日光東照宮の眠り猫についてのいわれ、作者、作成日等を教えていただきませんでしょうか?

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A 回答 (3件)

日光観光協会HP


http://www.nikko-jp.org/perfect/sannai/P057_neko …

■作者:左甚五郎作...といわれています。
左甚五郎は「飛騨の甚五郎(ひだのじんごろう)」が訛ったものだという説があります。「ひだりじんごろう」ではなく「ひだのじんごろう」。

■作成日 寛永元年~3年(1636~38)くらい。
三代将軍の家光が行った寛永元年(1636年)
大規模な建て替えの「寛永の大造替」(だいぞうたい)では全国から名工を集められています。その際に狩野探幽や左甚五郎などの有名な大工、画家、彫刻家等が日光に集められたとされているのでその頃かな?工事の期間は1年5ヶ月です。


眠り猫が表現しているのは、次のような説があります。
(1)奥社にねずみ一匹通さないように。
(2)禅問答「牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)」を表した。
(2)裏側の雀と対で猫の裏では雀も遊べるという安定と平和を表した。
(3)牡丹と眠る猫で「日の光」を表現した。

(2)が有名ですね。
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以下の参考URLサイトは参考になりますでしょうか?



作者は「左甚五郎」あるいは「不明」
http://www.tokyo-yusei.go.jp/09kitte/01toku/toku …
(東照宮)
1617-1636年(?)
http://web.isminet.co.jp/iidakita/00iidakita/00- …
(眠り猫)

ご参考まで。

参考URL:http://www.pluto.dti.ne.jp/~nonakiti/travel/nikk …
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眠り猫は左 甚五郎の作といわれていますが、左甚五郎自体が実在したのかどうかも意見があるところのようです。

従って作成日もはっきりしていないと思います。徳川家康をまつってあるわけですから江戸時代の初期から中期あたりなのではないでしょうか。
「いわれ」については、ねずみ一匹通さない門番、という解釈もあるようですが、眠り猫の裏側には雀が描かれており、「猫は眠り、その裏では雀が猫も恐れずに遊んでいる」戦国の世が終わって平和な時代が訪れた、という意味だと解釈する事の方が一般的ではないかと思います。
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Q日光東照宮 本社の天井

日光東照宮の竜の絵について教えてください
本社を見学してきましたが中で説明を聞いていると
「天井には100枚の竜の絵・・・・・
「それぞれが違う絵柄の竜で・・・・・
っと聞きました、そこで天井を見上げて枚数を数えてみたところ

天井には11枚x6枚=66枚

天井と壁の境の部分が 
東西に13枚x北側と南側で26枚
南北に8枚x西側と東側で16枚

合計するとどう考えても108枚となります。

聞き間違いかと思い、
隣の部屋の説明も上の空で次のグループに説明しているのを
再度聞いていましたが やっぱり100枚の竜の絵・・・と説明していました
詳しくご存知の方、お願いします 真相を教えてください。

          

Aベストアンサー

推測で申し訳ないのですが。。。
「百間百種の龍」という名前に真相がありそうです。「百」という数字には「かなりたくさん」というような意味があり、さらに古来中国では「無限」を意味することもあるというような記述を何かの本で読んだ記憶があります。本の名前は忘れました。ごめんさい。ただ「百」に「かなりたくさん」というような意味があるというのはお手持ちの辞書などで確認できるかと思います。

恐らくは
「かなり広い間に無限の数の」の竜がいるという意味からきているのではないでしょうか。「百間百八種の龍」より語呂もよいですし。。。昔のネーミングって結構、語呂だったり縁起だったりをかつぐものですから。いつ頃から「百間百種の龍」と言い始めたのか分からないのですが。。。そういうことだと思います。

Q日光東照宮って誰が、具体的に構想したんですか?

日光東照宮の特番を見ているのですが、眠りネコの裏には、雀がいて、平和の象徴とか。
ところが角度を変えて見ると、猫は寝ておらず、臨戦態勢に見えるとか。

こういう構図は、誰が考えたのでしょうか?
詳しくは、言い伝えられてないかな?

今でいうプロデューサーは誰か?
って事で、スポンサーでも、制作者でもありません。

Aベストアンサー

有名な話ですね「黒衣の宰相 天海」といわれております。

一説によると、彼は明智家の血筋とか。
なので日光東照宮には、明智家の桔梗家紋が瓦に
入っていたり、「明智平」という名称がついていたり。
そしてなにより「春日局」は彼の口添えが大きい
(春日局は明智家家臣の娘)・・・なぞの多い彼を
詳しく調べてみるのも、面白いかも知れませんね。

Q日光東照宮のコンセプトを教えてください。

金閣寺では、一階が貴族、二階が武士、三階が中国を表すと、ある本で知り、とてもすんなり理解でき、腑に落ちました。(「金閣寺/三島由紀夫」では、一階:法水院、二階:潮音洞、三階:究竟頂(くきょうちょう)という記述もありますね。)

一方、日光東照宮は、どうでしょうか? 宮というのですから神社なのかと思いつつ、造作は中国を想起させるものが多い気がします。また、家康も眠っていない、というところで、どのような内外へのメッセージや意図が込められているのか、教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

