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人質になった方のテレビに出演されての発言についてなのですが。
自己責任とはどういう意味なのでしょう?
私は、
政府の退去命令を無視してイラクへ行ったのだからそこから先のことは自分で責任を持つ、たとえ殺されようともそのことを政府の責任にはできない。
と、考えていたのですが。
自己責任の意味、間違ってるでしょうか?

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A 回答 (14件中1~10件)

すでに多くの回答が出ていてそれらに賛同する部分が多いものの若干付け加えさせていただきます。



1.『自己責任』 これはあまりに当たり前のことで私達は常にこれで生きていますと言って過言ではないでしょう。

強盗が自宅に入って金を取られても命を奪われても政府は保障してくれますか? 民事裁判で犯人に保障を要求することは法律上は出来ると思いますが。
これを未然に防止する為には、強盗の入りにくい家を作るとか、ガードマンを雇って24時間体制で防御するなどの対策が有りますが、これとて自己責任でやるしかありません。
又乗った旅客気が墜落しても政府は保証してくれません。事前に保険に入るとか、航空会社に損害賠償を求めるしか有りません。又どちらの事例でも一旦失われた命は帰って来ません。

こうして考えていく我々は日常殆ど自己責任で生活しており自己責任はあたりまえのことです。

ですからわざわざ自己責任と言うのも変だし、自己責任と言ったと言って非難したり、我々の行動はは自己責任にはあたらないというのも全く変だと思います。

2.自己責任と言っても一旦発生した人の命にかかわる問題に関して政府が出来る限りの救済処置をとる事には異論ありません。

ただだからと言って今後大勢の人に同じことをされても困るわけですので、再三の避難勧告が出されていたこと又当時報道されていた現地の治安状況を鑑みれば当事者にも相当の落ち度が有ったと思わざるをえません。

そこで少しお灸をすえる意味で何がしかの費用負担を本人に求めるのはあながち非難されることでは無いと思います。
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政府の退避勧告を無視して行ったから自己責任(自己+責任という日本語も変な気がしますが)であるという論調が高まった上に、自衛隊撤退派と続駐留派の、国家方針においての左派、右派の駆け引きに、人質3人が利用されてしまい、問題を複雑化させてしまったのです。



民主国家では政府の勧告が出ていても、その外国に行く自由はあります。しかし、ジャーナリストであれ、ボランティアであれ、不測の事態が生じた場合に政府に見返りを求めるのは、間違いです。
今回の3人の家族は、それを理解しておらず、3人も出発前に自分の家族に、政府に対して要求を出すな、国家方針に転換を求めるな と説明すべきでした。 それが、彼らの本当の「自己責任」であると思います。それを怠れば、今回の映像メディアで報じられたような、家族の醜態を世間に晒すはめになってしまいます。

しかし、批判は当然ですが、権力者である政治家や外務省の幹部が直情で個人攻撃をしたり救出費を要求するのは間違いです。また、一部の週刊誌が、プライバシーを蔑ろにした批判を行ったのも事実です。

誰が批判するのにも「自己責任」は必要とされます。責任が生じない「匿名」で、電話、FAX、掲示板の書き込みをする人が、「自己責任」を語るのは間違いです。

民主国家では自己責任で、言論レベルでの批判、擁護するのが真っ当な姿であると思います。
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間違っていない、と思います。



以前、この問題でニュースキャスターの鳥越俊太郎氏が番組の中で 「政府が何を言おうと私ならイラクへ行きますよ、それは報道関係者として当然の事でしょう」 と大ミエを切っていました。

それはいいとしても、現状でイラク入りする人たちに一番大事なことは 「何か事件や事故に遭遇しても、日本政府の世話になんか絶対ならねえ」 という気概や覚悟があるどうか、でしょうねえ。 そこで大きく分かれると思いますよ。 鳥越氏にその気概があるのかどうか知りませんが ・・

聞けば、欧米ではNGOや報道関係者が危険な地域に行くときは、自分たちの組織が完全にバックアップする体制になっていて、政府の助けなんか最初からアテにしていないらしいですよ。

あのアメリカでも、建国以来200年経ちますが、いまだかつて、自国民救助のためにホワイトハウスの中に 「対策本部」 が設置された事なんか、一回もないとの報道もありました。

