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「この世は幻想であり私たち一人一人が自分たちの世界を創造しながら生きている」
という論理がありますが、それを実感している人はいるのですか?
私自身は、どうしても見ているものが幻想だなんて思うことはできません。

A 回答 (7件)

非常に雑な例えですが、ご参考までに。



ある、寝たきりの少女がいました。
病室の窓から、丸い不思議な建物が見えます。

遠くに会って、色も白っぽいので細かい所が
良く見えません。

少女は重い病気を患っており、病室を出ていく
可能性は皆無でした。

ベッドから動けない彼女は、窓から見える
色んな場所の事を、いろいろ想像するのが
数少ない愉しみでした。

あの建物は何だろう?どうしてボールの様に
丸いんだろう?
ガスタンクみたいなものかな?
何か特別な映画館みたいなものかな?

そうだったらいいな、きっと楽しいことが毎週
開催されていて、出会いがあったり別れがあったり
色んな物語があるんだろうな、と。

やがて少女の病気は最後の時を迎え、少女が
横たわっていたベッドは、新しいシーツに替えられ
別な患者の為にきれいに整えられました。

所で、あの丸いボールのような建物は何だったんでしょう。

傍に住んでいる人の目には、もう何か月も工事が続いている
カバーがかけられたトンネルの入り口にしか見えません。
モザイクの様にかけられた工事足場のシートは、たるんだり
引っ込んだり、遠目には凹凸の模様の様に見えますが、
そのことは近くに住んでいる人々には判りません。

考えてみれば、どんなものでも、どんなことでも、見る人に
よって形も色も、その意味さえマチマチのもので出来ている
この世界。

言葉が通じるし、そんなに奇妙な見え方の食い違いなど
余り感じないで皆、暮らしています。

でも、それは、判ったつもりだったり、深く考えるのが
面倒だったり、適当に相槌を打っていたりと、そんなに
真剣に考えずに暮らしているからなのかもしれません。

そうして、皆それぞれ自分の目に映る風景を、人を、
世界そのものだと信じて生きています。

そうやって、無数の人生が様々な建物を建て、モノを造り、
色々な物語を紡ぎながら、生まれて生きて、そして死んでいく。

その生成物が、見渡す限り立ち並び、活動を続ける、この風景。

人がいなくなって、人が生み出したものも何一つ無くなってしまえば
この風景を見て考えたり感じたりする脳も無くなってしまったら。

見る目も、聴く耳も、嗅ぐ鼻も、触れる肌も、一つも無くなったら。

宇宙は存在していても、一切知覚されることが無い。

先ほどの少女ではありませんが、私たち人間自身が、知覚的な幻想で
出来ている「意識」というものに閉じられて生きているように思えます。

人は、目を失い聴力を失い、味覚も嗅覚も触覚さえも失い、空腹や
息苦しささえ感じることが無い状態になったら。

脳裏に世界を描いて生きていけるものでしょうか。

記憶の中の風景、記憶の中の人々。記憶の中の出来事、そして。

現実なのか妄想なのかも不鮮明な、閉じられた自分の中の、
人生の色んなシーン。

この世は、というよりも、私たちが想像し、創造し続けているものは、
この世ではなくて、私達自身の内なる世界だと、私は思うのです。

世界の投影像を、心の中に映しながら、私たちは生きて 死んでいきます。
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幻想という言葉の他に紡ぎ、紡ぎだし、構成、編集ということばやまぁ表現もありますよ。


どんな自分が意識し認識し知覚経験しているかですよね。
そらはどんな存在でしょう。
そういう自分という存在をとことんつきつめることが最初のことではないでしょうか。
結論から言えば、ご質問にまぁ近い思想というか考え方もありますね。
ただ、その自分とは何かが問題でしょう。
私は長く日本、中国、欧米の哲学にのめりこんでいましたが、ここ40年ほどはヒンドゥの哲理に精進勉強です。
Self-Realization Fellowshipという語検索でその一端にアクセスしてみてはいかがでしょうか?
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幻想だと実感して生きている人に会った事があります。



