
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
「おお、いわれてみりゃそうだな」と思ってちょっと考えてみました。
つまるところ、「周囲が全部海」と「一部が海」の違いなのではないかなと思います。
日本の場合は周囲がすべて海です。ということは、海軍力がないと日本には攻めてこれませんし、日本側としては制海権さえ握っていれば国土は守れるわけです。
一方、朝鮮半島は中国とも地続きで繋がってはいますから、ある程度の陸軍力がないと国が守れません。極論すれば、海軍力は皆無でも陸軍力さえあれば国は守れるとなります。そうなれば、自ずと陸軍中心の国防思想になると思います。また、なんだかんだで日本から攻めてくるのは数百年にいっぺんですから、そう滅多にあることでもないので海軍力強化の関心は薄かったと思います。
日本側とすれば、攻めるにしても守るにしても海軍が必要なので、逆にいえば海軍を整備すればいつでも攻めることができるので、そういう意味で主導権を握っているといえるでしょうね。
朝鮮半島にしても中国にしても、陸軍が中心ですから海軍、特に外洋に出るほどの海軍力を持つ意味がないというのはあったと思います。
元寇が渡洋攻撃だったので失敗したというのは間違いないと思います。元軍はご存じのとおり騎兵が決戦戦力だったのですが、馬って実はすごく船に弱い生き物なのです。日中戦争当時も日本から軍馬を船で運ぶと馬の体調がえらく悪くなって苦労したそうです。元軍も、狭くて不衛生な船に馬が押し込められて、不衛生さも相まって病死する馬が続出して大変だったそうですよ。
日本側からの攻撃の成功率が高いのは、海軍力を持てばいってみりゃどこからでも攻撃ができますからね。朝鮮半島が相手なら、釜山でもいいし仁川でも攻撃できます。朝鮮軍も海軍力を持っていれば九州だろうが北陸だろうが攻撃自由ですが、朝鮮は日本と違って海軍さえあれば国が守れるというわけでもないので、そこまでの海軍力を持つ必要性を感じなかったのでしょうね。
中国は、実は船舶の技術は持ってるんですよ。明時代に鄭和さんという人が大艦隊を率いてアフリカまで何度も航海に出ています。一説には、喜望峰を回って南大西洋を渡り南米大陸に着いたのではないか?といわれています。ルネサンスの三大発明とされる羅針盤だって元々は中国が発祥ですからね。
だけど、なぜだか、どういうわけか中国人は海の向こうに無関心なのです。鄭和さんの功績は彼が死ぬと不思議なほどに中国でも忘れられていますし、南米大陸に渡ったことについても、もしはっきりすれば世界史が書き換わるのですが、中国でも記録が失われているだけではなく、現代の中国人研究者もどうも鄭和さんに無関心な人が多いようです。
中国史上最大の海軍を持ったのは清朝ですが、定遠、鎮遠という大戦艦を持ちながら日清戦争の黄海海戦で日本海軍に敗れています。海が嫌いっぽいんですよね、中国人て。
No.11
- 回答日時:
海は天然の要塞である。
だから大陸から侵略を受けなかった↓
海は天然の要塞である。だから守りやすい。
ですね。
海や山や川や沼は天然の城壁です。
占領されなかったのは単に日本が強かったからってだけです。
弱かったら、元寇で占領されてますよねw
No.10
- 回答日時:
頻度と支配体制の問題じゃないの?