日本では残念ながら、NGOも報道関係者も所詮は政府に甘えていて、一人前のクチをたたくのは百年早いよ、という意見もありましたね。

このような 「甘えの構造」 から脱却しないかぎり、将来もし同じような問題が発生した場合、やはり非難の対象になる可能性はあるでしょうねえ。
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僕も質問者さんと同じように「自己責任とは何ぞや?」ということでニュースやら何やらを見てきたつもりですが、一応一つの結論に至りました。



(1)いきなり結論
まず素直に考えてみて、今回「○○法違反」などという話はいっさいありません。よって法的責任は無いわけです。ではあるとすれば社会的責任やら道義的(道徳的)責任やらの、法とは関係無い責任ということになります(個人的には「政治的責任」(ニュアンスですが)だと思っています)。ということはつまりは「自己責任という言葉は道徳などと同じように非常に主観的で個人個人の間で全く違うものである。よって定義など(無いのではなく)あり得ない。」ということです。「人はどう生きるべきか?」「世界で一番旨いものって何?」という話と全く同列な話だろうと思います。ですから無理に使わないで済む場合は使わない方が無難だろうと思っています。ですから使うにしてもせめて「まだまだ共通認識が無い言葉なんだ」ということをわかった上で注意深く使って欲しいところです。

(2)この結論に至った経緯
僕は自己責任についての議論は大歓迎なんですが、どうも識者でさえもある程度の共通の見解があるような気がしません。お互い自分に都合のいい意味で使ってしまって空回りになってしまいそうなので、かなり面倒くさいです。言葉ばかりが踊ってしまって言葉を使う側の人間の方が振り回されているように思います。大体こんなに時間がたっても「自己責任て何だろう?」と言う疑問には何も説明などありませんでした。普通はあり得ない話ですよね。今で言えば年金未納問題が起こってから「年金て何?」って言い出すようなもんです(下手な例えだ・・)。

(3)経緯その(2)(例はかなりてきとーに書きました。ニュアンスでご理解下さい)
テレビでも「自己責任があると思いますか?」という問いが平然と行われていました。しかし自己責任を肯定する人でも否定する立場でも接続詞に「だから」を挟むか「だけど、それでも」を挟むかはちがいますが、以下の質問にどの答えでもくっつけることができますよね。ですから僕としては「自己責任があるか?」という問い自体が「何を聞きたいのかわからん」という状態でした。
A政府はどうすべきか?→(1)救出さえしない。勝手にしろ。(2)まあ解放するように呼びかけくらいはする(3)各国とも連絡をとってみる・対策本部を設置する(4)現地に自衛隊・特殊工作員を派遣して人質奪還及びテロリスト殺害計画を行う(5)テロリストの要求をのむなどなど・・
B費用を被害者に求めるか?→求めるとしたらどの範囲で求めるのか?またそれも観光だったら?ボランティアは?ジャーナリストなら?NHKの特派員だったら?

(4)蛇足
最後に参考までに僕の考えを書いておきます。彼らにも非があるんだから自衛隊撤退をしなかった政府を責めてはいけないし、仮に皆殺されてしまっていたとしてもこんなことでスペインのように政権交代がおこってもいけない。ただ、(公表はできんだろうけども)救出作戦に不備はなかったか?ジャーナリストの団体などに政府として「こうして欲しい」などの連絡をもっとすべきではなかったかなどの点は当然追及されて良いと考えています。まあ当然ですが、どちらかが100%悪い・良いなどということはありえません。

あと質問者さんの考えはわりとメジャーな考え方じゃないかなと思います。

以上マイナーな回答でした(笑)。僕も同じことを考えていましたので、マイナーな僕の結論に対して質問者さんがどう思われるか非常に興味があります。「いいんちゃう」「わけわからんわい、ぼけ」くらいでいいので一言いただけると幸いでございます。では。
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この回答へのお礼

大変遅くなってしまって申し訳ないです。結論ですが、willlyさんの「個人によって意味が違う」、そのとおりだと思います。私も「立場によってちがう」と少し言葉は違いますが同じ意味になるような考えでいました。私がこの質問をしたのは人質になった人がテレビで「自己責任という言葉を使う人に逆に自己責任とは何か聞いてみたい」「私には自己責任はない」「もう一つの自己責任でいく」などと発言していたのを見て、どういう意味で使ってるんだろうなと思ってしまったのです。私が最初の質問で書いた自己責任の意味、あれは「私がもしイラクに行くとして政府から自己責任と言われたら」と言う立場で考えたものです。ですが、テレビでの発言を見てほかの解釈があるように感じました。私が聞きたいのは「人質になった方が自己責任をどういう意味で使っているのか」なのです。ちょっと最初の質問の仕方が悪かったですね。その点申し訳なく思っています。

