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この前幕末ドラマを見て脱藩というのを見ましたが、脱藩とはなんですか?
藩というのは、あくまで通称や今の世界で言ってる呼称ですよね。
てことは、たとえば薩摩藩を脱藩というと島津家に離縁状みたいなのを提出するということですか? それとも藩外に出て命令をいっさい聞かないとか?

あと、脱藩した主な志士をおしえてください。

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A 回答 (10件)

一言で言えば、「藩を抜けること」です。


主な志士は、坂本竜馬や芹沢鴨など幕末にいた有名な浪士は、かなりいます。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799 …
ここに幕末の志士がのっています。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799 …
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脱藩は幕末を象徴する行動だと思います。


藩というのは治外法権であり、藩内の統制については幕府でさえも口出し出来ませんでした。司馬遼太郎さんは、江戸幕府は最大の大名であったという言い方をされています。(完全な中央集権政権でないという意味です)また、例えば薩摩飛という言葉があり、脚薩摩藩(現在の鹿児島県)に他藩の者が入ると帰ってこれないと言われていたそうです。 要するに、藩というのは武士にとって一国に等しいような状況だったのだと思います。 ですので、そこを無断で脱藩した者の親族は、過酷な取調べを受けたり、閉門蟄居したりしています。(国家を捨てるという点で、現代の密航に近いかもしれません)
他の方も挙げてますが、脱藩浪人で最も有名なのは
坂本竜馬です。また、彼の郷里の土佐藩(現在の高知県)は多くの浪人を生んでいます。事情は長くなるので割愛します。他に有名なところですと紀州徳川家脱藩の陸奥陽之助(後の外務大臣、陸奥宗光)や白河藩
浪人(と名乗っています)沖田総司(新選組一番隊長)あたりでしょうか。
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>>脱藩とはなんですか?



現在で言えば ”密出国 ”

>>藩というのは、あくまで通称や今の世界で言ってる呼称ですよね。
離縁状みたいなのを提出するということですか? それとも藩外に出て命令をいっさい聞かないとか?

◎藩は徳川幕府から認められた土地の領域を大名が所有する領地として各藩で政治を行っていました
これを領国と称し政治を藩政と表現していました

日本がひとつの国となったのは正式には明治維新からでそれまでは徳川幕府(政府ではない)が各大名を武力(現在の軍事力)によって統率をしていたのです
徳川幕府は大名を取り締まる”武家諸法度”を制定していましたが各領国の政治は大名がそれぞれ行っていました
従って通称などではなく薩摩藩は薩摩の国であり長州藩は長門の国という意味です
徳川幕府が国を藩と呼ばせました(幕藩制度といいます)が大名にとっては領土であり自分の国でした

家臣(大名家の家来)である武士は通常は家系を存続し子孫を増やすと共に何らかの任務を持ち命令があれば戦うことが任務でした
封建制度の時代は”主君に忠義、親に孝行”を行うことを最も大事な人の道と考えられていましたから脱藩はこの二つを同時に捨てることであり重大な違反事項でした
但し罰則は先に記したように藩によって規律の度合いが違うことや、そのときの状況に依って死罪から放任まで様々でした

>>あと、脱藩した主な志士をおしえてください

先の回答に出ていた坂本竜馬のほかにも竜馬が作った海援隊のメンバーや新撰組、天誅組にも脱藩者が参加しています
それぞれの書籍を読まれて氏名だけでなくどう活動したかを知ることのほうが意義があると思います
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脱藩とは「仕えるべき主君を見限った」という行為であるため、武士の重罪であり、通常は家族にまで累が及ぶほどです。


たとえば坂本竜馬の姉(栄)は、脱藩すると知っていて彼に刀を与えたと言うので罰を受けたのではなかったかな・・・。
しかし長州のように寛大と言うか甘い藩もあり、吉田松陰の脱藩は「罰を与えましたよ、と幕府に見せかける」程度の罰でしたし、高杉晋作なんて好き勝手に藩に出入りしてたような状態でした。

