在宅ワークのリアルをベテランとビギナーにインタビュー>>

若い時は何でも楽しくて、ちょっとしたことでも感動しました。
しかし、最近、年を取るに連れ、そういうことが減っていきます。
同じ景色を見ても、20代の時は物凄く感動したのに、
中年になった今では、綺麗だとは思うものの、
若いときのような、大きな感動はありません。
何故でしょうか?

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A 回答 (8件)

 あなたは結婚して子育てをしておられますか?


 結婚して離婚せずに普通に安心して子育てができていたら、感動は増えるというのが私の結論です。
「なぜ子どもの時そう思ったか、、その時親はどう考えることが普通か」「どんな思いで子どもを見るか、育てるか」すべての子どもの頃の疑問や、「ヘタな親だから仕方がなかった」ことが融解していきます。これは生活にイライラがないことが条件です。
 対して、子育てしていないと、物事の見え方は与えられるがままの見え方しかできません。親から子に与えることは、親になってとんでもなく違いがわかりました。
 ドキュメンタリーには親目線になれますから、子の死す話でもこのかわいそうさではなく、「親はどう考えて過ごしていたんだろう」と思えて泣けます。子殺しのニュースでは、「耐えられなかったんだ」とさしてひどいとは思わずに、その親の育ちなどバックグラウンドがどうだったんだろうと気になり哀しくなります。怒りだけではないですね。
 
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この回答へのお礼

有難うございます。
なるほど、子育てですか。
そんな気がしてきました。
私は残念ながら遺伝子の組み違えまたは欠損があるので、子供は諦めました。
遺伝したら、子供は絶対に幸せになれないからです。

お礼日時:2013/12/20 02:36

 ノンフィクションだから感動する、との事象もあります。

短絡的に一元的な価値観に基づく回答に応える必要はありません。それほど中身のない回答ですから。
 理性的な判断をすれば、ドン・キホーテは夢想家かもしれません。けれども彼が求めて已まなかったのは、「あるべき形や姿に向かって、ひたすらに歩み続けていく」との精神の遍歴です。理想を求めて歩み続ける人間の姿に僕は少なからず感動を憶えもします。
 これはフィクションとしての文学作品ですが、実際にこうしたスタンスを持つ人間も数多くいて、それを決してフィクションと呼ぶことにはなりもしません。
 「現実を理想に近付けるために如何なる困難にも立ち向かう」。こんなポリシーを持つ人間に僕は崇高さと多大な共感そして感動を覚えもします。逆に「理想を現実に合わせる」こんなことは自殺行為と同じといえます。
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この回答へのお礼

有難うございます。
もしかして、プロの作家さんですか?
No.6,7,8と楽しく読ませていただきました。
こういう文章が書ければ、人の心を動かすことができるのでしょうね。
勉強になりました。

お礼日時:2013/12/20 02:55

 「言葉は思考の家である」何ぞとの至言もありますが、言葉がその人の物の考え方を表す具体的な手法であることも言を俟たない話です。


 精神のない言葉があるのかとの逆の問いに対し、心理学や哲学は無駄との短絡的な意見に対し、ではそれに代わる表象手段が他にあるかといえば、応えることもできないはずです。
 哲学や心理学、そして政治学も経済学も歴史学も文学も須く「言葉を唯一の拠り所」としますから、そこにある言葉にも僕は感動を覚えることはしばしばあります。
 理系の方々も同じでしょう。「一片の美しい数式」の背景には、そこに至る多彩な精神の営みがありもする。それは恰もモーツァルトの楽譜やセザンヌの絵画にも似ているともいえます。
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この回答へのお礼

有難うございます。
様々な分野の達人の作品に、感動することもあるということですね。
確かに、この人、本当に物凄いという人が、一社に一人はいますね。

お礼日時:2013/12/20 02:48

 若かりし頃と今を見比べてみてその間にさほどの違いがあるかと言えば、対象によっても違いがあり得るのではなかろうか。

これが僕の見解です。
 若かりし頃も今も「景色」を見ても僕は感動したこともすることも憶えはありません。質問者様からすれば、トホホな輩でしょう。
 けれども僕は「言葉」に関しては、殊の他に感動を憶えもし、時によっては涙することも珍しくはありません。人の仕草も言葉ならば絵画や音楽も言葉であり、アスリートが自らの持つギリギリの到達点までの力を出し切った表情などは殊の他に美しさも感じます。
 恐らくは僕が風景などには興味がなく、人間にしか興味がないとの精神形成がこうした蔭を差しているのでしょうね。
 「ちょっぴりオツムに訴えて、ちょっぴりハートにアピール」するならば、頭で考えてしまうと感動も憶えなくなり、視角や聴覚などの感覚器を通じて取り込まれる情報ならば、最初は感覚です。感覚が身体を動かすこともあるでしょう。それを「ノリ」などと呼ぶ方々もいらっしゃいます。
 大人になってしまうと、そうしたノリの部分を何処かに押し隠してしまうのかもしれませんね。でも個人的にはつまらなくて寂しい話になってもしまうかな~と感じます。
 質問者様の自己紹介にあたる猫さんの写真を見ても、僕はなんとかわいい仕草なのか、やはり猫はいいなと単純に微笑んでもしまいます 猫バカかな?
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この回答へのお礼

