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創価学会の「御書」の内容について質問です。

創価学会がその教えの根本としているのが、「御書」と呼ばれる日蓮さんというお坊さんが書いた辞書のように分厚い本だと聞きました。

その本の中に、「この教えに反対する者はためらわずに殺すべし」というような内容が書かれている箇所があると聞いたのですが、本当ですか?

具体的に分かる方がいらっしゃったら、何ページのどの部分かを教えていただきたいです。

実家に(確か)創価学会の「御書」が置いてあったと思うので、自分で確認してみたいです。
(昔の言葉で書かれているため、自分では探せないので困っています。)

宜しくお願いいたします。

A 回答 (10件)

 どうも、私は真宗のボーズでいわゆる念仏無間です。

日蓮聖人に関しては本来専門外なので回答は控えようと思っていましたが、お答えがご質問の意図と変わってきているようなので、シンプルに書きます。

>>その本の中に、「この教えに反対する者はためらわずに殺すべし」というような内容が書かれている>>箇所があると聞いたのですが、本当ですか?
>>具体的に分かる方がいらっしゃったら、何ページのどの部分かを教えていただきたいです。

とのことですが、たぶんこれは『秋元御書』の

不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒・八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「満三千界・無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者・尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者・猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり

という部分にある、とくに「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」とあるところだとおもわれます。具体的に何ページかはわかりませんが、創価さんの公式ホームページであれば、

http://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.ph …

というところにあります。あと、日蓮聖人は偽選説の多い方で『秋元御書』にも偽選説もございます。しかし、「四箇格言」の成立年代の研究論文等を読みますと『秋元御書』は日蓮聖人の真選ではないかと思います。
 
 こんなところでしょうか。でしゃばりまして、すみません。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀仏

この回答への補足

他に回答が付かないため、そろそろ質問を締めさせていただきます。
私が知りたかった御書がおそらくこの箇所だと思いますので、baka-hageさんのこの回答をベストアンサーにさせていただきました。

また、詳しい解釈もしていただき、助かりました。
回答ありがとうございました(^^)

また、177019さんも、heisenbergさんも、大変参考になる回答をありがとうございました(^^)
また宜しくお願いいたします。

補足日時:2014/01/27 16:56
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この回答へのお礼

「念仏無間」とは、日蓮さんが他宗を批判する時に使った「四箇格言(しかかくげん)」というものの内の一つですね。

“解釈によっては”そういう意味にも取れる、ということかと思っていたのですが、はっきりと書かれているのですね。

>「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」

とは、「法華経の敵を害することは一番の功徳だ」という意味ですよね?

文章を読む時は一部分だけを切り取って読むことによって、書き手が意図していない伝わり方をしてしまうこともままあるものだと思うのですが、この文章の場合だと、いわゆる文面の通りに、「法華経の敵を害する(=傷付けたり、殺すこと)べきだ」と言っていると思って良いのでしょうか?
それとも、「法華経に背くことは、このくらい悪いことなんだよ」ということを表現するための比喩なのでしょうか?

また、「法華経」という括(くく)りですと、日蓮さんが主張していた思想以外のものも含まれてしまうと思うのですが、そこら辺はどういう解釈をすれば良いのでしょうか。

ちなみに、「偽選説」と「真選」とは、どういう意味でしょうか?
本当は日蓮さんが書いたものではない、偽者の文章である説と、本当に日蓮さんが書いた、本物の文章である説、という意味ですか?

重ねて沢山質問をしてしまいましたが、お分かりになる部分があればまたお答え頂けるとありがたいです。
大変参考になりました、回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/20 00:05

 再び失礼します。



>>“解釈によっては”そういう意味にも取れる、ということかと思っていたのですが、はっきりと書かれているのですね。
 
 そうなんですよね。結構はっきり書いてあるんですよ。

>>文章を読む時は一部分だけを切り取って読むことによって、書き手が意図していない伝わり方をしてしまうこともままあるものだと思うのですが、この文章の場合だと、いわゆる文面の通りに、「法華経の敵を害する(=傷付けたり、殺すこと)べきだ」と言っていると思って良いのでしょうか?
>>それとも、「法華経に背くことは、このくらい悪いことなんだよ」ということを表現するための比喩なのでしょうか?

