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昔から私は日本人はモラルが高いと思っていますが私の祖父に戦争で中国にいた頃の話を聞いたのですがある日本兵が中国人に銃を向けて「俺がうつ弾を避けて逃げれたらお前は自由だ」といい逃げる中国人を遊びで殺すのをよく見たといっていました。(どれぐらいか知りませんが・・・・)

これはたまたまうちの祖父が運悪く悪い集団心理にかかった集団にいたからこういった残虐な日本人の行為をたくさんみたのか?それとも戦争している人は日本人であっても残酷になる人がたくさん出てくるのか?色々考えています。中国人を遊び半分に殺す日本人の話を私以外に戦争時代に生きていた人から聞いた人いませんか?

後日本以外のアメリカやヨーロッパなのど兵隊は敵国の人を残虐に殺すという事はよくありましたか?

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防衛省職員」に関するQ&A: 防衛省職員 事務官について

A 回答 (13件中1~10件)

>中国人を遊び半分に殺す日本人の話を私以外に戦争時代に生きていた人から聞いた人いませんか?



質問者様が求めているものは、【資料】と【噂話】のどちらでしょうか。

【関東大震災で朝鮮人が虐殺されたという説】はありますが
【朝鮮人が虐殺されたという証拠】はありません。

不確かな伝聞情報は集めても意味がないと思いますが。
私には、【質問者様が祖父から聞いたという行為】自体が検証不能ですし、
↓の理由から、祖父様の証言が事実とも限りません。

A:自称当事者=本当に当事者 とは限りません。
B:本当に当事者としても、その証言が事実とは限りません。

A,Bから、検証されていない証言に証拠能力はありません。

それに、自称中国帰りの方には↓のような人達もおり、自称加害者すら怪しい状態です。

【中国帰還者連絡会】(中帰連)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD% …
(中国の撫順戦犯管理所に戦争犯罪人として抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年9月24日に結成した団体。
中略
731部隊・南京事件・強制連行などについて積極的に証言し、証言者への協力を行なうことでも知られる。
上記の活動について『撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍将兵が中国側に洗脳されたもの』と主張するものもいる)

↑から、彼等の証言は、専門家からは全く信じられていません。

【中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連)】




質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>後日本以外のアメリカやヨーロッパなのど兵隊は敵国の人を残虐に殺すという事はよくありましたか?

回答:↓と動画

1:【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(1937年に中国で起った日本人への虐殺事件)
http://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g


2:【黄河決壊事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3% …
(日中戦争初期の1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。事件当時は黄河決潰事件と表記された。中国では花园口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。)

当時の中国国民党は「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」という捏造情報を流しています。
(現実では日本軍は決壊の修理や避難民の救助を行っていますが、それに対して国民党ゲリラが攻撃を仕掛けています。)
いわゆる南京事件は、↑の死者を日本にせいにする為のものです。


3:【「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士(昭和史研究會報)】
支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
 右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧表で記録している。
 例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
 また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
 また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
 中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
 日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。


4:【戦時中の朝鮮人】(当時は併合に拠って日本人ですが)
戦時中は、朝鮮人の軍人・軍属もいました。
彼らは志願兵でしたが、戦力としては使い物にならない者が多く、
多くは捕虜収容所の職員にされましたが、連合軍捕虜からの評判は最悪でした。
(東京裁判で捕虜虐待などで処罰された者の多くは朝鮮人でした)

【ニッポンは誤解されている】
(日本教文社 アルフレッド・スムラー著 元仏の雑誌Paris Match特派員)
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」
これらの朝鮮人BC戦犯を擁護する行動を、日本の左翼がしていた事が信じられない。
朝鮮人が日本人に比べて、ずっと残酷だったことは、連合国の捕虜の間では常識だった。


5:【アメリカの「日系アメリカ人」に対する処遇】

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80% …
(アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)


