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そして 「死刑議論とはなんのためか?」

改めて 私自身も考えさせていただきました

そして ある結論にいたりました

私たちが死刑について考えるのは
被害者やその遺族のためではない 加害者の人権のためでもない

私たち自身のためであり
私たち自身の命をどうまもるのか?
という議論であるべきではないでしょうか?

死刑が私たちを守っている という部分に関していえば

凶悪犯罪者の社会からの排除そして 無力化 というのであれば
それは 代替できる刑罰を考えうるでしょう

死刑の抑止力という点をいえば
死刑によって抑圧されていた犯罪が増える以上に
防犯策を強化すれば 抑えられるでしょう

経済的な問題ならば それは 国の予算すべての中で
思案されるべきことですし それが 社会にとって重要な事柄であれば
「お金をだしたくないからできない」が
先に来るのは変だといえます

つまり 死刑というのは 私たちにとってそれほど
利益を与えているわけではない と考えます
そして問題なのは
「私たちの大きな損失になりうる」ところです

ある死刑反対派の方の意見にこうありました
「私たちは殺される側であって 殺す側ではない」
これは とても 的を射ていると感じます

凶悪犯罪を含め 私たちの想像を超える
狂気的な悪意や無情が 私たちの命を脅かしたとき
私たち個人はあまりに無力だといえるでしょう

私たちに 唯一対抗しうる力があるとするなら
それは 「数」の力 つまり 民主的な力 しかありえないのです

しかし いま その力は 「正当な殺人」というものを支持し
私たち自身を「守る」ために機能していないのでは ないでしょうか?

「理由さえ用意すれば 私たちの命も奪われてかまわない」
ということになりはしないでしょうか?

死刑存廃の問題を わたしたちは 誰のために考えるべきなのか
問いたいとおもいます

追記として・・・被害者が置き去りになっている とのご指摘がつくことを想像しますが
ほんとうに 「被害者のために」 私たちは 考えなければならない とお考えでしょうか?
私たちが 考えるべきは ある人に起きてしまった一つの事柄 についてではなく
「私たち自身の不幸の回避」と「その後の社会の未来」ではないですか?

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A 回答 (1件)

死刑の抑止力という点をいえば 死刑によって抑圧されていた犯罪が増える以上に 防犯策を強化すれば 抑えられるでしょう



>>人に心がある限り無理です。この世は自由なんですから。死刑を無くせば、殺人により恨みを晴らす人間が増えます。

そういう意味で、抑止力がなくなるのはいかんでしょう。

死刑があるのは、銃規制と同じような意味で大事なことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 13:06

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