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日本人は何故、
過去の美術やクラシック音楽を
偉大なものとして崇めているのかが
良く分からない!
そして
現在の新しいの美術を
正当に評価せずに関心を持たずに
目をとめないのか? それはもしかしたらば
日本人は世間的に評価された
美術しか美術と
認めない為ではないか?
作品に関しての専門家や権威者の
高尚な説明、解説、
パンフレットが作品に
付属していないと
大概の日本人は
作品を評価出来きない
だからこそ
そういったパンフレットが伴わない
新しい美術作品は
評価されないのではないか?
日本人は世間的な評価が伴った
美術だけを美術としか
評価できない方々ではないか?

本来の美術の意味は
自分の感性を磨くためなのに、
大概の日本人は
折り紙付きの解説が伴った美術に
触れて
自分がそういった美術に向き合える
人間になれたことに酔い痴れて
自分の立ち位置(階級)が
少し上がった様な錯覚で
(専門家権威者の様な
社会的に評価されている人間が
評価しているもの触れる事は
彼らの
思考レベルに
他所たりとも近づいた様に感じる)
自分が大きく成った
経験するためではないか?
これは非常にコスプレの心理に
非常に似ているのではないか?

大概の日本人に取っては
美術は感性を育むものではなくて
洗練された洋服、装飾品を
着飾り気分を高揚して
自信を得る様に等しいもの物と
見做しているのではないか?



ご回答のほど、
お待ち申しております!


参照!
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q12120898 …

A 回答 (5件)

回答を短く要約すると「日本はお金にならないものは有り難がらないから」


になります。
評価=どれだけお金を引っ張れるかなのです。
それは日本だけでなく海外でも同じこと。
日本はファインアートより建築、映像、さまざまな商業デザインでは
かなり進んだ水準だと思います。いろいろな要素を削っていく作業が
日本人は苦手なのか、はたまた関心がないかもしれませんね。

現代の美術(ファインアート)より商業デザインやサブカルチャーのほうが
かなり現代アートをしているのでそちらに目を向けてみてはどうでしょうか?
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絵は表現方法として写真や映像の登場の影響があったのでは。



名作がどうしても過去のものになるとか。

西洋の王宮の補助でお金が芸術界にふんだんに流れた時期とはまた違うのかもしれませんね。
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ひげ面の芸術家と称する日本人の男が制作した、チンポの先から精液を噴出しているフィギュア像が高値で落札されて話題になったことがあります。


http://gigazine.net/news/20080515_lonesome_cowboy/

欧米の富裕層には、こうした珍奇な作品を、まだ誰も評価していないうちに高く買い、それが世間で話題になって芸術のトレンドを作ることを高尚な趣味あるいはビジネスとする風潮があります。

いわばお金持ちのゲームなのですが、これに乗せられている貧乏人が現代美術愛好家、というわけです。

企業への投資も似た傾向がありますね。聞いたこともない会社が莫大なカネで買収された、という話は日本では聞いたことがありませんが、特にアメリカでは誰もが夢見るサクセスストーリーです。

すでに認められた価値を後追いするより、新たな価値を創造することに重きを置いている、ということになりましょう。

このようなアート仕組みは↓の本に詳しく書いてあるので良かったら読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83 …
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日本には絵を飾る習慣がないからだと思います。


日常生活で使わないから、
非日常的体験としてしか絵画がないので
現代絵画に需要がないのです。

欧州などは
(フランスにホームステイしたことがありますが)
家中に絵を飾っていたりします。
彼らにとっては
絵というのは日常の娯楽であり
買わなきゃならない家具の一種なのです。
なので値段が安い現代絵画に需要があるのです。
そういうこともあって欧州では
絵画というのが日常であり
日本より庶民的なものなのだと思います。

反対に日本におけるサブカルチャーが
欧州で芸術としてもてはやされるのは
絵画とイラストの地位の間が日本よりはるかに小さいからです。
日本だと漫画だとしてしかみなされないものでも
欧州に行ったら芸術になったりします。
「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の絵はルーブルで期間展示
されたりしてますし、
奈良 美智とか私にはイラストにしか見えません。
でもMOAに入っているそうですし。

日本のサブカルチャーを芸術としてみようという動きは
日本にも出てきていますが、
その反対は出てないので
純粋芸術が庶民芸術になる日は日本だとまだ先だと思います。

ただサブカルチャーが芸術であるとするならば
日本は非常に現代芸術を愛していますよ。
漫画本はあふれかえっていますし、
イラスト展なんかも良くやってますしね。

それにもともと日本で現在過去の芸術として最も名高いのは
浮世絵だと思います。
浮世絵は当時のサブカルチャーです。

なので今も昔も
日本人は日本人なりに現代芸術を愛しています。
ただ油絵とかの純粋に芸術とされているものは
日本には飾る習慣がなかったので
たぶん歴史的、慣習的に需要がないのだと思います。
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 日本人に限ったことではないと思います。



 そもそも、美術や音楽は、王侯貴族の愛好するものでした。美術家や音楽家は、「芸術家」でも何でもなく、王侯貴族に雇われた職人でした。世襲でその技術を洗練・継承していました。

 18世紀末にフランス革命が起こり、19世紀のロマン主義の時代にかけて、社会の主役が市民階級(中産階級)に移行しました。市民階級は基本的に「アマチュア」であり、王侯貴族のように美術家や音楽家を「お抱え」で雇う財力はないので、美術家や音楽家は自立して「芸術家」になりました。もはや世襲は無理なので、「美術学校」「音楽学校」で技術を教わるようになりました。(音楽学校は「コンセルバトワール」と呼ばれますが、英語の「コンサバティブ」と同じ語源で、「保守・伝統」を教えるところという意味だそうです)
 そして、アマチュアである市民階級は、自分たちの鑑識眼はないので、代わりに職業家としての「批評家」が登場しました。

 「芸術家」「批評家」とも、それをビジネスにしていますので、正しい批評よりも、特定の「売れ筋」「ごひいき」を意図的に持ち上げたり、一種のプロモーション・売り出しを仕掛けることも多くなります。

 それが多くなると、評価の分かれる、あるいは胡散臭い評価は信用せず、評価の定まったものを信用して好む傾向が助長されて行きます。それは、「古い美術」「クラシック音楽」です。
 そういうことだと思います。

 ヨーロッパでも同じです。
 ルーヴル美術館では、いつも「モナリザ」の前ばかりが人だかりです。
 コンサートといえば、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスです。

 さらに、日本人にとって、西洋美術も西洋音楽も、自分たちの伝統とは別のところで成立して来たものなので、自分の感性で評価することが苦手です。また、大学先生なり有名な評論家がいて、その取り巻きがいて、それと違った意見を述べるjとその世界で「村八分」になるという、日本特有の「ムラ社会」のアカデミズムが支配しています。この「権威」も、たいていは古い評価の定まったものしか語れません。
 従って、欧米以上に、はるかに「権威主義的」「古いもの」が好まれる傾向が強いと思います。
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