幕府の顧問的な存在であった天海が唱えた山王一実神道の思想を具現化したものです。

山王神道 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/山王神道

現在の姿は家光が幕府の威光を誇示するために装飾を多様に施した結果の姿です。
東照宮の個々の装飾が表している意味は下記をご覧下さい

日光東照宮 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日光東照宮

>宮というのですから神社なのかと思いつつ、造作は中国を想起させるものが多い気がします。
日本の神社建築には多様な様式があります。

神社Q&A その五
www.cc9.ne.jp/~washinomiya/situmon-05.html

東照宮は上記サイトの中の権現造りというのに相当します。

神社建築:本殿様式・権現造 - 玄松子の記憶
www.genbu.net/tisiki/gongen.htm

>家康も眠っていない、というところで、どのような内外へのメッセージや意図が込められているのか、教えてください
権現思想に基いていますので、遺骸の有無は問題にはなりません。
所謂お寺ではありませんのでお間違いの無きようにお願いします。
家康は東照大権現という権現=神となっています。
北野天満宮も菅原道真を祀っていますが遺骸はありません。

内外へのメッセージという意味であれば創建当初というよりは、後に家光が目論んだ徳川幕府の威光の誇示です。
江戸時代を通じて朝鮮通信使も定期的に参拝しています。
創建当初の意図は、徳川政権を守護する神=権現を祀ったものです。

以上がご質問への回答となりますが、いささか分かり難いかもしれません。

寺院建築といいますと、古色蒼然とした彩色のない建物をイメージされておられませんでしょうか。
古いお寺ほど創建当初は極彩色に近い装飾が施されていました。
イメージとしましては平泉の金色堂や最近再建された奈良の薬師寺などをイメージして下さい。
本尊も金色に光り輝いていました。
とくに密教系では、思想が分かり難いということから思想を具現化した彫刻や仏像が沢山つくられました。
曼荼羅と呼ばれる巨大な壁かけもその一つです。
織り上がった当初は色鮮やかな織物でした。
京都の東寺のように個々の仏像彫刻を立体的に配置したものも作られました
現在は立体曼荼羅などと呼ばれています。
金色に輝く仏像が色鮮やかな衣装をまとった天と呼ばれる守護神に囲まれている姿を想像してください。
長い時を経て彩色された塗料が剥脱して、お線香の煙や蝋燭や灯油の油煙で燻されて現在の姿となっています。
現在彩色された仏様としてよく見かけるのが赤い火焔を背負った不動明王すなわちお不動様かと思います。
任侠のおあ兄いさんの倶利伽羅もんもんもお不動さんの手元にある倶利伽羅からきています。

わずかに往時の面影を残す写真は下記のサイトにあります。

笹野観音 真言宗長命山幸徳院笹野寺 彫刻
sasanokannon.com/sculp.html
写真の番号をクリックすると装飾の拡大写真が見られます

全性寺について - 真言宗豊山派 宮林山 全性寺
www.ota-zenshoji.jp/temple/

寺宝・文化財|重要文化財編|千本釈迦堂 大報恩寺
www.daihoonji.com/jihou/jubun.html
内陣の柱に装飾があります。

これ等でも相当に日本人好みに簡素化されています。
密教が日本へわたってきた当初のものの面影は同じ密教系のチベット仏教やラマ教とよばれる海外の寺院があります。

ラマ教の寺院・雍和宮
beijing.japanese.china.org.cn/2008-11/22/content_16809234.ht...
全体の外観装飾が分かります

北京の夏 ラマ教寺院「雍和宮」 - AIRnet
www.sf.airnet.ne.jp/lisboa/china/3.html
装飾の一部の拡大写真があります

これ等の寺院のイメージから日光東照宮は何か中国的だという印象をもたれたのかと思います。

鎌倉時代に勃興した禅宗が簡素を好みわびさびなどの文化を生みだし今日まで引き継がれています。
つまり平安時代以前と今日とでは、そうとうに寺院の景観が違っていたとお考えください。
家光という人物は相当に個性の強い人物だったようで、これ等の鎌倉仏教の系譜を引く美意識を無視して、日本中の名工とされる彫刻師や指物使を集めて飾り立てたさせた結果陽明門のようなものが出来上がってしまいました。
江戸時代を通じて今日まで欄間彫刻まではやりましたがそれ以上は、どこの寺院や神社も真似をしなかったのは、やはり無理があったのでしょう。

以上ですが分かり難かったかと思いますので、補足をお願いします。

幕府の顧問的な存在であった天海が唱えた山王一実神道の思想を具現化したものです。

山王神道 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/山王神道

現在の姿は家光が幕府の威光を誇示するために装飾を多様に施した結果の姿です。
東照宮の個々の装飾が表している意味は下記をご覧下さい

日光東照宮 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日光東照宮

>宮というのですから神社なのかと思いつつ、造作は中国を想起させるものが多い気がします。
日本の神社建築には多様な様式があります。

神社Q&A その五
www.cc9.n...続きを読む

Q日光東照宮の3猿意味は?

日光東照宮の3猿はどういう深い意味あいがあるのか教えてください。言わざる、聴かざる、見ざると言うのは知っていますが、、、。

Aベストアンサー

子供に対する教育訓を諭しています。

こちらをどうぞ。

http://mseno.hp.infoseek.co.jp/mito/nikou4.html

参考URL:http://mseno.hp.infoseek.co.jp/mito/nikou4.html

Q眠り猫の上が徳川家康の墓なのでしょうか?

日光東照宮の眠り猫の上の階段を登ったところの頂上にある墓が
徳川家康の墓なのでしょうか?
そこに家康の骨がはいってるのですか?

Aベストアンサー

そちらも徳川家康の墓で間違いありませんが、
他にも墓があります。
http://www.m-network.com/sengoku/haka/ieyasu640h.html


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