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回答欄に出てきた言葉ですが、私の人間関係にも当てはまる人がいて
気になっているので どなたか教えてください。
普段は人当りよく 穏やかで 真面目な人なのですが、
その分 裏切られたと思い込むと徹底して 自分の殻に閉じこもり
時間が経っても 本当の事情がわかっても 再構築しようとしません。

そのため 両親や兄弟とも絶縁関係になってしまい、
もともと数少ない親友が 現時点において一人になってしまいました。

彼の場合 悪く言えば 
他人に気を使いすぎて 人間関係に必要以上に気を使いすぎる傾向があります。
ベイランスというのは人間関係からくる抑圧(ストレス)、環境の変化に
他人の人格が移行すると書かれていましたが
彼の言動に一致するところがあります。

彼は 男性で大人なので、本人が望んでいるのならそれでいいのはわかっています。
それに そういう人はたくさんいるので特別なことではないと思います。

もしわずかでも 再構築するのに有効な方法があるとすれば
どういうものでしょうか?

A 回答 (9件)

その人にやり直したいと云う気持ちがない限り、


それは根本的に難しいことでしょう。

というよりも、その人にとって、他人は恐怖で
あったり重いストレス源でしかないことが
多いのでしょう。

望んだ訳でもない重い付き合いの縁を切れて
内心ホッとしているのだとしたら、逆に再構築
しようなどというのは迷惑なことかも知れませんよ?

勿論、この「彼」が実はあなただと云うなら、
話は違ってくる。

やり直したいけど怖くて殻に閉じこもる自分を
どう勇気づければ良いか、という意味になるから。

でも、あくまであなたではない、ということなら
より的を得た回答を得るためには、何故他人の
あなたが頼まれもしないのに彼の人間付き合いの
修復に奔走しなければならないのかを説明して
頂かなければ、動機も判りません。

なぜそれが必要かと云えば、あなたの意見や
考えというバイアス・翻訳を経た彼の心理と
いうものは必ずあなたの意見によって変形
させられているから、それをオリジナルの
姿を推測するために補正しなければならない
からです。

あなたが彼に構いたがる理由があるなら、
それが彼の心理を歪めて伝えてしまう原因に
なるからです。

そのうえで、彼が望むならば、彼に取って
居心地の良い場所と空間とは何か。

一緒にいて喜びや楽しさ、温かさを感じる
人物像を誰が演じるか、という話になります。

心に対人的な障害を抱える人が、
いろんな人と普通に付き合えるように
なるのは並大抵のことではないはずです。

少しづつ、彼を傷つけず、傍にいて欲しいと
思える人との交流が重ねられていくうちに、
古傷は癒え、心の体力が付き、他人の
考えや態度に傷つかずに済む余裕が
生まれてくるものなのですから。

彼にとって良き友人とはどんな人なのか。

それが大切なキーワードだと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
彼というのは 別居中の夫です。
単身赴任のはずだったのですが、長年たまっていたお互いの不満が爆発して
そのまま別居になってしまいました。

夫の荷物はまだ私のところにあるし、書類上も離婚するかしばらくこのままでいるか、
話し合いが必要だと思うのですが、
殻に閉じこもって出てこようとしません。(話し合いに応じてもらえません)

もともとの性格もあったと思うのですが 約10年間うつ病のため
フルタイムでの仕事ができずにいましたが、この数年 どうにか仕事を
することができるようになりました。そのタイミングでの別居への展開です。

私たちの関係が 共依存なのか 愛情なのか私にもわからなくなっています。
長い間 頑張ってと言ってはいけない、期待してはいけないといわれ続けて
子育ては全責任私の仕事となりました。
私自身 彼にどう対していればよかったのか 子育てが一段落した現在
後悔することの方が多いです。

彼に通って居心地のいい場所と空間 
一緒にいて喜びや楽しさ、暖かさを 私は彼に与えることができなかったような気がします。

まだ間に合うでしょうか?

お礼日時:2014/01/29 21:05

No.6,8です。



とても旦那さんを愛しているのに、幸せにしてあげられなかったと後悔の念で一杯のご質問者には、唯の慰めにしか聞こえないかもしれませんけれども…。

私は、ご質問者はとてもよく頑張って来られたと思います。
父親の役目と母親の役目と、一人で二人分も頑張って来たんです。
褒められこそすれ、誰があなたを責められるのでしょうか。
責めの言葉は、愛に応えられなかった裏返しの言葉、自責の言葉でもあるのです。
旦那さんは、あなたを恨んでいるだけなのでしょうか…感謝の気持ちもちゃんと持っていると思いますよ。

本当の母子家庭なら、旦那さんのことをスッパリと諦めることも、新しい人生について考えることも出来たし、旦那さんとのことは、いつまでも綺麗な懐かしさや温かさが一杯の想い出として胸に秘めておくことだってできたんです。
でも、紙切れ一枚で繋がっているような そんな心細さから、旦那さんには他に誰か想いを寄せている人がいるのではないか?とか、もうこのまま帰っては来ないのだろうか?と、そんな苦しい思いに耐えながら、ご質問者は一人でお嬢さんたちを守り育てて来たんです。だから、ご質問者はもっと自分を大切に、自分を許し、認めてください。それが傲慢だなんてこと、決してないです。

あなたが本当に間違っていたのなら、娘さんたちは、あなたのもとを去ったでしょうし、旦那さんだって失踪していたかも…いえ最悪、この世にはもういなかったかもしれません。そんな取り返しのつかないことになっていないのは、あなたがとても頑張って来たからだし、その思いがみんなに伝わっていたからだと思います。
だから、その点だけでも胸を張って欲しいです。


慈愛こそが最高の愛のように言われますが、自愛あってこその慈愛だと思います。
自愛という感覚は、日本では利己的だとか高慢のように解釈される傾向があり、嫌われることが多いですけれど、果たして自分を苛め抜くだけで慈愛は生まれるものでしょうか?