 これにも解釈がいろいろあるでしょうから専門家に任せたいところですが、先にあげた文章の文脈的なところから考えると、「不殺生戒は仏教の戒律の中でもっとも重要なものであり(中略)、蟻を殺したり、魚や草や死体を切っても地獄に落ちる。これほどまでに不殺生戒は大変重い戒律ではあるが『法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり』」とあるわけですから、「害する」の部分は物騒なな話ですが「殺害」すると解釈するのは最も自然でしょう。
 ただし、そのあとに「説き給うなり」とあり、これは『涅槃経』説かれるところのお釈迦様の過去世の話の事を指していると考えられます。過去世においてお釈迦様が仙預王という王様であった時、一人のバラモンが正法を誹謗中傷の限りを尽くしているのを聞いて、そのバラモンの命を断ったと説かれている部分があるのですが、そのことでしょう。あくまで『涅槃経』には「正法」とあるだけで、正法=『法華経』というのは日蓮聖人の解釈になるわけですが、あくまでここは日蓮聖人の主張ではなく「お経のなかにもこんな風に説かれています」という引用文であるということは念頭に置く必要はあります。。
 また、「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」の後には「況や供養を展ぶ可けんや」とあり、ここは極端な意訳をしますと「お経にそこまで書かれている法華経を誹謗する他宗の教えを供養することに本当に意味があるのか?(いや、ない。)」と問いかけているわけですから、ある意味ここが日蓮聖人の主張となるんだと思います。
 ですから、日蓮聖人の主張としては、「法華経の敵となったものは殺すことが功徳になる。」ということを主張したのではなく、「『法華経』を誹謗中傷するものは、経典の中では殺されちゃってもそれが功徳になるって書いてあるんですよ。」ってなくらいだと思うんですよね。ただ、引用してるってことはそれに賛成しているという事でもあるので、ただの比喩としてという意味でもないように思うんですよね。この辺が引用部分の解釈の難しいところです。


>>また、「法華経」という括(くく)りですと、日蓮さんが主張していた思想以外のものも含まれてしまうと思うのですが、そこら辺はどういう解釈をすれば良いのでしょうか。

 これもまた難しいところなんですが、『法華経』を最高の経典と考える解釈は、「天台法華」と「日蓮法華」ということになるんでしょう。この二つとも、「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」の『法華経』のくくりに入るのか?ということですね。
 たぶん、個人的には入るとは思います。『立正安国論』にも写本よっては「天台沙門日蓮」と記されているものがあったと記憶しています。また、天台宗における法華思想や天台大師智顗(チギ、漢字が化けていたらすみません)または伝教大師最澄を日蓮聖人は表立って批判してはいないはずです。そして、『富木入道殿御返事』には

問うて曰わく、如来の滅後二千余年、龍樹・天親・天台・伝教の残したもう所の秘法何物ぞや。答えて云わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり

とあって、日蓮聖人は自分こそが龍樹、天親、天台、伝教と続いた天台法華の正当な継承者という自覚は持っていたはずです。ただ、天台宗も後年密教化が進んでいたので、『顕謗法』のなかで

真言宗には日本国に二の流あり東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり何に況や大日経にをいてをや、天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり印真言等は超過せりと云云、此等は皆悪道に堕つべしや

として、当時の密教化した天台宗に対しては批判的な立場をとっておられますね。


>>ちなみに、「偽選説」と「真選」とは、どういう意味でしょうか?
>>本当は日蓮さんが書いたものではない、偽者の文章である説と、本当に日蓮さんが書いた、本物の文章である説、という意味ですか?

 偽選というのは、その人の名前を語ってのちに誰かが書かれたもの、真選は本人が書いたものってことです。
 今回の文章が載っている『秋元御書』は写本しか残っておらず、また「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」なんていう過激な文言が載っているので、偽選としたい人がいたり、真選としたい人がいたりするようです。ですから、今のところ『秋元御書』、真偽のほどはははっきりしてません。
 専門家でない私個人の意見としては、「四箇格言」の中における批判は多くの御書に散文的に載っているわけですが、その批判が「四箇格言」として四つの宗派が対句表現的にの成立はどうやら身延時代に入ってからのようです。そのころの御書としては『御義口伝』には「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚ぶ事は無問自説なり」とあって、『秋元御書』にも「阿弥陀仏は無間の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗持斎等は国賊なりと申す」という部分と共通してみることができるので、今のところは史料的価値を認めていいんじゃないかと思うわけです。


