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日本社会における<恋愛>とは,自己顕示のための一手段なのでしょうか?

「恋愛をしたい人は,ほんとうは,恋愛をしたいのではなく,彼氏や彼女のいる自分自身に憧れているだけ。」

このような意見を主張する人々は,少なくありません。

「誰かに“自慢”をしたいので,彼氏や彼女をほしがっている。」

このようなことを主張する人もいます。

恋愛とは,自己顕示のための手段なのでしょうか? わたし自身は,恋愛とは,誰かに自慢をするためのものではないと考えています。そして,自己顕示のための手段では絶対にないと受けとめていますし,そのように認識もしています。

また,仮にでもわたし自身にパートナーができた場合,それを自慢のネタにすることは,絶対にありません。そもそも,自慢をするという行為によって,自尊心を保つとか,他者にたいする優越感をつくるといった,精神的にも不衛生的とされることに手を染めることを,したくないのです。

彼氏や彼女という存在は,ブランド品のバックや装飾品のようなものなのでしょうか? ブランド品に身をつつむことよりも,彼氏や彼女と一緒にいるほうが,よっぽど,インパクトのあるアピールになるのでしょうか? そういうわけではないと思います。

自己顕示であれば,たとえば,特技を持つとか,少しでも収入の多い仕事に就くなどの手段があるはずです。あるいは,悪い例ではありますが,虚栄心に身をつつむことも,考えられるでしょう。そして,自己顕示のために彼氏や彼女をもつことにこだわると,それはパートナーを傷つけるのみならず,自分自身をも傷つける行為になりかねません。

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A 回答 (8件)

>彼氏や彼女という存在は,ブランド品のバックや装飾品のようなものなのでしょうか?


昭和のころと違って今は特にそうですよね。
タレントとかミュージシャンとかの影響もありますし、結婚や出産自体がイベントになってますから。
彼氏や彼女が居る居ないが一つのステータスになっていることは確実です。
それが1990年ごろから顕著になったこと。つまりそのあたりに生まれた人たちは生まれたころから、居るのが当たり前として育ってきたのです。
僕ら昭和の世代は学生で相手が居るほうが珍しいという世界でした。
それが居ないとみじめ、居るのが当たり前。人間なんだからHも当たり前の状況になった現在、結婚を前提とはせず、堂々とカップルになれる時代になったですが、行き過ぎた結果、とりあえず作る的なお手軽カップルが増えたのは確かです。
お互いにとりあえずですから、昔のように重い雰囲気もなく、責任も無い。そういう関係が出来つつありますが、本人たちはそうは考えてなく、意外に本気を醸し出しています。その本気も結局はドラマやコミックのヒロインに自分を置き換えているだけという、まあ僕らは告白することは、同級生のみならず、先輩や、先生や、親、近所の人たちの態度まで考えてしなければならないという超高いハードルを超えることを余儀なくされた人間には、コンビニでおでんを買うより簡単です。
では彼氏彼女を作る目的は?と言われれば世の中カップルを前提とした商売が成り立ってます。今の時期でもクリスマスというもの自体がカップルを前提としています。こういう、ごっこ的カップルを生むような社会に生きるにはそうなることが必然でしょう。若い人どころか今やアラフォー連中までこれに染まるという状況です。こういう中でもはやカップルどころかファミリーまでもブランドになってますし、子供ももはやファッション。幸せファミリーを装う事が自己満足を満たすのです。
落ち目のタレントがママさんタレントになって帰ってくるなんてケースもそんな流れ。子供を産んだら急に偉くなったような勘違いな持ち上げ方をしますよね。
まあこれらは自分の生活を夢見る自己満足の世界なんで、恋愛をしている自分が好き、夫を大事にしている自分が好き、子供のことに一生懸命な自分が好きというだけにすぎません。それでも害があるわけでもなくいいんですけどね。全部自分のためじゃんとも思います。
ほんの一部の人という意見もありますが、僕は大多数がそうだと思ってます。結婚しない人が増えたのもそのせいで、自慢できない結婚はしたくないという人が増えた結果だと確信しています。
今でも純粋に恋愛をしている人はいるとは思いますが。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

