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女真族は中国史といってもいいくらい密接で支配されたり、逆に漢民族を支配することもあります。

朝鮮族はそれに比べて、清の属国説がありますが(私は検証してません)、自民族の歴史を展開してます。

やはり地理の差でしょうか。

また高句麗の時代は隋を撃退してますが、李氏朝鮮の時代は清に攻め込まれるれてます。

これも何か違うのでしょうか。

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A 回答 (3件)

No.2です


補足を頂戴しましたので、追加で説明させて頂きます。

>逆に遼は契丹人で、3民族は連動性があるとかいえ、なぜ契丹、女真はほぼ中国史で朝鮮族は半島の歴史っぽくなってしまうのかというところが議員です。

おそらく歴代の中国王朝にとって、平地が少なくて物なりの悪い半島地域には余り興味がなかったのではないのでしょうか。
おとなしく朝貢してくる限りは捨て置けという感覚だったのではないのでしょか。

高句麗との闘争も遼東地域の覇権争いです。
遼東地域は平坦で水も豊だったので、東北地方の覇権を狙うどの民族も狙っていたようです。

日本も日清戦争の後遼東半島を手に入れたものの列強の圧力で変換させられています。
日露戦争の際もロシアから離れた旅順で広瀬中佐が戦死して、尋常小学校の唱歌になりました。
大航海時代以降帝国主義の時代に到るまで、ヨーロッパ諸国も日本には興味を示しますが、なぜか半島には興味を示していません。
ザビエルも半島へは行かず薩摩に上陸しています。
小西行長の頼みで初めて宣教師を派遣しています。
朝鮮を併合した時にはさほど文句は言わなかったのに、満州となった途端に文句を付けてきました。

歴史的には、積極的に独自化したというよりも、結果として独自化したと考えた方が良いようです。
朝鮮民族も、もう少し海に興味を持っていれば歴史も変わっていたのではないのでしょうか。
やはり、北方から移動してきた騎馬民族のDNAですかね~
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>女真族は中国史といってもいいくらい密接


中国史そのものです。
遼、金をどのように位置づけられますか。
漢民族の歴史だけが中国史ではありません。
現在も、中国の歴史学者が高句麗の歴史は中国の歴史の一部であると主張して、韓国の歴史学者と激しい応酬を続けています。

>朝鮮族はそれに比べて、清の属国説がありますが(私は検証してません)、
朝鮮族と言われるのと清という特定の王朝を挙げられるのは、如何なものでしょうか。
歴代の中国王朝がとった外交手段である冊封制度(体制)をどのようにお考えでしょうか。
朝貢貿易制度をどのようにお考えでしょうか。
これ等の制度と属国とはどのように区分されておられますのでしょうか。

>自民族の歴史を展開してます。
どこの民族でも国家でも、自民族の歴史があるとします。
特に強調される必要はないかと思います。
従って「やはり地理の差でしょうか。」と考える必要はないかと思います。
民族と歴史上の国家の区分とそれぞれの栄枯盛衰とをどのように分けてお考えでしょうか。
ヨーロッパの民族と国家の関係と比較して、特に朝鮮族を取り出されて別に考える必要はないのではないのでしょうか

渤海は高句麗の末裔と考えられていますが、この点は如何でしょうか。
日本へ来朝した渤海使は当初は朝鮮語を使っていましたが、中期以降は中国語を使っていたことが知られていますが、この点はどのようにお考えでしょうか。

>また高句麗の時代は隋を撃退してますが、李氏朝鮮の時代は清に攻め込まれるれてます
高句麗と李朝朝鮮とは大分時間が隔たっています(約800年)、この間の中国王朝と朝鮮王朝との攻防戦はどのようにお考えでしょうか。
新羅については触れておられませんが何か理由がおありでしょうか。
高句麗は新羅によって統一されています。
新羅は高麗に引き継がれました。
高麗は李氏のクーデターで倒されています。
李氏朝鮮は、清以前の明と長い期間に渡って冊封体制下で外交関係を続けています。

>これも何か違うのでしょうか
時代が全く違います、比較できません。
800年以上も隔てた時代を同一レベルで比較することには無理があります。

中国東北部の歴史を独立させて議論する際に面倒なのは、この地域に存在した王朝が途切れていて文献史料が少ないことです。
漢民族は歴史書を残すことに熱心な民族ですが、中華思想と呼ばれる自国中心主義が徹底しています。
結果として、歴史に関わった異民族に関する記述が学問上不適切と判断される記載が多いのが玉に瑕です。