有難うございます。
人の性格や考え方に因って、感動の対象、感動度などが違うので、
一概には言えないということですね。
猫には人間のような汚れがないから、私は猫が好きです。
最近、人間より動物が好きだという人が増えているそうです。
心のケアにアニマルセラピーなんている方法があるのも、
恐らく人間で埋められない心の穴を埋めるためではないでしょうか。

お礼日時:2013/12/20 02:42

そこをさらに進むのです。


汚なさが頭の悪さであることが見えてきますよ。
社会的な是非は馬鹿騒ぎに他なりません。
感動しませんか。
自然が状態が野蛮だとかよく言えたものだと。


お話はどうも、感動ではなく、綺麗さについてなのでは。
その幻滅は実際ではない虚飾を見ていたからです。幻が滅するで幻滅。

そうそう、詐欺師に騙されている被害者は寂しくて騙されているとか言いますよね。日本国民です。馬鹿のまま死ぬくらいならさっさと死んだ方が人のためになりますよ。その馬鹿とは大学教授みたいな観念馬鹿の事です。政治は大事だとか。

たぶんご期待されてる綺麗さは存在しません。綺麗さは感情論です。刷り込みによる条件反射です。
感動は綺麗とかそういった対象である必要はありませんよね。

私は心理学など学問としての価値を感じませんがこのテーマは医学ではありません。精神医学という事?感心も感動もない分野ですね。

風景が好きなんですか。これ見ろ的な風景なんて良いものはありませんよ。世界遺産とか(笑)あと春の桜ね。空騒ぎですね。
抜いても抜いても生えてきやがる雑草のがすごいです。
眼病になるとまた景色が変わります。犬猫は確かド近眼じゃなかったかな。自称綺麗な物好きの糞ババアらが肛門に回虫付けたワンちゃんとプリプリ散歩して市中に卵を巻き散らかしてますけど。すげえ丈夫らしい、雑草の種みたく、回虫の卵。感動的!ところで犬猫は寝癖にならないのですかね。
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この回答へのお礼

有難うございます。
社会の汚れの構造が完全にわかれば、感動するということですか?
長毛の犬猫は、毛の手入れをしなければ、毛が絡まって酷い寝癖になると思います。

お礼日時:2013/12/20 02:18

 そうですか?私は年齢とともに感動するようになりましたが?


だんだん涙腺も弱くなってきた気もします。若い頃はTVや映画では全く涙は出ませんでしたが。

 たとえば日本の四季折々に咲く花。
これにしても30代くらいまでは全く興味がなかったのに、歳を重ねるに連れてより美しく感じるようになり、生命の強さ、儚さなどを感じるようになりました。紅葉なども若い頃はまたく興味がなかったですね。

 ひょっとしたら、年齢的にこの自然の営みもあと20数回しか体験できないってことがあるからかもしれません。オリンピックやサッカーW杯も、あと5,6回しか見られませんし。

 
 
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この回答へのお礼

有難うございます。
世界遺産、スポーツ、花1輪。
この頃、全てに利権が絡んでいることが顕著に表れていて、
興ざめしてしまうんですよね。
食品偽装、広州恒大の監督のギャラが10億円とか、
何だかなぁと思います。

お礼日時:2013/12/18 07:43

心理学カテゴリへ移動ですね。


残念ながら一般化できません。私は逆だから。
若い頃に感動しなかった事に感動する。感動の流儀が違うのでしょう。サンタのプレゼントに喜ぶのを感動とする子供は夢から覚めてくるでしょう。逆にサンタのふりして喜ばしてくれたんだと感激する大人は少なくありません。本当のノンフィクションに感動できなければ貴方の流儀の感動は減る一方です。
賢い人が感動する流儀を身に付けていないだけです。テレビを観ていませんか。あれは飽きるからしょっちゅう手を変え、品を変えしていますよね。テレビ中毒は薬物中毒と同じで脳ミソが破壊され過剰な創作しか感動できなくなります。私に言わせたらテレビや映画で感動というのは感動ではなく病気です。
感動でないものを感動という脳ミソが現実にさらされて放心状態なのです。そういった偽感動依存性の場合、スカイダイビングになりわけです。
感動というのはもっと落ち着いていて身近なものです。子供は日常に感動していません。おもちゃメーカーやお菓子メーカーという大人に刷り込まれたペットの喜びが子供の感動です。
雑草でもちぎって太陽にかざして観察してみたらいい。ただです。