離縁状などは出しません。黙っていなくなるのです。もちろん追っ手に討たれる場合もあります。

脱藩した人、というと、いわゆる「勤皇の志士」の大半はそうではないでしょうか。
藩は(長州ですら)ギリギリ最後まで幕藩体制側でしたから、藩組織に普通に所属していては志士の活動などできなかったでしょう。
風雲の中心地は京でしたが、藩のお役目(仕事)がそんなところで都合よくあるわけはなくて、普通は地元で務めなきゃならないし、京に行き、やりたいことをやりたければ脱藩するしかなかったのでは?
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封建社会は現代とは全く仕組の違う社会です。

現代社会においては、人間はそれ自身として尊重されますが、封建社会では、人間は何らかの組織に所属しない限り存在しないも同然です。権利もなければ法の保護もありません。

脱藩は、武士がその所属する藩を勝手に離脱する行為です。藩主の許可を得て藩籍を離脱する場合は、「以後、構えなし」という一種の藩籍離脱許可証を得られますが、勝手に離脱しているだけなので藩主の支配権が消滅するわけではありません。よって他藩に仕官することは不可能、いわば生涯野良武士というわけです。野垂れ死にを覚悟しなければならない境遇です。
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脱藩と言えば、まず坂本竜馬ではないでしょうか。



武士自体はサラリーマンではあるのですが、主君と契約関係にあるわけではありません。あくまでも主従関係です。したがって脱藩とは、今で言う「亡命」にあたります。

家族・親類縁者全てに迷惑がかかるので、決死の覚悟がないとできません。したがって、離縁状を提出するなどということはもちろんなく、藩外に出るという行為によって「脱藩」と見なされるということになります。
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#3です。


下の回答、主に対して従は絶対→従に対して主は絶対
     父に対して子は絶対→子に対して父は絶対

です。ご迷惑お掛けしました。。。
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江戸時代、士族階級にとって「主従関係」というのは最も重要なもののひとつでした。



武士の世界では儒教が重んじられていましたが、主に対して従は絶対、父に対して子は絶対というような考えがあります(例えば敵討ちに見られるような「不倶戴天」もそうです)。

勝手に藩を抜け出す行為を「脱藩」といいますが、自分が仕えている主君を捨てて勝手にどこかへ去ることは、ある意味「裏切り行為」と等しいことです。勝手に藩を出るのですから、もちろん離縁状などは出しません(離縁状のようなものが認められる場合、脱藩ではない)。

そんな「裏切り行為」は武士として恥ずべき行為ですから、当然犯罪者のように扱われます。藩の秘密を持って逃亡することだってありえるわけですし…。もちろん連座制(連帯責任)といって身内なんかが罰せられることもありました。

そのようなリスクを負ってまで脱藩をする人はそうはいません。「国を憂えて」や「父の敵を探すため」ぐらいのものです。このような場合には大義名分があるため武士道にかなったものとして刑が軽くなったり容認されることが多かったようです(例:幕末志士)。

脱藩した主な志士としては坂本竜馬とか有名ですね。
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http://plaza.across.or.jp/~tom-hori/dappannnokok …

趣旨が合わないかもしれませんが、参考にして下さい。

当時の藩とは今の国家ぐらいだと思って構わないと思います。
そこを抜けるわけですから、これは犯罪にも等しいこととして扱われます。

参考URL:http://plaza.across.or.jp/~tom-hori/dappannnokok …
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藩は、会社みたいな物です。


入れば給料がもらえるのです。
やめれば、給料がもらえなくなる。
浪人とは、失業者みたいなものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
それではやめる意味はなんでしょう? 会社みたいに自由に主君を変えることなんてできますか?

お礼日時:2004/05/01 17:49

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Q江戸時代、脱藩するとどのような罪になりましたか?

