プロが教えるわが家の防犯対策術!

7歳の息子は知的障害を伴わない発達障害児です。

自閉症状が強く、一年生にして職員室か保健室にいる状態です。
学校側もクラスメイトも大変協力的で、勿体ないくらい良くして貰ってます。

でも、息子は一向に良くなりません。
毎朝、教室まで送って行くのですが…毎朝離れないと暴れます。私が一緒だとテンションが上がりあまり良くないですし、落ち着けば授業を受けられる時もあるので付き添いはしてません。
他害は余りありませんが、ケンカになった場合は手が出るときがあるようです。

今朝も「眠いから行かない」と、こんなに良くして貰ってるのに、一体何が不満なの!?と爆発してしまい。
言い合いになり…何度言っても分からない息子ともう一緒に死ぬしかないと、湯船に顔をつけた所で我に帰りました。

児相には相談したことがあるのですが、発達障害はまた担当が違うと回され回され…途中で私の気力が持ちませんでした。

主人はまだ息子の障害を受け入れ切れてない面があるようです。

周りからは好かれていて「息子さんなら大丈夫」と言われるのですが、私はどうしても明るい将来が想像できません。
私が不出来なのは分かるんですが、私一人死んだところで…かえって周りに迷惑をかけると思うと、一緒にと思ってしまいます。

前向きになるにはどうしたらいいでしょうか?
私じゃなければきっと息子はもっとのびのびしてたかもと思います。

A 回答 (8件)

 #7です。


 お礼ありがとうございました。
 私たちは療育センターに相談窓口があり、そこに相談をしていました。お住まいの地域に療育センターがあれば、そこに相談してみてはいかがでしょうか?
 それと、私が心がけている事を書いてみます。
 1 苦手なことには目をつぶり得意分野を伸ばしてあげてください。(療育センターの医師から言われた)
 2 親の考え方を子どもに押し付けない(療育センターの相談員の方に言われた)
   子どもと考え方が違っていても「こういう人もいるんだよ。おぼえておいてね。」と言うようにしています。
 3 完璧な子どもを育てようと思わない。(私自身完璧な人間じゃないのだから、完璧な子どもになるわけない。)
 家の子もシール作戦は効果なしでした。家の子は砂場が好きで、先生から「砂場に連れて行ってください」と言われ、2度、18インチの自転車が入る大きな穴を一緒に掘ったら、授業中砂場へ行く事はなくなりました。
 お子さんが、学校へ行っている間は先生に任せて、連携を密に取れば、対処法も見つかると思います。親子とも気持ちが楽になる方法が早く見つかることを願っています。
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この回答へのお礼

書き込みに気づかず、返事が遅くなりました。

今日も学校へ行けないことで爆発してしまい、もう一度読み直そうと開いた次第です。

私は押し付けてしまいます。
今日も先生は俺のこと考えてないと…こんなにお世話になってるのにと、思ったら抑えがききませんでした。
もう自分をコントロールする方法が分かりません。

死にたくないのに、死ぬことばかり考えてしまいます。
どうして私は上手くやれないんでしょう。
ダメすぎて嫌になります。

療育センターは利用してませんが、SCの方が大変発達障害に詳しくて、色々相談にのって頂いてます。
昨日も相談してきて、今日こそはと思ったんですが…
恥ずかしい結果になりました。