自分を責め続けて、心が擦り切れるほどの悲しみで一杯なのに、どうして旦那さんの前で慈愛で一杯のあなたでいられるのでしょう?
誰だって精一杯頑張っているときには「よく頑張っているね、ありがとう」の言葉が欲しいし、寂しくて心細いときには「大丈夫だよ」と寄り添って欲しいものでしょう? ずっと離れて暮らしていれば、こちらから連絡するばかりじゃなく、「一度くらい駆けつけて来てくれたって…」と悲しくなるものでしょう?
そう思うのは、素直な気持ちで我儘とは違うと思いますよ。


旦那さんだって、ご質問者の知らないところで、もがきながら頑張って来たのでしょう。悔し涙だって流したのでしょう。
けれども、鬱病を患う方ばかりが苦しいのではなくて、誰にも頼ることが出来ない方だって悲しいし辛いです。どんなに疲れていたって、どんなに心がボロボロになっていたって、弱音を吐いてはいけないし、寝込むことも出来ない。
いつも強くなければいけない。こんなに辛いことはないです…。

たまには愚痴だって聞いて欲しいし、たまには我儘だって言いたい。
たくさんのことを諦めて、たくさんのことを我慢して…。
そんなことがずっと続けば魂の抜け殻みたいになってしまう。
でも、たった一言、旦那さんが「いつもありがとう」そう言ってくれたら、ご質問者は今こんなに悲しみに暮れてはいなかったと思うんですよね。
No.7さんが仰っている “ワン・ワード” 共感しました。
これは、ご質問者にだって必要なんだと思います。


昔の話ですけれど夫が先に鬱になり、共倒れで私まで鬱になってしまいボロボロになったその頃に、やっと鬱が治って来た夫が「疲れているんだね。疲れているときは休むしかないよ」と労わってはくれたけれど…。
休んだところで、いつになったら治るのか解らないし、義務が何一つ減ったわけでもなかった私は、休めという言葉よりも「これまでよく頑張ってくれたね。ありがとう」と言って欲しかったんですよね。
…そのときは唯々悲しかっただけで、これは鬱が治ってから やっと分った本当の自分の感情なんですけどね。

頑張っても頑張っても、頑張りが足りない、頑張りが足りないと言われ続けること、
やっと相手の要求レベルに達したと思ったら、更にレベルが引き上げられること…
これだと、いつまでも重責から逃れられません。
だから、本気で頑張っているときには “頑張れ!” よりも「よく頑張っているね」の一言の方が、どれだけ元気が出て、どれだけ励まされることか。
唯々「頑張れ! 頑張れ!」を繰り返されると、「頑張りが足りない! そんなのじゃ駄目だ! もっと頑張れ! もっともっと!!!」と責められているようで辛くなります…。

辛い時こそ自愛は必要だし、誰も頑張っているとは言ってくれないのなら、自分で自分に「よく頑張っているな、偉いぞ私!」と褒めて良いと思います。
大人になると出来て当たり前が増えて、人から褒められることも、自分を認める機会も、ぐっと減ってしまうけれど、大人にだって褒め言葉は必要です。
「疲れた…もう嫌だ!」と言いたくなる時ほど、「すごい! 疲れてたのに、こんなに頑張れたんだ!!」と自分で自分を褒めたって罰は当たりませんよね。

自分で自分のことを嫌いになってしまうと、「こんな思いをさせたあの人が憎い!」と、そうなってしまうじゃないですか。そして、そんなことを考えた自分が許せず自己嫌悪に陥って、相手に会えばネガティブな思いばかりが膨れ上がって、言葉に出さずとも態度で責め合ってしまう…そういう間柄になってしまいます。
傷付け合うだけになるぐらいなら、自分が大っ嫌いな人よりも「自分大好き人間で愛が溢れる人」になった方が、どれだけ自分も周りも幸せなことか…。

ご質問者は、自分がこれまでずっと頑張って来たことを認めてください。
裏目に出たと悲しむけれど、家族のだれも欠けてはいません。
旦那さんは鬱に負けずに生きていてくれている、それだけでも、すごいことじゃないですか。
生きていてくれているのなら、あなたの愛は少しでも届いてるんだと思います。

自分の中を愛で一杯に満たせば、旦那さんを責める気持ちよりも、旦那さんを愛する気持ちで一杯になると思います。だから、どうかご自愛願います。
悲しい、辛いで一杯だと、何をどうしたら良いのか解らなくなります。
もう充分反省したのですから、今度は自分の頑張りを自分で認めて、家族の誰も欠けていないこと、このことに感謝してください。
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この回答へのお礼

po-ria1様
何度もご回答本当にありがとうございました。
ご自分の体験も書いてくださって感謝しています。

今回の件は 夫が私と話をしたいと思ってくれない限り 
裁判所も弁護士も時間と費用の無駄だと確信しています。

そのためにはどうすればいいのか。
遠い将来のかすかな希望を捨てずに 自分の人生を大切に
完結させたいと思うばかりです。

ずっと 頑張れ とか できるだけでいい とか
そういう言葉しか知らなかったのは私の無知でした。
私は頑張れと言えない、でも生活は困窮していく。
どうするの?としか言えない 頼りない甘えたままの子供でした。

頑張っているね と現在進行形の言葉を
妻として 愛のこもった言葉をかけてあげたかったと思いました。

このカテゴリーで質問させていただいて 本当に良かったです。
どうぞpo-ria1様もご自愛ください。


 

お礼日時:2014/02/02 19:18

No.6です。

お礼をありがとうございました。
あまり回答らしくありませんが、再度おじゃまします。

短くまとめてしまうと身も蓋もないですが、旦那さんは現状において、
「ご実家および結婚後の家庭、そして社会においても親密な人間関係を築けない人ではあるが、物欲も性欲も捨てきれないので孤独を愛するまでには至らず、縁者からの信頼は失っても“最後の砦としての家庭までは失いたくない”と考えている」…ということになるかと思います。

鬱病生活を10年やってきたので、その間に失った人間関係や信頼などが心の大きな傷となり、そのことで自尊心(心理学においては高慢や自惚れとは違う意味を持ち、“ありのままの自分を受け入れる心のこと” を言います)もまた大きく失われてしまったということなのでしょう。
1.【自尊心】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B0%8A% …