 こんなとこですかね。他宗のことを書くのは気を使います。少なくとも専門家ではない意見として受け取ってください。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

確かに、文の最後に「説き給うなり」と付いていますが、これは、日蓮さん自身がおっしゃったことでは無く、「~~さんが言っていましたよ」、という意味なのですね。

具体的には、「涅槃経」というものが説かれている部分の中の、お釈迦様がご自身の過去生について話されている部分からの引用だということですね。
また、引用元である「法華経」では、「正法=日蓮宗」という図式がある訳では無い、と。

法華経を引用しつつ、「日蓮宗」を「正法」とし、他宗を批判している訳ですね。

>『立正安国論』にも写本よっては「天台沙門日蓮」と記されているものがあったと記憶しています。
>また、天台宗における法華思想や天台大師智顗または伝教大師最澄を日蓮聖人は表立って批判してはいないはずです。
>・・・とあって、日蓮聖人は自分こそが龍樹、天親、天台、伝教と続いた天台法華の正当な継承者という自覚は持っていたはずです。

ということで、当時は今ほど「日蓮宗」や「天台宗」などと、「法華経」を最高の経典とするグループの中で区切りが無く、同じグループだったということですね。

しかし、「天台宗」は後年になって密教化が進み、日蓮さんは批判的な立場になって行き、そこから「日蓮宗」が分かれた、ということですね。

また、「秋元御書」は写本しか残っていないということで、偽選か真選か、という話になると、もうどうにもならないですね。考古学の専門分野ということになってくるのでしょうか。または当時までタイムスリップをして、誰が書いたものなのかを調べてくる他ありません。

四箇格言は、別の御書にも似た文面が載っているため、信憑性が高いということですね。

大変詳細な説明をしていただき、とても助かりました。専門家では無くとも、参考になりましたし、今回お聞きしたお話を持って、機会があれば「専門家」に具体的な質問をすることも可能になりました。

回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/20 21:09

「創価学会が今でも正しいと思っている学会員」の中に、「平成2年以降の問題で創価学会が宗門に騙されていた事が分かった」そして、「宗門は学会を利用するだけ利用して切った」と、学会員の中に未だにそう信じ込んでいる人が大勢います。

彼らの言い分は(1)宗門にご供養する事によって正法興隆に寄与して来た。(2)学会員が身をもって総本山や末寺に協力して来た。(3)学会が組織力や政治力を持って宗門や寺院の維持発展に寄与して来た事。など学会の功績を今でも挙げる訳です。しかし、私達は「信徒」なのです。これは信徒としての仏道修行であり、本来あるべき姿なのです。昭和29年、戸田第二代会長は「信心を基調にして折伏する事、お寺を大事にする事、総本山へ尽くす事は当たり前のことなんですから、それが自慢のようになってはもう信者として資格は無い。」(戸田城聖全集より)と指導しています。私は昭和51年10月に創価学会に入信しました。32歳だったと思います。56年に学会研修道場において男子部の研修があり帰宅すると姉から電話がありました。「母が危篤で後数時間、すご実家に帰って来て」との連絡がありましたが、当時私は兄と喧嘩状態にあり、「母が死んでも絶対行かん!」と言って電話を切りました。そして、自宅アパートでお題目を一時間上げて近くの大ブロンック長宅に行き、状況を説明しました。大ブロック長、「今行かなければいつ行くの?お母さんの前で法華経を唱えて上げなさい、」と言われ、御書のどの部分だったか忘れましたが、母親が子供を産むときの辛さ、腹がはち切れんばかりに痛く辛い思いをする。と指導頂きタクシーで実家に向かいました。すでに母の呼吸は途切れ途切れで近所のお婆ちゃんが念仏のお鈴を持ってきてチーンとやり出したので私は兄に「僕に法華経を唱えさせて下さい」と嘆願、兄はうんと返事をしてくれたので母の顔に向かって法便品、自我偈を唱えました。どす黒かった母の顔は一変してピンク色に変わったのです。姉は「お母さんの顔色が変わった、見て」と近所の人を呼んでその「成仏の相」に見入ったのでした。この当時学会は、謗法などは一切無く、純真に宗門の教えを世の中に広めていた、だから末端の学会員一人一人にまで功徳が行き渡っていた、これはその証拠だと思います。しかし、「破門」されて以降、やはり宗門から御本尊下附を受けられなくなった事が、謗法の道を一段と早めた要因であると私は思います。貴方のように私も学会内部にいて何にも知らなくて「県混声合唱団」のテノールのパートリーダーとして活躍、平成12年10月脱会、本宗唯一の信徒団体「法華講」に入講、又所属寺院においては支部副講頭の役職を御法主上人猊下様より頂いています。「成仏の相」とは勿論顔色はピンク色に変化しますが何より信心に熱心な人は葬儀が終わって火葬場に行っても体に硬直は無くポタポタのままなのです。これが日蓮正宗信徒の本当の「死」なのです。
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この回答へのお礼