頻度の問題で言えば
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3% …
1231年から1273年にわたり、繰り返し行った戦争を指す。この間、主要な戦いは6度行われ
以上引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%9C%9F
。15世紀から16世紀にかけて、満洲最南部の朝鮮に接する鴨緑江や豆満江流域の女真人たちは、たびたび李氏朝鮮に反撃を仕掛け、豆満江南岸地域の争奪を繰り返した。
以上引用
日本→大陸への侵攻・占領は何度も行っています(三韓征伐から第二次大戦まで)
千年以上の中で、数回
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%9D% …
同じ島国で言えば、イギリスは
ローマ帝国による支配
927年にイングランドがウエセックス王国のもとに統一。
1016年 デンマーク王がイングランド占領
1066年 ノルウェー王 ハラールが上陸したが敗れる
1066年 ノルマンコンクエスト成功
1688 名誉革命を、オランダによる占領と言えば言えなくもない(少なくとも、スチュアート家ジェームズ2世側から見れば、国内反乱勢力と結託したオランダの侵攻)
統一が成立して、150年の間は、島外勢力による侵攻・占領の危険が常あったと思われます。
まだ、統一が当たり前の感覚になっておらず、外部生力を引き込む内因があったためかと。
天然の要塞の効果はあるが、その要塞がうまく機能するためには、内部の統制が必要ということではないですかね。
個別の侵攻が成功する成功しないというのは、1066年のイングランドのように、多分に偶然要因がありますが、頻度という点では、陸続きの朝鮮=満州(中国)の関係や、欧州大陸の状況と比べれば、桁違いだと。これが天然の要塞という言葉の意味じゃないのかな。
No.9
- 回答日時:
『大陸→日本』の侵攻があまりにも少ないのは、それをする
メリットに比べてコストがあまりにも大きいためです。
日本を攻めるのには荒波を渡ることができる大船団が必要
になりますが、それだけの莫大な労力資金を使って得られる
のが『山ばかりの島国』では魅力がありません。それだけの
金があるなら、西域とかベトナムに攻め込んだほうが遥かに
得です。
つまり、『日本海』が侵攻コストを格段に跳ね上げさせている
おかげで、矛先がより安価に侵攻できる地域に向いた、と
いうことですね。
逆に『日本→大陸』の侵攻はメリットがいっぱいです。
広い土地、豊富な資源、進んだ文化、垂涎の的ですね。
多少無理してでも攻め込むだけの価値が出てきます。
No.8
- 回答日時:
原因は漢民族の中華思想にあります。
中華思想では中原が世界の中心で、其の東西南北に蛮地が存在しています。
そして海は魔物の住む場所となっており、海の果ての地は「神の国」か「化外の地」です。
ですので地続きの朝鮮に与えた印はは銀印で、海を越えた日本は金印だったのです。
そんな中国も明の時代に一度(一次~七次)だけ大船団で鄭和という人物が皇帝の命で大航海を行っております。
航海は第七次まで行われ、最終的にはインドを越えアフリカまで達しております。
しかも西洋の航海と違い壊血病等も一切出さず、諸海戦でも勝利を収め中華の力を示しています。
しかし以降、莫大な費用のかかる大航海は官僚の反対で行われず、朝貢自体も中国からの持ち出しの方が多いので、縮小していきます。(朝貢貿易は正確には貿易では無く、貢物に対する返礼として行われますが、体面上皇帝の下賜する品の方が高価値で、中国側は損するだけなのです)
朝貢国を増やす政策は、威厳は挙がりますが経済的にはマイナスでしかない訳ですね。
そんな中国と言う大国が隣にいたので、日本は海を隔てて安全だと思い込んでいたのです。
それに西洋の国などは中国の脅威が全て遠ざけてくれると思っていたのです。(だからアヘン戦争の報は信じがたかったでしょうね)
勿論日本にはそれに対して、林子平の海国兵談という本を始め、海外事情に通じていて警告を発した人物もいたのですがね。
No.6
- 回答日時:
> だから大陸から侵略を受けなかった
時の偶然でしょう。
ロシアの極東艦隊がヨーロッパを睨んでいるのと同規模だったならどうなっていたか判りませんしね。
幸いにも中国にはそこまでの船舶技術も無かったのでしょう。
元寇の時も「神風」とか言って居ましたが、台風シーズンと言う『時の偶然』によるものでしょうしね。
そう見れば日本は過去数々の『時の偶然』に救われてきたと言う事でしょう。
No.4
- 回答日時:
日本・韓国双方に記録があるものでも『応永の外寇』(13世紀)ってのがあります。
朝鮮が軍船227隻、兵員17285人を対馬に向けました。
対して日本側の兵士は600人程度。戦力比28倍以上
果たしてその結果は
日本側戦死者百数十名に対して挑戦の戦死者は2000を超え、
朝鮮あえなく敗走だそうです。
結論、大陸兵弱かったが、大陸は広すぎた
No.3
- 回答日時:
yamada504さん、こんばんわ。
5世紀頃、朝鮮から騎馬民族が侵入し、日本を占領したという学説がありましたが、実否はわかりません。
そんなことはありません。白村江の戦は大いに負けました。また、日中戦争も太平洋戦争も大敗しました。
だけど、日本海は天然の要塞は一種正しいと思います。なぜなら、そのためには船などの準備に大きな出費を伴い時間的にも膨大な日数がかかると思うからです。おそらく、その費用に見合うようなところではないと大陸の国々は思っていたのでしょう。また、近代に入っても、欧米列強はともかく、アジアの国々はそんな余裕はありませんでした。
No.2
- 回答日時:
個人的な意見です。
やはり海を渡るのは双方にとって大きな賭だったのだと思います。
しかし
大陸から日本へはメリットが少ない。あまりにも辺境地だった。
日本から大陸へはメリットが大きい。日本から見ると大陸はあこがれの地だった。
なので,海を渡ってまで侵攻するのはモチベーションの問題だったのではないでしょうか?
しかし,江戸時代末期には開国を迫られたように,港としての利用価値は上がったのは事実でしょうね。
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