数式を美しいという人もいます。それはまともではありません。本能や欲望を芸術や人文科学にする詐欺師もいます。それは脳ミソを悪くする自虐趣味です。
はっきり言って昔から詩や音楽が人々を感動させてきましたがそれは人々が文明人ではなかったからです。日常や自然の見事さを神というフィクションの一つで済ませ全ての感動を神、つまり宗教に吸い上げられていたのです。現代の神はテレビと政府です。中身がない。
生まれた子供の目をふさいでいると目が見えても物を認識できなくなります。フィクションばかり見てきて感動してきたら現実を認識できなくなっています。
政府や老化や診断名のせいにされない事です。
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この回答へのお礼

有難うございます。
ノンフィクションは知れば知る程、人間の汚れを思い知らされます。
バブルの頃に比べて、世の中にすっかり偽装が蔓延し、
そういうことに幻滅しているのかもしれません。

お礼日時:2013/12/18 07:34

 1回目と2回目以降では、驚きが違いますから。


 (子供のころは初体験が多いので、見るモノ全てが新鮮)

 あと、年取ると、後の事を考えてしまいがち…というのもあります。
 (片付けが大変とか、疲れるから面倒くさいとか)

 大きな感動をしたかったら、行った事のない海外に行くとか、スカイダイビングをするとか、未知の体験を繰り返すしかないかと。
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この回答へのお礼

有難うございます。
新鮮さが無くなることと、いろいろ考えてしまうのが原因なのですね。

お礼日時:2013/12/18 07:29

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Q年をとるとなぜ感動がなくなるの?

18才の頃は初めてする事は何をするにも感動がありました。
でも年齢を重ねていくにつれ、
今はいくら衝撃的な事が起きても感動やドキドキ感が出てきません。
20代後半の男ですが普通でしょうか?

Aベストアンサー

普通だと思います。

例えば、映画やTVドラマで感動したとします。
しかし、同じ映画やTVを2度観ても、最初に観た感動は得られません。3度、4度と繰り返し観れば、感動は更に薄まります。
違う映画やTVドラマであっても、似たシーン、似たストーリでは感動も減ります。
別に感動では無く、怒りや哀しみ・恐怖や歓喜など他の感情でも同じでしょう。

所謂、慣れというモノです。
年齢を重ねるという事は、重ねてきた分だけ様々な経験を積んでいる可能性が高いです。
また、初めての事に思えても、案外と予想したり対処したり出来るのです。

歳をとってはいても、予想も出来ない困難な問題を克服したりすると、やはり感激すると思いますよ。
ただし、歳をとると責任が大きくなるので、困難から逃げる選択を選ぶ事も多くなりますが…。

あと、中高年は仕事や子育てなど、とても忙しいです。友人以外の付き合いも出てきますし。
行動範囲も広がり、金銭にも余裕(ある程度)があり、興味や趣味などやれる事が広がります。
つまり、感度する心の余裕が無くなったり、一つの事に没頭している時間が無くて感動する機会を失ったりするのも、原因の一つではと思います。
しかし、お爺ちゃんお婆ちゃんになると、また余裕が出てきます。子供に厳しかった親が、孫に優しくなるパターンです。

普通だと思います。

例えば、映画やTVドラマで感動したとします。
しかし、同じ映画やTVを2度観ても、最初に観た感動は得られません。3度、4度と繰り返し観れば、感動は更に薄まります。
違う映画やTVドラマであっても、似たシーン、似たストーリでは感動も減ります。
別に感動では無く、怒りや哀しみ・恐怖や歓喜など他の感情でも同じでしょう。

所謂、慣れというモノです。
年齢を重ねるという事は、重ねてきた分だけ様々な経験を積んでいる可能性が高いです。
また、初めての事に思えても...続きを読む

Q大人は物事に感動しなくなるのは?

小中学くらいまでは相合傘やらラブレターやら、「精神」で遊んでましたし、それで思っている相手に告白やらすることにものすごく純粋な思いでやっていました。
テレビゲームの新しいのやら、図書館で借りた本を開くのが凄く幸せな気分でした。

それが大人になってなくなってしまったのは、どういう心理なのでしょう。

ただ単に、目が肥え舌が肥え耳が肥えしてしまったからでしょうか?