お礼日時:2004/05/13 22:49

間違ってはいませんが、多分に情緒的解釈が入り込んでいます。


つまり、人質となった方(以下「彼ら」といいます。)が、自らの行動があたかも絶対的真実であるかのごとく平然と「政府の勧告を無視し」「国会で議決された自衛隊イラク派遣を批判し」「何十億もの税金を使った」ことに、多くの「法律を遵守する善良な国民(納税者)」の神経が逆なでされ、その結果、あえて言わなくてもよい「責任者出て来い」論が始まったのだと思います。

私自身どちらかと言うと右寄りの人間なので彼らの言動には正直不快感を持っていますが、彼らを自分自身に置き換えてみて、もし仮に「イラクに行くべし」との信念に燃えてしまった場合、多少のリスクは覚悟で行くかもしれません。そして、運悪く捕まってしまっとしても、政府批判はしませんが「自分の行動は間違っていなかったんだ!」と自分に言い聞かせるでしょう。そうでないとやってられないですよね。
かといって、祖国に「おまえは勧告を無視して勝手に行ったんだから死のうがどうなろうが知らないよ」といわれればやはり悲しいです。もし助かって帰国できたとしても祖国が信じられなくなるかもしれません。
「海外で活動する国民が危険にさらされた場合、その人がどのような思想信条の持ち主だろうと、(何十億も使うかどうかとか本人に負担させるかどうかは別として)国はできるだけの手段を講じて救出に努力すべき」というのは正しいと思います。現に国はそうしました。

結局のところ、今回のケースは、「彼らがイラク行きを自分自身で思いとどまるべき」、「彼らの家族を含む周囲の人間がイラク行きを止めるべき」だったのです。彼らの準備及び安全対策は、自らも認めていますがかなりお粗末だったともいわれています。海外の危険地域で様々な活動している日本人は大勢います。そして自らの安全に十分配慮しつつそれこそ「プロ」の活動を行っています。彼らの軽率な行動は、「プロ」にとっても迷惑な事件だったと思います。(社会に大きな影響を与える行動を、このように軽率に行う人間を抱えているところに日本の社会的弱点がありますが...)

最後に、彼らとその支援者へ言いたいことは、「あなた達が崇高な目的の達成のため行動を起こしたいのはよく分かりました。であれば、自分の大切な命をそれこそ人任せにしないで下さい。死んだら崇高な目的が達成できないではないですか。そして、彼らを支援する人は、政府批判・自衛隊批判を繰り返すのではなく、彼らが再び崇高な活動ができるよう物資その他様々な面からサポートしてあげて下さい。」ということです。

長々と失礼しました。
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一般的な観光目的の海外旅行であっても、一歩日本を出れば身の安全は自分自身で守らなければなりません。

それが世界の常識です。自己責任とは本来そういう意味だろうと思います。私も含めて多くの一般人(?)が首をかしげたのは、そのあたりのことを彼らがどう考えていたのか、という素朴な疑問からだったのでは?
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「自己責任」 とは 「人様に迷惑をかけないで生きる」 ことです。



外務省の再三の勧告を無視して出かけ、挙句の果てに人質となり政府や国民に多大な損害と迷惑をかけてしまったのです。しかし先日の記者会見を見ていて、彼らは「自己責任」と「自分のやりたい事」を同義語に思ってるように思えてならない。

以下は産経新聞の4月16日の「主張」ですがこれをお読みいただければより明確になってくると思います。

 イラクでイスラム武装勢力に捕らわれていた日本人人質三人が無事解放された。多くの人の努力で解決にこぎつけたことを喜びたい。

 無事救出までには多くの曲折があったが、まず評価しなければならないのは、今回の政府の対応であろう。

 政府は事件直後から、(1)犯人たちからの自衛隊撤退という政治的要求には応じない(2)人質救出に全力をあげる-という姿勢を貫いた。

 過去の人質事件の失敗に学んだ危機管理対策が生かされたといえる対応だったが、この二つの基本姿勢を即座に決めたことで、政府の対応が迅速かつ筋の通ったものとなった。

 官邸の対策本部、ヨルダンに置かれた現地緊急対策本部、それに外務省などが不眠不休の対応を続け、各国とも連絡を取り合い、政府機関を総動員して水面下の努力も続けた。

 こうした対応にもかかわらず、家族や支援団体は政府批判を続けた。心配と焦りは察して余りあるものだったにしても、一部言動にはうなずけないものがあった。

 人質解放予告が一時出された十一日未明の「家族の声明」には、「世界中の仲間に対して心からの感謝をささげます」とあったが、日本政府の努力に対する感謝の言葉はなかった。

