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よその食文化についての論議になると、よく対象のものを別のものに置き換えたりする流れになりますよね。


「イルカを捕まえて食べてます。」と言うと、

「それは可哀相、残酷だよ!止めろよ!」という声が上がりますが、

そうすると、それに対して、

「じゃあ牛や豚はどうなんだよ!同じ命だろー!」と返す人がいます。

置き換えて反撃したわけですね。
いや、お前の悪いところも知ってるぞ!でしょうか。


でも、そしたら、その後はどんな風にさらに反撃すればいいのでしょうか?


例えば、

「それについては感謝してるし、矛盾してるのは認める!でも、それが人間だろ!
選り好みして、ひいきにするものしないものあるもんだろ!
自分の価値観を他人に押し付けるのが人間だろ!
お前は無いんだな?全て受け入れるんだな?
昆虫を食べる人から笑顔で良かれと思って同じく昆虫料理を出されたら食うんだな?」

という反撃はありでしょうか?


論点を広げられたら、どういう返しに持ち込んだらいいのでしょうか?

A 回答 (3件)

食文化の議論は結局のところ「宗教論」なのです。



ですからそもそも「いるかを食べるな!」という外国人に(たとえば某駐日大使に)「お前らだって牛をどのくらい食べてんだよ!」と言ってもこれは反論にもなっていないことがあるのです。

なぜなら「命」というものに関しての価値基準がまったく違うからです。

日本人の場合、または仏教的な思想が有る文化では、どのような動物であっても「命」はあり、その命の重さに軽重は無い、という思想的背景があります。ですから動物(他の命)を食べなければ自分を生きながらえることができない人は「カルマ(業)」を背負っている罪深さがあり、殺生はなるべく控えた上で、命の恵みに感謝して生きる、ということになっています。
またお寺など仏に仕える人々は肉食はしませんし、一切の殺生を嫌い、それがたとえばガンジーの「非暴力主義」につながっていくわけです。

これが「牛食っているオマイラがそんなこといえるのか?」という考えにつながっていくわけです。

ところが、キリスト教やイスラム教などの一神教の人々はそうは考えないのです。
彼らの考えでは「人は神の姿に似せて作られた地上最後の創造物」、そもそも地上のありとあらゆるものは「人が生活するうえで必要なものを神が創っておいたもの」です。ですから人間が、ありとあらゆる物を利用するのは「神が許している」と考えています。

しかし、そうはいっても19世紀ぐらいにアメリカでバッファローを殺しまくったおかげで絶滅したりした経験を有していますので、さすがに最近は「いくらなんでも自然を壊しすぎると、回復できない」という自然保護の考え方も主流になってきています。
この二つが合体した一神教の人々の考えでは「牛や鳥などの、神が与えてくれた家畜は人間がコントロールして増やすことで、いくらでも食べてもいいが、神が与えてくれた自然は絶妙なバランスになっており、このバランスも神の御業だから、自然の調和をこれ以上壊すのは神に対する冒頭である」ということになっているのです。

ですから、自分たちがいくら牛や鶏を食べても問題ないが、自然に生きているいるかを捕獲して殺して食べるのは「残酷」であり「環境破壊」である、というのが彼らの主張であるわけです。

ですから、
「じゃあ牛や豚はどうなんだよ!同じ命だろー!」と返す人がいます。

は反論にもなっていないし、論点もひろがっていないし、まったく筋違いとしか感じられないのです。
彼らの論理で勝とうするなら「イルカも鯨も、神(一神教の神)が許した人間の食べ物である」という論破を試みるしかありませんが、実際にはほとんど不可能なので、無視が一番効果的です。

この回答への補足

面白かったです。ありがとうございます。

補足日時:2014/01/22 18:46
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この回答へのお礼

みなさまありがとうございます!
一番長文の方をBAとさせていただきます。

お礼日時:2014/01/25 17:48

 議論以前の「論点のすり替え」でしかありませんね。


肉食と海豚食を入れ替えただけならば、互いに相手を非難する手だてにはなります。
 けれどもそれを「お前は無いんだな?全て受け入れるんだな?昆虫を食べる人から笑顔で良かれと思って同じく昆虫料理を出されたら食うんだな?」との論理にはどこをどうやっても無理があります。問題の前提を勝手に書き換えているのですから滅茶苦茶としか評価のしようもありません。
 「論点を広げられたら」ではなく「論点を勝手にすり替えられたなら」の問題です。相手がこの様に対応してきたならば、「それは後でやる議論ですから、その前にこの問題で互いの共通点と異なる点を確認しましょう」と云って、ヒートアップしている相手を冷静にさせることも大切です。
 本人が気付いていない場合、「話題の置き換え」は議論として成り立たないことを相手に納得させねば、喧嘩腰以外の何物でもないことを知らしめることも大切です。
 イスラム教やヒンドゥー教が宗教的価値観に基づいて豚肉や牛肉を口にしないこと、そしてベジタリアンが食物連鎖や生物の多様化を根拠として肉を口にせず植物性タンパク質による栄養補給を志向することと昆虫料理では既に問題の所在を意図的に捨象するにすぎません。そんな相手は相手にしないことも一つの手だてと存じます。

この回答への補足

ありがとうございます。

ヒートアップを避けるというのは参考になりました。

広げでもすり替えでもいいんですが、そうすると言葉の選択の問題に話がすり替わってしまいますので(笑)
私が付け加えたのは例です。

でも、すり替えを別の機会にしてここではイルカ限定で話しませんか?というのは、相手が了承してくれたらいいですが、それを拠り所にしている人には難しい気もします。

それは家畜であり別の話です。↓

そんなことないよー同じ命じゃーん。同じじゃーん。
尊いかけがえのないたったひとつの命じゃーん!

みたいな。

それは違う話ですよ(^^;いう半分でも納得できる返しをしてからなら可能かもしれませんが。

牛や豚を食べない人もいるというと、相手がくくろうとしている話に当てはまらない例を探してきては、投げ合う闘いになりそうですね。

よく出てくるのが対象とする生物の知能と獲らなくても生存可能であるような点ですね。

補足日時:2014/01/22 05:23
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要するに貴方は日本人ではないのですか。



>「じゃあ牛や豚はどうなんだよ!同じ命だろー!」と返す人がいます

「お前たちも食ってるだろ!?(食わなくても支障のない)いるかを(更に)食うのが悪いんだって!」

と返されるかもしれませんね。そうなったら

その国の人しか食っていないものを出さねばだめでしょうね。
それとバーターする手はあります。

>「それについては感謝してるし、矛盾してるのは認める!でも、それが人間だろ!

自分の矛盾を認めたらそこで負けだと思います。

>自分の価値観を他人に押し付けるのが人間だろ!

ここではもう論理が破綻しています。

いるかを食わねばならない理由を考えてください。

この回答への補足

ありがとうございます。

どっちかというと、可哀相論者の攻撃の手に興味あります。
でも、それには「でも家畜はOK」という理由も補強しなければいけませんし、別件を持ってこようとするのを制限させることも考えなければいけないのかなと。

※私がどっち派であるかはあまり関係ありません。イルカの話ではなくてもよかっったんですが、他に思いつかなかったもので。

補足日時:2014/01/22 05:08
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