映画「雨あがる」の主人公の浪人は、
若い頃勘定方という仕事がいやで、夜逃げ同然に脱藩したそうです。
これはかなりの罪になると思うのですが、実際にはどのような処分が下るのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

つかまれば入牢、身分剥奪、家は取り潰しで、切腹させられたりすることもありますが、藩や藩主への悪事をして逃げたと言うのでもない限り、他藩や幕府領へいるかぎり追っ手がかかってつかまるということはありませんでした。(追っ手も他領では領主の許可がなければ勝手に捕まえられません。)

Qなぜ脱藩する?

幕末の志士によく、○○藩を脱藩し各地を流浪、とありますが脱藩の罪は死刑がたいがいでは?
脱藩しなくても各地へは行けたのでは?彼らはなぜそのようなリスクをおかしてまで脱藩をしたのでしょう?

Aベストアンサー

>脱藩しなくても各地へは行けたのでは?
>彼らはなぜそのようなリスクをおかしてまで
>脱藩をしたのでしょう?

藩士が藩外に行くには、藩の許可が必要でした。
「竜馬がゆく」を読むとよくわかりますが、
「剣術修行」とか「(江戸で)学問を学ぶ」という
理由で藩庁に申請をしています。

それらの名目で藩外活動ができる場合は、彼らは
脱藩していません。

例えば長州藩の場合、勤王派が政権を握っている
時が多かったので、藩士の活動は野放しに近い
ものがありました。脱藩したのは高杉晋作くらい
でしょうか。
(その彼もわざわざ自藩に戻って、牢獄入りしたり
 しています。天才のすることはようわからん。)

しかし、藩内の政治的理由で自藩内にいられなく
なった場合、または政治活動のため藩外活動を
したいのだが許可を取れそうな名目が無い場合に
藩士が脱藩したと考えられます。

典型的なのは土佐藩ですね。
下の方が述べているように、上士と下士の対立構造
があり、勤王思想をもったのは下士の方でした。
政治の実権を握っている上士が下士の言い分など
聞くはずもないから、吉村虎太郎のように勤王の
ために脱藩したり、武市半平太のように藩内の
実権掌握のため政変を画策し、最後には獄死するなど
悲惨な運命をたどります。

そんな中で、超然と己の道を貫いた坂本龍馬は
いささか例外的な存在ですが、土佐藩にいる限り
彼が世に出る芽がないので、脱藩して新天地に
旅立ったわけです。

>脱藩しなくても各地へは行けたのでは?
>彼らはなぜそのようなリスクをおかしてまで
>脱藩をしたのでしょう?

藩士が藩外に行くには、藩の許可が必要でした。
「竜馬がゆく」を読むとよくわかりますが、
「剣術修行」とか「(江戸で)学問を学ぶ」という
理由で藩庁に申請をしています。

それらの名目で藩外活動ができる場合は、彼らは
脱藩していません。

例えば長州藩の場合、勤王派が政権を握っている
時が多かったので、藩士の活動は野放しに近い
ものがありました。脱藩したのは高杉晋...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

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風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q坂本龍馬について。簡単に教えてください。

歴史がとっても苦手です。坂本龍馬がどんな人物で何をしたのか、小さな子ども(小学生前)に説明しなければならないのですが、説明できません。

小さな子どもにも分かるようにするには、どう話せば良いでしょうか?

子どもに説明するつもりで、私にも教えてください。
m(_ _)m

Aベストアンサー

http://www.bakusin.com/sakamoto.html
↑ご参考(坂本龍馬の基礎知識)

坂本龍馬は、土佐(高知県)の郷士(下級武士)に生まれ、子供の頃は差別されたりイジメられたりで泣き虫でした。
そんな泣き虫を見かねた姉は、龍馬を鍛えるために剣術を習わせました。
学問(勉強)が苦手だった龍馬も剣術では才能を発揮しました。
そして、本格的に剣術を習うために江戸(東京)の千葉道場で剣術の腕を磨きました。
江戸で、勝海舟と知り合って開国や海軍の必要性を知りました。
その後、大阪や長崎などで活動中に薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の桂小五郎らと知り合いました。
薩摩藩と長州藩は仲が悪かったですが、龍馬が仲介して西郷隆盛と桂小五郎らを仲良くさせました。
このような活動が幕府側の反感をかい、京都の近江屋で京都見廻り組によって暗殺されました。
龍馬33歳の時でした。