この回答への補足

おっしゃるとおり、女真族は中国史そのものになってきます。ヨーロッパの民族、王朝のあり方と中国東北部と朝鮮半島ではおっしゃる通り全然イメージも変わります。

逆に遼は契丹人で、3民族は連動性があるとかいえ、なぜ契丹、女真はほぼ中国史で朝鮮族は半島の歴史っぽくなってしまうのかというところが議員です。

補足日時:2014/01/20 18:00
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この回答へのお礼

渤海は高句麗遺民と靺鞨族の支配者とか聞いたことがあります。分類の難しい王朝ですね。

新羅、高麗は朝鮮史において大きな部分ですね。断片的ですが、新羅は唐と手を結んで高句麗を滅ぼして、高麗は元に占領されて出て行った後もすでに力のない王朝になってしまっている。

おっしゃるとおり、この辺の攻防は確かに抑えるべきですね。

中国東北部の歴史の文献資料が少ないということは知りませんでした。

朝鮮族や女真族も連動性が強いので中国東北部および朝鮮半島の歴史としてくくっていいのかもしれません。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/20 17:26

自民族の歴史を展開



極論を言えば、現時点で歴史を語る主体が●●民族であると自己定義すれば自民族の歴史が展開される。
朝鮮は現在独立の国家となっているが、女真族は現在独立の国家となっていないので、歴史を語っていない。
※ そのうち女真族が自民族史を語るようになれば、変わるかもしれない。
民族史というのはそのくらいの、恣意的でその民族にとってのご都合主義的なものです。

高句麗に関しても中国では、朝鮮系ではなく漢民族に合流したものとしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97% …

中国の三国志で、赤壁の戦いで北方の魏を南方の呉が撃退した。
というのと同じような文脈で説明しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/20 18:01

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Q韓国人が一発で黙る歴史の真実

東アジアでは昔から「王」は「皇帝」の家来です。
従って朝鮮王と名のることは中国皇帝の家来ですと宣言することです。(日本は天皇がいた。)
このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

Aベストアンサー

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、李氏朝鮮は明や清に朝貢、冊封していた事は認めています。
もし、そう言う認識が韓国に無いのならばこのドラマを作った監督は韓国マスコミや民衆に袋叩きになっていると思います。

中国に対しても韓国5000年の歴史と大統領が発言したりして中国より歴史があると言ったりしています。歴史観でほんの少しでも日本寄りの発言をすると韓国メディアや国民から袋叩きにあって社会的に抹殺されます。
それがソウル大学の教授でもですよ!
まだ、社会的な抹殺で殺人でないだけ良いですが…
(添付YouTubeを見てください)

韓国の有識者は日本併合(植民地)時代の本当の歴史等を知っているとは思いますが全体としては臨時政府などと言い方を変えたり、テロリストを反日であれば英雄にしてしまうように都合のいい歴史観にしています。
考古学的に何の検証もしていない神話レベルの話で韓国5000年の歴史と大統領が発言してもはばからない国です。
現在は日本は、歴史は歴史で神話とは別というのが日本人の共通認識のはずですが韓国人がどこまで区別しているのか、全く分かりません。

何せ、韓国では日本は悪でなくてはならない国であり、韓国は常に正義であり善であると教えている国です。
今の韓国には日本人が何を言っても逆なでする事はあっても肯定する人はなく無駄な気がします。
多少の隠れ親日派は作れるかもしれませんが公に口にする人はいないと思います。
韓国で権威のある歴史学者、大学の教授の発言でも親日でなくとも日本を少しでも擁護する内容であれば叩かれます。

李氏朝鮮末期の記録は欧米の記録や写真などが多少なりとも存在しています。
そう言った物、資料を直視する韓国人は少ないのです。
今の韓国と日本で歴史観を埋めようとしても一方的に韓国の歴史観を押し付けられるだけです。
今のうちに、そう言った客観的な資料を集めておくとか、日本、中国の文献を集めておくとか準備しておくくらいしかないと思います。
あまり人の事を言える立場では無いですが慰安婦問題なら「韓国軍のベトナム人大虐殺」「米軍慰安婦」とかで対応するしかない。

添付YouTubeでも言っているように
韓国とは暫く距離を置いて付き合うのが無難だと思います。

【日韓問題】 韓国人から見ても異常な…韓国人ブロガー・シンシアリー氏 .
↓↓(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=cluHbI5i7gU