また、他にも空想の世界で生きている人にとっては
この世が幻想にしか思えないっていう人もいました。

貴方のように、
この世は幻想なんかには見えないと言う人も居ます。

それぞれ、この世をどう捉えるかは、その個人個人の
意識の持ちよう次第でしょうし、それが◯でも(チェック)でも
無いと思います。

多くの中の理論の一つとして、そういう理論もある。
その程度でいいのではないでしょうか。

この世を、幻想と思う人は、そういう意識で生きているのです。
あなたが、幻想と思わないのは、あなた自身の意識ですから
それを大切に生きていけばいいのではないでしょうか?
それが、あなたご自身を生きる事なのですから。

あなたは、この世を幻想ではなく、◯◯と思って生きている。
その◯◯に入る言葉があなた自身の意識の持ち方なので、
その個性を大事に生きればいいと思います。
個人個人はその意識の持ち方で
地球上で様々な事を体験しています。
その意識の持ちようは、
それぞれ尊重されればいいなと思います。

この世とか、幻想という言葉が無い国もあります。
例えば、ピダハン族
http://d.hatena.ne.jp/sleepy_yoshi/20130430/p1

このピダハン族は、
目前の、目に見える事しか信じない(解らない)のですが、
この民族が正しいとか、正しくないとかではなく
このままでいいんだという事が、この本から解ります。
それと同じで、
あなたも、そのままでいいのではないでしょうか。

では、私にとって、この世は幻想か、そうではないかというと、
幻想であっても、実在であってもどちらでもいいことだなー
って思いました。

この世は幻想という言葉も、成長過程の中で、
誰かにそう意識付けられたに過ぎないと思いますから。
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認識することで実感として生きてます。



同じものを見ても、同じ解釈で生きてないから幻想と言ってしまえば幻想ではありますよね。

今日・今何をするか、それが一つの創造だと
こうやって書き込みをしてるのも、ある意味一つの創造を行ってると認識があります。

自分を深く掘り下げると、認識が明確になりますので
そこで言葉で表現するとしたら、その理論のような感じに表現できると思いますよ。

自分を自分として内部から捉えることができるようになれば
物事は逆転してしまうので見え方が変わります。
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幻想でも実像でもない、実感

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「実感」も何も、現状を本質的に肯定するに過ぎない。


「見ているものが幻想」なのではなく、あなたという仮説を
成立させるための必然なのだ(自我仮説(心=時間)と
時空仮説(物=空間)の相補分化)。
その心と物のダブルキャストの矛盾に“気づかないフリ”を
して、周りの状況に流されて生きる結果、死ぬと全てが
消失するという事実を受け入れられず、霊魂やあの世と
いった“幻想の延長”が生じ、その無理を補強するために
神が必要になるのだ。

人間の脳のニューロネットの伸長は、数歳までに終わり、
あとはその神経ニューロンの先端のシナプス(スイッチ)
のオンオフでしか認識の深まりに対応できない事は、
幼児期に感覚器官に障害のあった人は、その後の治療で
回復しても、環境認識に不可逆的な欠損を残す事から
明らかとなっている。
もし、肉体に付属した感覚器官に依存して発生するゆえ
に肉体的自己中心的に即物的な環境認識=素朴唯物論に
陥りがちな認識を、唯心論的に育成するならば、新生児
から数歳までの間に適正な教育を施して、それ以降の
科学的知識における量子論的な唯心論を受容できる素地を
醸成せねばならない。

だから私も、自説に反論する人に深く関わらないようにして
いる‥‥大人になってからでは遅い。
「思うことができない」のが当然、たまたま受け入れる素地を
持った人にだけ伝われば良いと思って書いている。
受け入れられないなら無視した方が良い、知らない方が幸せ
な事もある。
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この回答へのお礼

わざわざ回答ありがとうございます。
そうですよね。納得しました

お礼日時:2014/01/08 15:58

実感している人はいるかもしれないですかね?


それにもし、世の中が本当に幻想なら質問者さんのように実感わかないでしょう。
映画 マトリックス見たいな感じでしょうね。
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この回答へのお礼

その通りだと思います。回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/08 06:29

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