すみません。

お礼日時:2014/02/06 20:36

  小5(高機能自閉症の男の子)と小3娘の父親です。


  大変頑張っていらっしゃいますね。その苦労少し分かる気がします。
  家の息子の場合、小学校に入学と同時にソフトボールを習い始めました。3ヶ月して、保育園の同級生の子が入部して、一緒に練習していましたが、その子ともめだし、それと少し遅れて、クラス内でも浮き始めました。(授業中教室を出たり、暴れたりなど)ソフトボールは半年でやめました。もともと体格がよく、暴れるもんだからお友達も0になりました。学校の先生からも連絡をいただき、本人とも話し合いをしたりしました。それでも、登校時間をずらす(早い時間に出たり、ぎりぎりにでたり)していました。2年生になっても、収まらず、学校に行っても、授業は受けず、砂場で遊んだり過ごしていました。療育センターで診察した結果、高機能自閉症と診断され、そこから、学校の先生(担任)が上手く回してくれて、2年生の終わる頃には暴れる事無く本来の自分の姿で過ごせるようになり、友達も増えました。3年になり、お友達とはうまくやっていますが、授業は教科書も開かない状態で、自分の席に座っているだけの状態でした。4年の担任の先生は児童の気持ちをつかむのが上手い先生で今までのことがうそのように、ほかの子とかわらない。安心して見れました。5年の今は最初のほうは安心して見れましたが、また、教科書を開かないことが、たまにあると聞いてます。
 1年の頃妻も、「私はどうしても明るい将来が想像できません」みたいなことを言ってましたが、私は、「よくそんな事いえるね」と答えていました。その当時(今でもそうですが)「明日の事もわからないのに、よくそんな先のこと考えられるね」と答えていました。「その日1日何事もなく過ごしてくれればそれでいい」と思っていました。
 1,2年の担任の先生(同じ人)は連絡ノートにきちんと授業を受けたときはシールを貼ってくれていました。その数が少ないときでも子どもには、決してしからず「大変だったねえ」「よくがんばったね」と声をかけていました。理由は「学校に行ってくれるだけでありがたかったからです。授業参観に妻が行ってましたが、大喧嘩になる為、私が行って授業をきちんと受けていなくてもしかることはしませんでした。授業参観で音楽の時、苦手と言っていたので、「音は出す必要はない。ただ、演奏の真似事をしなさい。それだけでもやる気があるように見える。」とアドバイスをした事はあります。
 お母さん、大変と思いますが、お子さん本人も大変な思いをしていると思います。保健室、職員室とはいえ、学校じゃないですか。学校に行ったら、お子さんは先生に任せて、お母さん気持ちを変えましょう。お子さんが学校に行きたがらない時、嫌なことがあるから行かないわけで、それをきちんと聞いてあげましょう。僕も2回学校を休ませて話を聞いてあげて、担任の先生に報告しました。
 そんな息子の姿を見ましたが、本人は一生懸命頑張っている。そう思えば、少しでも楽になるのではないでしょうか?自分が楽になるように考え方を変えた方がいいと思いますよ。
 ちなみに、私の妻も障害を受け入れていないようですけど、4年になってから「私はどうしても明るい将来が想像できません」みたいな事は言わなくなりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

息子は頑張ってくれてます。
私が求めすぎてしまってるんだと…自分をコントロール出来ないのは、私ですね。
楽にする方法が思い付きません。

シールはあまり効果がありませんでした。
シールを欲しいが為に、出来ないことまでしようとして自滅してしまって。
ここまでいいんだよと言ってるのに、周りと同じことをしたくなるようです。

私も息子も、理想が高くて現実とのギャップに爆発。
そんなところは似なくても良かったのですが。

私もスモールステップで、楽に行けるよう頑張ります。

お礼日時:2014/01/24 03:17

こんにちは



私には3人子供がおります。

高校生男の子
中学生女の子
4歳の男の子です

真ん中の中学生の子がアスペルガー症候群です。言葉の理解力が乏しくまた脳へ伝わる
伝達力が遅く転ぶときに手が出ません。とっさの時反応が鈍いです。
で病院では手帳交付を促されましたが
いざ保健福祉センターへ行くとお子さんはグレーゾーンのお子さんなので交付は出来ません
と言われました。

家は娘ですが国語が出来ないわけではありませんが
言葉の理解力が遅いです
物事も独特のペースがありそれを乱してしまうと本人は混乱してしまうので
出かける時などは前日には遅くても話ます。
急用などの時は彼女に話はしますがどうするかは彼女の判断に任せます。


現在中学2年生の娘ですが
娘も小学校の時は行ったり行かなかったりすること多々ありました
小学2年生の時は先生にアスペルガーなんて障害聞いたこともないから対応できないと言われたこともあります。
当時、まだ認知度も低くて学校へ理解してもらうことから始めてたので苦労しました

私も何度も何度もどん底で楽になりたい楽になろうと思ったことも
でも子供の笑顔に支えられまた一緒に頑張ろうとこの子を守れるのは自分しかいないんだから
とやってきたような気がします。
小学校2年生の時は2か月以上学校に行かずその期間当時の校長先生がアスペルガーにも色々ありますが
勉強してくださり校長先生のサポートによりまた学校生活が再開しました。
心が乱れると行きたくなくなりますが度合いにより休ませたり行かせたり

