日本には八百万の神がいるそうですね。


かまどの神様→カグツチ・オキツヒコ・オキツヒメ(神道) 三方荒神(仏教)
トイレの神様→ ハニヤスビコ・ハニヤスビメ(神道) 烏枢沙摩明王(仏教)

葬式の神様っているんでしょうか?

記紀にはアメノワカヒコの葬儀が行われるという記述があったようにおもいますが
他にもいますか?

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A 回答 (8件)

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
貼ってくださったサイトは大変参考になりました。

●神葬祭は故人の御霊をその家にとどめて、家の守護神となってもらうための儀式です。
●帰幽奉告(きゆうほうこく)といって神棚、祖霊舎(それいしゃ)に故人の死を奉告します。

http://www.e-osoushiki.jp/osoushiki3-4.html
より引用

と書いてありますね。
大変参考になりました。

お礼日時:2013/12/14 00:43

葬式は世界中の土民でもするでしょう。

彼らなりの葬式を。
私にとって葬式ほど嫌いな式もないのですが(インチキ糞坊主と偽善者の政治言動で)、現生人類の特徴が死を考える事であり死者を弔う事ですからね。
霊や神と対話するのが神式でしょ。原理じゃないのです。(キリスト教以前の西洋人とか?、)日本人は単に霊魂と対話しておきましょうという事から式を催すのです。対話の専門家が神職でしょ。お見合いとか役人接待とか親孝行の盃とか、そういうつもりにすぎません。
それを○○神道とか理論武装して世界原理に仕立てて式を機関のようにしたのは、儒教!と仏教の伝来のせいですよ。
土民的な日本人にしてみれば、政府が作り出す権力的な神々もまた八百万として受け入れた次第です。別にアマテラスが偉いとかじゃないでしょう。万物に霊を感じ畏れ敬う日本人の思想は。
その神様に対して何かしておきたければ、掃除して身支度してご挨拶という。対人的なマナーです。故人に対してお別れパーティーを開いてるような純粋な代物であり世界原理とかアマテラスとか全然関係しませんよ。近所の親父が持ち回りで神主役してもいいわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/15 11:37

>どこからこのような見解をお持ちになられたのか、説明をお願いします。


他の方も回答されていますが、元々神道には、神様の担当など存在しません。
仏教が入ってきて、仏教の仏に役割があることから、神仏混合により、役割が自然とできただけです。

神社に御参りするときには、色々のお願いをしませんか?
それこそ日本の神が担当を持たない証拠です。

また葬式という概念は仏教が伝来するまで存在しませんでした。
生者の国(常世)と死者の国(黄泉の国)が存在していますが、イザナギにより閉ざされて両国は自由に行き来できなくなります。
そのことは、記紀に書かれています。
ですから、常世には、黄泉の国を担当する神は存在しないのです。
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この回答へのお礼

おお、再回答ありがとうございます。

>仏教が入ってきて、仏教の仏に役割があることから、神仏混合により、役割が自然とできただけです。

ううーーん、これは難しい問題ですよね。
我々の知っている神道が仏教の影響を受けて成立したものなのか
それ以前からあるのか。

ただ、私はもともとの神道の形について質問したわけではないんですね。

回答者さまも「神仏混合により、役割が自然とできただけです。」とおっしゃっている。
これは「神仏混合によって、神道にも○○の神というのが生じた」という意味ですよね?

そういう後に生じた神格というものについても含めて質問しています。
また、仏教のみほとけに神という言葉を使うのはおかしい、といわれるかもしれませんが
たとえば妙見大菩薩は北極星または北辰の神
虚空蔵菩薩は知恵の神、などともいわれており
そういうみほとけについても含めて質問しております。

>神社に御参りするときには、色々のお願いをしませんか?