6:【ベルリンでのソ連兵】
ソ連兵が攻め込んだベルリンでは、その後何故かベビーブームが起っています。


7:【文化を与えたと自称している白人の植民地統治】

【西欧の植民地喪失と日本/オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所】
(オランダ人ルディ・カウスブルック著 草思社)
「日本軍抑留所を体験したオランダ人がいまだに耐えがたいとするものは何かというと、自分たちより“劣等の人種”に恥をかかされたということなのだ。他の白色人種にやっつけられたのならまだしも、“非西洋の侵略者”に征服されるとは、これこそ耐えられないことなのである。」(92p)
―中略―
「われわれオランダ人は、過去四十年間もの長きにわたって日本人に対する不満を延々と述べつづけてきているが、こういった(オランダ人の現地人に対する残虐な扱いが20頁にわたって記述されているのを承けて─引用者注)自分たちの悪弊が日本人の振る舞いとはちがっているとでも思っているのだろうか。泰緬およびパカンバル鉄道施設工事の犠牲者数はどうのこうのとか、虐待は云々とか、隅から隅まで調べ上げて、犠牲者名簿や追悼の書を出版したが、自分たちが手を下して殺害したり、虐待して死に追いやったりしたインドネシア人には心を砕くこともなく、彼らの名前は、永遠に誰の知るところでもない。私がひじょうに怒りを覚えるのは、ウィレム・ブランツのように、自分たちの暗黒の過去を 知りすぎるほどよく知っていながら、日本軍抑留所(ブランツも私も入っていた抑留所では、オランダ人のしたような戦慄すべき行為はおよそ見られなかった) でひどいあつかいをうけたと激しく怒りたっては、あっぱれな嘘を長年にわたって言いつづけてきた者がいるということである。」(119p)


日本のオランダ人捕虜の扱いですが、
東京裁判は冤罪が多く、全てが事実とは思えません。
確かに待遇は悪かったかもしれませんが、それは↓の理由によるものであり、人種に対する意識とやらが原因ではないと思います。

1942年、日本はインドネシアのオランダ軍を降伏させました。
彼らを収容した施設ですが、オランダ人がインドネシア人従業員のために作った【宿舎】(牢獄ではない)をそのまま利用することが多くありました。
これに対してオランダ人抑留者たちは、
「こんな事になるなら、こんなに酷い不潔な建物にはするんじゃなかった。奴隷同然に扱ってきたインドネシア人用の宿舎に入れられるのは我慢のならない屈辱であった」と言っています。

つまり、自分たちがされたら屈辱と思う事を、現地人にしてきたという事です。
(捕虜の収容には、牢獄も使用されたと思いますが【宿舎】でさえこの有様なら、牢獄の環境はどうだったでしょうか。)

収容所での死因はコレラや赤痢等の疫病ですが、日本軍でも10%が死亡しています。
(当時は特効薬である抗生剤は開発されていません)
シベリヤと比較する意見もありますが、
日本人抑留者が虐待で6万人(10%)死亡していますが、管理側のソ連人の死亡率は0です。


日本はオランダとは平和条約で賠償金(↑を含めて)を支払って解決済みとなっています。一方、オランダは日本人の資産を「凍結」という名で没収しています。
これは国際法では違法ですが、日本はこれへの返還請求権を一方的に放棄させられています。

http://www.youtube.com/watch?v=g6MmpEuGipQ

この回答への補足

補足の方でお礼を言わせてもらいます。


お礼を投稿した後もう一度文章を読んだらとても大切な事が書いてある事に気づき真面目な気持ちになりました。


白人達がいかに天狗になり自分達以外の心ある人間を軽蔑してきたかが分かるとても大切な事が書いてあり憤慨な気分になりました。


お礼のほうでいきなり回答者様の回答内容についていわず自分のいいたい事をいい大変申し訳ありませんでした。そして大変貴重な回答ありがとうございました。

補足日時:2013/12/18 23:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私が求めているのは噂話でもなく資料でもないです。回答者様の家族が体験した話を聴きたいのです。

