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小学四年生の子に、
「第二次世界大戦って何が原因で起こったの?」という質問をもらいました。

色々と細かいことは数知れず説明が必要かと思うのですが、これを簡単に、かつ、四年生にもある意味バッチリと理解させるためには、どのような説明を行えばよいでしょうか?

ドイツの負債やブロック経済云々を話しても難しいですし、何と伝えれば理解しやすいでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (12件中1~10件)

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。



今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで問題を解決してしまえと考えている人達が沢山いる為です。

第二次世界大戦が始る前の頃には、世界の国が二つのグループに分かれていました。
一方は日本とドイツ、イタリアのグループでした。
もう一つはアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパの国々でした。
今の国連とよく似た国際連盟というのがスイスにありましたが、なかなか話し合いが上手くいきませんでした。

ヨーロッパではドイツが初めに周りの国へ軍隊を送り戦争がはじまりました。
日本はその頃、中国の東北地方と呼ばれる朝鮮半島の北側の一帯に満州国という国を作って、そこへ沢山の日本人が移り住んでいました。
このことについてアメリカなどが強く反対していました。
日本とアメリカや他の国といろいろ話し合いをしましたが、上手くいかずに戦争で勝負を着けようということになってしまいました。
ドイツはフランスなどヨーロッパの国と戦争し、日本はアメリカや中国と戦争をするという状態になってしまいました。
ドイツと日本は同じグループでアメリカやフランスは別なグループですから、結局このグループ対グループの戦争となり世界中が戦争をしているという状態になってしまいました。

ドイツがなぜ他所の国へ軍隊を派遣したのか
第二次世界大戦の前に第一次世界大戦と呼ばれるヨーロッパの国々どうしの戦争が有りました。
この戦争でドイツは負けました、
負けた後に払いきれないほど沢山の賠償を要求されてしまいました。
この為に貧乏になって生活が出来なくなりました。
これを止めさせることをスローガンとした政治家が現れて、国民の支持を受けて独裁者となりました。
そして約束通り周りの国を武力で降参させていきました。

日本がなぜアメリカと戦争を始めたか
日本が中国大陸の一部に満州国という国を作ったことに対して、アメリカが強く反対しました。
その頃東南アジアの国々はフランスやイギリス、オランダなどの植民地でした。
これ等の国々も中国の各地方を自分の支配下に置こうとしていました。
フィリピンもその頃はアメリカの植民地でした。
日本のまわりの国を植民地にしていた国々がアメリカと同調して経済的な圧力を加えてきました。
今の経済制裁というやり方です、何も売らない、何も買わないというやり方です。
この話し合いが上手くいかずに、中心となっていたアメリカに対して宣戦を布告をしました。
当時、日本は石油はほとんど全てアメリカから輸入していました。
鉄も同じように輸入していました。
これを売ってもらえなければ、日本は生活ができませんでした。

今と全く違うのは、アメリカやヨーロッパの国も、戦争で勝負を着けることがごく当たり前という考え方でした。

こんなところですかね~
何かの参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。

グループ分けの説明、わかりやすいと思います。
何で2つのグループに?という質問が返ってくると思いますが、
この辺りは調べるヒントを伝えたいと思います。

お礼日時:2013/12/29 10:44

最近強くなったドイツくん。


ドイツ「最近の俺は強いぜ!ヨーロッパを俺が全部支配してやる!」
ドイツくんはイタリアくんと手(軍事同盟)を組みました。
そして二人は、ポーランドくんを攻撃し始めます。
ポーランドのお隣にいるロシア君は怖いので「絶対に攻撃しないよ。」と約束しました。(不可侵条約)
ポーランドくんとイギリスくんとフランスくんは仲良しでした。
「もしポーランドくんが困ったら二人(イギリスくん&フランスくん)で助けてあげる」と、約束をしていました。
この約束を果たそうとイギリスくんとフランスくんはドイツくん達に言います。
イギ&フラ「ポーランドを攻撃したら、俺らもそっちに攻撃するからな!!」
そして、大喧嘩(第二次世界大戦)が始まりました。