まぁ、小さな子供さんに坂本龍馬を簡単に説明するなら、この程度で良いと思います。
特に、イジメられたり泣き虫だった龍馬が立派な大人に成長したことを教えて欲しいですね。

http://www.bakusin.com/sakamoto.html
↑ご参考(坂本龍馬の基礎知識)

坂本龍馬は、土佐(高知県)の郷士(下級武士)に生まれ、子供の頃は差別されたりイジメられたりで泣き虫でした。
そんな泣き虫を見かねた姉は、龍馬を鍛えるために剣術を習わせました。
学問(勉強)が苦手だった龍馬も剣術では才能を発揮しました。
そして、本格的に剣術を習うために江戸(東京)の千葉道場で剣術の腕を磨きました。
江戸で、勝海舟と知り合って開国や海軍の必要性を知りました。
その後、大阪や長崎などで活動中に薩摩藩の...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q挨拶しない人の心理とそういう人への対応法

こちらから挨拶や会釈をしても全く返してこない人がいます。
子供同士がかなり仲良しで、その母親ですが。

あまり気にしないように、この人視力が悪いんだと思うようにしたり、目を合わせないようにしたりしていますが、不快です。
行事のたびにその人を嫌でも見てしまいます。

挨拶も会釈もしないのはー面倒くさい、変に警戒している、ライバル視しているーどういう心理からくるものでしょうか?
対応法として、
(1)どうせ挨拶しないのだから、こちらも無視
(2)相手が無視しようと何だろうと簡単な会釈程度はしておく
(3)わざとデカイ声で明るく挨拶する
(4)もしかして視力悪いんですか?と聞いてみる

皆さんならどの対応がベストだと思いますか?
今まで(2)で対応してましたが、毎回不快感が残るので、次か(3)か(4)を試したいのですが。

Aベストアンサー

色んな人と出会う上で、たまにこういう人に遭遇しますね。
気にしないでおこうと思っても、正直ムカツキますよね^^;

関根勤さんの著書「バカポジティブ」の中に
こんなことが書いてあります。
関根さんのお父さんの部屋には
【あいさつひとつできない人間が、他に何ができるんだ】と
書いて貼ってあったそうです。
全くその通りだと思いました。

他にもこんなことが書いていました。
私は存じ上げない方だったのですが、
コメディアンのトニー谷さんという方が
誰にも挨拶をしなかったそうです。

亡くなる間際に「自分がバカだった。勘違いしていたことに
今頃気づいても遅い・・・」と言ったそうです。

挨拶はやはり大切なことです。
そのお母さんも自分のため、子供のために
そうことに気づいてほしいですね。

私も挨拶しない人の心理は気になりますねー。
対処法としては、
無視したい気持ちもありますが、(2)ですね。

でも、私は1回だけ挨拶しない人に(3)をしたことがあります^^;
後で、ムキになった自分がにアホらしくなりました。

不愉快な気持ちはものすごくわかりますが、
その人に会っていない間は、存在すら忘れ
考えるのをやめて、顔を合わせたら
「あ、この人いたいた。」と思い出して
「こんにちはー」って軽く挨拶する。
で、また忘れる^^;

これでいくしかないのでしょうか☆

色んな人と出会う上で、たまにこういう人に遭遇しますね。
気にしないでおこうと思っても、正直ムカツキますよね^^;

関根勤さんの著書「バカポジティブ」の中に
こんなことが書いてあります。
関根さんのお父さんの部屋には
【あいさつひとつできない人間が、他に何ができるんだ】と
書いて貼ってあったそうです。
全くその通りだと思いました。

他にもこんなことが書いていました。
私は存じ上げない方だったのですが、
コメディアンのトニー谷さんという方が
誰にも挨拶をしなかったそうです...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q幕末の武士たちの食事はどんな感じでしょうか。