平成2年以降、今の創価学会と宗門との間で問題が起こり、平成3年に創価学会が宗門から破門された件について、
創価学会側は、「宗門が創価学会を利用するだけ利用して切ったんだ」と思っているということですね。

創価学会が自身の正当性を主張するならば、宗門を悪者にし、当然そのような主張になりますね。

>昭和29年、戸田第二代会長は「信心を基調にして折伏する事、お寺を大事にする事、総本山へ尽くす事は当たり前のことなんですから、それが自慢のようになってはもう信者として資格は無い。」(戸田城聖全集より)と指導しています。

戸田さんの指導とは矛盾が生まれてしまっているということになりますね。
池田さんは、戸田さんの教えをとても大切にしている立場の方だったと記憶しています。

また、お母様の顔色が変わったお話については、凄い体験ですね。
現実の事象を変化させたという話を聞くと、力のある信仰なのだな、と感じさせられる気がします。

177019さんの経験されたお話を聞くと、創価学会を脱会し、日蓮正宗へ意識を向かわせるには十分な判断材料だと思えます。
今後は、創価学会側の意見も聞いて行きつつ、更に研鑽を深めて行きたいと思っています。

また、補足的な内容の情報がありましたら、再び回答していただけるとありがたいです。
回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/20 20:37

「突然死」については現実に私の身の回りで起きた出来事です。

近所の学会員の床屋さん、特に病気もなく毎日平穏無事に過ごしていた奥さんが急に苦しくなって倒れ、そのまま息を引き取った。また私の知人の学会員のお宅の息子さん、掃除機を売りに来た業者と話していて「本当に綺麗になったねえ」と話をしていて、その業者が帰ってすぐ急性心臓麻痺で、また私の本当親友だった鈴木さん、カラオケの先生をしていました。それまで本宗のご本尊を御安置していましたが、生徒獲得の為に学会に入信しニセ本尊を持たされました。私の猛烈反対を押し切っての事で、その数年後、「脳膜炎」で死亡、脳膜炎とは最近では珍しい病気です。貴方のご実家にご本尊はあると思いますが、ご本尊に向かって右側に「頭部七部に割れ脳乱する」と書かれています。つまりすでに正しいご本尊は警告している訳です。「誤った信心をすると脳が七部に割れて脳乱しますよ」と、ですから学会員の死相が悪く、人に見せられないのです。幹部が亡くなっても葬儀は非公開です。「学会は宗門から独立したかった理由?」それはお金の問題です。宗門は学会に対してご供養の強要は一切していません。これを盾にして学会はこういう事を言っています。「宗門は学会を利用するだけ利用して切った」、学会員に功徳があったのは学会員が信仰する日蓮正宗の教えが正しいものであり、学会員のご供養精神が清純なものであったからにほかなりません。学会員が成仏を願い幸せを願ってご本尊へ供養し、奉仕した真心は必ず本人の福徳となり、その功績は正法の興隆に立派に役立ったのです。次回は我々日蓮正宗直属の信徒の「死相」について話します。
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この回答へのお礼

創価学会員の突然死については、177019さんの身の周りで実際に起きた出来事とのことで、いわゆる「ニセ本尊」が原因だとすれば、恐ろしいことですね。

「頭部七部に割れ・・・」という文章はとても有名で、私も何度も目にしたり耳にしたりしています。
私は人生に迷っているような部分がありますから、もしそのことが関係していたら、早急に対処しなければいけないと思っています。