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、...続きを読む

Qなぜ満州族は中国を征服できたか。

昔清朝をたてた満州族は300万人程度しかおらず、当時の明は
3億人くらい人口があったそうですが、歴史の本を読んでもなぜ
1%程度の人口で満州族が征服できたのか、いまだに不思議です。
いくら明の国内が疲弊していたとはいえ。
モンゴルも同じですが、なぜ北方民族はこういうことが可能なのでしょうか。
秀吉が20万近い鉄砲で武装した精兵で朝鮮をせめても、撤兵せざるを
えなかったですよね。
ちかくには日中戦争でも日本軍は苦戦しましたし。

Aベストアンサー

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが上官に不正に搾取されるなどして、兵士達が反乱に加わっています。
明の宮廷では清との戦いや反乱軍鎮圧のための軍費を賄うために、民に臨時の重税をかけ、それに反発した民衆が反乱を起こし、それを鎮圧するために新たな軍の徴集と新たな税が取り立てられるという、重税、軍拡、反乱という最悪の悪循環の拡大再生産が繰り広げられました。
つまり、この時、明は軍の全てを清軍にあてる事ができなかったのです。
また、明の第17代皇帝の崇禎帝が有能な人材を処断してしまったという失敗もありました。
名将の袁崇煥を処刑したのは大きな失敗でした。

「袁崇煥」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E5%B4%87%E7%85%A5

そして反乱が拡大していき明の軍が反乱軍に敗北し首都北京も攻められた結果、明の第17代皇帝、崇禎帝は李自成率いる反乱軍の前に自殺します。
つまり、この時、明は内憂外患の状態であり、清軍が首都に攻めてくる前に、既に首都は反乱軍に占領され、皇帝は死亡していたのです。

そして清と対峙していた明の呉三桂将軍は、皇帝の死を知った結果、明を見限り敵対していた清軍に味方しました。もともと清軍は呉三桂を味方に引き入れるために、大きな褒美を申し出ていたようです。実際、後に呉三桂将軍は大きな領地と地位を得ています。
他の明の将軍の中にも呉三桂将軍のように清に味方するものが出ました。
皇帝が死に反乱軍が首都を占領したとあっては、自分とその部下達の身の振り方を考えねばなりません。清での新たな成功と生活を望んだというところでしょう。
なお、清軍は明と戦う時に兵士に「抵抗しない者は殺すな。捕虜から衣服をはぐな。女を奪うな」という命令を出したり、首都北京に入った時も、兵士に民家への立ち入りを禁止して略奪を戒めたり、明の官吏に対してはその身分の保証をしました。
さらに占領した後の政策としては民衆に対して税の大きな軽減を行っています。明の時は臨時の税が何種類もありましたが、それを全て廃止し、税自体の軽減も行いました。
つまり、民衆にとっては明の時代より住みやすく、生活しやすくなりましたし、官吏も身分を保証され安堵しました。
これでは抵抗の意思も鈍ろうというものです。

首都を占領した反乱軍は李自成が皇帝となり順王朝を始めますが、呉三桂将軍らに攻められ倒されます。
明を回復しようという動きは南部にいた明の王族を中心にありましたが、圧制により民衆の支持が得られなかった事もあり、呉三桂将軍や元明軍の将軍とその部隊が主力となって平定していきます。

つまり、腐敗して内部分裂を起こしていた明を清がうまく料理したというところです。
もし、呉三桂将軍らの元明軍が味方しなければ、清の中国制圧はかなり難しくなったでしょう。
もしかしたら失敗したかもしれません。
味方に引き入れる事に成功した清の方策が旨くいったというところです。

ところでモンゴルが中国を制圧した時は、中国は西夏、金、宋の三ヶ国に分裂しており、やはり一つにまとまっていませんでした。
モンゴルはそれを利用して、互いに争わせたりして、各国の力を弱め制圧していきました。
金を滅ぼした時は、宋と共同で攻撃しています。モンゴルは一カ国づつ料理していきました。

いつの時代にも中国の北には常に北方民族がいます。しかし、全ての時代で全ての北方民族が中国を支配化に置いてきたわけではありません。成功する時は必ずと言っていいほど、その時の中国が数カ国に分かれているとか、内部分裂などしており、そこにつけこんでいます。