わたしが他の質問のネタにしたいことを,いろいろと挙げてくださったことについては,少し複雑な気持ちです。

そのことはおいといて。

純粋に恋愛をしたいという,わたし自身の立場は,現代社会においては,非常に奇異な存在なのかもしれません。

「浮いている」

「ずれている」

こんなことを,わたしは何度も,日本人から言われました。仕方がないでしょう。なにしろ,わたしは片親が外国出身者なのですから,そう思われても。だからといって,わたし自身は「異質な要素」をもっているからといって,それを負い目に感じることはありません。昔はありましたが。「異質な要素」ではあるけれども,これからの日本社会が必要としているものなので,大切にしたいというのが,わたしのホンネです。

「浮いている」立場であっても,「ずれている」立場であっても,わたしは相手を尊重して,相手を心の底から愛したいと思っているのですが,こういったものの考え方は,どうやら「すごく重い」とのこと。恋愛にはさまざまな「形態」がありますが,愛や信頼関係などといった,根本的なところは変わっていないと思っていましたが,やはり,恋愛とはわたしの考えているものよりも,はるかに異質なものになってしまった,ということだと思います。

素晴らしいコメントだと思います。それと同時に,日本社会に「失望」しました。

お礼日時:2013/12/23 11:01

>日本社会における<恋愛>とは,自己顕示のための一手段なのでしょうか?



 あなた自身がそう思っていませんか。
 美人の彼女を他の男性に自慢したいといったことが考えられますが、男性的な発想です。
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この回答へのお礼

「わたし自身は自己顕示欲のために恋愛をしたいとは思っていません。本気で好きな人と一緒にいたいから,好きな人を愛したいからという意思によるものであり,相手の人を「踏み台」にするような恋愛観をもっているわけではありません。 」

というコメントをしましたが…。

お礼日時:2013/12/23 12:32

no1,4,6です



>では,「純粋な恋愛」は,いまの日本社会に存在しているのでしょうか?

そして,それを求めている人々は,いまの日本社会に存在しているのでしょうか?



あなたがいうように複雑な要素の中で生きてるから
なかなかないかもね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

お礼日時:2013/12/23 11:25

NO.1 ,4です



>ただし,わたし自身は自己顕示欲のために恋愛をしたいとは思っていません。本気で好きな人と一緒にいたいから,好きな人を愛したいからという意思によるものであり,相手の人を「踏み台」にするような恋愛観をもっているわけではありません。



それはそれでいいと思います。
どちらかというとあなたの発想の方が高貴だとも思います。がんばってください。

逆に自己顕示欲のために恋愛するのも私は自由だと思っているのでそういう人のことはそっとしておいてあげましょうよ。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

では,「純粋な恋愛」は,いまの日本社会に存在しているのでしょうか?

そして,それを求めている人々は,いまの日本社会に存在しているのでしょうか?

お礼日時:2013/12/23 11:09

NO.1です



恋愛とは,自己顕示のための手段なのでしょうか? 


そういう人もいると思います。
私の感覚でいうとそういう人の割合は1割ぐらいだと思いますけど。


その他の質問文の文章はあなたの意見であって
それはとても良い発想と思うで貫き通せばいいと思います。


こういう風に周囲の人間を諭すような質問をすること自体、自己顕示欲があるのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

「自己顕示欲のために結婚をする人は,約1割。」

となると,わたしの親は,あなたが指すところの「約1割」のカップルであり,わたしは,その「約1割」から生まれてきた人,になると思います。

ただし,わたし自身は自己顕示欲のために恋愛をしたいとは思っていません。本気で好きな人と一緒にいたいから,好きな人を愛したいからという意思によるものであり,相手の人を「踏み台」にするような恋愛観をもっているわけではありません。

お礼日時:2013/12/23 10:53

私もあなたと同じような疑問を持ったことがあります。


本当に一緒になりたい人と交際し、その結果生じた喜びを人に話すのなら、それは自己顕示ではないと思います。ただ、あまり話しすぎると自慢にも聞こえてうるさがられるでしょうが。
ただし、恋人がいないと恥ずかしいという理由で無理に作ったり、世間の目を気にしてしたくもない結婚をしたりするのは、確実に「自己顕示」でしかないでしょう。見栄を張り、自分に嘘をついているということです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

