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僕は今まで張作霖爆殺事件は関東軍の所業、即ち河本大作大佐の謀略だと習ったので今までそう思い込んでました。ところが最近、新聞を見て共産党のしわざである可能性の方がずっと高いという事を知りました。やはり真相は共産党のしわざだったのですか?

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A 回答 (2件)

>やはり真相は共産党のしわざだったのですか?



これは,少し前に話題に上がった「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」ってやつのことだと思います。
この説は,2000年にロシア人歴史作家ドミトリー・プロホロフ(他)が『GRU帝国』という著書で,旧ソ連側の機密文書の分析の結果導き出されたとして紹介しています。
その後,2005年にユン・チアン『マオ 誰も知らなかった毛沢東』で簡単に触れられていたのを,一部や保守系ジャーナリストや論客が反応して一時期議論となりました。
とはいえ,証拠不十分であったり,分析に使われた史料が意図的に矮小化されていたりと学術的な証明は出来ていません。


当時の中国は,辛亥革命で清帝国が倒れ内乱状態でした。
国民党の蒋介石や中国共産党の毛沢東らを中心に,幾つもの軍閥が乱立したところに,欧米日ソが自らの国益を確保しようとバックに付くという構図です。
色々と複雑な経緯をたどるので一概には言えませんが,おおよそ下記の関係となります。

・国民党蒋介石=欧米が支援
・中国共産党毛沢東=ソ連が支援
・張作霖=日本が支援

日本の利益を代表していたのが張作霖でした。
張作霖は日露戦争で日本軍と協力した事がきっかけで,そのまま満州における日本の傀儡政権として有力軍閥として台頭しました。
ところが,満州を万全な形で統治したい日本側の意図に反して,張作霖は中国本土支配への野望を抱き始めます。

その後,紆余曲折を経て張作霖は北京に進出,大元帥への就任=中国の統治者を宣言しました。
そして,反日・反共の姿勢を強くして欧米への依存度を高めていきます。
ところが,その欧米は国民党の蒋介石を重視し,張作霖については要監視対象の扱いでした。
結局,国民党の北伐に対抗出来ずに,北京を脱出,本拠地である奉天へと逃げ帰ります。

この時,日本では張作霖の処罰に対して意見が分かれていました。

・張作霖を再び傀儡として満州統治を図る
・張作霖の一連の行動から,張作霖を使った間接統治は難しいので排除し,別の傀儡政権を立てて満州国を建国する

上の意見が日本国政府の方針。
下が関東軍の方針でした。
結局,結論は出ずいたずらに時間だけが過ぎて行きました。
そんな折に,北京から脱出して満州への途上にあった張作霖が爆殺されます。

事件直後の調査で,ロシア製の爆弾が使われていたり二人の中国人だと思われていた死体が日本側の工作であったこと,爆破に使用しされたとみられる電線が橋台から日本軍の監視所まで引き込まれているなどから,河本大作大佐を主犯とする関東軍内部の犯行とされ,時の首相田中義一に報告されました。
その後,田中義一は天皇にちゃんと処罰すると伝えていたものの陸軍の猛反発にあい,結局かるい行政処分で済ませました。
そして天皇には「陸軍の仕業ではないが,警備の手落ちが合ったので処分した」と伝えますが,天皇は「前の話とずいぶん違うではないか」と叱責されたと言われています。


ザッと,満州事変に至るまでの経緯を纏めてみました。
で,件の「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」では,河本大佐の戦後の証言は中国側のマインドコントロールで言わされたと主張したり,従来の説の根拠になってるのが小説『昭和軍閥』というのはおかしいと言いつつ,自分たちの説の根拠が一ロシア歴史作家の著作だったり,その作家自身が歴史史料による考察ではなくて伝聞を基にしていると語ったりと,,,
まぁ,学術レベルではお話にならないほど拙い説なんですよ。

というわけで,「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」は学術レベルにも達していない陰謀論のようなものです。
まぁ,今後の調査研究で裏付けられることがあるかもしれませんが,今のところそういった史料は無いようです。

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。大変分かりやすい解説で、とても参考になりました。

お礼日時:2013/12/24 12:04

もう古い話で、ほぼ決着がついています。

現代史の専門家は、だれもこの珍説を認めていません。今頃になって取り上げているのは、どこの新聞ですか。

経緯は以下に詳しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C% …
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Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む