自尊心を大きく失ってしまった人ほど、人から傷つけられること、相手を失望させることを恐れるので、親密な人間関係を築きたがらなくなります。
よって、「裏切られたと思い込むと徹底して 自分の殻に閉じこもり 時間が経っても 本当の事情がわかっても 再構築しようとしません」となりがちです。なお “時間が経っても” というのは、闘病生活の長さと、その間に失ったものの大きさと比例していると思います。

このことに関しては、旦那さんは誰かの人格を真似てそうしているというより、将来に対して夢も希望も持てないので、「ただ、今、目の前にある現実だけを楽しむようにしている」んだと思います。
それが旦那さんにとっては最良の鬱を遠ざけるストレスのない生活で、自分でできる唯一の鬱予防法なのでは。


伸びしろはあって欲しいものだし、付き合っていく上で妥協や折り合いはつけて欲しいものですが、それがどうしても出来ない不器用な生き方しかできない人は、この世の中には沢山いますし、妥協や折り合いに強固に拘るのなら、その人もまた不器用な生き方をしているということになります。 

ご質問者がベイランスという言葉に惹かれたのは、今のご主人の言動が本来の性格だとは、とても思えないからではないでしょうか。以前のご主人の性格に戻って欲しいと、昔の面影を求めたくなってしまったからなのでは…。

しかし、人とは二面性を持つものです。
元々の自分を抑えつつ、人に合わせるのは関係を良好に保ちたいが故(友好の証)ですし、頑なになるのであれば、本来の自分では相手に受け入れてはもらえないと確信しているからなのです。
「普段は人当りよく 穏やかで 真面目な人」も「裏切られたと思い込むと徹底して 自分の殻に閉じこもり 時間が経っても 本当の事情がわかっても 再構築しようとしない人」どちらも併せて ご主人なのです。
思いやりと拒絶、理想の姿とそうでない姿、どちらも併せて ご主人なんです。

ご主人は ここ数年、病状が落ち着いているということですので、今は失った時間を取り戻そうと羽を伸ばしたい気持ちで一杯で、ご家族に愛情を注ぐ余裕がないのでしょうね…。ご質問者が望むようには、ご主人の大人力は回復していないのでは。
もしかすると、ずっと以前から大人ではなく、大人を演じるので精一杯の人だったのかもしれないですね。理想を目指す自分とそうはなれない自分、周囲から求められる姿と実力のギャップで疲れ果てて心を病み、今は自分を癒すことしかできない…。


ご質問者が、ありのままのご主人を愛せるのか、そこに尽きると思います。
ご質問者には何も非はないです。何も非がないからこそ、旦那さんには ご質問者が立派で正しい大人に見える。そして、会えば自尊心が傷つく…。でもそれは、ご質問者の所為ではない、そこのところがよく分かっているから、ご主人は、あなたから逃げてしまう…。

ありのままの自分を愛して欲しいのなら、自分もまた、ありのままの相手を愛することだと思います。風俗通いに現を抜かされるのは、私には耐えられないし言語道断ですが、それでも、ご質問者がご主人を愛しているのなら私は止めません。

理想通りにならないと愛してはもらえないのなら相手は逃げる…そういうものだと思います。自分にも人にも失望している人は、楽な方へ楽な方へと流れて行きます。
ご主人には怒られそうですが、それが今のご主人だと思います。

理想通りの人間になろうと頑張れるのは子供だけだと思いますよ。
なぜなら、子供にとっては親が全てで親の庇護がなくては生きていけないからです。
子供は親を尊敬している、もしくは尊敬したいと思っています。
だから、親を裏切りたくないから一生懸命です。
親を思う子の気持ちほど純粋なものはありません。
しかし、それほどまでに純粋な気持ちは、ご主人にはないと思います。
大人でも子どもでもない人(ちなみに、ご主人は自分のことをそう認識しているから逃げるんだと思います)、そういう人を愛したんだということ、このことを理解する、それが修復に向けての第一歩だと思います。
__________

~追記です。

先の回答で発達障害のことを引き合いに出したのには、知的障害を伴わないことから、つい最近まで “軽度発達障害※” と呼ばれてた人側の視点に立つことで、これまでは知的障害がなければ誰にとっても当たり前であったことが、実はそうではなかったという話をしたかったという側面があります。
<※誤解を招くので、現在は そういう呼び方はしなくなったということですが、軽度発達障害とは、“学習障害 (LD)、注意欠陥・多動性障害 (ADHD)、高機能広汎性発達障害(高機能PDD=自閉症スペクトラムの中の知的障害を伴わないタイプ=高機能自閉症・アスペルガー症候群)のことを指します。最近では単に発達障害と称した場合は、このLD・ADHD・高機能PDDの三つを指すことが多いです。>

一見、定型発達者のように見えて そうではない人たちと、一般の社会人でありながら社会に上手く溶け込めずにいる人たちが、“社会生活をする上で抱えている困難さや課題に感じていることには共通する点が非常に多い” と感じたからです。
問題が重なれば重なるほど、ともに鬱病や躁鬱病などを発症するケースが多いことからも、いかに普通であること、当たり前であることが難しいのか理解しようとするときには、定型発達という概念を一度外して考える必要があると思います。検査の上では定型発達とされる人でも、機能不全家族で育った人には発達障害と類似した行動パターンを示す人もいますので…。
この辺の話や軽度発達障害については下記の参考リンク2に記載されていますので、ご参照願います。
2.【発達障害】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E9%81%94% …