年齢を追うごとに友人関係も成り立ち仲の良い子が出来て勉強は今一ですが
学校へは通うようになりました。

中学は特別学級もありますが一般クラスにいます。
ただ、中学になると特別が級の子は手厚いですが一般の子は周りの子と同じようになりますし
先生によりけりですが協力的な先生もいますがそうでない先生もこちらからは選べませんし
家はたまたま、保健の先生が元看護士の方でアスペルガー症候群の事も良く知っており
保健の先生と二人三脚で現在奮闘しています

女の子と男の子ではまた違うと思いますが
男の子はギャングエイジ時代が2回あると聞きます。
イヤイヤ時期が3.4歳
ギャンクエイジ時期が6.7.8歳と11.12歳

学校も本人が好きな事があればそれに対して盛り上げてみたり
調子が上がらないときは保健室でも
とりあえず学校に行くことが私も大事だと思います。
殻にこもってしまうより勉強だけでなく色々なことが学べますから
親も子も一緒です。
子供も少しずつですが成長していきます。似たような年代の子供たちから吸収する影響力は
親とこもるよりはるかに大きいです。
お子さんの笑顔思い出して一緒にゆっくりやっていきましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

息子も良く頭を打って病院へ駆け込みました。
咄嗟の判断が出来ず、膝が石まみれになり一個一個ピンセットで取ったことを思い出します。

私は全然息子を守れて居ないんです。
息子の方が、よっぽど私のために頑張ってくれてます。
泣いてばかりいる私を一生懸命慰めてくれる時もあります。

私は成長出来るでしょうか。
ゆっくりで良いから進みたい。そう思う毎日です。

娘さんのように、息子にも仲がいい子が出来るといいな。

お礼日時:2014/01/24 02:53

こういう学校へ行く行かないのいざこざは、大なり小なりどこの家庭でもあることです。

頭に来ることは親としては当然で理解できますが、子供を殺さなければならないとまでご自身を追い込んでしまうのは本当に心配です。

学校には行った方がそれはいいでしょう。しかし、本質的に学校というのは劣等を思い知らされる場所でもあるのです。上手く波に乗れない子は弱いもの達の餌食にもなるでしょう。お子さんもしんどいときもきっとあるでしょう。

随分前に重度の自閉症のお子さんに辛抱強く数学を教え続けたインドのお母さんのドキュメンタリーを見たことがあります。その子は話を聞いているのかいないのかもわからないような、日常のコミュニケーションを取り合うことも困難な男の子でした。

一方的にお母さんがその子に数学を教え続けたのですが、あるとき、堰を切ったようにその男の子から数学が溢れ出したのです。その様子を語っていらしたお母さんの誇らしげな表情を今、思い出しました。

このように人間はいつ才能が開花するかはわかりません。自閉症に限らず、全ての人間に言えることです。才能の開花は自分の「生きられる場所」を見つける手掛かりになるという点においてとても重要な体験になります。しかし、それがいつ如何なるときに訪れるかはわからないのです。

一つ言えるのは、何かを「する」という体験が、次の何かに繋がって行くということですね。学校を休んでも、家から出て何かをすることが次の何かに繋がって行くでしょう。貴方の役割は、この部分のサポートにあるとお考えください。貴方はどんなときにでも「生きること」「生まれてきたこと」を全身で肯定することだけをお子さんに伝えればいいのです。この一点だけに貴方は集中してください。死は逃げ場ではありません。死は、精一杯生きた後の誇りとするべきです。

貴方に試されているのは生きることを諦めないことです。長い人生です。日々を上手に誤魔化しながら、のんびり大らかにそして辛抱強くお過ごしください。貴方も、お子さんも、まだ途中の段階ですよ。十分伸び代があるのです。この世に生まれた生命が何にも役に立たないことはないのです。そのことを信じられる貴方でいられるようであることを願っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

息子は学校は辛い・嫌いと言いますが、勉強と給食は好きだそうです。
個別でプリント等やらせると難なくこなすそうなので、休んでしまった日はその辺りを工夫して、外へも目を向けたいと思います。
どうにもずる休みをした。と言う感覚が拭えなくて、生きられる場所と言う考えは全くありませんでした。

家庭が生きられる場所なら、他にもそんな場所がないか目を向けられるかもしれませんね。

土日は、電車の大好きな息子のに合わせて動いてましたが。
平日もおおらかに、生きることを中心に臨機応変行けたらいいなと思います。

お礼日時:2014/01/23 08:30

毎日、本当にがんばっていらっしゃいますね。



前向きになんて、ならなくていいと思います。
無理やり前向きになろうと思うから苦しくなるのではないでしょうか。

質問者さんが今辛いのは、当たり前のことだと思うのです。
誰だって、自分の子供は何の問題もなく
学校生活を送ってほしいと思うものです。
でもそれが今はできない状態にあるのだから、
大変で、辛くて、しんどくて、当然ではないでしょうか。