何故なら戦争に繰り出された日本人達のモラルをみるため広い視野で色々な日本人を知りたいとき残虐な事件を日本人が起こしたという正確な情報があったから日本人は残虐だという事はそれは虚偽の事実に過ぎないからです。

だから私は個人だけの体験を聞きたいのです。分かりにくい説明で申し訳ありません。これ以上説明すると長くなるし説明が下手なのでここまでにしておきます。

お礼日時:2013/12/18 23:15

戦場におけるモラルとは敵撃滅に力を尽くす事。



敵兵殺戮はもちろん敵国民殺戮により国力低下を図る事
もモラルにかなう。強姦により心理を破壊するのも有り。
まっ・・・・条約を守るのも二義的なモラルでは有る。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2014/02/22 10:42

ウィキリークスというのをご存知ですか?


秘密暴露をしているハッキング集団なのですが、そこがアメリカの中東の戦闘映像を盗み暴露しました。
結婚式で集まった住民をゲリラと勘違いし戦闘ヘリの機銃で撃ちまくる映像です。

戦地では神経がおかしくなる兵士が続出します。
それだけの異常環境なのです。
1秒後には頭を撃ち抜かれ死ぬかもしれない、1秒後には爆発でバラバラに吹っ飛ばされるかもしれない、1秒後には敵が現れ自分が撃ち殺すかもしれない。
そんな中でモラルなんて保てません。

日本人でもアメリカ兵の捕虜に非人道的なことをやってましたし、日中戦争でも中国人に化学兵器の生態実権を強要していた部隊もいくつかあります。
南京大虐殺は当時の南京市と周辺都市の総人口より多くが殺されたなどというねつ造がひどくて私は信じてませんが、やはり非道な行いはあったと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2014/02/22 10:41

#4です。

直接の伝聞を聞きたいというのであれば。

「最悪の戦場に奇跡はなかった」という本には、著者が潰走する途中、ビルマだったかインドネシアだったかの話しで、食べ物がないのである家に押し入って家畜の水牛を連れて行った(要するに略奪)そうです。そしたら、その家の少女が泣いてやめてくれと追ってきたらしいんですね。うるせーと追っ払っても少女はなかなか諦めない。そりゃそうですよね。彼らにとっては大事な財産です。田んぼも耕せなくなります。
で、南国現地の少女だから上着は着ておらず若いおっぱいがぷるんぷるんしてたそうなんですよ。それを見た傍らの同僚が「うまそうな女ですね。やっちまいましょうよ」といったそうです。その本によると、著者が「腹が減っていてその気にならなかったから襲わなかった」とありますけどね。この本のユニークなところは、そういう話が割とあっけらかんと書かれていることです。

また、元日本兵のおじいちゃんの回顧録で、中国にいたとき、ある村に押し入ったら逃げ遅れた若い母親がいたそうです。2歳くらいの坊やを連れていたそうです。んで、みんなでその母親を強姦したそうですが、その母親がずっと泣いているので「うるせーな」という理由で撃ち殺して井戸に捨てたそうです。
すると、その2歳の坊やが「マァマ(ママは中国語です)」と言いながら自ら井戸の中に落ちていったそうです。だってその中に母親がいるんですからね。するとどうも子供は大けがをしたようで、井戸からだから鳴き声が鳴り響く。ある古参兵がそのおじいちゃんに「可哀想だから楽にしてやれ」と命じたので、そのおじいちゃんは井戸に手榴弾を落とし、爆発すると鳴き声は消えたそうです。

また元米海兵隊の回顧録「ペリュリュー・沖縄戦記」では、日本兵は負傷した米兵を助けに行こうとする米兵を撃ってきたので、米兵も日本兵に対して決して容赦はしなかったそうです。あるとき、日本軍の夜襲があり、夜が明けてみると殺された米兵のおちんちんが銃剣で切られて、口の中に突っ込んであったそうです。それを見て彼らは「日本兵の捕虜は決してとらない」と固く心に誓ったと書いてありますよ。