こんな感じでどうでしょうか?
だいぶゆるく書いたんですが…。
ゆるすぎましたかね?
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。

これまた、非常に分かりやすい説明感謝いたします。

これは4年生以下にも伝わりやすいかもしれません!
色々と組み合わせて説明したいと思います。
決定的な事を一言で纏めるのは難しいですね…。^^

お礼日時:2013/12/29 10:46

 >よろしくお願いします。



 非常によい質問内容。5分間ほど考えた。


 そのシチュエーションで、自分なら「主張の相違が原因で起こった」と回答するかな。
 相手の真剣度によってはもうちょっと詳しく話すかも。「自分(達)の主張(言い分)と相手(達)の主張(言い分)が合わなかったから」とか。あ、同じ意味だな、これは。

 「どんな主張だったか」については、自分側の目線と相手側の目線で調べたり、主張するに至った背景を調べれば、(主張するように至った心情を)理解することができなくても、知ることはできる。
 知っておけば、いつか理解する日がくるかもしれないけど、知らないと理解することは難しいよね。

 主張内容は大きなものから小さなものまで沢山ある(原因が1つではないことが分かる)ので、時間をかけて調べればいいと思うよ。
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この回答へのお礼

貴重なお時間を割いて頂きありがとう御座います。

1つ1つ調べながら、疑問を解決するヒントをあげたいと思います。

お礼日時:2013/12/29 10:42

「なぜ第二次世界大戦が起こったのか」との疑問を立てたのならば、第一次大戦との関係、ベルサイユ条約そしてワイマール憲法の問題等を採り上げねば、一つの歴史事象が幾つもの歴史事象と密接に関連しているとの「歴史教育の根本」を学習することにはつながりもしません。


 >バッチリと理解させる
対象が現代史の領域ですから、常に現在進行形の形です。従って現在もそれに関する検証は様々な視点から行われてもいます。こうしたことから「ドイツの負債」や「ブロック経済」云々も「第二次大戦の引き金となった一つの要因」ではあっても、それが全てであるとはいえないことになります。
 親子で一つの事象を調べようとするならば親御さんは子どもさんに対し、「調べるきっかけや手掛かり」を考えさせることが大切です。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
やはり、複数の歴史の事柄を色々と理解しなければなりませんね。

お礼日時:2013/12/29 10:40

第二次世界大戦はヒットラーの出現によるものです。

ヒットラーが出現しなければ第二次大戦はありませんでした。

太平洋戦争はヒットラーが出現しなくてもあったかもしれません。
日本は満州国を作りましたからね。
アメリカもヒットラーがおらず日独伊三国同盟が締結されなければ大目に見てくれたかもしれません。

しかし、戦争したくてしかたがなかった関東軍が中国に攻め込めば、中国がアメリカに助けを求めて、結局太平洋戦争は起こっていたでしょう。
ヨーロッパが平和でアメリカは日本だけを相手にするのであれば原爆を落とすまでもなく日本は負けていたでしょう。
ソ連はドイツの脅威がなければアメリカと一緒に参戦していたかもしれません。
そうなっていたら日本は真っ二つにされて東京の北半分から北は北日本人民共和国となっていたことでしょう。
そして南半分はいまごろせっせと北にコメを送り続けていたでしょう。
ああやだやだ。平和がいいよね。
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この回答へのお礼

平和がいいですよね!^^
ありがとう御座いました。

お礼日時:2013/12/29 10:39

〔小学4年生向けに〕


第二次世界大戦は「矛盾」が原因で起こったの。「矛盾」って知ってるよね。

まず「カント」の矛盾のお話から始めるよ。
(パソコンでカントの肖像を見せる)
カントはドイツの偉い哲学者で、18世紀の人だった(詳しく言うとケーニヒスベルクの人で、今はロシアの飛び地)。18世紀って言ったら日本では江戸時代だね。カントはいっぱい本を書いたけど、『永遠平和のために』という本も書いたの。
「平和のために軍隊は廃止しよう」と書いてある。「軍隊を持つと大金がかかるから、貧乏な国になる」と書いてある。
だけど、カントは別の本で、「戦争は国民の精神を気高くする(立派なものにする)」とも書いてる。戦争にロマンを感じてたんだね。これは矛盾だろう。戦争に反対なの、賛成なの、どっちなの?