なお、呉三桂将軍が清に味方した事については、女性が原因であるという話があります。
陳円円という好きな女性がいたけれど、首都北京を占領した反乱軍の将軍に奪われ、それに怒った呉三柱将軍は清に味方する事にしたという話です。
「陳円円」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%86%86%E5%86%86

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが...続きを読む

Q中国の今までの王朝の民族を教えてください 

中国の今までの王朝の民族を教えてください 

Aベストアンサー

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については学説により異論あり。
・五胡十六国時代の諸国や北朝は「浸透王朝」・・・全土を支配していなかった
  注:五胡十六国は304年の漢(前趙)の興起から439年の北魏による華北の
    統一まで。当時中国華北に分立興亡した民族・国家の総称。
    十六国とは北魏末期の史官崔鴻が私撰した『十六国春秋』にもとづき、
    実際の国数は16国を超える。詳細は、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%A1%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%9B%BD
  この間参与した国名と始祖、民族名が頁の下部に一覧があります。
  漢族も含めて匈奴、羯、鮮卑、羌etc.多種あります。

■以上の他に他民族王朝説があるのが、
・秦朝 現青海省~新疆方面の西戎(西方にいた遊牧民族)、羌(きょう)族。
・隋・唐王朝も鮮卑拓跋部出身貴族の楊氏・李氏。
      漢人出身を主張するも紛糾した。
・宋の太祖趙匡胤は漢民族ではなく突厥(トルコ系)。

■更に、
有史以来、周の時期(秦朝以前)までは全国統一されていませんでしたので、
現在とは版図も国の概念も異なりますが、
中原を中心に、おおむね漢族が権威をもって成立した政治と見てよいでしょう。
もっとも、当時の長江沿岸以南は漢族とは言えず、文化の淵源も異なります。

■おまけです、
こうしてみると、5000年?の歴史で、
漢民族が治めたのは細部はともかく周の時代まで、
以降については、漢代、明代のみが漢族国家と私は考えています。
北方民族の蹂躙を受け続け侵入を許してきたのが実態で、
それに抗して成功したのは、漢の劉邦と明の朱元璋、一時成功しかけた
のが李自成、3人とも南方出身です。
そういうわけで「中国の英雄は南から出る」と言う中国人が
現在も結構居るのです。
好悪は措いて、毛沢東もどういうわけか南方の湖南省出身です。
更に、「代」を付すのは漢民族の漢代と明代のみ、
他は全て異民族で「朝」だと主張する中国人もいます。
このような環境で、漢民族の文化を堅持してきたということは驚嘆に
値します。おそらく、春秋時代の諸賢が築いた成果によると考えます。

参考:中国の歴史・・・丁寧にリンクを辿るといろいろ見えてきます。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2

■全土統一以来漢民族による朝代は漢と明のみではないでしょうか。
 歴代王朝の民族は、以下ご参考。

■たてまえの通説。
Wikipediaに詳細がありますが、要点は以下の通り。
部分引用しました。
・漢民族以外の民族による「征服王朝」とされているのは、
遼朝  916年 - 1125年 契丹人(キタイ人)
金朝 1115年 - 1234  女真族(ツングース系民族)
元朝 1271年 - 1368年  蒙古族(モンゴル高原を中心としたモンゴル語の民族)
清朝 1644年 - 1912年 満洲族(ツングース系民族)
  注:期間については...続きを読む

Q満州族と漢民族の顔

 一般に中国史で、満州族と漢民族の違いのような表現が
 出てきますが、われわれ日本人にとってはなかなかぴんときません。
 そこで質問です。
 いわゆる満州族とはどんな容貌の特徴があるのでしょうか? 
 漢民族はどういう特徴があるのでしょうか?
 もちろん個人差はあるでしょうが、それを度外視して
 いちがいに言って「こういう容貌」と言えるような特徴をご存知の方が
 あれば教えていただきたいと思います。
 (たとえば日本人から見れば、韓国人は(一概に言って)肌が薄く色白で
 体毛が薄くうりざね顔の美人系というような特徴です)
 さらに
 歴史上の部族、たとえば突厥、女真、鮮卑族などの容貌の
 特徴についてもご存知の方があれば、教えていただきたいと思います。
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

wikiに少し載ってましたよ。

満州民族の最も顕著な(人種としての)特徴は、顔立ちがはっきりしており、目が小さく、一重瞼であるか二重であっても判別できないくらいのものである。眼の間隔が比較的近く、直鼻型、長方瞼型の人が比較的多く、肌の色は比較的浅い。もう1つの特徴は、B型の血液型が特に多いことで、総人口の40%前後を占める(漢族人中のB型の比率は、人口の20%強しか占めない)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%97%8F#.E6.BA.80.E5.B7.9E.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E7.89.B9.E5.BE.B4

Q日本人はツングース系民族ですか?