だから戦争に心が強いも弱いもないの。狂気と狂気がむき出しでぶつかるのが戦争。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

申し訳ないですが私が求めているのは資料でもなく噂話でもなく回答者様の戦争を体験された家族の体験談を聞きたいのです。

いくら日本人が残虐な事件を起こした正確な情報があったとしても私は「人が多ければそういう人もいるだろう」にしか思えません。正確な情報がほしいのではありません。私は多くの日本人の中でどれぐらい自分のモラルを貫く人がどれぐらい多かったかが知りたいのです。
だから回答者様の戦争を体験された家族の話といった個人的な話を聴きたいのです。そして色々な人から個人的な戦争体験談を聞いた時もし10人中2人が残虐な行為をする人がまわりにたくさんいたといえば80パーぐらいのひとがモラルを貫いたとおもうし10人中7人が自分は周りに残虐な人間ばっかりだったときけば戦争に参加する人は皆そうなるのか・・・・と思います。そういうことをしたいのです。統計したいだけです。

私は正直日本人のたくましさを正直確かめたいのです。戦争を体験された人の体験談を聞くと怖いとかいうよりも悲しいという声をよく聞きます。一方アメリカの元兵隊に戦争体験談を聞くと怖いとか恐怖といった事ばかりをききます。人間の弱い感情ばっかりが伝わってきます。

お礼日時:2013/12/18 23:26

捕虜にした日本兵を何人も道路に横たえ、ローラーで


ひき殺した、て米国軍の話は有名ですね。

同じく、捕虜にした日本兵を檻に閉じ込め
死なないように、長時間首をつったままに
してじわじわ殺した、という中国軍の話もあります。

朝鮮戦争では、米国軍がおもしろ半分に戦闘機で
子供を撃ち殺した、という事件が発生し、
停戦協定が流れたことがありました。

祖父から聞いた話ですが、東京大空襲で
戦闘機のパイロットと目が合ったといいます。
そしたら、そのパイロットはニヤッと
笑って、爆弾を落としたそうです。
今でも覚えている、と感慨深そうでした。

同じく祖父から聞いた話ですが、墜落した
米軍パイロットを、被爆者達がよってたかって
殴り殺した、という事件もあったそうです。
これは祖父の伝聞ですが。

近年では、米国軍基地で銃弾拾いをしていた
お年寄りを、米軍が射殺した、という事件が
ありました。
ジェラード事件と言われているものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:16

関東大震災の際、朝鮮人が暴動を起こすとのデマが広がり、朝鮮人を標的としての虐殺などがあったそうです。

普段はニコニコしてて親切な知り合いの警官がそれに加わっていてショックを受けたという話があります(テレビ番組より)。

文明が発展して、戦争が少なくなってきているのはここ数十年の事ではないでしょうか?世界はまだまだ発展途上で生きるだけで精一杯な人が大半(日本人基準で)。
日本だって経済的に豊かになる前は社会は未成熟。朝鮮や満州への移民だって、地域住民の土地を奪い取って入植しています。「貧すれば鈍する」ってことじゃないでしょうか。
日本で障害者に対する理解などが広く得られるようになってきたのもここ数十年。
そういえば、東北大震災の時、暴動が起こらないのがすごいと外国から言われてましたよね。

アメリカは豊かですが、メキシコを通って大量の不法移民が流入しています。アメリカはその不法移民に対しても一定の基準を満たせば市民権をどんどん与えています。麻薬の蔓延する南米から不法移民が大量に流入するので、社会全体の治安が悪化したり軍隊のモラルが下がるのは避けられません。日本は実質移民受け入れ0(だったような・・)。まあ土地が無いからですけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます「