幕末の武士たちの食事はどんな感じでしょうか。
良く魚の焼き物、味噌汁、鍋、白ご飯を食べてますね。
塩はあるでしょうが醤油もあったのでしょうか?
あまり肉をがっついてるシーンは見ませんが肉は食べていたのでしょうか?
鳥や猪は食べるでしょうが、牛は明治に入ってからでしたっけ?豚は食べてたのでしょうか?
時代劇で、移動式屋台のうどん屋がよく出てきますが、醤油出しでしょうか?
うどんのみで具はなかったんでしょうかね?
食事が良く分かるHPなどあれば教えてください。

Aベストアンサー

漫談です。

江戸三白といいまして、米、大根、豆腐がまず江戸人の食べ物代表です。それに鯛と白魚をたして、五白ということもあります。

これらの料理法を江戸の人は究めまして、当時から「豆腐百珍」というレシピ本がベストセラーになります。この「百珍」は、蒟蒻、鯛などの亜流がでるほど売れました。また、「料理物語」というレシピ本もあります。

牛は農耕のための財産であり、食用ではありません。イノシシは「山鯨」という隠語ができ、クスリと称して売っていたくらいなので、実はみな好きでした。

夜泣きの移動屋台のソバがまずあります。かけ、という言葉はどんぶりに入れたソバにダシを「ぶっかけた」が語源です。本来は店では蕎麦つゆにつけて食べるものでした。タネは、以外ですがテンプラが一番古いタネです。ネギと桜海老ていどの安価なものです。なぜなら、ソバにあげておいた(当然冷たい)かき揚げを乗せてダシをはると、ダシが少なくてすみ、またソバが冷めにくくなるからです。揚げ玉だけのたぬきは、テンプラの「たね(具)」を「ぬき」にして、「たねぬき」が語源です。スパイスとして七味唐がらしがありますが、江戸人は「七色(なないろ)」といいます。いまでも、東京に長く住んでいるひとや下町では七色といいます。
脚気のお話がありましたが、脚気はビタミンB の不足から来るのですが、白米オンリーのゼイタクは珍しかったので(大概は麦をまぜる)、江戸期には大流行していません。精米技術が進んだ明治期に流行しはじめ、陸軍がこの対策に困ります。なぜなら、兵は白米食べていたからです。日露戦争では脚気に25万が罹患し死亡した兵士が2万以上と非常に多く、ロシア側は「日本側に伝染病の兆候あり」とその様子をつかんでいます。
一方の海軍は当初パン食でしたが不評で麦飯にしたのですが、ビタミンBが結果的にとれたので脚気がおきませんでした。

当然、日露戦争前に陸海軍とも脚気について対策を取ったのですが、海軍は「今の食事で起きていていないのだから、麦飯」と英国で医学を収めた高木兼寛が主導し、惨事になりませんでした。英国では例として、海軍兵士にレモン・ジュースのませれば、理由はわからないが壊血病にならない、という、結果オーライな軍事医学の方向性があったからです。高木は日露戦争後、脚気を防いだ功績がみとめられ、男爵を授かっています。

が、陸軍はドイツで当時最先端の細菌学をまなんだ森麟太郎(森鴎外)が軍医トップにおり、「脚気も細菌が原因」と(今日の目で見れば)まちがった方に対策リソースがふられてしまったので、大惨事となったわけです。

脱線しましたが、ネタとしてお納めください(;^_^A
杉浦日向子氏の著作に、江戸の食について楽しく詳しく書かれたものが多いです。下のURLもみてください。楽しいですよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96

漫談です。

江戸三白といいまして、米、大根、豆腐がまず江戸人の食べ物代表です。それに鯛と白魚をたして、五白ということもあります。

これらの料理法を江戸の人は究めまして、当時から「豆腐百珍」というレシピ本がベストセラーになります。この「百珍」は、蒟蒻、鯛などの亜流がでるほど売れました。また、「料理物語」というレシピ本もあります。

牛は農耕のための財産であり、食用ではありません。イノシシは「山鯨」という隠語ができ、クスリと称して売っていたくらいなので、実はみな好きでした。

夜...続きを読む


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