なお、手前味噌のようで恐縮ですが、下記の参考リンク3のNo.7、8で回答に参加していますので、そちらも併せて読んでいただければ幸いです。そうしていただければ、今回と先の回答では伝えきれなかったことを補完できると思います。
こちらでは、「それができて、なぜこれができないのだろう? (それよりも、こちらの方がよっぽど簡単なことなのに!!)」 「そっちに集中できるのに、なぜこちらには集中できないのか?」と、傍から見ると「ふざけているか、怠けているか、こちらを無視しているようにしか見えない不器用な人たちと、その人たちと直に関わる人たちの “両者の悩みや葛藤”」を交えて回答しています。
3.【知的障害のない発達障害】http://sanwa.okwave.jp/qa8305163.html
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この回答へのお礼

po-ria1様
何度もご回答、ご意見ありがとうございます。
ネットの接続が悪くて お礼が遅くなりました。

私の拙い表現から ここまで確実に夫の現状を推察分析していただいて
驚きで一杯です。私は言葉をまとめる力がないことを改めて実感しました。

もし 今 夫と同居していて 家庭内別居であれば 
私は ここまで困らなかったと思っています。
別居状態なので 顔色ひとつ見る事も 声を聞くことも出来ません。

肉親関係であれば 何年も連絡がなくても 再会した時に
家族として 挨拶をして 心配していたよと 受け入れるのが私だと思います。

でも 結局 夫だけは他人です。
同居も家計も全く別で 何年も何をしていたのか何を考えていたのか、さらに飛躍すると
別の女性と付き合い 暮らしていたのかもわからない そういう人を
夫だからと受け入れることは私には出来ないでしょう。

でも現状は そういうことなのです。
私が最初にしたことは夫の気持ちを確かめたくて電話をかけていたが、夫は出ない。
夫が私を避けていることにようやく気がついた。
離婚手続きをしようとしたが 最後まで実行できなかった。
保険請求や娘の成人式(写真撮影)の件など親としての参加してほしいことが
続き メールを送るが やはり 無反応。

夫がうつ病になるまで私はとても幸せな気持ちでした。
夫が私に与えてくれた思い出は 私の財産です。
それなのに 私は病気になった夫を大事にはしてこなかった。
いつもいつも子供が最優先になってしまった。

夫と子供をつれて 実家に戻るという選択が 私が実母との関係に拘り続けて
できなかったし、私が家計を支えていくという自信もなかた。

原因は私にあるのです。

夫が現状維持を望んでいる間は 私の後悔は続き解決はしないのだと思いました。
どちらかに 新しいパートナーができるまで このままだと思うしかないようです。
それに私が耐えられるか かなり疑問です。

アドバイスを本当にありがとうございました。
心から感謝しています。

お礼日時:2014/02/02 04:53

お返事を頂いたので、お答えを添えておきます。



人間というものは、うつ病であろうと自信家であろうと
判る事しか判りませんし、出来る事しか出来ません。

物凄く当たり前のように思われると思いますが、
何度も口に出して読んで見て下さい。
実はものすごく深いことなんです。

自分が今まで慣れ親しんで来た考え方・感じ方というもの。
自己中心的で、利害対立ばかり考え方で、自分だけ損したと
思いがちで・・・誰でも多少の違いはあれと、自分の喜怒哀楽を
ただ、言葉に替えてもっともらしく理屈をくっつけているだけ。

という考え方・感じ方に慣れ親しんで生きています。

他人様の考え方・感じ方は、その時点で「主語」が自分では
無い訳だから、言葉は理解できても権利と義務については
どうしても判ろうとしません。

出来ません、と言った方がいいかも。

無償の権利を主張したいのに、他人の言葉は無報酬の義務を
要求して来るからです。

人間は、だから判る事しか、判らない。

いくら口で言っても無理です。 嫌な内容だからです。

それから、出来る事、というのは自信をもたらしてくれます。
自分はこの能力があり、お金を得る力がある。

引いては、会社に貢献出来る、社会に貢献できる。
いや、今まで貢献して来た。

そのような自負にも繋がります。

でも、同時に、自分はもっと評価されてもいいはずだ、
あいつはあんなに無能なのに俺と同じ給料をもらって
いるなんて許せない、あいつより俺の方が上なんだ。

というような根拠のない思い上がりでプライド高く他人を
見下したがる人も沢山います。

ご主人がどの位、そういう性格をお持ちかは判りません。
でも、どんな人にも多かれ少なかれこういう面はあります。

問題は、この気持ちがどこから来るのか、という点です。

人間は、出来るかどうか判らない事には不安を感じます。
チャレンジ精神旺盛な人なら、ドンと来いと構えていられますが
残念ながら大半の人は臆病で、出来る自信のないこと、
つまり今まで成功した経験に乏しいことには及び腰です。

だから、今まで自分がしてきたことを針小棒大に自画自賛して
自分のスキルには価値がある、そう思い込もうとします。。

それによって、不安なことに挑戦せずに、今までの「財産」に
対して「正当な評価」という果実をもらうことで、生きていくことの
安心を手に入れたいと願う訳です。

苦労して働かずに、「既にあるはずの」財産で楽に楽しく生きて
行きたい。

誰でもこういう褒められない面は持っているのですが、普通に
周囲と自分を同列に比較できる人は、余り自分を高く評価は
しませんし、嫌な事にも我慢して今日の糧を稼ぐしかない、と
諦めて重い腰をよっこらしょと持ち上げる「習慣」がついています。

でも、何かで強いストレスを受けたり、小さなストレスが蓄積されて
リフレッシュできずに滓の様に溜まって来ると、どこかで「やーめた」
という、投げてしまう瞬間がやって来ます。

それが何度か続くと、投げることが習慣化してしまい。
反比例してどんどん弱くなっていきます。
ちょっとしたことでもすぐに投げるようになってしまう。

それを強制的に体だけ動かそうと、労働の習慣化を図ると、かなりの
割合で何もかも「やーめた」にして引きこもってしまう。
人生の主電源をオフにしてしまうのです。

普通に生きていてさえ、中々人生は上手く行きません。

なのに人生の主電源をオフにしてしまえば、外的ストレスは
遮断することが出来ますが、今度は自分が人間のクズだという
自虐のストレスが蓄積して行くことになります。

色んなパターンはあるでしょうが、要は普通の人生を歩むための
思考回路や行動習慣は崩壊してしまっているので、負のスパイラルを
ひたすら堕ちていく。

その点について「本人に意思が無ければ無理」と書かせて頂いたのです。

人によっては顰蹙を買う考え方ですが、所謂、無能の人、というものは
(社会に労働資産の提供が将来的・生来的に困難・無理な者)
治療困難な病気や老衰で働けない高齢者、根治が不可能な重い障害を
持つ者同様に、引きこもってしまう人々もまた、社会保障の対象に
なっています。