お礼日時:2013/12/18 23:07

 上が国策で他国を支配することを決め、教育がそれらの



国と人々を劣った存在として馬鹿にし戦場で度々の理不尽さを

見たり強要されれば日本軍だけで無くだれでもそうなります。

(1) 僕は61年の人生の中で度々見てきました。普段、偉そうに

 指図して「自分が正義だ」と声高に吹聴する人があっさりと

変節。その人と上や下や影にいる同調者が圧力をかければ多くの

人があわてて宗旨替えし、しない人たちをいじめていく。人は

残酷に人の心を壊すし、多くの人は簡単に同調する。

(2) ベトナム戦争を始めたアメリ軍は厭戦気分が強まる米兵に

 次の方針で教育し戦いを強めた。

 ・ベトナム人を人と感じさせない新兵教育。ベトナム農民がかぶる

  円錐形の帽子を案山子にかぶせて「ベトコンは猿だ」と何十回と

  叫ばせた後、銃剣で突き刺す。これを10日ほどくりかえすと

  当初は殺人を怖れていた若者が洗脳されていく姿が放映されていた。

  勿論、撮影を許可した司令官たちはその新兵教育を自慢しているの

  だけど、正気じゃない。

 ・アメリカ軍はベトナム人が戦意を無くすことをねらった残虐な兵器を

  次次と開発、ところが戦意を無くすのは米兵のほうが深刻。そこで

  上層部は戦闘を徹底してゲーム化、ポイントを矯めた兵士には豪華賞品と

  休暇、そして麻薬を黙認した。戦後、ベトナム戦を戦った米兵は深刻な

  精神障害に悩むことになった。

 ※ 欧米に限らずどの国の兵士も、相手を馬鹿にする教育をうけるとどこ

  までも残酷になれる。そしていつの時代のどの国の軍隊も上層部は犠牲を

  兵士におしつけ自らは出世競争にあけくれる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間のほとんどが偽善者と弱さで成り立っているんだなぁ・・・・と思いました。

お礼日時:2013/12/18 23:06

どうも、お世話になります。


数日前、下記質問の回答を書いて送信しようとしたら、タイミング悪く締め切られた後でした。がっかりしましたが、今このご質問を見つけて、内容的に通底するところがあると思いました。そこで、ここに投稿してみます。

〔質問〕

アメリカは日本になぜ原爆を落としたのでしょうか
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8383158.html

〔回答〕

「神様、日本に原爆を落としてくださったことを感謝します」

これは、日本軍の強制収容所に収容されていた、あるオランダ人(民間人の女性)が解放後に語った言葉である。
オランダの植民地だったインドネシアは、太平洋戦争の緒戦で日本軍に攻略された。オランダ軍兵士3万7千人が捕虜になり、のみならず、オランダ人の民間人9万人も強制収容所送りになった。捕虜の8千5百人が収容中に死亡した。この死亡率23%は、極寒のシベリアに抑留された日本兵の死亡率(約10%)などと比べても異常に高い。虐待死が多数あったことが、のちに明らかになっている。
民間人の収容者も、劣悪な環境下で衰弱する者、死ぬ者が出た。「原爆投下と日本の降伏があと数日遅ければ、私も死んでいたかもしれない」と彼女は語った。ちなみに、日本軍の捕虜となった米軍人の死亡率は、オランダ人捕虜のそれさえ上回っていたようだ。

立川京一 『旧軍における捕虜の取扱い』(防衛省防衛研究所紀要、2007年)
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulle …
〔127ページ。引用開始〕
英国人であるフィリップ・トウル(Philip Towle)は

日本人の人種主義的考え方は戦争捕虜への態度に強い影響を及ぼした。日本人はヨーロッパ優位の時代が終わったことを示すために、さまざまなアジア人の眼前で西欧人捕虜をわざと辱める一方、中国人をはじめとするアジアの人々を西欧人を扱うよりもはるかに残酷に扱った