Aベストアンサー

子どもの時、観るもの全てが初めてで感動でした。雨が降る。虫が鳴く。鳥は空を飛び、星は光る。不思議なことばかり。絵本や漫画も新しい世界へ旅立つきっかけになりました。純粋に恋をして、どうしていいのかわからず、ただただ赤面だった初恋。いろいろと懐かしい思いでいっぱいです。

大人になるということは、そういった子どものことを理解できなくなった、オトナしい存在になったことだと思います。全てが不思議で、感動で、面白くて、知りたくて、行動的で、エネルギーに溢れている子ども。
まず、小学校から社会的行動が義務付けられます。そこで学問を学び、社会生活を体験を通して学びます。当然、我慢しなければいけないことが多々あります。おかしいと思っても、社会的に従って行動しなければいけないことがあったり、また、社会内における自我も発達します。他人の目を気にするようになるんです。

極端な話、"大学を卒業して就職してキャリアを積んで出世しなければいけない"というような、目に見えない定規を社会内で、気にしたりし出すんです。また、○○歳の男としての自覚とか、自分で自分を"枠"にはめようとしだします。
大人になれば、資本主義国家の義務として、"労働"のこと意識しなきゃいけないし、そこで少しでも多くのお金が欲しいとなれば、出世しなければいけません。

大の大人が子どもみたいなことをしていたら、精神レベルを怪しまれたりもします。それでも僕は平気でしますが。bossambaさんがおいくつかわかりませんが、多くの人は高校生になれば"高校生ぶる"し、大学生になれば"大学生ぶり"ます。その枠の中に入って演じているんです。演じなければカッコ悪い、そういう目で見られます。純粋な人は、演じるんじゃなくって、その枠の中でもスジを通します。それが大人になると大変になったりもします。大人の世界は、本音と建前の世界です。尊敬してなくても上司を尊敬しているフリをしたり、謝りたくもないのに、クレーム処理で頭を下げたり、いろいろと大変です。そういう社会で生きていくには、純粋に感動なんてしていられません。純粋であるより、相手の裏をかこうと神経を使う人が多いんです。常に社会的にいい場所にいようと必死です。多くの人は、感動よりお金や安定を求めるようになるんです。

本来、恋愛とは純粋に男と女がぶつかるものだと思うのですが、大人になって恋愛すると、なんだか打算的な人が多いようです。肩書きとか収入とかいろいろと計算して結婚とか絡んできます。純粋にぶつかれば、これほど感動的なことはないのに…。その価値を忘れてしまった、あるいは知らないうちに大人になってしまったんだと思います。

その背景には、感動する精神は自分の内に響きます。それを共有することは、なかなか難しいのです。それを表現すれば芸術家だと思いますが。大人になると、そんな個人的なことよりも、他人に認めてもらいたい、そのためにも、社会的肩書きとか、お金持ちになるとか、とかく、他人が評価できるものを求める傾向にあると思います。やはり安定ですね。本当の芸術家は、相手に認めてもらいたいために絵を描くのではなく、表現したいから絵を描くんだと思います。優先順位が違うんです。

大人は肥えるのもあるけど、慣れて惰性的になり、感性が麻痺してしまい、感動の価値を忘れ、またそれがない世界で生き、他人から認めてもらえる社会的な価値を求めるようになるんだと思います。

子どもの時、観るもの全てが初めてで感動でした。雨が降る。虫が鳴く。鳥は空を飛び、星は光る。不思議なことばかり。絵本や漫画も新しい世界へ旅立つきっかけになりました。純粋に恋をして、どうしていいのかわからず、ただただ赤面だった初恋。いろいろと懐かしい思いでいっぱいです。

大人になるということは、そういった子どものことを理解できなくなった、オトナしい存在になったことだと思います。全てが不思議で、感動で、面白くて、知りたくて、行動的で、エネルギーに溢れている子ども。
まず、小学...続きを読む

Q最近、感動しなくなった。

タイトルの通り、最近感動しないんです。
前までは、感動しやすいタイプだったんですが、最近、友達に「感動するで。泣くで。」とか言われて見た映画とかも全く感動しなくなったんです。
感動しないと言うか、どこが感動する場面かすらわからないんです。
感動するところでは普通に感動したいんですができないんです。
なぜでしょうか?
アドバイスよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 こんばんは。
感動ということでは、日常生活の中で感動するようなことがほとんどないからではないでしょうか?

 学生さんなのか社会人なのか分かりませんが、勉強や仕事に追いまくられて、感動を得る場面が少ないような気がします。

 感動は自然の中で多く得られるものです。空が青く澄んでいて気持ちが良いとか、日没の夕焼けの燃えるような赤い色が刻々と変化するのは最近見ていますか?空気がきれいな場所ほど、空や夕焼けがきれいです。大都会の中のコンクリートジャングルでは夕焼けすらみられないかもしれません。

 今の時期、花もきれいに咲き出す季節です。ちょうど梅が見頃の場所も多く、桜も早咲きの寒桜が咲いていて利します。菜の花畑には行ったことはありますか?一面黄色でミツバチが飛び交う様子は、春の到来を感じさせてくれます。
 