創価学会の幹部の方がどういう亡くなり方をしているのか、どういう人生を送っているのか、を是非知りたいところです。不謹慎ですが、そこに創価学会の本気の信仰の結果が表れると思うからです。
池○さんの息子さんが珍しい病気でお亡くなりになった、という噂も耳にしたことがあります。
(個人についての話ですから、今更ですが伏字にしておきました)

宗門が創価学会に対してご供養の強要をしていないことを盾に創価学会が「宗門は学会を利用するだけ利用して切った」と言った、というのは、どういうことですか?

私は創価学会が発足してから、創価学会の家庭の中で生まれているため、創価学会の発足以前の宗門と、発足後の創価学会で、功徳や生活にどういった違いがあるのか、分かりません。是非知っておきたいところです。

次回の回答では日蓮正宗の信徒の「死相」について教えていただけるということで、いくつか補足的に質問をさせていただきましたので、そちらと合わせて是非宜しくお願いします。

お礼日時:2014/01/20 11:57

本日、1月17日は「阪神淡路大震災」勃発の日です。

一番被害が大きかった地区は神戸長田地区です。平成3年宗門から破門された学会は平成5年10月に至り突然、本尊を勝手に配布し始めました。この本尊は栃木県本圓寺に所蔵されている日寛上人の御書写のご本尊をコピーし、さらにご本尊に認められていた「本證坊日證授与」という授与書を抹消して作りあげたものです。本宗ではこの学会作成の本尊を「ニセ本尊」と言っています。それは(1)御法主上人の許可を得ていない。(2)本宗総本山から下附されていない。(3)学会が勝手に作成した。これについて学会は「自分達は和合僧団であり、信心の血脈が流れているからご本尊を配布する資格がある。」と吹聴し、これまで学会員が安置していた本宗からの御本尊を回収、交換し本宗からの正しい御本尊をこの神戸長田地区で燃やした。と言われています。私個人的には阪神淡路大震災を引き起こす種を作ったのは「正しい御本尊を燃やせ」と命令した池田であると思っています。今回貴方は「平成3年初頭から学会は組織を挙げて」の部分で、なぜそういう事をするようになったか?との疑問ですが、これは秋谷会長の前の北条会長の時からそういう動きがあり、北条会長のメモには「キリスト教にもプロテスタントとカトリックと二つの派があるように我々も宗門から独立しては」と残されていますし、その後学会は「宗門乗っ取り事件」を起こし、池田がお詫び登山をするという事もありました。又「破門」以降の学会の動きを見てみますと、やはり脱会者を防止すると言う意図があると思います。私は今、一番危惧している事は「学会員の死相」、決して「成仏の相」では無いのです。以前、公明党参議院、女優沢たまきが議員会館風呂場で壮烈な死を遂げました。宗門に対して墓地の登記についてわずかなミスを指摘、裁判に持ち込み、宗門は訂正登記をして決着しましたが、この壮烈な死をガードマンによって発見され病死として扱われました。こうした「突然死」が最近の学会員に多いことは残念な事だと思っています。指導者、洗脳とは?何卒、私の思いをどうかご理解賜りたいのです。
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この回答へのお礼

平成3年に宗門から破門され、宗門への嫌がらせと言われている行動を取り始め、平成5年に自分達で作ったご本尊を配布し始めた創価学会。
そして、「阪神淡路大震災」は平成7年に起こっています。
その災害の中で最も大きい被害を受けた地域のひとつが神戸市の長田区と言われていますが、まさにその地域で、元々在った正しいご本尊を燃やしたらしい噂があるのは、とても怖いことですね。

>北条会長のメモには「キリスト教にもプロテスタントとカトリックと二つの派があるように我々も宗門から独立しては」と残されていますし、

これが本当だとすると、キリスト教に倣ったことになり、何だかおかしな話ですね。
創価学会は、宗門からどうしても独立したかった理由があったのでしょうか。

>以前、公明党参議院、女優沢たまきが議員会館風呂場で壮烈な死を遂げました。
>こうした「突然死」が最近の学会員に多いことは残念な事だと思っています。

この事件については知りませんでした。
最近の学会員には「突然死」が多いのですか?どこかで確認が取れるのであれば、私も自分で確認してみたいです。本当だったら物凄く重要な情報のような気がしました。