と述べている。
〔引用終り〕

第二次大戦末期のアメリカの考えは、「早く戦争を終わらせる」だけではなく、もっと峻烈だった。「アメリカの思うような形で」戦争を終わらせるという、強い意志だ。その第一がポツダム宣言を留保なしに日本に受諾させることであり(天皇の地位を保証するという言質さえ与えなかった)、第二が極東におけるソ連の影響力を削ぐことである。
日ソ中立条約を破棄してソ連が対日参戦することは、ヤルタ協定の秘密条項として連合国間で決まった事柄だった。ソ連はさらに念入りに、アメリカから「ソ連の対日参戦は国際法上合法である」という確言を取り付けた〔注1〕。
ただし、すでに第二次大戦の中途から、米ソの角逐が始まっていた。アメリカは日本を屈服させるために、ソ連に加勢を求めたのだが、ソ連にあまり頼りたくはなかった。なるべく頼らずに、アメリカの力で日本を屈服させることをめざし、ありったけの原爆をぶつけた。
だが、ありったけと言っても、アメリカは3発しか作れていなかった。1つは実験に用いた。残りの2つを矢継ぎ早に広島と長崎に投下した。

これに対して、ご質問者は、「原爆投下は必要なかった」、「それなのに投下したのは、データを取るため」とお考えになっているらしい。
しかし、この2発は実験ではない。実戦である。「一人でも多くジャップを殺せ」が当時のアメリカの意志だった。そのために原爆を作って使ったのである。戦闘員でも非戦闘員でも、アメリカにとってジャップはジャップだった。
ジョン・ダワーが『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別』で明らかにしたように、日本も米国も徹底殺戮に狂奔し、その裏には人種差別(民族差別)が色濃く滲んでいた。日本が人種差別感情に基づいて連合国の捕虜を虐待死させたことは、すでに述べた。
一方、アメリカはしたたかだった。「原爆さえ落とせば必ず日本は降伏する」とは考えていなかったという。「日本が原爆に激昂して、ますます狂信的に徹底抗戦するかも知れない」可能性も考慮していた。
この点から言っても、ご質問者のように「原爆投下はデータを取るための実験だった」と考えるのは誤りだろう。データが欲しいだけだったら、「日本を狂信的な徹底抗戦に追い込むかも知れない」リスクを冒すことは、割が合わない。

第二次大戦の戦場と銃後で、レイシズムはその極に達し、「実験」などははるかに通り越してしまった。米軍においては「一人でも多くジャップを殺せ」、オーストラリア軍においては「日本兵を捕虜にとらない」、日本軍においては捕虜皆殺し(サンダカン捕虜収容所)や人肉食(父島事件)にまで至ったのだった。

マーク・ジョンストン 「しかし、彼らも同じ人間だ。」(豪日研究プロジェクト)
http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/ajrp2.nsf/Japanese/6 …
〔引用開始〕
早くもミルン湾の戦闘の際に、フィールド准将は、「黄色い悪魔は情け容赦など毛頭もないので、我々からも情け容赦を受けないのである。」と日記に記している。
〔引用終り〕