Qイキサツ 満州事変

満州事変について資料をみても、あまり理解できません。満州事変とはどういういきさつで起きたことで、どんなことがあったのですか? また満州事変が起きたことで、なにか大きな戦争や、事件、問題のようなものは歴史上や現在ありますか? 今まで勉強不足だったもので、できるだけわかりやすい言葉がいいです。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

>満州事変とはどういういきさつで起きたことで

そうですね、深く説明するときりが無いですが、簡単に経緯だけ。。

まず日本は、19世紀の終わりに朝鮮半島を巡って中国(清)と対立、戦争をして勝利、朝鮮半島を影響下におきます。
朝鮮半島国境(今の北朝鮮中国側国境)に隣接たところが満州と言われる地域ですが、ロシアがこの地域への進出を狙っていました。

1900年に、清が国内の外国勢力に宣戦布告すると(義和団事件)、ロシアは大軍を満州(正確には中国東北部)に送り込み、朝鮮半島にも圧力をかけ始めました。このため、日露戦争となり、アメリカの調停によって日本は満州の鉄道の利権を得ます。

これを足がかりに、日本は満州の権益を確立してゆきます。第一次世界大戦後、満州における利権の拡大のため、当時内戦状態だった中国(清は滅亡)で、満州を支配していた張作霖と手を組みます。しかし、利用価値がなくなったと知るや、満州の警備に当たっていた関東軍は、張作霖を殺害してしまいます。

張作霖の息子が満州地方での指導者になると、ここから日本の勢力を取り除こうとしました。陸軍の関東軍はこれに危機感を募らせ、武力によって満州を中国の主権から切り離して、日本の支配下におこうと計画します。

そこで関東軍は、自ら経営している南満州鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業だとして軍事行動に出ます。そして、満州の各要地をことごとく占領します。この一連の軍事行動が「満州事変」と言われるもので、1931年9月から翌年3月まで続きました。

3月になると、滅亡した清の最後の皇帝(映画ラストエンペラーの人物)を迎え、「満州国」の建国を宣言しました。

>満州事変が起きたことで、なにか大きな戦争や、事件、問題のようなものは歴史上や現在ありますか?

まず、この日本軍(関東軍)の行動は国外で強く批難されました。国連の調査団がきて、日本軍の撤退要求が出されると、日本は国際連盟を脱退して、国際的に孤立するようになります。

更に日本は、華北方面(北京の方)にも侵略を企てようとして、翌年中国軍と激突し、日中戦争がはじまります。
日中戦争が泥沼化する中、今度は中国の日本進出を快く思わないアメリカと対立が深まり、紆余曲折を経て日米開戦に至ってしまいます。

また、満州国が建国されてから、日本政府は積極的に国内の日本人を満州に移住させようとして、多くの日本人が満州に移り住みました。
しかし、終戦直後にはソ連が満州に侵入し、多くの日本人が殺され、また捕虜として捕らえられシベリアに抑留されました。中国残留日本人孤児は、このときの混乱によって置き去りにされた子ども達です。

簡単に、、、と言いましたが、長くなってしまいました。
でも、これでもかなり省略しましたので、本当はもっともっと複雑な国際関係が絡んでいます。
まずは簡単な世界史の本でも読んでみることをお勧めします。

疑問点がありましたら、またお尋ねください、かなりはしょって書いたので。。。

>満州事変とはどういういきさつで起きたことで

そうですね、深く説明するときりが無いですが、簡単に経緯だけ。。

まず日本は、19世紀の終わりに朝鮮半島を巡って中国(清)と対立、戦争をして勝利、朝鮮半島を影響下におきます。
朝鮮半島国境(今の北朝鮮中国側国境)に隣接たところが満州と言われる地域ですが、ロシアがこの地域への進出を狙っていました。

1900年に、清が国内の外国勢力に宣戦布告すると(義和団事件)、ロシアは大軍を満州(正確には中国東北部)に送り込み、朝鮮半島にも圧力をかけ始め...続きを読む

Q世界恐慌って?