ネットで調べて、ツングース系の事見ました。

ツングース系というのは、満州の原住民という民族です。

彼らの顔、凄く日本人と似ていますと思う、中国人や韓国人より。

伝統的な服も、アイヌと似ています。

日本人はツングース系と思いますか?

Aベストアンサー

アジア系モンゴル系ツングース系色々とありますね^ ^

アジア系は、アジア地区に住む人々の系統を言いますから、日本もアジア系です^ ^

モンゴル系は、モンゴル文化を持った人達で、基本的に遊牧民、ツングース系言語を話し、ラマ教文化を持つ人を言いますので、日本人はモンゴル系ではありません^ ^

ツングース系は、アルタイ語族の仲でツングース系の言語を話す人達、モンゴル人や朝鮮人、満州人などを言います^ ^
日本語は、ツングース系言語になりますので、ツングース系に属します^ ^

日本人はアジア系の北方モンゴロイドで言語はウラル・アルタイ語族のアルタイ系の仲のツングース系となります^ ^

ご参考までに^ ^

Q韓国の両班 (ヤンバン) について教えて下さい

個人的に韓国に興味があって、結構勉強してきたつもりなのですが、どうしても分らないのが、両班 (ヤンバン) という身分制度についてです。

最初は、日本の貴族のような王族をとりまく特権階級かな、と思っていたのですが、どうもそれだけではないようです。 もっと精神文化的な意味が強そうです。

そこでお教えいただきたいと思います。

1.もし、両班が貴族階級なら、それを示す何らかの象徴か、代々伝わるような両班という身分を証明する何かがあるように思うのですが、そういう具体的な物品はありますか?  つまり、何もなくても 「自分は両班だ」 と言えば、通用したのか? また、娘を王族に嫁がせるような事はあったでしょうか?

2.今でいう公務員、または村長だったのでしょうか?  または、地方にあっては、中央政府の出先機関のような仕事を普段していたのでしょうか?  つまり、年貢の取立てや、新しい法律や条令を農民に啓蒙する任務とか、あったのでしょうか?  それと、主たる経済的収入源は?

3.なぜ両班は肉体労働を蔑視して、雨が降り出しても決して走らない、とか優雅さを求めるようになったのか?

4.文班と武班を兼ねたのが、両班と聞きましたが、それでは、両班は武道に長けていたのか?  肉体を動かす事を極端に嫌う両班に武道ができたのか?

5.本当は両班は尊敬どころか、農民や一般市民から、とても嫌われた存在だった、と聞いた事があります。 本当でしょうか? その理由は?  もし事実なら、なぜ今の韓国で良い意味で使用されるのでしょうか?

今まで聞いた範囲でのイメージとしては、労働など一切しないで、花鳥風月を賞でたり、儒教や天下国家を論じながら酒を飲んで一日を過ごす、グータラ階級という感じがして仕方ありません。

両班について書かれた文献を読んだ事がありますが、とても難しいので、分かりやすくお教え下さい。

個人的に韓国に興味があって、結構勉強してきたつもりなのですが、どうしても分らないのが、両班 (ヤンバン) という身分制度についてです。

最初は、日本の貴族のような王族をとりまく特権階級かな、と思っていたのですが、どうもそれだけではないようです。 もっと精神文化的な意味が強そうです。

そこでお教えいただきたいと思います。

1.もし、両班が貴族階級なら、それを示す何らかの象徴か、代々伝わるような両班という身分を証明する何かがあるように思うのですが、そういう具体的な物品は...続きを読む

Aベストアンサー

両班制度は時代ともに変遷しており非常に複雑なもので一概にこうだということは出来にくいです。

先にご質問についてですが一般的なことと思ってください。

1.貴族階級と考えるとわかりにくいかもしれません。むしろ日本で言う官僚制度に近いものです。高級官僚になるための科挙(試験)は常民にも開かれていましたが実質的には両班に独占され、相互に血縁関係を結び、現在でも韓国に残る「族譜」(系図)を作成し排他性を保っていました。この「族譜」が身分を証明するものに他ありません。例えば最近あった事件のように突然「●●宮家」だといっても通用しないのと一緒ですよね。