崩れれば崩れるほど、やる気どころか夢も希望も無くなるし、焦燥感が
募って賭博や犯罪に手を染めるもの、酒や薬に逃げるもの、とどんどん
人格破綻者への坂を転がり落ちていきます。

どうして、こんなにキビしいことばかり書いたかと言うと、ご主人よりも
遥かに心身とも健常体であるあなたが(勿論、重い疲労感は背負って
いらっしゃるけれど)

●人間は、正論では絶対に動かん。

ということを納得していただきたいと思ったからです。

●人間は、好き嫌い・快感・不快感で行動する。

ということを納得していただきたいと思ったからです。

●人間は、判る事しか判らないし、出来る事しか出来ない、のです。

でも、こんな状態に崩れ落ちてしまった人間でも、麻薬や酒でボロボロに
なって暴力ばかり振るうような夫でさえ、死んでしまって無く妻や子がいます。

あれ程、死ねばいい、死んで欲しいと願ったのに、実際に苦しみぬいて
死んでしまうと、自分でも気づかずに涙が出ていたり、どうしようもなく
寂しかったりと、人の心は本当に不可解なしくみを持っています。

働くことが出来ない、お金が無い、それどころか他人に迷惑ばかり
かけて、憎まれ口ばかり叩いたり、優しくしてほしくて甘えてばかり
いる「どうしようもない人」も、よくよく考えてみると、こちらが期待して
いるから、それを満たしてくれないから、きつく当り説教し、相手も
不貞腐れながら心の中では自分をダメ人間と責め、喘ぐように
束の間の快楽を求める。

そんな人生のボタンの掛け違いは、結局人間が他人に対して
無償の労働、無償の努力、無償の愛を期待し、要求してしまうことから
始まる気がします。 お互いに、です。

こんなに長々と書いて、余りに内容が無いとお叱りを受けるかも
知れませんが、お金であったり、夫としての立場を全うすることなど
これまで当然とあなたが思っていたことを「この人に出来ない事ばかり
要求してたんかな?」と考えることが出来たなら、僅かづつでも
突破口が開ける可能性はあるように思います。

ご主人にとって、あなたが、あなた方が、傍にいたいと思えるような
心地良い場所であったなら、ハリネズミみたいにトゲだらけになって
出来ない要求や期待から自分を守ろうと防御せずにいられたら。

負のスパイラルの直接のトリガーになっている、自分をダメだと
言い切る習慣を止める事が出来るようになるのではないでしょうか。

大人のくせに甘えたことを言う。 それを責めずに、今までご主人なりに
努力し、認められようと頑張っても中々その願いが叶わなかったこと、
いじけそうな気持ちを奮い立たせて、もう一度、今度こそ、と頑張って
来たこと。

誰もが頑張ってるんだから当たり前、と言い切られてしまうこの世界に
どれ程多くの人々が擦り切れるまで自分に鞭打って壊れて来たことか。

それが良いとか悪いとか、誰でもそうだとか、そういう理屈は一切無しで。

ただ、頑張ってきたことを、ただ認める。
より良くなろうと上を見ていたことを知っている、そのことを伝えて上げる。
一度や二度の失敗に負けて堪るか、きっと見直させてやる、と何度も
倒れては立ち上って、を繰り返してきたことを、ちゃんと判ってるよと
伝え続けて上げること。

私自身もどうしようもないことがいくらもありました。

十二分に労ってもらった訳ではないけれど、あの頃、そしてあの頃も
自分はどうして欲しかったのか?家族にどうして欲しかったのか?

それを自問自答していくと、とてもシンプルな言葉に収れんされます。

あなたが一生懸命、あなたの心と体に鞭打って頑張ってきたことを。

あなたが一生懸命生きようと足掻いていたことを。

当たり前のことを、ちゃんと判ってるよ、と言って欲しかったんだねえ。

と、今は思い出すのです。

言葉の威力と言うものは凄いもので、たった一言の侮辱が人を悪魔に変え、
たった一言のねぎらいの言葉が長年にわたる恨みを溶かし始めたりもする。

山ほどの言葉の中で、時折放たれる、たった一言が、その人の心を閉ざし
足掻いても出られない迷路に閉じ込めてしまうこともある。

ならば、その迷宮に隠された、外の世界への扉を開く鍵もまた、言葉では
なかろうか、とも思うのです。

生きている限り、死にたいと思うことはあるし、死にたいと思うことは
生きたい、という言葉そのものでもあります。

ご主人が嬉しくて泣いてしまうような言葉だってある気がします。

辛い想いをした人ほど、こういうワン・ワードの効果は大きいものです。

ご主人に期待したり要求したりする「理性」から、ご主人を感動させ
泣かせてしまうような「感情」を与えて上げたいと願えるならば、
医者が投げたさじでも、拾うことが可能かもしれません。

感動した人間は、少しづつ、変われるものですから。
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この回答へのお礼

rasenkaidan様
何度もご回答ご意見ありがとうございます。
私は あなた様のご回答に感動してしまいました。
本当にこちらに質問させてもらってよかったと思っています。

半年以上夫からの一方的な着信拒否に困り果て、
それでもどうにか正月に一度だけ半強制的に面会?を実現させたのですが
会う前まではあれほど私は妻として反省していたにもかかわらず
夫の顔を見たとたんに 「いつも」の私になってしまったのは
一重に私が夫に依存し甘えている証拠だったのかもしれません。

私は更年期障害と共依存の症状そのものだったと後日理解しました。
「理性」と「感情」の2人の自分が同時に存在しているのです。
どちらかに徹底できたら どんなに楽でしょう。