私には信仰心がないので神社の前で手をあわせはしますが
何もお願いはしていません。
まあ、ふつうの人は神様にお願いするでしょうね。

>それこそ日本の神が担当を持たない証拠です。

いや、それでも○○の神と言われている神様はたくさんあります。
それは前回のお礼のところで説明したとおりです。

回答者様は、それらの神格は神仏習合によって生じたものだとおっしゃいます。
それを証明するのはすでに述べたように大変難しいことです。
(ここで証明してくださっても構わないですが)

しかし、それは質問の趣旨ではなく
神仏習合によって生じたのちの神格も含めて問うています。

>また葬式という概念は仏教が伝来するまで存在しませんでした。

いえ、3世紀の魏志倭人伝に葬儀のようすが記されていますよ。

死ねば、棺(かんおけ)はあるが槨(かく=墓室)はなく、土で密封して塚を作る。死去から十余日で喪は終わるが、服喪の時は肉を食べず、喪主は哭泣し、他の人々は歌舞や飲酒をする。葬儀が終われば、家人は皆が水中で水浴び(禊だと思うが、原文の入浴に従った)をする。練沐(練り絹を着ての沐浴)のようである。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wa … より引用

>イザナギにより閉ざされて両国は自由に行き来できなくなります。
そのことは、記紀に書かれています。

確かにそれは書かれてありますね。

>ですから、常世には、黄泉の国を担当する神は存在しないのです。

常世には黄泉の国を担当する神が存在しない、の意味がよくわかりません。
常世も黄泉の国もあの世、死後の世界と考えられます。
常世に王がいたかどうかは知りませんが
黄泉の国の王としてはスサノオがでてきますね。

お礼日時:2013/12/14 15:16

だから各故人が神様なんでしょ。

それを担当する神様を呼ぶのは式のための式を考えてる人らの要請でしょう。その神様に来てもらってどうするの?八百万は無駄な神様のための思想ではないと思います。式そのものを擬人化(神格化)する例があるのでしょうか。そんな面倒な式ではないと思いますが。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございます。
故人が神だということですね。

お礼日時:2013/12/14 14:46

キキは私に知的欲求を満たさないので読む気がせず読んでませんが考えれば。


葬式が霊(=神)を対象にしても、儀式の神が別途必要になるのでしょうか。
神式は神様との対話ですよね。死者という霊がいますよね。
式に判事としての神がいるのはキリスト教とかの構図ですよ。神式はその各々の神様のための式だから。
神様というより見えない人格を想定するのが日本の八百万であり権力的な神様沢山の多神教とは関係性が別次元なのでは。ヒンズーなどどうなのか知りませんけど。

お客様は神様です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

別に葬式の神が必要である、という考えから質問をたてたわけではありません。

もしかしたら葬式の神というのがあるのだろうか、と考えたわけです。

それでアメノワカヒコの葬儀が行われたという記述があることを思い出し、
他にも記紀の中で葬儀をされた人とか、葬儀の神とされている神はありますか、というのが質問の趣旨です。

お礼日時:2013/12/14 01:35

アメノワカヒコは別に葬式の神ではありません。

天命を忘れ、天の使いを殺したので罰を受けただけです。
神道に葬式の神はありません。敷いてあるとすればワカヒコが死んだときに集められたガン、サギ、カワセミ、スズメ、キジですね。これらは動物ですけど、コレを神として祭れば神となります。
神道では自然神や先祖神を神として祀ります。そして神として祀れば神であり、神として祀らなければ霊でしかないんです。
祓い戸の神が特定の神でないように、葬儀においても一人ではなく分担して当たるというのが基本姿勢です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>アメノワカヒコは別に葬式の神ではありません。

まあ、たしかにそういうことは聞いたことがありません。
ただ、鳥たちがアメノワカヒコの葬式をしたという記述があるので
葬式の神とみなしてもいいのかな、と思いました。

一般に、記紀などに記された神の行いをもって、神の神格とするということはよくありますでしょう。
天目一箇神とか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9B%AE% …

>天命を忘れ、天の使いを殺したので罰を受けただけです。

だけです、というのがよくわかりませんが?
回答者さまも、鳥たちによって葬儀が行われたと書いておられますよね?

>神道に葬式の神はありません。敷いてあるとすればワカヒコが死んだときに集められたガン、サギ、カワセミ、スズメ、キジですね。これらは動物ですけど、コレを神として祭れば神となります。

動物は神使とされていますね。
たとえば春日大社の神使は鹿であるとか、伏見稲荷の神使いは狐であるとか。
サギ、カワセミ、スズメ、キジはアメノワカヒコの神使だと考えられないでしょうか。
おそらく、昔の人は死んだ人の魂は鳥になると考えていたのだと思うのです。
巨大な前方後円墳などは鳥の視点で作られていると思います。
空の高いところからみなければ、その形が確認できないですから。

それとも、歴史の古い神社でどこかに動物を祀った神社はありますか?