2.国家公務員として考えてください。トップは総理大臣みたいな高官になる人もいれば地方行政の長もいるわけです。高級両班は首都に居住していましたが出身地と密接な関係をもち京在所をもちコントロール使用としていました。地方在住両班は自治的な法律(郷約)をもち裁判権を行使して一般民衆を支配しました。収入源ですが今で言う地方税の収入が合ったわけですよね。

3.朱子学の影響です。学問が全ての中心という気風があったため優雅さと言うよりも、言葉では言いにくいですが自然の理であるといった思想だからです。
いわば支配階級はみんな学者さんという世界ですよね。肉体労働を蔑視したというよりもホワイトカラー&ブルーカラーといったような思想があったことは確かです。また身分制度も影響しています。
両班・・支配階級
中人・・下級両班(技術官僚)
常民・・一般人民(労働者)
奴ひ

4.元々は中国に起源を持ち国家の会合の東班(文官)西班(武官)から来ています。だから武道ではないわけですね。ちなみに両班の支配下に武人がいたわけですから現在の日本やアメリカと同じようなシビリアンコントロール(文民統制)です。

5.当然支配階級ですから通常は嫌われると思いますよ。16世紀の日本軍17世紀の清軍の進入により国家の財政危機を打開するため政府が積極的に売位売官を行ったことと族譜の偽造や戸籍の虚偽が多くなり17世紀以降両班の人口が非常増えました。1894年の甲午改革によって身分解放が行われ両班特権が消滅しましたが彼らの影響力は消滅することはなく社会意識は変化しませんでした。

もともと両班は法律や規定によって定められた志度ではないのと、李朝から続く両班への上昇志向、また、「族譜」は両班の同族のみで編纂されていたのが近年では同姓同本(本籍と姓が同じ)の人を網羅するようになって多くの人たちが両班の末裔意識するようになり社会全体に広がったわけです。

両班制度は時代ともに変遷しており非常に複雑なもので一概にこうだということは出来にくいです。

先にご質問についてですが一般的なことと思ってください。

1.貴族階級と考えるとわかりにくいかもしれません。むしろ日本で言う官僚制度に近いものです。高級官僚になるための科挙(試験)は常民にも開かれていましたが実質的には両班に独占され、相互に血縁関係を結び、現在でも韓国に残る「族譜」(系図)を作成し排他性を保っていました。この「族譜」が身分を証明するものに他ありません。例えば最近あ...続きを読む

Qモンゴル帝国の滅亡について

チンギスハンが興したモンゴル帝国はなぜあんな大きな帝国ができたのですか。その当時の国はどうして対抗できず滅んだのですか。また、これは教科書にもなかったのですが、なぜあんな巨大帝国が後に滅んだのですか。滅んだ過程がわかる方ぜひともお願いしますむ。中学や高校の教科書で断片的な知識しかなく、ぜひともお願いします。

Aベストアンサー

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。

しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。

また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができ...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q朝鮮の李王家はなぜ再興できなかったのか?

朝鮮の歴史についての長年のギモンです
かつての李氏朝鮮(この呼び方はヨロシクないそうですが)は、長年の内紛や日本を中心とする列強の圧力により、最終的に当時の日本の併合され以降「日帝36年」の時代が続きます。朝鮮の皇族方は東京に送られ(招かれ?)以後日本の"準皇族"として赤坂(紀尾井町でしたっけ?)にお住まいになることになったそうです。
日本が連合国に降伏し東アジアが 西欧列強+日本 の支配から開放された後、当のエリアが次々と国家として独立を果たす中で、朝鮮半島も南北に分かれながらも一応の独立政府を持つに至ります。

このとき..朝鮮半島の人々の中には李王家についてどのような感情をもっていたのでしょうか?
シロート考えでは、儒教の盛んな国とのこと
「独立回復の暁には、何よりもまず苦労された皇族方をお迎えしてダナ...」
なんて動きがあったのかとおもいきや、どうもそういう話は聞きません。
それどころか、当の皇族方は日本に居続けたような話も聞きます。
独立後の当時の半島の人々の李王家に関する扱いや、想いがどのようなものだったのか?
なぜ、李王家は再興できなかったのか?
後存知の方があれば教えてください。