第一次世界大戦が、このようなロマンを打ち砕いた。時代は一気に飛んで20世紀だよ。日本では大正時代だった。第二次じゃなくて第一次だよ。
第一次世界大戦の原因は何だったかというと、「それまでもしょっちゅう戦争していたから、その流れで」って感じだった。
しかし、この戦争はそれまでの戦争とはまた違う、ものすごい戦争になっちゃったんだ。ボクちゃんは「一番ものすごい戦争は第二次世界大戦」と思ってるでしょ。確かに、世界合計ではそうだ。だけど、フランスやイギリスでは、第一次世界大戦の方が第二次より死んだ人が多かったんだよ。
この戦争で、毒ガスや戦車や飛行機が登場した。徴兵されたり、ロマンを感じて志願したりした各国の若者たちが、いわば殺人機械になぎ倒されていった。徴兵というのは、無理やり戦争に行かされることだね。
(パソコンで「機関銃 塹壕」のGoogle画像検索結果を見せる)
この第一次世界大戦で、勝ったのは連合国(フランス・イギリス・ロシア・イタリア・アメリカ・日本など)。負けたのはドイツなど。ドイツは、ものすごい賠償金を払わされることに決まった。ものすごい戦争だったから、ものすごい賠償金なんだね。
これがカントの2番目の矛盾だよ。1番目の矛盾は戦争ロマン。2番目の矛盾は『永遠平和』の矛盾。「戦争に負けると貧乏な国になる。だから、負けないように普段から軍隊にお金をかけといた方がいい?」

勝った連合国も矛盾してたんだよ。第一次世界大戦のものすごい被害にショックを受けて、「もう、しょっちゅう戦争するのはやめよう」と決心した。それはいいことだよね。だけど、戦争をやめるためには皆で仲良くしなければならないのに、負けたドイツからものすごい賠償金を取ることに決めた。
これは矛盾だよね。ドイツは復讐心に燃えて、「もう一度戦争して今度は勝つぞ」と決意した。第一次大戦の前から、ドイツはノーベル賞受賞者も多い強国だった(特にノーベル化学賞。アメリカより多いくらいだった)。
化学は「ばけがく」とも言う。空気って知ってるよね。空気はいくらでもある。その空気の中の「窒素」が「アンモニア」に化ける。これを発明したドイツの化学者は、ノーベル化学賞を受けている。そして、アンモニアは肥料や火薬・爆薬に化ける。肥料は農業に役立って、食料が増える。火薬・爆薬は銃弾や爆弾の材料になる。つまり、ドイツは復讐心に燃えて再び立ち上がり、イギリスやフランスをおどすほどの国になったんだ。
しかし、イギリスやフランスは「もう、しょっちゅう戦争するのはやめよう」と思ってたから、再びドイツと戦端を開きたくはなかった。何とか妥協しようとした(宥和政策)。妥協というのは、おだやかに解決すること。

ドイツもまた、矛盾していた。そのころのドイツは、「生存圏」ということを頻(しき)りに言った。「我がドイツは、イギリスやフランスにぎゅうぎゅう押さえつけられている。これを跳ね返し、ドイツが生きていくための土地を確保しなければならない」という考え方だ。
しかし、その生存圏はドイツの周りの国なども含んでいた(例えばチェコスロバキアやデンマーク)。ドイツが生きていくために、それらの国々を飲み込んでしまうということだ。これは矛盾だよね。ドイツに生きる権利があるなら、それらの国々にも生きる権利があるだろう。
皮肉なことに、ドイツは「ポーランド回廊」も要求した。永遠平和を唱えたカントの故地のケーニヒスベルクへとつながる、バルト海沿いの地帯だ。事ここに至って、英仏も堪忍袋の緒が切れ、宥和政策を捨てた。

