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言葉の中にはその言語を話す人たちの文化も反映されていますよね。
例えば、日本語は「してあげる」や
「雨に降られた」という被害受身の表現などから、
立場志向が強いっていうことを聞きました。
そこで考えたのですが、子どもが文化と言語を習得していく過程のことです。
子どもは、最初から文化を習得した上でその感覚を元に言語を習得していくのか、
言語を習得していくうちに言語から文化を習得するのかということです。
日本で生まれてきた赤ちゃんは最初から日本的な感覚を持って
生まれてきてるのでしょうか?
また反対に、同じ英語を話すアメリカ人とイギリス人は
同じ考え方をしているのでしょうか?

ずっと考えているのですが、考えても考えても納得いきません。
皆さんはどう思いますか?
よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

私もこの手の話題が大好きです。

が、専門家ではないので、いつも?と思って暮らしています。

この手の話が難しくておもしろいのは、コトが非常に複雑だからですが、素人なりに、いくつかの前提を持っておく必要があると思います。第一に、文化と言っても、知識から形式まで、言語依存度が様々なので一概には言えない、ということ。第二に、言語と文化は相互依存的だということ。第三に、言語も文化も変化していく、ということです。だからこの前提を元に、個別の事柄に考えていく必要があるのではないでしょうか。

なんて難しいことを書きましたが、以下は私の経験や細切れの情報から考えたです。あまり整理されていないので、混乱するだけかもしれませんが。(長くてスミマセン)

最初にお書きになっている受動態に関しては、オン・ソンファ(呉○花という漢字だったのですが思い出せない)という韓国人エッセイストの本に、韓国語は受動態がないから、韓国人が日本語を学ぶ際に、受動態と能動態の細やかなニュアンスの違いがわかりにくく困る、というのを読んだことがあります。これは、英米人の場合、彼らの言語には受動態があるので、英語と日本語の違いは韓国語と日本語の違いよりも大きいものの、そんなに困ることはない、ということです。彼女の例では「あの人に死なれたら困る」という表現が載っていました。日本語のネイティブなら、「あの人が死んだら困る」との微妙なニュアンスの違いをかぎ分けることができますよね。こういう言葉を使い分けてコミュニケーションしている私たちは、やっぱり、そういうニュアンス含みの言語に基づいた文化を持っているのではないでしょうか。

第二次大戦後、駐日米軍の兵士と結婚し、アメリカに渡った日本人妻の人々にインタビューしたという話を読んだことがあるのですが、彼女たちに「日本人としてアメリカ社会でやっていくのをどう思うか」というような質問をすると、同じ女性たちでも、日本語によるインタビューと英語によるインタビューでは全く違うトーンの回答が返ってくるということでした。英語だとはっきりしたポジティブな回答になりがちなのに、日本語だと「うーん、いろいろありますけど」みたいな。ごめんなさい、本件については記憶が定かではありません。でも、私自身も、英語の大変上手な日本人といっしょに、欧米人のグループにはいると、同じ人物でも英語を話すときと日本語を話すときに、その人の性格や態度が違って、おーっ、と思うことがあります。やっぱり言語の威力は大きいですよね。

次に、ちょっとマクロな視点に移り、国・民族としての文化についてですが、先に書いた通り言語によるところは大きいでしょうが、言語が同じということは、多くくの場合、過去から現在の時点で政治・文化的なつながり・交流が大きかったということを意味します。したがって、文化を高いレベルで共有しているということが言えます。したがって、マクロ・レベルでも、皆さんがおっしゃる通り、文化と言語はなかなか分けにくいものがあるのではないでしょうか。

例えばインターネット、国際ラジオ、ソープ(ドラマ)のオーディエンスは、geographicalとlanguageが2つの大きなポイントだと言われています。典型的な例としては、南米でつくったソープのいくつかは、ヨーロッパのラテンの国々(イタリア、スペイン等)の人の間でも大ヒットしています。それは地理的に離れていても言語および文化の共有度が高いからでしょう。

イギリス人とアメリカ人ですが、歴史的経緯から、イギリスで育ったアングロ・サクソン文化の共有度がかなり高いです。価値観や物の感じ方から、芸術や社会システムに至るまで。また同じ英語ということもあり、イギリスでもCh.5なんかはほとんどアメリカの番組をやっていて、最近では逆に文化の流れは、アメリカ->イギリスが圧倒的です。ただイギリスは、ヨーロッパ文化も共有しているので、常に文化的(思想・政治等々)に欧州とアメリカの間で揺れています。フランスなんかは、アメリカからの文化の流入をとてもおそれているみたいです。

イギリスとアメリカのもうひとつの興味深い例は、アメリカのドラマはグローバルにヒットするのに、イギリスのは、案外、難しいということがあげられます。これはもちろんアメリカのメディア産業の力によるものが大きいし、文化よりも刺激で売っているんじゃないか、という批判もまた事実かもしれません。しかし、当のイギリスでは、tasteの問題ということが議論されています。つまりイギリスの作品の多くは、すごくイギリス文化色が強いので、他の英語圏の国の人が見ても、あまりおもしろくない、かたやアメリカの作品はglobal tasteなるものをモノにしているからヒットしやすいんだ、という議論です。

いろいろ考えると、いくらでも浮かび上がってくるように思いますが、書き出したらキリがないような気がするので、この辺でやめておきます。
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一般的には母親から生れる->呼吸をする->泣く->寝ている状態->一応母乳を飲む-