私は人相のことは良く分かりませんが、創価学会員の方達のお顔を拝見していると、顔色が悪かったり、顔の左右に歪みがあることが多いような気がしていて、昔から気にはなっていました。

聖教新聞を読んでいた頃は、聖教新聞には創価学会員の方達の顔写真がよく載っていましたから、創価学会員の方達のお顔を毎日のように観ていましたが、人の顔というものは真正面から撮るとこんなに歪んでいるものなのかなあ、と不思議には思っていました。
(昔個人的に思ったことがある、というだけです。一応)

「学会員の死相」とは、こういうことでしょうか?
それとも、もっと漠然とした雰囲気のようなものでしょうか?

また何かありましたら教えてくださると、大変勉強になりますし、ありがたいです。
回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/19 01:29

そういう貴方ならなお更の事、分かって欲しくて再び書きました。

前回の中の例えの中で「久谷焼き」と書きましたが「九谷焼き」の間違いでした。訂正してお詫びします。私達は「信徒」です。普段は社会にあって仕事をしてその合間に朝夕の勤行しお題目を上げて仏法を学び、苦悩にあえぐ人達を救うという「折伏」、これが日蓮正宗の信徒としての責務です。もち論、私達は凡夫です。別に僧侶のように修行した人間ではありません。ですから当時の創価学会もそうでしたが、本宗の総本山から教えを頂いてそれを世の中に広めていた。これは信徒団体の形として又、宗教法人設立の原則の中に、「折伏した信徒は本宗の各寺院に所属させる事」「当山の教義を守る事」「三宝(仏・法・僧)を守る事」この約束の下、東京都から宗教法人の認可が下りたのです。ここからが創価学会の破門に至る経緯です。平成3年初頭から学会は全組織を挙げて御法主上人や宗門への誹謗・中傷、いやがらせを開始し、本宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、学会が独自で始めた「友人葬」の執行など、本宗の化儀、化法から大きく逸脱する謗法を犯すようになりました。これに対して宗門は日蓮正宗本来の信仰姿勢に立ち返るよう訓戒を重ねましたが、学会はこれを聞き入れず更に謗法を繰り返したのです。こうした行為を繰り返す学会に対して宗門は「通告文」を送って強く反省を促しましたがこれを聞き入れず、御法主上人及び宗門の誹謗、中傷を繰り返したため平成3年11月28日学会を破門に付したのです。さらに宗門は実質的責任者である池田に対して弁疎の機会を与えましたが何らの返答も無いため平成4年8月11日池田も信徒除名処分に付しました。この時の宗門の処置はあくまでも学会組織と責任者である池田に対するものであり、個々の会員を本宗から排除するものではありませんでした。ですから貴方は「学会の言い分、学会の意見」と言われましたが、今では学会員は完全に悪い方向に洗脳されていますから、話にならないと思います。その一例として今でも学会員は本宗の事を「日顕宗」と呼び機関紙「創価新報」「聖教新聞」にも宗門に対して誹謗の数々が記載されています。宗門はあくまでも師匠であり先生であったであろう学会が、平成12年6月、フランス国営テレビからは「創価学会はフランスではセクトの中で危険なものの一つ」として紹介しました。
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この回答へのお礼

一応、私は創価学会員に囲まれて生活をしてきたと思いますが、「折伏した信徒は本宗の各寺院に所属させる事」、「当山の教義を守る事」、「三宝(仏・法・僧)を守る事」、という約束の下で東京都から宗教法人の認可が下りた・・・という話は全く知りませんでした。

>平成3年初頭から学会は全組織を挙げて御法主上人や宗門への誹謗・中傷、いやがらせを開始し、本宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、学会が独自で始めた「友人葬」の執行など、本宗の化儀、化法から大きく逸脱する謗法を犯すようになりました。

何故このようなことをするようになったのか、ここら辺を是非創価学会側からも聞きたいところです。
「創価学会」の成り立ちの根本的な部分だと思うからです。

また、「破門」に至るまでにも、急に「破門」にした訳ではなく、何回かの通告を行い、「破門」にした後も池田さんに意見をする機会を与える(※)など、何回かのクッションを挟んでのことだったのですね。

※「弁疎」とは、大体こういう意味ですよね?

