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江戸時代、早飛脚で有名だった者が、高崎~江戸~大阪(現在の国道だと620kmぐらいか)を3日間で走破し、帰りも同じく3日間で走破したそうです。
単純計算で1日当たり207km、1時間当たり8.6kmぐらい。
アップダウンの激しい当時の街道を6日間で1240kmも走ること自体が信じられません。さらに食事や休憩時間を差し引くと、もっとすごいスピードで走っていたことになります。
ところで、箱根などの関所や大井川などの川越しの営業時間は午前6時から午後6時まででしたが、早飛脚でもその時間帯は通行できなかったのですか?だとしたら、もっとすごいスピードで走っていたことになります。
栄養学や科学トレーニング、各種サプリメントなどもない時代に、そのような猛者が本当にいたのでしょうか?
ちなみに、私は平坦な舗装路を速足で散歩すると1時間当たり5kmですが、そのペースだと3時間が限界です。

A 回答 (6件)

自分と比べてはいけません。

私や質問者さんがいくら頑張っても150キロのストレートを投げたり、100mを10秒少々で走ったり、スケートで3回転のジャンプをすることは絶対にできません。しかし、世の中にはそういうことを簡単にやってのけるアスリートと呼ばれる人たちがいます。
今でも昔でも、生まれながらにして飛び抜けた運動能力をもったアスリートは存在します。今はプロスポーツがありますからそういう人たちはスポーツ選手になるわけですが、昔の人は剣士になったり力持ちなら強力をしたわけですよ。坂本龍馬の姉ちゃんは、俵を片手で持ち上げたなんて伝説が伝わっていますよね。去年の大河の主人公である八重さんはものすごい射撃の腕前の持ち主でした。敵の指揮官を次々に斃したというのですからゴルゴ13なみで、今ならオリンピック選手間違いないでしょう。当然、昔でも飛び抜けて脚が速い人は飛脚やら何やらをやらないかといわれたと思います。
箱根駅伝で「山の神」といわれた柏原竜二選手みたいな走りをしろといわれても絶対に無理ですが、世間にはそういう若者が現実にいるわけです。ちなみに1時間20分くらいですよ。自転車でももっと時間がかかる人はザラでしょう。まったく何も知らない人が箱根5区を歩かされて「これを1時間20分で走る人がいる」と聞いてもにわかには信じられないでしょう。

ちなみに添付の写真は幕末から明治初期のアクロバチックな芸を見せていた芸人さんのものだそうですが、びっくりするほど筋肉ムキムキですよね。考えてもみてください、当時は筋トレもなかったし、それどころか肉でさえほとんど食べてなかったんですよ。当時の日本人のたんぱく源はほとんど大豆だったはずです。いってみれば、豆腐と味噌汁で作った筋肉。どれだけ実践的な肉体だったかということです。

現代人がすべて手作業で田植えをしたら、半日だって持たないと思います。でもそれをいったら戦後すぐくらいまでは行商のおばちゃんとかがいて、彼女たちは50キロから60キロくらいある野菜や商品をかついでぜんぶ徒歩で回っていたわけですからね。身長150センチ程度のどこにでもいる女性ですよ。現代の女性に、いや男性だって30キロの荷物を担いだらロクに歩けない人はザラにいるでしょう。

ちなみに現代でも、メキシコのある高地民族はマラソンにやたら強くて、賞金が出る大会に「出稼ぎ」にいってさらっと優勝して賞金をかっさらっていくそうです。もちろん彼らは高地の村で普通に暮らしているだけです。笑っちゃうのが、彼らが普段履いているサンダルは、古タイヤを切って作るお手製のものだそうで、彼らはマラソン大会のときも吐きなれているからとその古タイヤサンダルで走って優勝しちゃいます。もちろん、他の選手はスポーツメーカーの何万円もするハイテクシューズを履いているわけですが。
「昔の人の体力と脚力」の回答画像5
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>そのような猛者が本当にいたのでしょうか?