そして、日本も矛盾していた。日本はアジア代表のような顔をして、「白人国家の植民地支配からアジアを解放する」などと宣伝した(八紘一宇、五族協和)。しかし、自分が代わりに植民地支配したかっただけなのだ。
ムッソリーニのイタリア(ファシズム)、ヒットラーのドイツ(ナチズム)の快進撃に幻惑され、日本は彼らと組む道を選んだ。数々の矛盾が絡み合って膨れ上がり、ついに破裂する。地獄の業火が世界を焼き尽くしていった。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
とても分かりやすいご回答感謝いたします。

この方向でも説明してみたいと思います!感謝申し上げます。

お礼日時:2013/12/29 10:38

ごくごくマクロ的に、そして第1次世界対戦とセットにして説明するのが良いかと思います。



自分たちで世界を分割し利益を独占しようとしていた番長グループ(英仏露米)に対し、第2グループ(独+α)が戦いを挑み、2度とも番長グループが勝った。
第1次大戦では、ドイツは周辺の国々を味方につけ、一方、日本イタリアは、番長グループの味方についた。
敗戦後再び立ち上がったドイツと、戦勝国になったことで戦後力をつけた日本イタリアが組んで、新たな第2グループを形成し、第2次大戦を起こした。
この間、武器が進歩し、地球の人類すべてが滅んでしまうようになってしまったので、これらの国々は、互いに戦争は行わないよう誓った。

もちろん、細かくみれば、この図式に当てはまらないことも多々有りますし、何よりも中国の存在を説明するのが困難なのですが、
このようなところから説き起こしていくのが良いかと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。

第1次世界対戦とセット

なるほどです。
確かに、単発で理解しろというほうが難しいかもしれないですね。

検討してみます。
興味があれば、自らこちらにも遡ると思いますので、面白いヒントを検討してみます!^^

お礼日時:2013/12/20 00:39

なぜって?


イギリスがドイツに宣戦布告しドイツがフランスに宣戦布告し日本が真珠湾攻撃とマレー侵攻作戦を行ったからです
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歴史は親が教えるべきです。

左翼図書館など子供を左翼馬鹿にする間違いです。

イギリスがドイツに宣戦布告したからです。日米安保に反対してきたような日本の専門家はドイツのヒトラーより馬鹿であるのは言うまでもありません。

戦争の理由は戦争に踏み切ったのみです。言い訳は税金泥棒のプロ先生の詭弁です。図書館に子供一人は危険です。
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この回答へのお礼

有難うございます。

端的で参考になりました!
図書館は一緒に行きたいと思います。
お心遣い感謝いたします。

お礼日時:2013/12/20 00:31

人は教えられたものはあまり記憶しません。


でも興味を持って調べたものはずっと覚えています。
ですから資料を渡すか、資料探しから勧めてはどうでしょうか。
社会の教科書や資料集に載ってるならそれを使えばいいですし、なければ図書館などを使ってみてください。
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この回答へのお礼

ご回答感謝いたします。
しかしながら、今回の趣旨とは少々かけ離れた回答になっているようです。

図書館なども検討いたします。有難うございました。

お礼日時:2013/12/20 00:29

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先日小学3年生の息子と戦争がテーマのアニメ映画を見た際、息子はその悲惨さにショックを受け、第二次世界大戦はいったいなんで起こったのか聞いてきました。

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小学3年生に、「なぜ第二次世界大戦は始まったのか」「なぜ日本も参戦したのか」について、どの国が良い悪いという視点ではなく、歴史的事実を偏見無しに解りやすく説明する事はできますか?
情けない親ですいません。これを機会に自分も勉強してみます。

Aベストアンサー

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏み倒しました。で、強い国に戻るべくドイツは自分より弱い国に攻め込みます。最初は傍観していた英仏もポーランド侵攻には驚いて宣戦布告。ドイツは自分の次くらいに貧乏で困っていたイタリアを誘って同盟。ヨーロッパでの世界大戦が始まります。
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まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
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開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
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  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
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 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
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 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
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そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Qなぜ「広島」「長崎」に原爆投下?