〔注1〕
アメリカから「ソ連の対日参戦は国際法上合法である」という確言を取り付けた

詳しい北方領土問題の話
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/ …
〔引用開始〕
 1943年11月のテヘラン会談で、アメリカ大統領ルーズベルトはスターリンに対日参戦を求め、ドイツ降伏3ヶ月後に、ソ連が参戦することが同意された。1945年2月のヤルタ会談でも、ルーズベルトはスターリンに同様の要請を行い、ドイツ降伏3ヶ月後のソ連対日参戦が合意される等、アメリカは再三にわたりソ連に対日参戦を要請していた。
 1945年7月27日、ソ連外相モロトフは、米大統領トルーマン・国務大臣バーンズを訪ね、日ソ中立条約の残存期間であることを理由に、対日参戦するに当たって、アメリカ・イギリスと他の連合国がソ連政府に戦争に参加してほしいとの要請文書を出すことを求めた。この要請に対して、アメリカ国務長官バーンズは国務省の法律専門家であったベンジャミン・コーヘンの助言により、このような要請文書がなくとも、中立条約を破棄してて参戦することは国際法上合法であるとの結論を得た。そこで、7月31日、トルーマンはスターリンに対して、以下の内容の書簡を送った。
 「1943年10月31日のモスコー宣言では、法と秩序が回復し一般的安全保障制度が創設せられるまで、平和と安全を維持するために、(米英ソ3国は)相互に協議をとげ、国際社会のために共同行動をとることになっている。また、いまだ批准されていないが国際連合検証草案の第106条でも、憲章の効力を生ずるまでは四大国がモスコー宣言に基づいて行動することになっているし、また第103条では国際連合憲章による義務と他の国際協定の義務が矛盾する場合は、憲章に基づく義務が優先する。ソ連は平和と安全を維持する目的で、国際社会に代わって共同行動をとる為に、日本と戦争中の他の大国と協力せんとするものであるというべきである。」(萩原徹/著「大戦の解剖」1950年、読売新聞社 P261-P267)
 未批准の国連憲章を根拠に、参戦を合法化するとの考えは、素人には分かりにくいが、これより前の6月26日には51ヶ国が署名していたので、すでに、国際慣習法として成立しているとの考えだろう。ともかく、この書簡により、ソ連の対日参戦は、国際義務に違反しないことになった。
 ソ連が、日本に宣戦布告すると、アメリカ国務長官バーンズはプレスに声明をリリースし、大統領はポツダム会談で、ソ連の参戦はモスコー宣言第5項と国連憲章第103条、第106条によって正当化されると述べたと説明した。
〔引用終り〕
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

貴重な回答でした。ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/18 23:05

質問の主旨からは外れるかもしれませんが‥



私の母(73歳)は太平洋戦争の末期、実家の愛知県知多半島の海岸で一人で遊んでいて米軍の戦闘機?から銃撃されたそうです。砂浜には他に誰もおらず、近隣の村々にも空襲はなかったようです。明らかに、偵察機が面白半分で狙い撃ちしたのでしょうね。

そう言えば、二、三年前に米軍ヘリがケーム感覚?でイラク市民を銃撃している映像がウイキリークスで暴露されましたが、その後アメリカ政府はどう対処したんでしょうね?
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この回答へのお礼

大変貴重な回答ありがとうございました

そういった経験話聞きたかったです。

お礼日時:2013/12/17 21:43

平和な世の中で暮らす私たちは人を殺すなんてことは一生経験することもなく死んでいくわけですが、戦争に駆り出された人というのは、毎日が人殺しになるわけです。


毎日毎日無残に人が死んでいけば、そういう感覚は麻痺してきます。麻痺しないと正気を保つことなんかできないでしょう。

だから、戦争をしていて村に入ったら女がいたのでとりあえず強姦した、なんて話は戦争には常についてまわる話です。だってさ、明日には死んじゃうかもしれないんだぜ。そしたら、とりあえずやっとかないとこれがやりおさめになるかもしれません。

先の戦争でいえば、日本人も中国人を沢山面白半分で殺したし、中国人も日本人を強姦の上惨殺したなんてことをしましたし、アメリカ人も日本兵に容赦はしなかったし、ドイツ兵もイギリス兵も捕虜をとりたくない(管理が面倒くさい)から手をあげて出てきた敵兵を殺したなんてこともしたわけです。

日本人がモラルが高いとか、どこかの民族はモラルが低いとかは関係ないのです。こないだまで八百屋のおやじだったような人が狂気に囚われる。それが戦争なのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

(日本人がモラルが高いとか、どこかの民族はモラルが低いとかは関係ないのです) そうであっても日本兵達は他の国の人より心が強いんじゃないかと思っております。それを確かめるために質問をしました。


そのため私は○○は××だという型みたいなものよりも回答者様たちの家族から聞いた話などを具体的に知りたいだけです。

お礼日時:2013/12/17 21:37

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