そんな風に、現状を現状として受け止めるように
発想の転換をされる方が、少しは気がらくになるのではないかと思いますよ。

息子さんの障害についても同様で、
口で言ってすぐに分かるのなら、それは障害ではないのでしょう。
口で言っても、何度言ってもできない。だから障害なのでしょう。

死ぬことありませんよ。
息子さんはさぼっていてできないわけではなく、
質問者さんを困らせようと思ってやらないわけではなく、
発達障害によってできないということを、息子さん自身も「困っている」のですから。

教員をもう10年やっていますが、仕事柄、アスペルガーの子や、高機能自閉症の子もたくさん知っています。
アスペや高機能の子も、知的障害のある自閉症の子も、多動の子も、ADHDの子も、
みんな、学年が上がれば「変わってきます。」

どのように変わってくるかは、人それぞれで、
そのスピードもそれぞれです。

でも、私の狭い経験の中でですが、
小一のときに職員室・保健室登校だった子が、卒業までずっと職員室・保健室登校という例は、
今まで一人も知りません。
教室に行けるようになったり、また保健室に戻ったり、不登校になったり、また学校に戻ったり…
紆余曲折はしながらも、少しずつ、何かしらの変化があり、多くは改善されていく場合が多いです。

卒業式で教員が涙するのは、
そういう紆余曲折を知っているからこそ、
「小一のときにあんな状態だった子が、今ああやって、卒業証書をもらうために立派な姿で歩いている」
そうやって思いを馳せるからです。

教室から日々脱走して、3階まで駆け上るのを追いかけまわしていた子。
グラウンドの隅にいればいい方で、たびたび家に帰ってしまっていた子。
友達の発言に一喜一憂し、教室で暴れ、教師数人に取り押さえられながらも、色々と破壊していた子。
など…
お母さん方はみな、本当に心労を重ねられたことと思います。
けれどみな、立派に卒業していきました。

学校の先生方がよくしてくださるのは、
ただ単にかわいがっているというだけではなく、
今までの経験から、息子さんも6年後に立派に巣立つ姿が想像できるから、
それを励みに日々指導してくださるのだと思います。
「息子さんなら大丈夫」というのは、そういう意味です。

質問者さんにとっては、初めて発達障害がある子を育児しているのですから、
戸惑って当然なのです。

特別支援学級に入ると、「支援計画」を作成することが多いのですが、
高校卒業の年、18才にどんな姿を目指すか、ということを小学校から保護者と支援学級担任で
話しあいます。
今もまだできないことばかりなのに、小学校からそんなこと考えられない、とみなさんおっしゃいますが、
できないことがたくさんあるからこそ、今から目指す姿を、目標を考えておくのです。
そしてその目標に近づくためにはどんな支援をしていったらいいか、という
逆算方式で考えるのです。

支援学級に入ることができれば、きっと、質問者さん一人で抱えているという思いも
少しは軽減されることと思います。
学校の都合もあり、なかなか難しいかもしれませんが。

あと病院のことですが、こどもも医療費がかかる地域でしょうか?
多動・他害は、薬でかなり抑えられることも事実です。
薬も使いつつ、学年が上がるにつれ落ち着くことで、質問者さんが朝送っていったり、
学校から呼び出されたりすることも随分減ってくるのではと思います。
そうすれば仕事もでき、資金面でも改善されるかと思います。
なかなか理論通りにはいかないかもしれませんが、
子供に障害があるからこそ、働けるときに働いて、資金は貯めておく必要もあると思います。

大人になって生き辛さがすべて改善されるというわけではありません。
障害なのですから。
けれど、その対処法を小学校の頃から学ぶことで、自立の道を探っていくのおだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

教師の立場でのお話、とても勉強になりました。

毎日手を煩わせ続ける息子が、先生方の負担になってると申し訳なくて…
でも、私よりずっとずっとプロですものね。
先生も息子も信じてなかったのは、私です。

医療費はかかりません。
ADHDの投薬は合わなくて止めました。
投薬は校長先生・副校長・担任・SCと全員で病院まで出向いて頂き、ケース会議を開いた結果だったんですが…思うようには行きません。

