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兄秀吉の影に隠れてあまりクローズアップされない武将・豊臣秀長
しかし温和な性格で諸大名の人望が厚く、千利休と並んで豊臣政権を支えた人物でもありました。

しかし1591年 秀長はわずか51歳で死去します。
秀長の死をきっかけに豊臣政権の重鎮だった千利休は石田三成らの画策で謀反の疑いを掛けられ切腹させられます。
思うに 千利休を排除するために秀長に生きていられては困る(手出しが出来ない)と考えた三成らによって毒でも盛られて殺害された と思うのですがどうでしょうか?
一般的には秀長は病死とされていますが…

A 回答 (2件)

>三成らによって毒でも盛られて殺害された と思うのですがどうでしょうか?



これは、昔も今も「謎」扱いですよね。
日本は学問・信条の自由があるので、正しい歴史は存在しません。
歴史は、人それぞれでの立場変わります。
※歴史を、為政者が悪用すると非常に危険。
で、秀長ですが「症状などから推測すると、胃腸系のヒ素中毒の可能性がある」との現代医学からの推測が出ていますよね。
「ヒ素は、猛毒」です。
秀長に怪しまれずに毒を盛る事が出来るのは、利休だけでしようか?
3畳程の茶室で一服盛れば、誰にも怪しまれずに実行出来ます。
三成は、官僚的で「利用できる者は、嫌いでも利用する」人物です。
秀長排除は、考えなかったでしよう。
私個人としては、家康に命じられた利休が怪しい・・・。^^;
1月22日、秀長死去。1月24日、最後の茶会。2月28日、利休切腹。
利休最後の茶会は、「家康と二人だけ」で行っています。報告会?
岡倉天心(東京芸術大学創設者)は、「利休は、秀吉の暗殺に失敗」と著書に書いています。
家康は、利休の死後「利休子孫の家督相続に奔走」しています。
何故か、(秀吉の)利休切腹命令に対しては「利休の助命嘆願を拒否」していますよ。
「口封じ」かも?
「家族(子供ら)の面倒は必ずみるから、是非やってくれ!」
昔から「刺客に言う言葉」ですよね。
先に書いた通り「正しい歴史は(どの国にも)存在しない」ので、あくまで歴史趣味の範囲です。
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この回答へのお礼

しかし利休にとって秀長は最大の庇護者です
秀長が消えて一番立場が危うくなるのは利休本人です
彼ほどの知恵者がそこまでのリスクを犯すでしょうか?

また秀吉による線も囁かれますが
秀吉が家族思いなのは諸大名も知るところ
当時不安定な豊臣政権下で秀吉の跡目を継ぐかもしれない(この時点で秀吉は世継ぎが居なく秀長への相続を考えていた)人物を秀吉が殺すとも考えにくい

また家康と言う線も可能性は低い
家康は秀長への評価を「天下への野心と太閤殿下への二心是否、諸大名の人心高し」と述べています
秀吉ではなく秀長が天下人なら自分は一も二も無くこれに従っただろう と言っているのです

とすると自ずと石田三成(あるいは五奉行の増田・長束あたりも怪しいが)が…と考えると辻褄が合ってくるのです

お礼日時:2014/01/03 08:51

石田光成は狭量ではありましたが、忠誠心が高く有能な官僚です。


豊臣家の存続には豊臣秀長が戦、政治、人望の面で自分よりも優秀な
ことくらいわかっていたはずです。
また、巨大化する徳川家康に対抗するには、豊臣秀長、前田利家の
2枚看板が必要だと考えていたはずです。
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この回答へのお礼

確かにそうですが
三成は現に博多の津田宗及や島井宗達と言う博多商人がこれからの豊臣政権の中核を担う事を見越して堺側の千利休排除に乗り出したという節も伺えます

現に大徳寺山門の利休木像の件を秀吉に告げ口したのも三成自身です

お礼日時:2014/01/02 17:25

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