenと、漫画などにあるような「死んだ人が雲の上に座ってハープを弾いている」情景とが、結合して出来たと推測される。一方、米国気象局の専門用語にcloud nineという表現がある。これは気象学的に九つに分類された雲のうち「九番目の雲(具体的には入道雲をさす)」ということだが、このcloud nineのほうがcloud sevenよりも数字の上では位が上だという言葉遊びから、パイロットたちの間では、上述のon cloud sevenに代わってon cloud nineという言い方がはやりだし、それが一般にも広がって、今日のように慣用句として定着したものと思われる。[言い換え]be very, very happy

be in seventh heaven
有頂天になっている
イスラム教やユダヤ密教によれば、天国(heaven)は七つあり、その七つ目(seventh)は「至上の極楽」であって、神のいる所だという。そこから英米語では、seventh heavenを「最高の幸せ」の意味で使うようになった。Osamu has been in seventh heaven ever since he learned he'd passed the entrance exam.(オサムは入試に通ったと知ってから、有頂天になりっぱなしだ)。時にはinを伴わず、seventh heaven単独で使うこともある。Wetting my feet in puddles of water was seventh heaven for me when I was a kid.(子どもの頃、水たまりに足を浸すのが何よりの喜びだった)。なお、一般の英和辞書などではin the seventh heavenのように定冠詞がついている例をよく見かけるが、これはイギリス英語特有の言い方であって、アメリカ英語では、~ of delightなどの形をとらない限り、定冠詞がつくことはない。→be on cloud nine[言い換え]be extremely happy

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255830053/ref%3Dpd%5Fsims%5Fdp%5F%5F4/t/250-3651975-4455445

アメリカ口語辞典からの引用です。

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Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
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死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
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Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
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つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

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