常人を越えてはいますが、いたと考えるほうが妥当でしょう。
マラソン選手もトレーニングに入れば仕事や学業の間に一日40km程度は毎日走ります。

江戸時代と現代では、生活習慣に基づいた脚力が全く違います。
江戸時代は歩いて移動する以外に方法はありません。
辻駕籠は今のタクシーと同じかむしろ贅沢です。
子供のころから一日中テクテク歩いていました。
丁稚小僧(7歳~10歳)でも片道5km程度は毎日使いに出されていました。
大急ぎで往復しないと叱られました
ごく普通の女性でも、旅に出れば、夜明け前から日暮れまで10時間程度歩きました
夏場なら12時間~14時間程度は歩き続けました。
江戸の女性はよく江の島へ遊びに行っていました。(当然歩きです)
東海道も旅慣れた商人は10日程度で京にたどり着いています。

>私は平坦な舗装路を速足で散歩すると1時間当たり5kmですが、そのペースだと3時間が限界です。
学生さんですか?デスクワーク主体のお仕事でしょうか?
歩くというのは習慣です。
工場でも工事現場でも5時間~6時間程度歩き続けている職場はいくらでもあります。
スナックのママさんも6時間程度は立ちっぱなしです。

昭和30年代ぐらいまでは、片道2時間歩いて学校へ通っていた子供もいました。
健康の為にも10000歩(約7km)程度は毎日歩いて下さい。
15kmやそこらではへたばらなくなります。
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現代と比べて、そんなに速くはなかったはず、なにせ当時は右手右足(を同時に前に出す走り方/歩き方)

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 クリフ・ヤングと言う方をご存知でしょうか?



 オーバーオールに作業靴という、とてもマラソンをするような格好でない61歳の農夫がシドニー・メルボルンマラソンという当時もっとも過酷なマラソンレース(875Kmを約5日で走破する)で勝者(1位で完走)と新記録達成と言う快挙を成し遂げた人物です。

 そんな快挙を成した彼の走法とは何かと言うと、至極簡単で多少遅くとも寝ないで走り続けると言う、現代のウサギとカメ走法(「ヤング・シャフル」走法)です。
 (当時は、一日18時間走り、残りの6時間で睡眠をとるのが一番効果的だとされていた。←彼はそんな常識すらも知らなかった。)
   http://cpplover.blogspot.jp/2012/05/61.html

>栄養学や科学トレーニング、各種サプリメントなどもない時代に、そのような猛者が本当にいたのでしょうか?

 クリフ・ヤングは、そういた方面とは全く無縁だったみたいです。
 (ちなみに、彼は菜食主義者だったようですし…。)

 現在では彼の走法は、数日かけて行うウルトラマラソン(100Kmを超える距離を走るマラソン指す)で優勝する為の方法となっています。

 ちなみにウルトラマラソンには、

   クリフ・ヤングの名を冠した1000Kmマラソン
   ゴビ砂漠、サハラ砂漠、アタカマ砂漠、南極大陸の4箇所で250Kmづつ走る「4 Deserts」
   4960Km(3100マイル)も走る「The Self-Transcendence 3100 Mile Race」
   サハラ砂漠で7日分の生活物資を担ぎながら走る「サハラマラソン」
   累積標高差9,400m(富士山の標高は3776m)の「ウルトラトレイル・ド・モンブラン」

 などなど色々常軌を逸したものが有ります。人間の限界を舐めちゃいけませんね…。

 あと、江戸時代の飛脚ですけど幕府公用の継飛脚(もちろん公用飛脚なのでいろんな便宜が図られていた。)だと確かに、江戸-大阪間を3~4日で運んだらしいのですが、彼らは宿場ごと(1人10Km前後?)に交替していたと思うのですが…。←もちろん私が知らないだけで、一人でやり遂げた者がいたかも知れませんが…。

 
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明治の駅伝で人力車の車夫が替え玉で出場する話があります。



普段から一日中走り続けている体は、やはり基本ポテンシャルが違うのではないでしょうか。

しかも江戸時代は7~8歳から仕事を憶え始め、成長と共に体を仕事に合わせていきます。


正確な客観的データは知りませんから、断言は出来ませんが、生活で成長が変化する事は広く知られています。(好例として、植民地の人骨の奴隷前と後のそれぞれの時代の骨格の比較データなどがあります)

机に座る様な事は殆ど無く、走り続けて鍛えたのでしょうね。
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今のマラソン選手は、約20km/hで2時間走り続けます。

普通の人はそのペースでは1分も走れません。ほぼ全力疾走ですから。ですが、実際にその速さで走っています。ただ、それができる人はごくごく一部の人のみです。”早飛脚で有名だった者”ということは、今の世の中で言えば、マラソン選手みたいに限られた人でしょう。一日200Km、特別な人であれば可能ではないでしょうか?
分野は全く違いますが、戦国時代の太刀などは非常に重かったようです。現在の人、たとえば剣道等を行っている人でも長い時間とても振れないといいます。ですが、当時の武士は、刀が振れなければ命がないのです。当然、鍛錬しているでしょう。命がけですから。
現代の、普通の人ができないようなことだから信じられない、という思考は適切ではない、とおもいますがいかがなものでしょうか?
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