 今年は早くも来週にはソメイヨシノ桜の開花の時期と報道では伝えられています。私もサクラは楽しみで、夕方の公園で桜並木の下を歩くのが好きです。そして、散りだした桜が地面一面を覆い、月明りに照らされ淡いピンクのじゅうたんを敷き詰めたような光景は、この世の物とは思えない幻想的な風景はまさに感動ものです。

 あとは、海を見に行くのも良いでしょう。広い海をみればそれだれで感動するものです。

 こういうきれいだとか凄いという感動が、人の情緒を豊かにしてくれます。毎日、パソコンと人とのコミュニケーションに追われているだけでは何事も感動得られず、感動を押し殺して黙々と生活しているだけです。

 今度の週末にでも部屋から飛び出して、咲き誇る花から、春の季節のフェロモンを体いっぱい感じ取りに出掛けませんか。きっと素敵な感動が待っています。
 

 こんばんは。
感動ということでは、日常生活の中で感動するようなことがほとんどないからではないでしょうか?

 学生さんなのか社会人なのか分かりませんが、勉強や仕事に追いまくられて、感動を得る場面が少ないような気がします。

 感動は自然の中で多く得られるものです。空が青く澄んでいて気持ちが良いとか、日没の夕焼けの燃えるような赤い色が刻々と変化するのは最近見ていますか?空気がきれいな場所ほど、空や夕焼けがきれいです。大都会の中のコンクリートジャングルでは夕焼けすらみられな...続きを読む

Q年齢と共に、無気力・無感動・無関心になるもの?

小学校高学年の頃、初めてテレビで新年を迎える瞬間を見た時は、
とてもワクワクしました。あの不思議な感動を忘れられません。
ところが、近年は年越しイベントに出かけて見て、
ただ、コンピュータ上の数字が変わるだけなのに、
何でこの人たちはこんなに騒いでいるなのだろうと、奇妙に感じます。

子供の頃、朝起きてその冬初めての雪が積もっているのを見て、
とても不思議な興奮を覚えました。
ところが今は、飛行機の上から下を眺めて、東北上空あたりから、
地上の色が少しずつ白く変わっていくのを見て、
憂鬱な気分になっていきます。鬱陶しくて仕方ありません。

なぜこうなってしまったのか、自分でもわかりません。
今26ですが、二十歳くらいまではこうではありませんでした。
昨日、自分の好きな趣味の展示を見に行きましたが、
途中で見るのも面倒くさくなり、早く帰りたくて仕方なくなるなど、
“三無主義”が、20代後半に入って更に進行したのを感じます。
(私は独身なので、子育てや家族付き合いに追われるわけではありません。)

そこで、20代独身の皆様にお聞きします。皆さんも上記の例のように、
10歳台の頃と比べ物事に対して、大幅に無気力・無感動・無関心になりましたか?
当てはまる方は、ご回答お願いします。

[1]
それはいつ頃から、どのような感じで表れ始めましたか?

[2]
そうなってしまったのは、なぜだと思いますか?
複数理由はあるとは思いますが、思い当たる理由を全て教えてください。

[3]
歳を取ると、今よりさらに無気力・無関心・無感動になると思いますか?

小学校高学年の頃、初めてテレビで新年を迎える瞬間を見た時は、
とてもワクワクしました。あの不思議な感動を忘れられません。
ところが、近年は年越しイベントに出かけて見て、
ただ、コンピュータ上の数字が変わるだけなのに、
何でこの人たちはこんなに騒いでいるなのだろうと、奇妙に感じます。

子供の頃、朝起きてその冬初めての雪が積もっているのを見て、
とても不思議な興奮を覚えました。
ところが今は、飛行機の上から下を眺めて、東北上空あたりから、
地上の色が少しずつ白く変わっていく...続きを読む

Aベストアンサー

40代のおじさんです。
そういわれてみると、子供の頃の感動は年とともに薄れていった気がしますね。

[1]
>それはいつ頃から、どのような感じで表れ始めましたか?

20代前半ぐらいからでしょうか。
どんな感じ……というより、忙しくて周りを見る余裕がなくなってきて、気がついたらさまざまなものがただ通り過ぎるようになっていた、という感じでしょうか。

[2]
>そうなってしまったのは、なぜだと思いますか?
>複数理由はあるとは思いますが、思い当たる理由を全て教えてください。

「忙しい」というのは大きいと思います。
それと、子供の頃に比べてさまざまなことを見聞きし経験してきたことで、世の中のたいていのことはわかった(つもりになった)ために、新たな驚きがなくなってきたんじゃないでしょうか。

振り返って鑑みるに、20代の頃というのは、まるで世の中のすべてのことを自分は理解しているかのように勘違いしていた気がします。そういう「オレ様」的な感覚に陥って、あらゆるものを見下して眺めるようになってしまうと、感動は逃げてしまうのでしょうね。

[3]
>歳を取ると、今よりさらに無気力・無関心・無感動になると思いますか?