日本人は,恋愛を「自慢の手段」にしてしまったことを,恥じなければならないでしょう。

多くの日本人が,いわゆる恋愛至上主義に手を染めたことは,現代日本社会の「汚点」なのかもしれません。そして,その社会的背景には,体育会系という言葉に代表される,ニッポン的人間関係,ニッポン的企業文化が挙げられることは,周知のことです。

本来であれば,恋愛は個人の意志や選択であり,他者による評価の要素にはならないはずです。それが,現代日本社会においては,ニッポン的企業文化,ニッポン的学校文化の要素として扱われたことが,現代日本社会における「ひとつの不幸」なのかもしれません。

「見栄を張るための手段」として恋愛をして,結婚をしたという点については,そういえば,わたしの親が,その典型的な例でした。同じ日本人から相手にされないので,ジャパン・マネーを「武器」に,外国出身者を「釣った」のでした。解釈が悪いと言われるかもしれませんが,わたしは「不幸の結婚」で生まれた人間なのかもしれません。

お礼日時:2013/12/23 10:37

自己顕示という考えを持っている人は彼女、彼氏がなかなかできない人が持っている感情ではないでしょうか。


出来る男、女性は無理をしなくてもそれなりの相手が見つかるものです。ある業界では頭の中身は関係なく、美人の女性を連れて歩くのは女性は飾りだと言いきっています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

恋愛のできる人は,生まれもって恋愛ができるのでしょうか?

そして,生まれもって恋愛の適正のない人々にとって,恋愛をするためには,どのような条件が必要なのでしょうか?

たとえば,わたしは親が外国出身者と結婚をして,わたしが生まれたのですが,わたしの親が外国出身者と結婚をした背景には,同じ日本人から相手にされなかったという社会的背景がありました。恋愛ができなかったので,ジャパン・マネーをブイブイいわせて,外国出身者を「釣った」ということになります。言葉は悪いのですが,漫画「愛しのアイリーン」そのものであった,というわけです。

ひとつのソルーションとして,恋愛に「憧れ」をもたないこと,が挙げられるでしょう。恋愛にロマンチックな要素を排し,恋愛とは「ドロドロの人間劇」,「人間の欠点の集大成のようなもの」,「恋愛とはお金で買うもの,不倫や性風俗を汚らわしいものと受けとめることはナンセンス」であると認識させるしかないのかもしれません。

お礼日時:2013/12/23 10:30

最終的には生殖が目的です。



男はなんの意識をしなくても精子を作り続けていますし、
女も毎月、妊娠できる準備をします。
(好きな人がいようがいまいが子供を作る準備を常にしている)


否定される人が多いと思いますか人間は普段から

”生殖するのに相応しい異性”を探している生き物であり、

ゆえに普段の生活の中から好きな人ができるわけであります。


自己顕示という側面もあると思いますが私は

”生殖”がキーワードだと思っています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

恋愛を「生殖活動」であると受けとめているようですが,あなたは「社会的な文脈」において,恋愛を語り,あるいは,論じたことがありますか?

文明が築かれ,人間の生の営みにおいては,生殖以外の要素がたくさん存在します。あなたにとっては,生物学的な要素を強調したいのだと思いますが,現代社会における恋愛像,恋愛観とは,社会的な文脈を多く含んだものになっています。

あるいは,あなたにとっては,わたしが質問文で挙げたような,「複雑な要素」を排したいのでしょう。たしかに,恋愛を「生殖活動」であると受けとめることで,恋愛にかんする言説を「スリム化」することができるのかもしれません。

しかしながら,恋愛とは面白いもので,問い詰めれば問い詰めるほど,考えれば考えるほど,興味深い要素がつぎつぎと出てきます。

あなたのように,恋愛を「生殖活動」であると受けとめたほうが,効率という観点において,なにかと得をするのでしょう。しかしながら,それは同時に,「無頓着的恋愛」にならないかと,わたしは危惧するときがあります。

お礼日時:2013/12/23 10:25

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