 逆に、「自衛隊撤退」を訴え、川口順子外相の中東向けテレビ録画から、「怒り」や「自衛隊の派遣目的」を削除するよう要求し、「削除できないなら放映の中止を」とまで求めた。

 三人の行動は外務省の再三の退避勧告を無視したものであれば、本来自己責任が問われるべきだが、政府や社会に迷惑をかけたことへ陳謝の言葉も最初はほとんど聞かれなかった。

 三人は幸いにも無事救出されたが、まだ二人の行方が不明だ。今回確認された原則、得られた教訓を忘れてはならない。それは、日本政府はもはや人質犯の要求には応じないという原則であり、国民が政府の勧告を無視して行動する場合は、自己責任を負わなければならないということだ。

 解放された三人は帰国後、各メディアに多く登場することだろうが、こうした責任の自覚としかるべき感謝の表明なしに政治的主張を続ければ、国民の反応は冷ややかなものとなろう。
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私もあなたと同じ意味だと思っていました。

人質の方がバッシングされていたときは、「そうは言っても、犠牲者を助けるのが政府の仕事だろう」と思いましたが、この間の会見で、堂々と「自分は信念とリスクを負って行動したから、自己責任は当てはまらない」と言ったときには、「何を言ってるんだろう。」と。単純に意味がわかりませんでした。正しいことをしたから、(自助努力ではなく)助けてもらって当たり前、ということなのでしょうか。また、あの会見から手の平を返したように、「官邸の自己責任論なんてひどいね。」という報道に呆れます。どっちもやりすぎ。
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この回答へのお礼

正に私も同じ感想を持ち、ここで
質問してみたくなったのです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 19:44

>自己責任の言葉が一人歩きしている、というのは私の解釈に飛躍している部分があるということでしょうか?



「責任」は「責任」でしかないと理解します。
「自己責任」との本来存在すべきでない言葉で、責任の転嫁をしていると考える。

不確定では有るが、例え「国の退去命令を無視しておいて捕まった」としても、の意味を含んで・・・・・
「たとえ、どんな型であれ、たとえ、誰であれ、「人質」となった自国民を国が保護・救出するのは、憲法に謳われた大原則である」としたのである。  以上
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この回答へのお礼

すみません難解で意味がつかめません。

>「自己責任」との本来存在すべきでない言葉で、責任の転嫁をしていると考える。
私が質問したのは「自己責任」の言葉の意味(解釈)です。
その意味を明確にしてから話を進めていただかないと本来存在すべきではないと言われましても理解できません。「責任」と「自己責任」の使い分けも不明でうまく消化できません。もう少し言葉を継ぎ足していただけるとおっしゃることが理解できそうなのですが、、、。 

お礼日時:2004/05/03 23:34

そもそも、この一連の事件の経緯の中で「自己責任」なる言葉の存在が怪奇ですらある。



「責任」は単に「責任」で収束するはずであり。

「自己責任」の言葉が一人歩きしたのは、逆に何らの「責任」が執れない国家の成せる業なのか。

たとえ、どんな型であれ、たとえ、誰であれ、「人質」となった自国民を国が保護・救出するのは、憲法に謳われた大原則である。
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この回答へのお礼

回答していただいてありがとうございます。
国の退去命令を無視しておいて捕まったら今度は救出してほしい、そういう言い分に正直違和感を感じています。自国民を保護するために「ここは危険だから退去しなさい」と言ったわけで、その憲法の大原則を踏みにじったのがイラクへ行った方々ではないかと思うのです。話がずれてしまいましたが、自己責任の言葉が一人歩きしている、というのは私の解釈に飛躍している部分があるということでしょうか?もう少しご教授していただけるとありがたいです。

お礼日時:2004/05/03 20:03

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