1929年の世界恐慌に限って質問です。

世界恐慌って言うのはどういう風にして起こったのでしょうか。
世界までにも影響が波及した理由も兼ねて、分かりやすく、かつ詳しく教えていただけると幸いです。

それと、しってたらなぜ今の不況を世界恐慌といわないのかも教えてください

Aベストアンサー

こんにちわ
理由としては以下のものがあります。

・第一次世界大戦終結によるアメリカの好景気化
 ・工業投資の発展
 ・戦地からの帰還兵による消費向上
 ・自動車工業の躍進

これらによって、アメリカは発展します。しかし同時に
・ヨーロッパの復興によりアメリカ農作物の輸出過剰
・社会主義国の市場離脱(ソ連を代表とする東欧諸国)
により、アメリカ国内では生産過多、供給過剰に陥ります。

当然、商品価格はだぶつきますが投資家筋は長期的に上がると判断し、
投機熱が高まり、資金が異常に市場に流入されました。
市場流入した金が多いということは、市場そのものの価値が下落します。
(モノが大量にあれば希少価値が無くなり値段が下落しますよね)

ここで株価が史上最高値を出したことで株の売りが出だしますが、
下がれば買いが入り、しばらく上がっては下がりの状態を繰り返しました。
そんななかアメリカの国益産業である自動車産業の雄、GMの株がこのあおり
で売られはじめたことで不況の端を発します。
投資家が売り出したことで、他の投資家も「今が売りだ!」とGM株が大量に
売られてしまったのです。この売り誘発で他の銘柄も売りが殺到し、
市場の株が売り一辺倒になりアメリカ恐慌が発生しました。

ちょうど、GMも過剰生産だったので工場縮小などの措置を講じていた背景
があり、投資家に売りを誘発させる材料が整っていたことも大きな要因です。この流れで強烈な経済後退をアメリカ国内で招きました。

これが世界に流れて大恐慌になったのですが、当時はまだ株式市場は影響力
が小さく、被害はアメリカ内部だけにとどまっていました。
大きく世界を巻き込む恐慌に発展した理由として、銀行の倒産が挙げられます。
金融システムが停止し、世界取引の大部分は金本位制に基づく現物だった
ことから信用取引が中心となっており、輸出が激減して信用がなくなった
東欧諸国への取引が停止されます。
これによりオーストリアの銀行が倒産し、隣国のドイツを恐慌が襲い
ドイツの銀行が倒産し、企業の倒産が急激に襲い始めました。
また、第一次世界大戦からやっと復興し、金本位制に戻った各国から
大量の金が流出し、特にイギリスやドイツのヨーロッパ諸国の経済停滞を
招いて価値が急激に下落します。

日本やドイツは産業統制により資源配分を国家が管理することで恐慌から
脱しましたが、政党や軍部の台頭が資本主義先進諸国との軋轢を生み、
他の国々も巻き込んでアメリカ市場経済への報復と、戦争による通貨価値
の上昇が狙われ第二次世界大戦が勃発しました。

現在の不況は当時の世界恐慌とは異なり(この恐慌から学び)、
国政資本を注入して建て直しを図る政策を各国が採っています。
各国が市場経済を導入している現在は、通貨の価値保全を各国が協調し、
一国の不況で計り知れない経済停滞が世界を襲うことを避けるため、
各国通貨や国債を他国が購入し、通貨の安定や外貨、外債を持つ購入国の
発言力が大きくなることでバランスを図っています。

そのため、株価は下落しても通貨自体は大きく変動していないので
通貨の国際的地位は各国とも保全されており、当時の世界恐慌ほどの
停滞とは言えないと思われるからだと考えられます。

簡単に言えば、各国がこれまで貯め込んだカネを放出して経済対策を
講じることが出来るためです。
国際法がしっかりとできあがり、世界的な連鎖恐慌を避ける措置が
図られているためですね。

こんにちわ
理由としては以下のものがあります。

・第一次世界大戦終結によるアメリカの好景気化
 ・工業投資の発展
 ・戦地からの帰還兵による消費向上
 ・自動車工業の躍進

これらによって、アメリカは発展します。しかし同時に
・ヨーロッパの復興によりアメリカ農作物の輸出過剰
・社会主義国の市場離脱(ソ連を代表とする東欧諸国)
により、アメリカ国内では生産過多、供給過剰に陥ります。

当然、商品価格はだぶつきますが投資家筋は長期的に上がると判断し、
投機熱が高まり、資金が...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Q創価大学の学生って・・・

とあるきっかけで数名の創価大学の学生と知り合いになりました。
そしてその知り合いからかかってくる電話と言えば・・・選挙についてです。
公明党に投票してくれという電話が創価大学の知り合いから、
現段階で3件入っています。

それでふと思ったのですが、創価大学の学生は
学校からそういった電話をするように言われているのでしょうか?
それとも創価大学の学生は創価学会関係の方が
(例えば両親が創価学会の会員であるとか)
多いということなのでしょうか?
お詳しい方解説(?)をお願いします。