いいえ。
これが驚くべきことに、途中で復活したのです。それは、「子供」が生まれてからです。日々、感動の連続です。今では、まぁ生まれたときほどの強烈な感動というのは少なくなってきましたが、それでもときどき、じわ~~っと感動の余韻に浸ることがあります。

近所のおばあちゃんなどは、歳をとるにつれ、ただその日普通に過ごすことだけで何事もありがたく感じるようになるといってました。ですから、感動の波は、歳を取るにつれまた何度かやってくるのかも知れません。

40代のおじさんです。
そういわれてみると、子供の頃の感動は年とともに薄れていった気がしますね。

[1]
>それはいつ頃から、どのような感じで表れ始めましたか?

20代前半ぐらいからでしょうか。
どんな感じ……というより、忙しくて周りを見る余裕がなくなってきて、気がついたらさまざまなものがただ通り過ぎるようになっていた、という感じでしょうか。

[2]
>そうなってしまったのは、なぜだと思いますか?
>複数理由はあるとは思いますが、思い当たる理由を全て教えてください。

「忙し...続きを読む

Q最近感動が薄いです。

20代前半男です。
最近、感動することが本当に少ないです。
昔は何かにつけ一喜一憂してた気がします。
最近はあまり活発に行動してないことも要因だと思いますが、日常のささいなこと、例えば人に怒られたり、感動すると言われている映画などをみても、心に何も残る感じがしません。涙は出たりするんですけど。生きている心地がしないんです。ふわふわふわふわした感じで。別に死にたいとか、うつになっているわけではないんですけれど。

さらに思うことが、ネット・携帯の使いすぎで(このサイト含め)頭を使うことが無くなってきているな、と感じているところです。このまま行くとやばい気がします。バカになりそうです。何か目標を作らないといけない、というのが今の目標で、とりあえずなんかしないと、とは思ってるんですが。

同じような境遇の方はいませんか?
何か対処法はないでしょうか。
お願いします。

Aベストアンサー

そういう状態を精神科領域では、「離人感(りじんかん)」と言っているようです。人から離れると書きますが、どうも自分から心が離れていくイメージから名前が付いたようです。
一時的な離人感は誰にでも起こりうるもののようです。
原因もいろいろあるようですが、脳の疲労が原因である可能性が高いようです。
「ネット・携帯の使いすぎで(このサイト含め)頭を使うことが無くなってきている」
ということですが、ネット・携帯は使っていること自体が、脳に結構な負担を強いているんです。つまり、考えていないようでも、脳はこの間膨大な情報を処理している訳です。
離人感も慢性化すると、離人症とか離人神経症と呼ばれて、治療の対象になることもあります。
こうなると、放っておくと、統合失調症になるケースも少ないとは言えあるみたいです。

Q休日寝てばかりで起きれない自分に対し

休日(土日)にひたすら寝てしまいます。土曜日は夕方の5時くらいに起き、また夜11時ごろが寝てしまい、日曜日もそのまま夕方まで寝込んでしまいます。寝れるということは、せっぱつまった悩みがないのかもしれませんが、何もする気になれずとにかく布団が恋しくてなりません。平日は仕事をしていますが、何気に予定が入るとなると”布団に入れる時間がなくなる”と咄嗟に考えてしまいます。元々休日は寝ている方ですが、最近度を越しています。
最近、ちょっと病気なんでは?と思います。
気分的に日常もずーーとLAWですし、偏頭痛と腰痛がひどく何もする気がおきません。
私としてはせめて昼前に起きて、外に遊びに行くような元気が欲しいのですが、これはただの怠け者なのでしょうか?

Aベストアンサー

再びの返信有難うございます。東京女子医大の医学博士の先生のお話では、軽いうつ病(冬季うつ)冬場だけのうつ病の人は本人自身かなりひどい状態になるまで気がつかない人が多いんですって・・・うつは怠け者と勘違いされやすいけど実は、人一倍仕事ができいわゆるキャリアウーマンに多いのも事実です。あなたもお仕事ではそれなりのポストを任されている方なのでは・・・あなたが東京在住のかたならばもし受診されるのなら、予約が必要ですが女子医大がお薦めです。

Q黒髪の白人は何ですか?

黒髪の白人は何ですか?


旅行でドイツに行って気がついたのですが、
同じ白人なのに、髪が黒色で、顔つきも少し所謂コーカソイド系とは異なる
顔つきをした人が、ごく少数ですがいました。
しかしながら、明らかにアジア系ではなくコーカソイド系に属することは間違いありません。

白人は基本的には髪の毛の色が金や白色をしていますよね?