夫と離れていると 夫の良い点ばかりが思い浮かびます。
でも 夫に会うとやはり 無意識のうちに期待して「理想論」の言葉しか出て来ない。

どれだけ夫は私に対して誠実だったか、私と子供たちが幸せだったか。
そう言えない私に 「本当に反省しているのか」と夫は聞いてきました。

そしてまた電話は着信拒否になってしまいました。
私が変わらなければ このままの状態がどちらかが死ぬまで続くでしょう。

私は彼が幸せでいてほしいです。私と一緒の状態で幸せでいてもらいたいです。
他の人が彼を幸せにしてしまうのを見たくありません。

ジキル氏とハイド氏の気分です。

意識を持って自分が変われるようにしていこうと思います。
ご意見繰り返し読ませていただきます。
いつの日か私の血と肉となりますように。

ありがとうございました。
感謝しています。

お礼日時:2014/02/01 19:26

ここに書かれた情報だけでは旦那さんの人物像がよくわからないのですが、旦那さんは自閉傾向の強い傷つきやすい人、日常生活において変化を嫌う人なのだろうと思います。

結論付けることは出来ないけれど、そうやって考えていくと、知的障害のない自閉症スペクトラム障害のある人と傾向が似ているように思えます。
(※これは人間には何らかの偏りがあり、何もかもにおいて定型である人の方が稀であるという見解からの参考意見であり、差別心から言うのではないことを先にお断りしておきます。)

実際、知的障害のない自閉症スペクトラム障害のある人は、定型発達とか健常者と呼ばれる側の人たちの感覚がよく理解できなくて、素のままの自分をさらけ出すと傷つけたり傷つけられたりが多く、悩んだ末、自分の中に別人格を作り出して他人の前では、その別人格を演じてやり過ごしている方が かなりいるそうです。
別人格を演じなければ社会に適応できないとなると、それ自体が相当に不自然なことですから、抑うつや鬱病を抱えていることも多いのだそうです。

仕事面や近隣住民に対しては、“普段は人当りよく 穏やかで 真面目な人”だし、パートナーとも交際中は良好な関係を築けていたのに、いざ結婚生活に入ると配偶者や子供とは良い関係を築くのが困難である…というのも、知的障害のない自閉症スペクトラム障害のある人やグレーゾーンの人に多い傾向であると言われています。
教養があるので、他人に対して気をすり減らすほどに気遣いして良好な関係を保てるけれど、そこでもうへとへとなので、家庭生活においては、身内の前でまで気遣いを発揮する余力はなく、身内からは身勝手な冷たい人に見えてしまうのです。


ご質問者と旦那さんをよく知らないものが言うのですから、憶測になりますが(私は、普段の生活をつぶさに見たり対面することが不可能なネット相談では、憶測しかできないと思っています)、旦那さんは、ご質問者は社会的スキルが高くて生活力のある人であり、娘たちのことも飢えさせることなく社会人として育て上げることができる人だと、その点で自分よりも能力のある人として見ていると思います。

しかし、それを言ったところで責任逃れと言われても返す言葉がないし、旦那さんは自分の世話で手一杯だというのが現状なのでしょう。
離婚に応じないというのも、ご質問者と結婚生活をやり直す自信が今は全くなく見通しも立たず、けれども、あなたのことを命綱のように考えていて、その綱から手を放すことも出来ずにいるんだと思います。

夫と妻と性別が逆転していたのなら、旦那さんはまだ あなたに対して引け目を感じずに済んだけれど、そこは男としてのプライドがあるので、何もかもを洗いざらい話す気にはなれないのだと思います。…旦那さんからはあなたは強い女性で、自分では認めたくないけれど弱い男だと、そう感じているのではないかと。

だから旦那さんは、ご質問者が詰め寄ると逃げてしまうし、かと言って(あなたという命綱を手放してしまうと)社会的に完全に孤立してしまうのではないかという恐怖心がある為、現状維持をしたがっているんだと思います。
言葉がきつくて申し訳ないですけれど、ご質問者に対して愛情を持っているという自信は旦那さんにはないのかもしれませんが、愛着は残っていると思います。
頼りにしているけれど頼られたくはない、そういう身勝手な気持ちがあるし、それを口にすれば傲慢だということを理解しているから、旦那さんはあなたから逃げているのではないでしょうか。

ご質問者が残りの余生を別のパートナーと暮らしたいと、この人とならというパートナーが現実に現れたのなら、もしくは、旦那さんにそんな女性が現れたのなら、旦那さんは離婚に応じるかもしれません。でも、そうはならない限り、旦那さんは現状維持に固執すると思います。

そんな旦那さんでも、あなたには必要であり許せると思えるのなら、旦那さんからは出来る限り金銭的な援助を引き出したいけれど(旦那さんが現状維持に固執するなら、例え僅かであっても旦那さんは可能な限り協力すべきだと思いますし、それが出来ないうちは旦那さんの自尊感情も回復しないものと思います)、無理にコントロールしようと威圧的にならずに理解しようと努めるのなら、とてもゆっくりなペースになると思いますが、旦那さんも変わろう、歩み寄ろうとしてくれる可能性があると思います。


>もしわずかでも 再構築するのに有効な方法があるとすれば
どういうものでしょうか?

旦那さんの主治医と連絡が可能であれば、直接アドバイスしていただくのが一番良いと思います。

それと、話を蒸し返すようで申し訳ありません。
旦那さんがそうであると決めてかかっているのではありませんが、アスペルガーや広汎性発達障害など、大人向けの自閉症スペクトラム障害など発達障害について書かれた本を数冊手に取って読んでみては如何でしょうか。
表現上、障害の文字があるために差別的だとか大袈裟だと感じてしまうと思いますが、社会生活においてコミュニケーションをとる上での基本となる話や応用の利く話、発想の転換のヒントとなる話がたくさん載っていますので、読んで無駄になるということはないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
オリジナルの質問から逸れた内容になってしまったのに
アドバイス本当にありがたいです。

今は学習障害LDに始まりあらゆる知的障害が 人間に存在していることが発表されています。
50年前にはそういう性格だと思われるだけで 障害という認識はなかったかと思います。

でもそのお陰で対処方法がわかるので その点では素晴らしいことだと思っているので
発達障害に関する本をぜひ読んでみたいと思っています。

今回の件では 私自身も完璧な人間ではないのもわかっているのですが
白黒はっきりの私の性格は 長期間の結婚生活の間 特に夫が鬱になった後は
子供対する責任感で生きてきました。そして子供の後は実母の問題。
夫にしたら 夫婦でいる意味がわからなくなってしまったのだと思います。