Aベストアンサー

僕の両親が学会員で、僕も創価大に通っています。
ただ僕はそういう活動がめんどいし、個人的に創価学会のその思想に同意できないというか興味がないので僕自身は学会に登録されていません。
ただ周りの生徒は熱烈な学会員が多く、日本全国から集まっているような気がします。
やはり池田先生の活動などはいやでも耳に入ってきますので、そういう話を聞いていると確かにあの人の活動はやるな~と思うところもあり、見習おうというところもあります。そんなところに惹かれる人もたくさん周りにいます。
ただ学校が公明党に云々という教育はまったくしていません。そこら辺はもう学会員の性というものなんでしょうか?
だいたい学びにいっているところで選挙で1票いれろなんていわれたくないですしね^^;
でも勧誘してくる人だってあなたが公明党に入れてくれないから縁を切るとかそんなこと微塵も思っていないと思いますよ。かくいう自分もほかの政党に投票しました。

Q世界恐慌でのブロック経済について

はじめて質問させていただきます。

1929年に発生した世界恐慌では、アメリカ、フランス、イギリスなどがブロック経済をしいて、恐慌の影響が自国に及ばないようにしました。

なぜ、ブロック経済をしいて関税障壁をしくことが、世界恐慌をくい止めることになるのか、教えてください。
なお、僕は経済については高校の政治経済レベルの知識しか持っていませんので、専門的な経済的事項については分かりやすく解説してもらうと幸いです。

どなたか、よろしくお願いしますm(_ _)m

Aベストアンサー

「恐慌」とは、どんなものかはご存知でしょうか?

不況で物が売れなくなる現象が、さらにひどくなった状況です。
物が売れないため、会社は倒産し、失業者が街にあふれ、失業しなかった人でも、大幅に給料が下がることになります。

そのため、企業は、ダンピンクをしてでも販売しようとします。
そうなると、ますますその国の企業の製品が売れなくなってしまいます。

そのため、市場を持っている国では、他国から物が入らないようにして、自国の利益を守ることをします。
それが、ブロック経済です。

勘違いされているのは、ブロック経済は、世界恐慌をくい止めるのではなく、自国への影響を、最小限度にする事です。
当然、ブロック経済から外れたところでは、より深刻な事態となります。

それが、第2次大戦への一歩となりました。

Q中国の今までの王朝の民族を教えてください 

中国の今までの王朝の民族を教えてください 

Aベストアンサー

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については学説により異論あり。
・五胡十六国時代の諸国や北朝は「浸透王朝」・・・全土を支配していなかった
  注:五胡十六国は304年の漢(前趙)の興起から439年の北魏による華北の
    統一まで。当時中国華北に分立興亡した民族・国家の総称。
    十六国とは北魏末期の史官崔鴻が私撰した『十六国春秋』にもとづき、
    実際の国数は16国を超える。詳細は、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%A1%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%9B%BD
  この間参与した国名と始祖、民族名が頁の下部に一覧があります。
  漢族も含めて匈奴、羯、鮮卑、羌etc.多種あります。

■以上の他に他民族王朝説があるのが、
・秦朝 現青海省~新疆方面の西戎(西方にいた遊牧民族)、羌(きょう)族。
・隋・唐王朝も鮮卑拓跋部出身貴族の楊氏・李氏。
      漢人出身を主張するも紛糾した。
・宋の太祖趙匡胤は漢民族ではなく突厥(トルコ系)。

■更に、
有史以来、周の時期(秦朝以前)までは全国統一されていませんでしたので、
現在とは版図も国の概念も異なりますが、
中原を中心に、おおむね漢族が権威をもって成立した政治と見てよいでしょう。
もっとも、当時の長江沿岸以南は漢族とは言えず、文化の淵源も異なります。

■おまけです、
こうしてみると、5000年?の歴史で、
漢民族が治めたのは細部はともかく周の時代まで、
以降については、漢代、明代のみが漢族国家と私は考えています。
北方民族の蹂躙を受け続け侵入を許してきたのが実態で、
それに抗して成功したのは、漢の劉邦と明の朱元璋、一時成功しかけた
のが李自成、3人とも南方出身です。
そういうわけで「中国の英雄は南から出る」と言う中国人が
現在も結構居るのです。
好悪は措いて、毛沢東もどういうわけか南方の湖南省出身です。
更に、「代」を付すのは漢民族の漢代と明代のみ、
他は全て異民族で「朝」だと主張する中国人もいます。
このような環境で、漢民族の文化を堅持してきたということは驚嘆に
値します。おそらく、春秋時代の諸賢が築いた成果によると考えます。