任せると言うことがどうにも下手ですが、先生方と相談しながら自立を信じてみようと思います。

お礼日時:2014/01/23 08:15

>主人はまだ息子の障害を受け入れ切れてない面があるようです。


あなたもずいぶんのんきなお話しをされますね

あなた一人で背負い込んでいるからストレスが溜まり
爆発・暴発しそうになるのです。

とにかくこの問題の解決の大前提条件は
ご主人とガッツリや話し合いされて情報共有することですよ

まだまだ夫婦としての信頼関係が確立していないようです
たとえしていたとしてもいささか希薄・脆弱さを感じます。

子供は二人の合作であり双方のDNAを引き継いでそういう結果になっているのですから
子供に罪は全くなく、然るにあたってしまうなんて言うのは
本末転倒 子供さんが不憫でなりませんねぇ

「息子さんなら大丈夫」と言って頂いているのですから
あなたも人の話素直に信じることですよ

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません

今までの真面目過ぎる意識を払拭し夫婦二人の責任なんだとすれば
苦悩は即半分になります。良い人をやめれは楽になれます。

子供は授かりものですが預かりものでもあります。
預かりものとは自分の所有物でもないのですから
勝手に手にかけることなど絶対にあってはならないことですよ


預かったものは返さなくてはなりませんね
では何時返すのか・・あと13年後ですよ
それまでは親としての責任は夫婦でキッチリ果たして欲しいものです。
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この回答へのお礼

話し合いはしていますが。
自分の育て方でやりたい。
責任は俺が取る。と言われ話しになりません。
私だけですが、ペアトレも受けてその説明を伝えてるんですが…何故か俺流です。

正直、主人が怖いんです。
障害がわかる前は私の育て方が悪いと散々言われ、実家に帰れと言われました。
私が居なくなれば本当に良くなるかもと、帰ったら「子供を捨てるのか!?」と言われ…主人の実家で土下座して許して貰いました。
その際「お前の頭がおかしいことに、俺を巻き込むな」と言われてから、上手く伝えられなくなってます。

子煩悩で息子もパパっ子なので、子供の為に頑張ります。

お礼日時:2014/01/22 20:38

念のために、まず、お二人とも、生命保険、県民共済にお入りください、これで何があっても、旦那さんは損をしないでしょうから、



あとはゆっくりお考えください。

町医者でいいから、行きつけの精神科へ受診が良いかもしれません、何かと相談に乗ってくれますよ。

グリーン学級で、障碍児として、育てるか、苦労しても普通の教室に入れるか、考えて対応すべきでしょう。

私は障害児、として、育ててあげた方が、本人が楽だと思いますよ、

怒りや、不穏などは、精神科に相談して、デパケンその他の薬を処方してもらうべきでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

生命保険には入っています。

支援学級に入るには知能指数が高く、一度通級を経てから特例扱いで入る形になると言うお話でした。
通級への申し込みはしていますが、来年度まではなんともならないそうです。

恥ずかしながら、病院に通う資金がありません。
主人も少なからず傾向があり、ギリギリの稼ぎで限界です。私も日中動けるようにとパチンコ屋さんの清掃をしてますが、なかなか残ることはありません。
折角のアドバイス申し訳ないです。

お礼日時:2014/01/22 20:20

 息子ちゃんも優れている面があるはずです。


その面を1つずつ探していくことからはじめてみては?
もちろん探さなくても母親歴7年を超えるわけですから、もうすでにたくさん見つけているはずです。

 障碍の部分を少しでも良くしようという気持ちももちろんわかりますが、現時点で優れている面を伸ばしてあげることを考えたほうが前向きになると思います。
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この回答へのお礼

今のところ、字が上手く書けないだけがネックです。
口で言ってることと違う言葉を書いたりする時があるので、主治医には手への伝達が上手く行ってない。と言われました。

勉強な関しては、大して教えずとも出きるので、つい授業を受けて欲しくなってしまいます。
ノートへ書くさえなければ良いのですが…なかなかそうはいかず。自分の思い通りに動かない手足に我慢が出来なく、教室から出てしまいます。
書く難易度は個別で下げて貰ってるのですが、完璧主義の特性が邪魔をしてダメなようです。

計算が特に得意なので、伸ばして行けるよう頑張ります。

お礼日時:2014/01/22 20:50

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