それが今の結果になっています。
po-ria1様が想像している夫の気持ちは かなり当っていると思いました。

「無理にコントロールしようと威圧的にならずに理解しようと努めるのなら、とてもゆっくりなペースになると思いますが、旦那さんも変わろう、歩み寄ろうとしてくれる可能性があると思います。」

私がほしかったのはpo-ria1様が書いてくれたような可能性です。

私は今更年期障害を実感しています。気持ちが離婚と修復との間を行ったりきたりしています。
ただ夫の態度が拒否なので どうしたら修復に希望が持てるのか
暗闇の中にいました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/01 04:10

とても掲示板や人生相談サイトなどで、やりとりして責任ある・確認を持ったお返事を出せるものではないと思います。


 
ただ、何となく、もしもこの先、次のようなことが起きたら、どうなさるのか、質問者さんやお嬢様はどう感じ、対処されるのかが気になりました。
 ~~~  ~~~
ご主人が健康を損ねるとか、経済状態が悪くなるとかの事態になった。
そしてこれまでとは態度が変わり、夫面、父親面で、支援を求めてきたら、、、、、
 
現在の状況がわかりませんが、質問者さんも生活は楽ではないでしょう。お嬢様も、この先の社会情勢、景気を考えるとゆとりあるとは断言出来ないでしょう。 経済的に大変な状態で、精神的ストレスが溜まるようなことがあると、身体のバランスや健康面にも影響が出ることがあります。更年期障害が軽くて済めばいいですが、色々大変なことがこの先にはないのだという確信はできません。 そのとき、万一、悪い予想に進んだ中で、ご主人から身勝手な要求がでて来たとき、2014年に言い出したこと、やったことが裏目だったという危険もないとはいえない。
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前のお二人の回答者の三件の回答は、その通りだろうと、私は思いました。



で、再度、最初の質問文だけを読み直してみました。
 
10年間以上ご苦労され、子育ても一応手が掛からなくなった状態まで、別居はあったにしても、大きな破綻がなくて来れたのは、とてもよかったと私には思えます。
質問者さんやお子様に大きな精神的トラブルがなかったのが幸いでした。

これなら、今までのようにある程度の配慮はして生きていくというのが、一番良いように思います。
「もしわずかでも 再構築するのに有効な方法があるとすれば、、、」といまお考えになるのもわからない訳ではないですが、これまでとやり方を変えて深入りしていくことが、ご主人に良いことか、質問者さんに良いことかはかなり疑問です。
人と人の関係は絡み合いを増やせばいいというものとは限らないと思います。
これまでの生き方で相応に安定した状態なら、そのままでいくのも、ご主人のためにいいという考えもあります。
無理矢理、今後の展望や希望を意志的に考えて、その出た結論で方向付けをすると、大きな間違いを犯すことになる危険もあると思います。
気遣いは気遣いとして大切にするにしても、実際の日常のやり方は、今までと大きく変えないのが良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
以前 人生相談のカテで現状の質問をしたところ 想定どおり
離婚したほうが良いという回答ばかりで 打開策のようなものが
得られませんでした。
私の気持ちが日々変化し、更年期障害もあると確信していて
心療内科に行って見たりしていました。

成長した娘たちは夫と 必要があれば会話をしますが、
それは私が間に入るからであり、私がいなければ 自発的には接点を持とうとはしません。
パパは自分のことだけで 私たちのことは何も考えてくれていないから。というのが理由です。

独立した人間の言葉として捕らえることはできますが
家族や親子として 少し寂しく思います。
日頃のなんでもない会話が 人生を豊かにしてくれると
私が思っているからかもしれませんが。

また妻としては 別居の原因となった不満の爆発について
夫が反論も話し合いにも応ぜず 夫が一方的に殻にこもってしまったことで
夫が何をしているのか何を考えているのかも 全く見当がつきません。

爆発させた時にこうなる予感もあったのですが、
夫が私の気持ちを理解できなくても 私が夫の意見をはっきり聞いておきたいと
思ったからでしたが無駄でした。最悪の結果に終わりました。

その結果 同居もしていない、家計も別、貞操の義務(実は夫はソープ大好き)という点で
離婚の条件は揃ったのです。

家裁での話し合いということも考えましたが 私から管轄地が遠いのと
夫が出てくるとは思えないし、夫はある意味今の状態で満足して気配があります。
結婚しているステータス、お金も時間も自由。とりあえず働ける健康がある。

結局は私次第なので 困っています。
家族の問題を抱えているので すぐ同居するには条件付きになるし
大学生の娘の仕送りは今までも全額私の負担でしたが
あと2年続きます。

大きな変化を望んでも無理なことだらけなのは十分わかっています。
私が望んでいるのは 電話をかけたら 出てもらえる、メールを送ったら
返信メールが来るという最低のコミュニケーションが取れる夫婦関係を維持できれば
私の気持ちは落ち着くのですが。。。それも無理。

最初に書いたように 夫の家族と 私も絶縁関係にあります。
ということは 娘たちも夫の側の親戚と交流はありません。

結局 心療内科の先生の判断は正しく 時間が解決してくれる悩みのようです。

お礼日時:2014/01/30 03:33

お礼ありがとうございます。



追加です。

>心療内科に関してについてなのですが、私の経験上 話を3分聞いて
処方箋を書いてくれる先生ばかり~
さらにそれを乗り越えろといわんばかり~

それが普通の医療での対処法です。

実は心の問題はご存知かもしれませんが環境が大きく影響します。

現状、其の環境を変える事が難しい場合は、その事態を乗り切るまで、症状を薬で抑える様にするのが一番無難な方法なのです。

勿論、理想は環境を変える事が出来れば、一番なのですが。

例えてみれば、「嵐の真っ最中の海原で、嵐が去るのを待つしかない」状態とでも言いましょうか。


実際は嵐ではないかも知れませんが、その環境を患者自身が変更する事が難しい場合は、嵐が過ぎるまで亀になるしか無いと言う訳です。

環境のほうを患者に合わせれば、一番患者に負担無く治療出来るでしょうが、職場や家庭に医者が口を出す権限は有りませんし、患者の人生を背負う事も出来ません。

ですので「耐える」のが真っ当なアドバイスで、其の為の薬の処方なのです。