こういった黒い髪をした白人って、先祖のどこかで、
アジア人(モンゴロイド系)と混血したと考えられるのでしょうか?

それとも
鼻が大きい、目が小さい、など身体的な特徴は人によって違うように
純粋な白人であっても、金髪の人とそうでない人がいるのでしょうか?

Aベストアンサー

ウソ→・白人は基本的には髪の毛の色が金や白色をしていますよね?

北欧三国除けば、生まれた時点では白人も金髪は少数派。黒髪の方多いよ。
金髪でも、黒髪染めた方がドイツでは多い。
だから、ゲルマンのアーリア金髪碧眼傾倒がでてくるわけ、ありふれてたら。あこがれにならん。
金髪は劣勢遺伝だから、減少かにある。

・こういった黒い髪をした白人って、先祖のどこかで、
アジア人(モンゴロイド系)と混血したと考えられるのでしょうか?

髪の色だけなら白人同士でも黒髪多いから、とくに、そうとは、いえない。

Q40代で子育てが終わりその後の人生を悩んでいます。

いつもここでは適切な回答を頂きありがとうございます。また宜しくお願い致します。

今年下の子供が大学生になりようやく子育ても終わりが見えてきました。
22歳で結婚して今43歳です。その間、転勤も多かったので、専業主婦でした。
今、旦那は単身赴任中で、1週間の半分は主人の元で過ごしていたのですが、
なんだかここ最近、自分の人生ってなんだろう・・と考えるようになったのです。
それは些細なことで主人と喧嘩をして、自分を見失いそうなほど落ちこんでしまい、
主人は仕事がありますが私はなにもないな・・と。
単身赴任は不便なので奥さんが着いて行くのが当たり前と思っていましたが、
周りの奥様方と会話をすると、旦那が居ない生活が楽しくて、楽でいいよ。と言います。
私もこちらで働き、自立をして社会とも関わりたい。このまま
年をとっておばあさんにはなりたくない・・と思っているのです・・。

私のように子育て完了されて第二の人生を歩んでいる先輩方。。
よきアドバイスを下さい。

Aベストアンサー

こんにちは、今53歳の主婦です。

「自分の人生ってなんだろう・・・」
私も随分そう考えましたね。
私の場合は夫の家族と同居で、子育てと同時に夫の祖父母の介護があり、子育て中にそう自問自答してたので、時期が違いますが。
子育てが終わると同じ頃、祖父母を見送り介護も終わり。
今後、夫の両親、自分の母親の介護がいつか始まるでしょうが、今のところ元気でいてくれるので大変ありがたいと思っています。

貴女の人生、立派に子どもを育て上げ、夫を支えてきたではありませんか。
ちゃんとその間も価値のある人生だったのですよ。
そして、自分の為に時間が使える時が来たのです。
やったー、この時が来た~、って両手を上げましょう。

お仕事をするのももちろん結構!
でもそれだけじゃ、つまらないと思いませんか?

私の場合ですが。
夫が定年になったらやりたい事をいっぱい考えて。
国内、海外旅行したい → 英語出来たらいいな → 英語の教材を買い込んだり、英会話教室に通いました・・・が(これは現在挫折中・・・また始めようかな・・・)

南のリゾート地でゆったり楽しむ自分を夢想。
でも泳げない → 泳げたらこれからの人生、楽しみが増えそう → 水泳教室に4年通い、泳げるようになりました → 初めての一人旅を決行、沖縄でダイビングをして来ました(夫の定年を待ち切れずに)

2年前から、夫との共通の趣味として自転車に乗り始めました。
クロスバイクから始め、今はロードバイクに。
今年はいくつかのイベントや大会に参加したいと思っています。
ロードバイク関係のブログを始めようかと思案中。

断続的にエアロビに通ったり。
着物の着付けも習いたいなぁ。
暇があると、ネットでクルーズの旅や、車中泊の旅の情報を見て、あれこれ夢想。

私の場合は、これから来るであろう第2の介護を覚悟しているので、今を大切にしたいとあれこれ詰め込んでいますし、夫の定年後も親達の健康状態しだいでどうなるかわかりませんが、考えても仕方がないから、希望だけは沢山(笑)
昼間はパートで、親との同居だから家事もして、水泳も英語教室もエアロビも夜にしています。
子どもの心配をしなくていいから、夜の時間は使いたい放題!