毎日同じ繰り返していきます.このときにお母親はお乳を与えながら,お話しをしますね.ことばで「お乳の時間ですよ」とか、また「飲む時」には.そのしぐさでとか、哺乳瓶で無意識でしょうが、文化に触れますね.言葉を覚えると同時に文化も触れる事になると思います.言葉も文化の一つと考えれば,言葉と文化は一体になっていると思います.アメリカとイギリスとの差はあまりないでしょうが.それでも米語と英語でも使い方が違っています.日本とアメリカ,あるいはイギリスと日本の文化を比較すれば,大きな差が出てくるでしょうね.おんぶの仕方も違いも違いますから.食べ物の文化も違いますね.どちらが先かではなく同時であると思います.
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おもしろいテーマですね。


よく例えられる話を思い出しました。
外資系でTOEICの点数はいいけれどうまく表現できない新人と、
明快な意見を持っていて英語がちょぴっと苦手な新人。
しばらく経って、海外との交渉をうまくやるのは後者だって。

ことばというのは、ある程度、表現したいという必然があって
なりたつもので、必然がないことばは消えていきますよね。
言い換えると、文化的な必然があるからことばが成立している
のではないですか?

いま、先進国がいろんなところに進出していることから、
地元の生活が変化して、世界の何百もの言語が忘れられようと
しているのだとか。
さびしいですね。

おもしろいことに、たとえば英語でずっと話していると、
やっぱりちょっと考え方がちょっと変化したりします。
でも、大半は母国語に引かれて、何語を話しても母国語的な
表現をしてしまうような気がします。
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他の皆さんも言っている通り、基本的には言葉が先でしょうが、同時である


というのもうなずけます。赤ちゃんが言葉を覚えるのは必要から無意識に
覚えていくものであり、環境によって覚える言語は違ってきますよね。
英語と米語で比較されていましたが、では大阪弁と東京弁でも同じ事がい
えるのではないかと思います。言葉のイントネーションやアクセント違い
でも言葉は印象を違えます。大阪の人と東京の人が同じ発想では無い部分
も多分にあり、逆に同じ区域内にいるから同じ感性、文化を持つともいえ
ず、自分の意志とは関係なく、言語を必要として受け入れているので、
家族・地域・時代含めた環境に言葉も文化も影響されますよね。
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言葉が先でしょう。

聖書でも最初に言葉ありき、とあり古代の日本人は言霊といって言葉には不思議な力のある霊が宿っていると信じていました。「そんなことを云うものではない」という表現にその痕跡がみられます。人間が楽器と言うものを知らなかった時代には、言葉が唯一の音を出すものだったといわれます。これは動物の世界をみれば納得性があります。文化には地域性があります。長期にわたり違う環境下に暮らせば(異なる歴史や他の文化の影響もあり)同じ国民でも文化的には少しずつ違ってくると思われます。

言葉が文化の伝承に如何に大切かは、母国から切り離された遠隔地(外国)に生まれた日本人(日系人)を見れば分かります。日本語を大事にしている家庭やグループには、日本文化がよく残っています。三世、四世の時代になり片言の日本語と流暢なその国の言葉が主体となったとき、両親がいくら努力しても日本文化の維持は難しくなります。日本人に比べ中国人、スペイン人は異民族のなかにあっても言葉を大切にします。今日の架橋といわれる世界に広がって活躍している中国系の人々、北米に住むラティーノ又はヒスパニックと呼ばれるスペイン系の人々は、共に言葉を中心に家族が団結し母国の文化を継承しています。残念ながら日本人は優勢な言語の中では同化してしまう傾向が見られます。

我々(成人)が外国語を習得するとき、その国の歴史や文化を学ぶのは、幼児が母国語を覚えるまでの長い過程を短縮するためではないでしょうか。ある国の言葉を覚えることは、その国の文化(考え方を含む)を吸収することでもあるわけです。
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ある民族や集団の文化というのは、能楽とか歌舞伎とか、また芭蕉とか北斎とかいうような大げさなものばかりでなく、実は身の回りのあらゆることが文化です。

そして次の3種類に分類できます。
ア)物質的文化・・物という形で現れた文化。衣食住に関するすべて。道具や機械なども含む。
イ)制度的文化・・その民族が作り上げてきた制度。家族制度や慣習、法律など。実は言語もここに分類される。
ウ)精神的文化・・一般に言われる文化で、宗教や芸術、学問などが入る。

アの文化が一番基本的なのですが、物質文化ですから容易に他の文化と入り交じることができます。例えば、現代日本の生活はかなりアメリカ文化が入っていると言えると思います。それでも、たいていの家には畳の和室があってかろうじて日本を維持しているようです。そして、イやウの文化がアの基礎の上に乗ります。

ご質問についてですが、
子供は文化と言葉を平行的に習得していきます。それは上のことからお分かりでしょう。言葉も文化であり、日常生活の中で言葉を習得するからです。

イギリス人とアメリカ人の場合も同じことで、言葉はほぼ同じであっても、日常生活の様式(アメリカの消費文化に対して、イギリスの方が節約的)が異なりますから、文化は多少異なってきます。

最後に蛇足ですが、日常生活の中で生活が変化していき、言葉があってもそれにあたる物がないという事態が生じてきます。例えば、たばこを吸う道具である「キセル」。たばこを乗せる火皿と吸い口だけが金属で、途中は竹で出来ているのが普通のつくりです。ここから、初めと終わりだけの乗車券で途中部分を買わないで無賃乗車することを「キセル」というようになったわけですが、もはや日常で「キセル」が見られなくなった以上、無賃乗車の「キセル」の語源も忘れられていくでしょう。で、言葉が消えるときというのは、実は、物も消えた時でもあります。ということなどから、言葉が消えたとき文化が消滅したとも言えます。
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昔聞いた話なんですけど、言語が無くなったとき、例えばその言葉を話す人がいなくなったり、その言葉で他とコミュニケーションが取れなくなったとき、その国の文化は終わるのだそうです。


そういう意味では、言語があって、文化があるのではと思います。
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