朝鮮の歴史についての長年のギモンです
かつての李氏朝鮮(この呼び方はヨロシクないそうですが)は、長年の内紛や日本を中心とする列強の圧力により、最終的に当時の日本の併合され以降「日帝36年」の時代が続きます。朝鮮の皇族方は東京に送られ(招かれ?)以後日本の"準皇族"として赤坂(紀尾井町でしたっけ?)にお住まいになることになったそうです。
日本が連合国に降伏し東アジアが 西欧列強+日本 の支配から開放された後、当のエリアが次々と国家として独立を果たす中で、朝鮮半島も南北に分かれな...続きを読む

Aベストアンサー

戦中、李王家は日本の皇族と同じ待遇を受けていました。(日本政府からです)
朝鮮本国からはかなり批判の的でした。(なんせ自分の国にいず、いわば敵国(のような存在の日本)でのうのうと暮していたのですから…実際はかなり情報が入らない状況に王家側がされていたのですが
で、戦後のGHQの指導により、皇族解体がなされます。他の臣民降下(ですか?)した元宮家には、天皇側からの下賜金(が何円か出て、高額な税金対策に対応したそうです)が出たのですが、準皇族であったこと・夫の李垠が陸軍に所属していたこと(戦犯者に属します)・他国の王朝の人間だったことによりもらえませんでした。(ただし所有地に高い税金はかかったので家屋敷は手放さねばなりませんでした)

日本では皇族ではなくなったため、朝鮮本国への帰国を希望しましたが、当時(1948年から)韓国では李承晩政権がはじまりました。彼は李王家の分家筋にあたる人でした。李垠・方子夫妻が帰国すれば直系の方に人気が行くことを恐れて、反日教育をし、李王家は日本に朝鮮を売ったのだと言い、彼らの帰国を許しませんでした。ようするに新政権には邪魔な存在だったのです。VISAの発給もしてくれなかったそうで、長い間無国籍状態で日本で生活していました。

また、李王家の直系は韓国併合時代に死んでいますし、李垠の妹の徳恵姫は元対馬藩主と結婚したものの精神病を患い、日本で入院していました。李垠・方子夫妻は日本、夫妻の息子はアメリカに留学してましたので、戦後の李王朝は直系がいなかったため再興されなかったのだと思われます。実際、李垠・方子夫妻・徳恵姫が帰国できたのは李承晩政権が倒れた後で、日韓の国交正常化が結ばれた後で、1960年代に入ってからでした。(既に国が成り立っていることと、帰国当時の李垠は脳血栓により意識が既になかった状態から再興の考えは上がらなかったようです。息子もずっとアメリカに永住していますし、奥さんはアメリカ人だったかな?)

韓国国民のほうはそんなに李王家に対し嫌悪的な感情は持っていなかったそうで、あまりにも冷遇を続ける李承晩元大統領のほうの人気が下がったらしいです。
しかし、李垠・方子夫妻の帰国前・後でも方子妃が日本人だというのはかなり冷たい目でみられたそうです。

北朝鮮の方はソ連指導下に置かれたため、全く音信不通でした。

戦中、李王家は日本の皇族と同じ待遇を受けていました。(日本政府からです)
朝鮮本国からはかなり批判の的でした。(なんせ自分の国にいず、いわば敵国(のような存在の日本)でのうのうと暮していたのですから…実際はかなり情報が入らない状況に王家側がされていたのですが
で、戦後のGHQの指導により、皇族解体がなされます。他の臣民降下(ですか?)した元宮家には、天皇側からの下賜金(が何円か出て、高額な税金対策に対応したそうです)が出たのですが、準皇族であったこと・夫の李垠が陸軍に所属していたこと(戦...続きを読む

Q善徳女王、どこまでが実話?

善徳女王などの韓国ドラマは、
実際に起きた出来事を元に、話をいろいろと
つくっているようですが…

では、トンマンとピダムの愛は実在しなかったのでしょうか?
自分なりにいろいろ調べたのですが、
「ピダムが反乱を起こし、ユシン軍がそれを鎮圧させた」
というところまでしかわからず…

どなたか回答、お願いします。

Aベストアンサー

 ドラマ『善徳女王』は、ほとんど(98%くらい)が創作なんですよ。
 歴史エンターテイメントです。最近の韓国の時代劇ドラマはこういう、脚本家が腕をふるう創作物が大部分です。『朱蒙』も。