どうして広島と長崎に原爆投下したんですか?
他にも候補地がいくつかあったみたいですが・・。
東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・。
気象の関係と言うことも聞いたことがありますが、わかりません。

Aベストアンサー

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったのは、文化遺産を惜しむアメリカの配慮」というのが根拠のない俗説であることが論証されていますが、「空襲の優先順位」などについても分かります。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31002714

「東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・」

日本の主要都市は、昭和20年8月にはほとんどが焼け跡になっていました。東京も川崎も横浜も徹底的に空襲されて、燃えるものが既にない状態でした。

原爆の投下候補都市は、「ある程度大きく、かつ大規模な空襲を受けていない都市」として選ばれたようです。

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったの...続きを読む

Q第一次、第二次世界大戦

課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

Aベストアンサー

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、という...続きを読む

Qアメリカは日本になぜ原爆を落としたのでしょうか

先日、テレビで広島に落とした原爆と長崎に落とした原爆では、種類が違うということを聞きました。
私はなぜ違うのだろうと疑問を感じました。

早く戦争を終わらせるためという理由だけでしたら、同じ種類の原爆でいいんじゃないかなと思ったのです。
アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

B:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)


この質問は過去にも何度か出ており、警告については、連合軍は爆撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)

実は、小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。
長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)


アメリカの原爆の使用について、日本が降伏をしなかったからだという意見もありますが、それは間違いです。

当時の日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなり、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はでいませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、冷戦の最前線になってしまう事も考えられます。

以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。
そもそも、原爆の使用自体が、民間人の虐殺という国際法違反であり、日本が降伏しないことを理由に正当化するのは間違いです。


原爆の使用について、東京裁判で糾弾されていたという意見もありますが、それは誤りです。
原爆については、日本の弁護についたアメリカ人(ブレイクニー氏)が語っていますが、その目的は↓を指摘することで「裁判自体の無効」を訴えるもので「原爆の使用そのもの」を糾弾するものではありません。

【戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任は発生しない。
なので、日本の戦争指導者が個人として責任を追及されているのは間違っている。
日本人が「個人」として裁かれるなら、原爆の使用を決定した者も裁かれるべきである。】

それに、彼の意見は、↓の動画では、裁判所の意向に拠って却下されています。

【A級戦犯は冤罪】(動画:東京裁判の映像)
http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo


この類の質問ではよく言われることですが、戦争は政治であり、外交の一手段です。
である以上、国家間の約束や契約である条約は守る必要があります。
戦争では【国際法】がそれにあたります。
そして、【法】である以上、一国の【都合】や【政治的判断】とやらで解釈や判決が変えられるべきではありません。
勝てば何をしても不問になるなら、国際法は無意味になります。


ご質問の主旨とは外れますが、
対立する意見の者を「ネトウヨ」と呼んで、「歴史の一部」だけを取り出して、「事実」を歪曲したり、印象操作、誤解、させるのは愚の骨頂である。ということを書き加えさせて頂きます。



>だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

質問者様は、WW2が人種差別との戦争であると言われている事をご存じないのでしょうか。
またアメリカ国内の人種差別を知らないのでしょうか。

アメリカには1964年までジム・クロウ法という、黒人は白人と同じ公共施設を使用できないという内容の法律がありました。
こんな法律があるくらいなので、民間でもそれぞれ専用の店があり、トイレも分離されていました。

徴兵されたアメリカの黒人兵は、
【何故我々が、白人と戦っている日本人と戦争をしなければならないんだ】
と言っています。
(アメリカ軍内では、戦闘では黒人がまず先に出され、枢軸軍に応戦させて位置を調べてから、砲撃をしています。)

黒人だけでなく、日系人(アメリカ国籍)も差別の対象でした。

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3
(アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)

同じアメリカ人同士ですらこの有様なので、日本人への扱いは更に酷いものでした。

【大東亜戦争における米軍の残虐行為】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=g6MmpEuGipQ