>祓い戸の神が特定の神でないように、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%93%E6%88%B8% …

上記には次のように書かれています。

神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。

なお、この時に禍津日神、直毘神、少童三神、住吉三神、三貴子(天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。

『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。(上記より引用)

これをよむと、祓戸大神とは「黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称」であると読め、
回答者さまがおっしゃるように特定の神ではない、ということとは違うように思えるのですが?

>葬儀においても一人ではなく分担して当たるというのが基本姿勢です。

と書いておられるところをみると、特定の神ではない、というのは複数の神がいる、という意味なのでしょうか?

お礼日時:2013/12/14 01:28

八百万の神は神道に基づく神です。



神道には天国も地獄もありません。
黄泉の国があるだけです。

そこに儒教と仏教が入ってきて、天だ
天国だ、地獄だ、という概念が出来、
仏教が葬式担当になったのです。

だから、葬式はあっても、葬式の神と
いうのはおりません。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

神道には天国に対するものとして、常世の国があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E4%B8%96% …

また地獄に相当するものとしては黄泉の国のほかに根の国というのもあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E3%81%AE% …

ですので、もうしわけないですが、
>神道には天国も地獄もありません。
黄泉の国があるだけです。
というのは間違いだということになると思います。

>そこに儒教と仏教が入ってきて、天だ
天国だ、地獄だ、という概念が出来、

これは、神道が儒教や仏教の影響を受けて成立したものなのか、
儒教や仏教以前より神道はあったのか、という大変難しい問題になると思います。

私たちが知っている神道とはおもに記紀神話にもとづくもので
記紀の成立は奈良時代で、すでに仏教が伝来していますから、
記紀が仏教の影響をうけていないとはいえないです。

しかし、これは質問の趣旨でないので、とばしましょう。

>仏教が葬式担当になったのです。

これについてのソース、またはあなたがそうお考えになる理由を教えてください。

うちの田舎は神式で葬式を行っていますが。

>だから、葬式はあっても、葬式の神と
いうのはおりません。

記紀の神代の記述にアメノワカヒコの葬儀を行ったとあります。
アメノワカヒコの葬式は仏式で行ったということでしょうか?

今思い出しましたが、昭和天皇の大喪の礼は仏式ではありませんでしたね。

皇室の葬儀は、飛鳥時代・奈良時代~江戸時代まで寺院にての仏式の葬儀が行われていたが、孝明天皇の三年祭の際に神式が復古され、神道式で執り行われるようになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%96%AA% … より引用

それでは再回答を心よりお待ちしています。

お礼日時:2013/12/13 10:33

日本人の葬式のほとんどが仏式で行いますので、葬式の神様はおりません。


そもそも日本の八百万の神は、特定の事象や物の神ではなく、祓い神です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日本人の葬式のほとんどが仏式で行いますので、葬式の神様はおりません。

いや、うちの田舎は神式で葬式していますよ。

>そもそも日本の八百万の神は、特定の事象や物の神ではなく、祓い神です。

どこからこのような見解をお持ちになられたのか、説明をお願いします。

記紀神話にはたとえば「智慧の神」のように神格をあらわした表現はないかもしえませんが、
「神には特定の事象に対する神徳がある」と考えられていたことは確かだと思います。

いくつかその例を挙げておきます。

●スクナヒコナ

国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF% … より引用

●菅原道真
朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F% … より引用

それでは、再回答を心よりお待ちしています。

お礼日時:2013/12/13 10:09

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西暦では1000年頃には既に文芸の神として尊敬を集め、著名な高官や文化人でもお参りする著名人が多かったようです。
なお、災害を避けたい、恨みの元を絶って起きたいというのは、その当事者(本人や関係者とその係累子孫)だけであって、他の人は、ほぼ最初(左遷される前やその後)から才能豊かな人物として、文化的素養、才能をありがたいものとしして崇め、尊敬していたようです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7722/772208.htm
抜粋
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室町時代に五山の禅僧の間に云い出された渡唐天神の話は,その代表です。所伝によりますと,鎌倉時代の仁治二年(1241),京都東福寺の開山聖一国師円爾弁円が宋から帰って九州博多の崇福寺に住したとき,夜に道真公が現れて禅を問いました。国師は,自分の師である宋の径山の仏鑑禅師無準師範を師とするよう答えましたところ,直ちに渡宋して禅師に参禅し,衣鉢を受けて帰り,再び国師の前に現れて,与えられた法衣を見せたと云います。この話に基づいて多くの渡唐天神の像が描かれました。手に梅の小枝を持つ中国風の文人像で,天神信仰の一側面を示しています。
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> 明治時代に変わったとか?
西暦では1000年頃には既に文芸の神として尊敬を集め、著名な高官や文化人でもお参りする著名人が多かったようです。
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http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7722/772208.htm
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Aベストアンサー