幸せも生きがいも楽しみも、自分で作るものです。
子どもの頃の夢を実現させたり、好きだった事を思い出して、貴女のこれからの人生を彩ってくださいね。

こんにちは、今53歳の主婦です。

「自分の人生ってなんだろう・・・」
私も随分そう考えましたね。
私の場合は夫の家族と同居で、子育てと同時に夫の祖父母の介護があり、子育て中にそう自問自答してたので、時期が違いますが。
子育てが終わると同じ頃、祖父母を見送り介護も終わり。
今後、夫の両親、自分の母親の介護がいつか始まるでしょうが、今のところ元気でいてくれるので大変ありがたいと思っています。

貴女の人生、立派に子どもを育て上げ、夫を支えてきたではありませんか。
ちゃんとその間も価値の...続きを読む

Qゴムなしで外だし2回したら…

私は高1の15歳です

今月7日にゴムなしで2回ヤりました
そのときに外だししたんですけど、外だしって中だししたときより妊娠する確率って下がるものでしょうか?
友達に聞いたら外だししてもあまり確率は変わらないと言われ不安になりました

生理がこなかったら
妊娠検査薬を使おうと思ってるんですがいつごろ使えば正しい結果がでるんでしょうか?
今のところ妊娠の症状は出ていません


責任の取れない歳なのにこんなことをしてしまってバカだと思っています
答えていただけるなら幸いです
よいお答えをお待ちしてます<(_ _)>

Aベストアンサー

通常の中だしよりも、確立は下がりますが、外だしでも、妊娠の確立はありますよ。

私が18歳(高3)の時と19歳の時外だしで妊娠経験済です(苦笑)

ん~だいたい生理予定日から1週間後ぐらいで妊娠検査薬は使用出来ると思います。
そして、更に1週間後ぐらいで、産科に受診すると赤ちゃんの袋(タイノウ)と言うのが見えると思うのですが・・・

月経前と妊娠症状は似ているので、こんな症状があるから妊娠してるとも言い切れないので注意して下さいね!

生理と妊娠を見極めるには、基礎体温を毎日つける・生理予定日以降に検査薬を使用する・産科で検診

未成年と言う事なので、出産するにしろ、中絶するにしろ、彼だけの同意書だけでは産科は受付してくれないので、
もし、妊娠をしていたら、話しづらいでしょうけど、、両親に話して下さいね!
自分の身体ですから、大切に

私は・・・18歳(高3)の時、両親に話す時・・・初めて・・・正座して会話をしたのを覚えてます^^;

Q昔よりワクワクドキドキしない

今年ももうすぐ終わるし、一年を振り替えって少し考えてみたけど、今年は有意義に過ごせたのかな?って疑問に思う。

なんだか、年々、日々の出来事に感動しなくなってきた。
前は、ショッピングして、流れているBGMを聞くだけでHAPPYになれたし、全てがキラキラしてたのに、そう思わなくなった。
恋愛ドラマとかも好きだったのに、最近は見てもワクワクドキドキしないし…

少しずつ何かが失われているというか、潤ってたのに乾燥していく感じ。

これから、歳をとったらもっともっと、何をしてもキラキラしなくなるの?
こういう風に感じたことありますか?
皆どうしてる?

Aベストアンサー

 年齢によるところが多いですね。
10歳の子は赤ちゃんから幼児の頃は記憶に無いので自分の意識の中では5回目くらいの年末年始。
20歳の子は15回。
30歳の人は25回。
50歳の人は45回(笑)

 例として年末年始を上げましたが、すべての日常が同じだけの回数経験するということです。
もちろん、学生時代と、就職してからと、結婚してからと、子どもができてからと、子どもが成人するまで、孫ができてからなどと人生の節目にはしばらくの間は過去に経験したことが別のことに見える時期もあります。我が子が子供の頃に毎年買っていたクリスマスプレゼントを今度は10数年ぶりに孫のために買う。こういう時はドキドキキラキラすると思います。

 たとえば歳を重ねると、若い頃に感動しなかったことに感動を覚えます。
四季折々に美しく咲く花・・・たとえば桜や紅葉など、若い頃にはあまり興味がなかったことと思われます。町で見かけた素敵な出来事・・・たとえばお年寄りをいたわる若い世代などを見ても感動できます。近所のうるさいガキたちも、年をとったら可愛く見えるものです。

 質問者さんがもし現在感動を覚えることが少ないと感じるのなら、現在の生活環境が長年変化がなく落ち着いているということなのでしょう。それはそれでとても幸せなことだとも思います。なにもかも変化がいいとは思えませんし。

 年齢によるところが多いですね。
10歳の子は赤ちゃんから幼児の頃は記憶に無いので自分の意識の中では5回目くらいの年末年始。
20歳の子は15回。
30歳の人は25回。
50歳の人は45回(笑)

 例として年末年始を上げましたが、すべての日常が同じだけの回数経験するということです。
もちろん、学生時代と、就職してからと、結婚してからと、子どもができてからと、子どもが成人するまで、孫ができてからなどと人生の節目にはしばらくの間は過去に経験したことが別のことに見える時期もあります。我が子が子供の...続きを読む


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