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメ...続きを読む

Q■要約お願いします!■第二次大戦のおこりについて

こんにちは。僕は中学2年の男子です。今、期末テスト(学年末テスト)に向けて、歴史の勉強をしていることろです。

勉強方法としては、教科書や参考書、ノートなどを見て、それを自分なりのノートを作ってまとめてるんですが、なかなか国語力がないため、はかどりません。

今は、第二次世界大戦のおこりのヨーロッパ(ドイツ)の動きのところをやってるんですが、要約がうまくいきません・・・。
丸写ししてしまうと、長くなったりして分かりにくいので、なるべく簡単にしたいのですが。。。
自分でできるところまでは頑張ってみましたが、これよりも短くしたいので、どなたか協力してください。
内容は、次の通りです。


1938年3月、ドイツはオーストリアを併合し、チェコスロバキア西部の併合も要求。
ヨーロッパに戦争の危機が強まると、ミュンヘン会談を開き、ドイツの要求を認めた。
ところが、ドイツはミュンヘン協定に反し、チェコスロバキアの残りの領土も併合し、続いて、ポーランドも侵略しようとした。
このドイツの動きに対して、イギリス・フランスはポーランドと相互安全保障条約を結んで、対抗した。


以上の文なんですが、出来事の流れが分かる程度にお願いします。(これでも、かなり短くしました!)

こんにちは。僕は中学2年の男子です。今、期末テスト(学年末テスト)に向けて、歴史の勉強をしていることろです。

勉強方法としては、教科書や参考書、ノートなどを見て、それを自分なりのノートを作ってまとめてるんですが、なかなか国語力がないため、はかどりません。

今は、第二次世界大戦のおこりのヨーロッパ(ドイツ)の動きのところをやってるんですが、要約がうまくいきません・・・。
丸写ししてしまうと、長くなったりして分かりにくいので、なるべく簡単にしたいのですが。。。
自分ででき...続きを読む

Aベストアンサー

出る試験内容によっても、勉強の仕方が変わってくると思います。

流れと出来事を覚えるため、文章ではなく、年表形式にしてまとめると、大抵はよく覚えられて得点できます。
(しかも、ただまとめるのでなく、問題形式にする)
私はこの方法でまとめて、歴史は結構得意でした。

たとえば、、

1938・3 ドイツは(1)を併合し、(2)の併合も要求
                ↓
       ヨーロッパに戦争の危機が強まる
                ↓
       イギリスは、ドイツ、イタリアと(3)会談を開き、ドイツの要求を認める→(2)を併合

1939・3 ドイツは(4)を破り、(5)の残りの領土を併合

       (6)との領土交渉→(6)はイギリス、フランスと相互安全保障条約を結び、これに対抗
 
       更にイギリス、フランスは(7)と軍事同盟の交渉に入る
                   ↓
                 交渉が難航
                   ↓
1939・8 その間に、(7)の指導者(8)は、ドイツの指導者(9)との提携を決意→(10)条約 

1939・9 ドイツは(11)に進撃、第二次世界大戦の開始  


以上の要領でノートにまとめると、まとめながら流れも覚えられるし、大事な語句は問題になっているので、別に覚えられます。

難しいところかもしれませんが、頑張ってくださいね~!

※上の問題の回答
1、オーストリア
2、チェコスロバキア西部(ズデーテン地方←教科書に無ければ覚えなくてOK)
3、ミュンヘン
4、ミュンヘン協定
5、チェコスロバキア
6、ポーランド
7、ソビエト連邦
8、スターリン
9、ヒトラー
10、独ソ不可侵
11、ポーランド

出る試験内容によっても、勉強の仕方が変わってくると思います。

流れと出来事を覚えるため、文章ではなく、年表形式にしてまとめると、大抵はよく覚えられて得点できます。
(しかも、ただまとめるのでなく、問題形式にする)
私はこの方法でまとめて、歴史は結構得意でした。

たとえば、、

1938・3 ドイツは(1)を併合し、(2)の併合も要求
                ↓
       ヨーロッパに戦争の危機が強まる
                ↓
       イギリスは、...続きを読む


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