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田舎のじいちゃんに、「本永七年は西暦何年だ?」という質問をされ、調べてほしいと頼まれました。

でも元号一覧で調べたところ、「本永」という元号はないのです。

ネットで「本永」を検索したところ、関係あるかどうかはわかりませんが、宮崎県に本永寺というお寺があるのはわかりましたがそれ以上のことはわかりませんでした。

何かこのことについて、ご存知の方がいらっしゃたら教えてください。

A 回答 (4件)

 本永、という元号はありません。



 ただ、それに近い文字、もしくは響きのものはあります。
 文永7年=1270年 元寇の直前
 応永7年=1400年 足利義満の時代(北山文化)
 大永7年=1527年 戦国時代の真っ最中
 寛永7年=1630年 鎖国が本格化する頃
 宝永7年=1710年 富士山噴火後、享保の改革前
 安永7年=1778年 田沼意次時代

あたりでしょうか。
 その年号が出てきた理由にもよりますけれど、もし口頭だとすると、宝永など間違えやすいのでは。

 ご参考までに。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
元号としての「本永」はないようですね。

すると何かを間違えたのではないかと思われるのですが、口頭ではなく、文書として「本永」というものが記されているようなので、「大永」なども近いかもしれませんね。

お礼日時:2004/05/04 21:55

三島暦に関しては、ぜんぜん詳しくないのですが、信長と朝廷との関係の書籍で語られることが多いようです。



つまり 京都の朝廷の作っている暦に対して、三島で作っている暦の方が農作業という「理にかなっている」から そっちを基準に暦を作り替えよ。
→ 朝廷の権威を信長が圧倒しようとしている証左だ。
というものです。

三島暦自体に関する書籍は知らないのですが、室町期の書籍に、上記の信長の話以外に 九州の南朝勢力が別の暦を使ったとか、鎌倉公方が京都の暦を使わなかったとかいう 話があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私も三島暦について調べていましたが、
国会図書館に所蔵されているようですね。

暦を定めるのが天皇の権限で、それに信長が挑戦をしたというようなものも見つかりました。

再度、いなかのじいちゃんに確認したところ、
原文が崩し字でさらに石に彫られているもので、
「本永」というように読めるらしいのです。

現物を確認したほうがよさそうですね。

お礼日時:2004/05/05 17:59

下記にある 三島暦 これが 怪しいと言えば 怪しいですね。



静岡県東部のご出身というと。

参考URL:http://www.c-walk.com/tokaido/shiseki/01misima/0 …
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この回答へのお礼

地域ごとの暦なんてものがあったのですね。
これは初耳です。
ここを深く調べてみると何かわかるかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/05 08:50

参考URLで調べてみましたが、やはり「本永」というのは無いようです。


「寛永」あたりと間違っていないか再度確認してみてはどうでしょうか。

参考URL:http://www.book-kanda.or.jp/asp/era2002.asp
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この回答へのお礼

早速ありがとうございます。

そうですよね。元号としてはないようなのです。
でも「本永7年」と記されているのは間違いなさそうなので、例えばごく限られた地方でのみ使われる私的な元号みたいなものがあるのかな?と思ったのです。

ちなみにじいちゃんは静岡県(東部)の人です。

お礼日時:2004/05/04 16:27

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