参考:中国の歴史・・・丁寧にリンクを辿るといろいろ見えてきます。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については...続きを読む

Q日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国があるのですか

先日、テレビでパラオは、過去の戦争で日本軍がいたのですが、すごい親日国だということを知りました。
過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。

韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようです。


まず、東南アジア諸国についてですが、日本は植民地にはしていません。
大東亜共栄圏構想は、欧米から独立してアジア諸国による民族自決を目指したものです。
当時のアジア諸国の国力は日本だけが飛びぬけていた為に、日本の主導になっていたことは事実ですが、「日本によるアジア支配」という解釈は歪曲です。
日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。

【大東亜会議】
http://www.youtube.com/watch?v=3mvHRVlrFUU

アジア諸国は「日本の戦争は侵略ではない」という認識から、連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。


フィリピンについてですが、
私は、戦争がなくてもフィリピンが(タダで)独立できたか については疑問があります。

オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。(独立戦争をしてすら、このような要求をされています)

実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。
フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。
戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。
しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。

日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。

その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。
その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。


台湾とパラオについてですが、
【植民地】というものについては、欧米の支配の実態から誤解されていますが、
植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。
台湾とパラオが親日なのは、その通りの事をして、それらを評価しているからです。
(それらの領有の経緯と是非については、質問されていないと判断しました)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

【日本と台湾は一心同体】
http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs

反日の台湾人の多くは、中国大陸で共産党との権力闘争に敗れて台湾に逃れてきた国民党(蒋介石)の人たちです。
どちらも日本とは戦っていたので、反日でした。


韓国と北朝鮮ですが、
無知な人は日本が朝鮮を侵略して植民地にしたと思い込んでいますが、
日本は、失政で破綻した朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、侵略してはいません。
世界も併合は両国の合意に基づく平和的なものであることを認めています。
併合とは、一つの国になることで、他国を一方的に支配する植民地とは全く違うものです。
そして、日本は併合した朝鮮地方に対して、植民地である台湾やパラオより優遇しています。
(当然差別や虐待などはなく、強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません。)

今の韓国が、反日である理由は、独立後の教育が原因です。
今の韓国の政府のルーツは、併合で特権を失った貴族や、外国(中露)から支援を受けて反日運動をしていた者達が、上海で名乗っていた自称亡命政府です。
戦前の彼らは、世界中が併合の正当性を認めていた為に孤立していました。(犯罪で資金稼ぎをしていた事も原因です。)

その後、WWIIの終戦で朝鮮は日本から独立しました。
終戦時の朝鮮には、日本の教育を受けた者しかいなかった為に、連合国は影響力を行使する為に、その亡命政府を独立した韓国の代表に選びました。
功績も無く他国の都合によるタナボタで権力を得た彼等は、日本の統治の方が良かったと国民に言われることを恐れました。(実際、日本の方が遥かにマシでした)

それを逃れる為に、新政府は朝鮮が独立できたのは、戦前・戦中からの我々の抗日運動の成果である。
朝鮮は昔から日本より優れていたが、日本が卑怯な方法で侵略して、韓国の富を奪って行った。
今現在韓国の発展が遅れているのは、それが原因であると、事実と違う捏造教育をし続けました。

このように、自分達の失政への批判を、日本という敵を作ることでそらし続けてきた結果、反日が韓国人に定着してしまい、今更、教えた歴史が嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。
今、それをした場合、韓国人のアイデンティティは崩壊して、国そのものが危うくなってしまうでしょう。

北朝鮮の反日も↑の自国の政府の正当性を、「日本と戦っていたこと」に拠っているからです。


中国の反日も、韓国と同じです。
彼らも日本の侵略を戦って撃退したと言っていますが、事実は全く逆です、
日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。

当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。
彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
日本は、条約や協定による平和的な解決を試みましたが、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)

当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これによる満州国の建国を、侵略によるものだという意見もありますが、満州国という地域を確保しないと当時日本が所有していた、満州鉄道へのテロを防止できませんでした。

その後の満州国は、日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

私は、これらの経緯を日本の一方的な侵略と断定できる人の知能と国籍を疑います。

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようで...続きを読む


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