消極的では有りますが、私は一番「責任」を理解した治療法だと思います。

勿論、医者が優れているからでは無く、それしか法的に対処が出来ないのと、マニュアル化されているだけで、親身になって聞いてくれてる訳ではないですが・・・


よくあるセミナー系では人の家庭内部にまで手を伸ばす集団が散見されます。

しかも最終的には責任等は取らず、食い散らかして終わりです。

「貴方の努力が足りなかったのよ、もう少しだったのに・・・」等と言う事もあります。

現環境(人生ですよね)を他者に委ねるのは、危険極まりないと私は考えます。


其の件の方は、孤独を楽しめる方かもしれません。

関係を切り続けるのは問題かもしれませんが、逆に問題が有る関係だから切っているのかもしれません。

仮に自身でその生き方を選んで生きているのであれば、其の形が却ってストレスを少なくし、楽になっているのかも。

良いとは言えないかもしれませんが、それで社会適応を上げているのであれば、次善の策ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

こちらこそ ありがとうございます。
心療内科については 腑に落ちた点があります。
私の問題点に関して 一ヶ月は何もするな、待て、と
言う指示がありました。なぜ一ヶ月?と思いましたが、
明確な返事はもらえませんでした。

要するに一ヶ月くらいで 薬に なれてくるので 患者周辺の
迷惑がかかっているだろう人たちの配慮がされたわけですね。
そして 気が変わる?時間が解決してくれる?
ようなあいまいな解決方法が選択されているわけです。

実は 同時期カウンセリングも行っていました。
カウンセリングの方が 自分で解決策を模索するきっかけが作られて
良かったと思います。

ただ問題は カウンセリングは保険がきかないので
何度も通えないということです。

また孤独を楽しむという点においては 私自身が孤独に強くないので
理解しにくいのですが、それで彼が社会適応をあげているとは
思えません。どちらかといえば 自分の実家家族の考え方に迎合できず
家族運がないことを残念がっているように見えます。

お礼日時:2014/01/29 20:28

ベイランスと言うのは全く聞いた事が無い単語だったので、ググって見ました・・・が、確実な意味が判りませんでした。



出てくるのはある特定の方の発言の中と、トンデモ本の説明文だけでした。

ついでに言うと、他人の思考・意識が移行してくる等と言う内容の研究で、信憑性の高い信頼のおける実験やデータは何処にも見当たりません。

と言うか、それってテレパシー?

中々、色んな説があるものです。



で、本題の人間関係の再構築に有効な方法と言う事ですが、少なくとも本人がその気にならなければいけないのが前提です。

そして一番いいのは心療内科の受診でしょう。

少なくともトンデモ学説に沿って行動をした場合、その集団にとっての理想の人間に成長する事は出来ても、社会的には不適応者になる確率が高いです。


そもそも人間関係が苦手だから、上手く築けない→上手くいかないから嫌いになる→嫌いだから失敗をした場合にそれを再構築するより、放棄した方が心に負担が掛からない→人間関係のスキルが上がらない→人間関係に於いて成長しないから苦手のまま

という悪循環になっているのです。


しかし、苦手で嫌いなのが(仮に)前提であれば、無理に努力をする必要は無いと私は思いますがね。

勿論、程度問題ですので、社会生活が問題無く送れるレベルであればという注釈付ですが・・・


人間関係と言うのは一つの治療法やテキストで大きく変えられる物ではないです。

本気で再構築しようなんて思ったら、人生脚本(生き方の姿勢・考え方のパターンの事で、予め脚本を書いているように見える事から交流分析で使われる言葉です)から書き換え(上書き、別の言い方で洗脳)する事になるので、大変です。

交流分析を行う団体・セミナーも沢山ありますが、中に入ってしまうと(入り口で止まれば平気ですが)結局其の中にドップリ漬かった挙句、最終的には放棄・破棄する人間が殆どです。

元々人間関係が強いストレスを生むタイプの方なのですから、人間関係の中で治そうとすると、躓いた時に其れまで上手く行っていた分、反動で挫折感・喪失感は堪らなく大きいです。

ヘタな行動療法や生兵法は怪我の元です。

ちゃんとした専門家の指導の下で行いましょう。



以上の事から一番いいのは、心療内科の受診で、其処まででなければ、今よりほんの少し人間を好きになり、自分を認めようと『決める』事(此処大事)です。

大切なのは人間関系が苦手な自分を好きになる事です。

原因はどうであれ、嫌いで苦手であるとすれば、それは嫌いで苦手なのです。

それが自分なのですから、そういう風に生まれたのも育てたのも全て自分であるのは間違いが無いのです。

それはそういう生き方が好きだから、そうして生きてきたんです。

それでいいじゃないですか。



と言うアドバイスを出す位でしょうか?

この回答への補足

ご意見ありがとうございました。
まず心療内科に関してについてなのですが、私の経験上 話を3分聞いて
処方箋を書いてくれる先生ばかりで びっくりしています。
それで その薬を飲むと可能性として 眠くなるかもしれない、気分が悪くなるかも知れないと
言われ さらにそれを乗り越えろといわんばかりの説明を受けました。
精神を病むというのは 本当に大変なことだと実感したばかりです。

本人は良い人間関係を作りたいような気がするのですが、人望がないのでしょうか。
かと言って 本人が苦しんでいるわけではなさそうです。
ただ私が 近くでその様子を見ることになってしまったので
私の価値観では 彼がもう少し家族や友人と分かち合う時間がたくさん有ったほうが
楽しいのではないかと余計なおせっかいをやきたくなってしまったのです。

どんなことでもそうですが 最後は本人のやる気次第なんですね。
ありがとうございました。

補足日時:2014/01/28 20:07
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この回答へのお礼

ベイランスについて調べていただいてありがとうございました。
私もグーグルで検索してみて適当な結果がえら得なかったので
かなり専門用語かと思ってしまい、こちらに投稿した次第です。
(でも専門用語だからグーグルに出てくるんですよね。)
また何かありましたらよろしくお願いします。

お礼日時:2014/01/29 03:01

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