「日顕宗」とは日蓮正宗のことだったんですか!
私は1年ほど創価学会で活動をしていたことがありますが、「日顕宗」のことは確かに物凄く敵視していました。こういう流れがあってのことだったんですね。

聖教新聞も読んでいましたが、一部「それ専用」のようなスペースがあり、「日顕宗」などの他宗教に対して、罵詈雑言が毎日書かれていたと記憶しています。
「間違っているものを徹底的に叩くこと」も(教義的に)重要なことなのだということで、やらなくてはいけないのだ、というような考え方だったと思います。

フランスではそう指定されているということは聞いています。

実際に会って話すと冷静に話してくださるとは限りませんから、こういう場をお借りして創価学会の方ともお話が出来れば良いです。
めちゃくちゃな理屈であれば文章に残りますからすぐに分かりますね。

大変勉強になりました、回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/16 22:25

貴方のご実家が学会ですか?では貴方は学会員ではないのですか?「お時間があれば再び回答を」とのご意向でしたので再び書かせていただきます。

貴方の疑問に的確にお答えする為に一部きつい表現もあろうかと思いますが、ご勘弁を願いたく伏してお願い申し上げます。まず、日蓮の教えの根本はどこにあるか?です。それは日蓮直筆の本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承する日蓮正宗にしかありません。「相伝」とは、貴方の解釈が軽く過ぎます。例えば「久谷焼き」という何年も続く窯元があります。この道も何人もの弟子がいて、焼き具合から上薬の調合、色具合すべてに渡って弟子に相伝、伝授され、初めて一人前の窯元になり「久谷焼き」伝統を受け継いで行く訳です。日蓮正宗も開祖日興、日目、日道、日行、と「相承、伝授」これには「御書」の内容は勿論の事、日蓮のお心まで受け継がれ今の御法主上人は数えて68世、日如上人猊下様です。「御書の解釈を文書ベースで戦わせる?」、そんな卓上の理論ではありません。これは私達信徒が体で感じ体依する事でありますのでそういう考えには賛成できません。平成3年に学会は「日蓮正宗」から「破門」されました。学会員は日蓮正宗の信徒の資格が無くなったのです。ですから完全に学会は新興宗教になり、自分達で御書を勝手に解釈し、都合の良いように会員に教えています。そんな所に「真の日蓮のお心」は存在しません。ですから脱会しました。分からない事はいつでもどうぞ、
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この回答へのお礼

私の実家が創価学会員の家庭ですから、私も籍は置いています。
活動は殆どしていません。

>日蓮直筆の本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承する日蓮正宗

とは、日蓮さんが直接書いたご本尊(掛け軸のようなものですよね?)と、日蓮さんの教えがしっかりと「相伝」されている流れが日蓮正宗にはある、ということですよね?
(聞き慣れない言葉ばかりなので、すみません・・・)

「久谷焼き」というものに例えられた、この宗教における「相伝」が一体何をどう伝える、どういうものなのか、私には分かりませんが、とても繊細かつ重要なものということですね。

日蓮さんの教えを直接「相伝」されている方が現代もいるということは、知りませんでした。

また、日蓮正宗の中において受け継がれている日蓮さんの教えというものは、文書に表せない、体験して体得するものだということですね。
そうなると、ガッツリと日蓮正宗に入り、じっくりと学んでいかなければ、分からないものということになりそうですね。

端から見ているとまだまだ何が正しいのか分かりませんので、創価学会側の言い分も勿論あると思われますので、創価学会側の意見もまた別の機会に聞いて行きたいものです。
何を学ぶべきなのか、外部の方にも伝わりやすくなれば良いと思うのですが。

大変勉強になりました、回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/15 10:55

No.1です。



>>◇この内容ですと、はっきりと「この教えに反対する者はためらわずに
   殺すべし」と書かれている訳では無いということになります。

その通りです。
ですので、「敷衍して」と書いたのです。
「文意を詮索し、敷衍して言えば、そのように考えられないこともない」「或いは、この『御書』か・・・」という訳ですね。
No.1のコメントにも書きましたが、僕は「御書」を全て読んだ訳ではありませんので、ご質問にピッタリの「御書」がある可能性は否定できません。
今後、何か分かりましたら、また、回答させて頂きます。
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この回答へのお礼

丁寧にありがとうございます!