こんばんは!

これは当時、ゴスペル・フォークというジャンルで呼ばれていた「野に咲く百合の花」という歌です。
作詞作曲は山内修一さんという方です。
歌詞を紹介することは著作権の関係上ここでは出来ません。

もし、お近くにキリスト教書店があれば、いのちのことば社から「友よ歌おう」という歌集が出ていますので探してみて下さい。

「友よ歌おう」(太平洋放送協会編)660円
ISBN:4-264-00359-8

上記の山内修一さんによるCDも発売されています。
タイトルは「友よ歌おうagain」(ライフ・ミュージック)1800円です。これもキリスト教書店でお求めになれると思います。

なお、お近くにキリスト教書店がない場合には
参考URLから注文が出来ます。

以上、参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.wlpm.or.jp/index.htm

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Aベストアンサー

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神が何かも分からず、その神に祈ることは無意味である。
それでもあなたがたは神に祈りますか。
 

 
神が何かも分からず、神に祈ることはできないはずである。
神が何かも分からず、その神に願うことは無意味である。
神が何かも分からず、その神を信じることは愚かである。
しかし神が何であるか分かれば、これらのことが全て無意味であることが同時に分かるのである。
神は祈るものではない、神は何かを願うためのものでもない、ましてや神は信じるものではないのである。
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有瑠慶此即恒常不変

なぜ宇...続きを読む

Aベストアンサー

…いずれにしても、アルキビアデス、昔のある詩人は知恵を持っていたと思えるよ。想像するとだね、彼には馬鹿な友人達がいて、彼らの利益にならないことをしたり祈ったりしているのを、その詩人は見たんだろう。そこで彼らの代わりに祈祷文をこしらえた。こんな言葉でね。


 神々の王ゼウスよ、
 われらに善いことを与えたまえ、
 われらが祈るとも祈らずとも。
 しかし、酷いことは、
 もしそれをわれらが祈ったとしても、
 どうか汝、避けたまえ


これは、プラトン『アルキビアデスII(祈願について)』からの引用です。ぼくの拙訳ですが。

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0176%3Atext%3DAlc.%202%3Apage%3D143



神の基準での善いことが最善で、愚かなる人間の祈願が実現しなかったとしてもそれで善いし、愚かなる人間にとって酷いことが起こったとしても、それは神が善いとしたことだからそれも善い。と思ってます。


>それでもあなたがたは神に祈りますか。

一応、初詣に出かけたときは、成就しなくてよいことを前提に、神に祈る振りをする。

…いずれにしても、アルキビアデス、昔のある詩人は知恵を持っていたと思えるよ。想像するとだね、彼には馬鹿な友人達がいて、彼らの利益にならないことをしたり祈ったりしているのを、その詩人は見たんだろう。そこで彼らの代わりに祈祷文をこしらえた。こんな言葉でね。


 神々の王ゼウスよ、
 われらに善いことを与えたまえ、
 われらが祈るとも祈らずとも。
 しかし、酷いことは、
 もしそれをわれらが祈ったとしても、
 どうか汝、避けたまえ


これは、プラトン『アルキビアデスII(祈願について)』...続きを読む

Q【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を

【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を城を建てる前に建てたと思いますがその神社仏閣は現在も残っていますか?

それはどこの神社仏閣ですか?

Aベストアンサー

神社は、生國魂神社です。(大阪府大阪市天王寺区生玉町)
仏閣は、石山本願寺ですが、こちらは再建されていません。
石山本願寺攻めの時に同時に焼失した四天王寺が豊臣秀吉によって再建されています。(四天王寺は大阪府大阪市天王寺区四天王寺)


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