 確かに韓国の教科書に名前が出て来る人物も登場します。キム・ユシンなんかは伝説の逸話に名前が出て来るので、韓国では小学生向けの絵本にもなってます。日本でも『弁慶と義経』のお話なんかは絵本とかになってますね。あんな感じで、なじみのある人名がちょこちょこ出ます。
 でも、主人公の善徳女王はドラマの中では次女ということになってますが、本当は長女なんです。で、中国で育ったというのも事実ではありません。創作です。
 出生の秘密、はありません。
 出生の秘密も無く、ただ王宮でおしとやかに育ちましたよりも、中国奥地の砂漠のまん中で生きるか死ぬか! だとドラマティックです。
 ドラマとしてはすばらしいですね。わくわく、ドキドキがいっぱいです。

 ミシルという女性(美室? 韓国では 美実 という漢字で書いてましたが)は作った登場人物です。
 ミシルという人は韓国朝鮮の歴史書に全く登場しません。
 1989年に「韓国朝鮮で最古の歴史書が発見された!」としてマスコミに登場した『花郎世紀』という本に初めて名前が出て来ました。

 この『花郎世紀』がドラマ『善徳女王』の原作となっています。
 しかし同書は荒唐無稽な内容が多くて、ニセの歴史書であり、発見して筆写したとされる朴昌和の書いた小説だと見る歴史学者が大部分です。
 この本ではミシルが数百歳まで生きたことになってるらしいです。
 また、この「歴史書」を発見して筆写したとされる朴昌和は1945年の終戦後、ポルノ小説を書いて生計を立てていたことが知られています。韓国の新聞、朝鮮日報ではドラマ『善徳女王』が放送されていた頃、「原作の朴昌和氏は性愛小説家」と書かれていました。
 『花郎世紀』では花郎を男色集団として書いているそうです。また、善徳女王は4回結婚したことにもなっているそうです。
 こういう、他の歴史書に全く出て来ない性的な内容が多いのは彼が「性愛小説家」だったことを考えれば納得です。

 テレビ局の宣伝では「実際の歴史に基づきながら」とか言ってますね。これは大誇張です。誇張が過ぎて、事実ではありません。センセーショナルに宣伝したら盛り上がるからでしょう。テレビ局は事実を破壊しない範囲内で上手に宣伝して欲しいものです。
 
 女性を主人公にすると時代劇でも現代劇でも視聴率が良いんです。ドラマを見るのは男より女が多いですので。日本でも『篤姫』がすごい好評でしたよね。時代劇だと男性視聴者もひきつけますし。

 あの『チャングム』の監督も、日本のテレビ局が「どのくらいが歴史的事実か?」と質問したのに対して、「1%くらい。」と答えてます。
 衣裳も、韓国では昔の衣裳は資料がほとんど残ってないので、デザイナーが想像を働かせて作ってます。李氏朝鮮くらい時代が下った頃の衣裳についても、王族の衣裳は資料が残ってますが王族でない貴族の服装については特に女性については資料が少なくてよくわかっていません。
 李朝以前の時代の衣裳となると本当に歴史資料が少ないので、衣裳担当者はかなり自由に創作出来ます。
 建物も資料が少なくてよくわかってないので、全然違う時代のドラマでも同じセット場で撮影しちゃってます。よく見ると「アレッ、この建物、○○っていう歴史ドラマにも出て来た建物だっ。」。時代や国が全然違っても同じセットを使っちゃうってのが、韓国らしい(?)。
 戦いで使う刀(かたな)も韓国の軍事オタクさんによると「あれは日本刀」だそうです。当時朝鮮半島で使われていた刀は、持ち手のところが丸い輪っかになってる物が一般的だったそうです。やっぱり日本刀の方が戦闘シーンの時、見栄えが良いんでしょうかね。

 歴史の勉強にはあんまりなりません。ドラマとしてワクワク、ドキドキ楽しみましょう。

 ドラマ『善徳女王』は、ほとんど(98%くらい)が創作なんですよ。
 歴史エンターテイメントです。最近の韓国の時代劇ドラマはこういう、脚本家が腕をふるう創作物が大部分です。『朱蒙』も。

 確かに韓国の教科書に名前が出て来る人物も登場します。キム・ユシンなんかは伝説の逸話に名前が出て来るので、韓国では小学生向けの絵本にもなってます。日本でも『弁慶と義経』のお話なんかは絵本とかになってますね。あんな感じで、なじみのある人名がちょこちょこ出ます。
 でも、主人公の善徳女王はドラマ...続きを読む


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