宜しくお願いいたします(^^)

まだまだ他の方からの回答もお待ちしております。
回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/12 22:21

私も元学会員です。

先ほどの回答者に賛同いたします。私からはもっと基本的な事を一言言いますと。「日蓮大聖人の仏法の奥義は、唯授一人の血脈相承によって伝えられています。創価学会は、御書さえあれば日蓮の仏法はすべて理解できると主張していますが、他門日蓮宗も日蓮の御書を拝読していながら、邪義異説を唱えています。これは相伝が無いからです。従って創価学会が「御書さえあれば相伝などいらない」と主張することは、日蓮や御歴代の(日蓮正宗の)上人の御教示に背く、浅識、橋慢謗法というほかありません。また、御書の御文を正しく解釈するためには相伝によらなければなりません。現在の創価が主張する「御所根本」とは、相伝によらず自分の都合のいいように御書を解釈することであり、それは唯授一人の血脈を否定するためのまやかしに過ぎません。
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この回答へのお礼

なるほど。同じく御書を読んでいる他宗教は、創価学会とは違う解釈をしているから、御書だけあれば分かる、というのは間違いだという事ですね。

「相伝」とは、御書の内容を正しく理解するための、人から人へと直接言い伝えられる「解釈」や「ニュアンス」のようなものでしょうか?
確かに、あれだけ分厚い本ですから、解釈のしようはいくつもありそうな気もしますね。

御書の解釈を文章ベースで戦わせてみせて欲しいところですね。文章ベースであればお互いの話を正しく把握出来るし、また、熟慮した上で発言出来るからです。
そうすれば、どの発言がどれだけ正しいのか、判断が付きそうなものですが。

ちなみに、177019さんは、回答してくださった内容等の部分において創価学会の教えに反発をし、脱会をされたのですか?
お時間があれば再び回答していただけるとより参考になります。

大変参考になりました、回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/12 22:17

元創価学会員です。



僕が記憶している限り、「この教えに反対する者はためらわずに殺すべし」というようなことが書かれた部分を含む「御書」はありません。
「御書」の全てを読んだわけではありませんので、「無い」とはいえませんが、「僕が知る限り」ではなかったです。
ただ、「あれのことかな・・・」と思える「御書」はあります。
「破良観等御書」です。
創価学会版の「御書」の、1289ページから始まる「御書」です。
この「御書」で、日蓮は、「四箇の格言」に見られる他宗攻撃を繰り広げ、「三逆罪を犯した提婆達多よりも、真言や禅、念仏、律宗などの人師の方が罪は深い」「弥四郎は武士だった時に人を殺したが、それさえ、邪宗の人師よりは罪は軽く、法華経の教えを守っていたから成仏は疑いない」と主張しています。
これを敷衍して考えれば、「法華経の教えを蔑ろにする真言や禅、律、念仏等の人師は、三逆罪を犯した提婆達多や、人を殺した弥四郎よりも罪が深い」と論理になり、「それゆえ、法華経の教えに反する者たちは殺してもいい」という論理が成り立ちます。
「三逆罪」は、「破和合僧」「出仏身血」「殺阿羅漢」の三つです。
弥四郎は、日蓮の弟子の一人で、元は武士であり、多くの人を殺した過去を持ちます。
「四箇の格言」の「邪宗」の人師は、「法華経」を誹謗し、その教えに反対する者たちですから、「三逆罪」を犯した提婆達多や人を殺した弥四郎よりも罪が深いのですから、「ためらわずに殺すべし」という論理的帰結が可能になります。

以上、私見を述べました。
ご質問への回答として考えられるのは、上述の内容が書かれた「破良観等御書」ではないか、との推測からコメントしました。
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この回答へのお礼

なるほど、かなりひん曲がった解釈をすると「この教えに反対する者はためらわずに殺すべし」みたいな解釈になり得るということですね。

この内容ですと、はっきりと「この教えに反対する者はためらわずに殺すべし」と書かれている訳では無いということになります。

大変参考になりました、まだ他の方からの回答もお待ちしております。
回答ありがとうございました(^^)

お礼日時:2014/01/11 23:58

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