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「お国のために」という言葉が、昔はよく使われていたそうですが。
今はなぜほとんど使われないのでしょう。

A 回答 (9件)

 戦時中、国の決定に歯向かう事は許されず、能動的に従うしかない状況下で、「お国のため」という言葉のために、沢山の人が戦死し、空襲や飢餓などで酷い目に遭わされた為でしょう。

【お国の為=支配階級の為≠国民の為】という形で使われた事が味噌でしょうね。
 外国でも「祖国のため」という考え方があるようですが、日本とは事情が異なるようです。例えば、フランスやアメリカは民主主義の理念に基づいて建国されたいわば民主原理主義国家で【祖国の為=民主主義の理念の為=国民の為】となり日本とは全く違います。
 戦前のように【お国の為=支配階級の為≠国民の為→国の政策に盲目的・能動的に国民を従わせる為の方便】という図式で用いられるなら、そんな言葉はごめん被りたいところですね。
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この回答へのお礼

>「お国のため」という言葉のために、沢山の人が戦死し、空襲や飢餓などで酷い目に遭わされた為でしょう。

なるほど。

>フランスやアメリカは民主主義の理念に基づいて建国されたいわば民主原理主義国家で【祖国の為=民主主義の理念の為=国民の為】となり日本とは全く違います。

なるほど。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 22:13

これは日本の特異現象だと思います。


戦争が終わったとき、戦前の体制について個別に議論、反省することなく、全ての責任は軍部に押し付けて、戦前の全てを否定しました。(価値観が一夜にして変わりました)

その付けは戦後50年尾を引いています。独立国ならどの国でも持っている国旗、国歌がおろそかにされ、愛国心は色眼鏡で見られるという今日の日本が出来上がっています。

独立国の国民なら誰でもどこでも「国のため、祖国のため」というのはごく普通のことです。日本だけが戦後の
教育のため、国と個人を同等に論じて個人優先の考え方が優勢になっています。

戦前・戦後を体験から論じる(論じた)人々はまもなくわが国からいなくなります。いわゆるアレルギー体質世代と彼らの影響を直接受けた世代がいなくなった時、初めて戦後の呪縛から解き放たれて新しい日本、日本人が生まれるのかも知れません。それまでは重箱の隅をほじくり、日本でしか通用しない議論が続くと思われます。

日本人は本質(原理)を変えず言葉を変えて切り抜ける術に長けているので「お国のため」はNo7さんの
「国益のため」とか、「国連を通じて」「民間で」という新しい枕詞で代用しているのかも知れません。どんな表現を使用しても「国」がある限り、「個人のため」だけでは市民として生きていけないと思います。
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この回答へのお礼

「お国ために」という言葉は、本来ならば戦後も使われ続けられるべきであったのに、死語となってしまったことは、非常に不健全なことであるということですかね。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 08:05

「国益のために」という、より洗練された言葉ができたからかもしれません。



・・・ああ、また問題発言・・・
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この回答へのお礼

なるほど。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:54

 国とはいったいなんなんでしょう。

そこに生まれたからといって帰属意識が自動的に生まれるものでしょうか。私はそうは思えないんです。人間は生まれ育つ過程で家族や社会、国土の自然や教育に必要な社会資本の存在を必要とします。そういった仕組みがうまく働き一人一人が幸福に育ち生きるための保証が平等に与えられてこその健全な国家観が生まれると思います。

 かつて「国のため」という言葉の元にさまざまな国家機関の中の特定の位置にある人間の利益だけが計られ、結果として日本人全体が甚大な被害を被ったことがあります。この言葉を安易に使うものはその真意を疑われるし、私も疑います。

 国とは何か、それは特定の誰かの利益ではなく、自分を産みはぐくんでくれた家族やよき隣人や社会、豊かな自然を持つ国土や、一人一人が幸福であるための社会資本や財産の総体にたいする呼称であると考えます。そうであるかぎり私は命をかけられます。しかし現在はとてもそういう状況にはないので「国のため」という言葉に出くわすと誰もが身構えてしまうし逆にうかつには使えないのだと思います。
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この回答へのお礼

>かつて「国のため」という言葉の元にさまざまな国家機関の中の特定の位置にある人間の利益だけが計られ、結果として日本人全体が甚大な被害を被ったことがあります。

「お国のために」は、北朝鮮の「将軍様のために」と同じような意味合いなのですかね。

>「国のため」という言葉に出くわすと誰もが身構えてしまうし逆にうかつには使えないのだと思います。

うかつに使えない方が健全なのでしょうかね。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:53

日本人に日本が国民国家だという認識が薄れてしまったからでしょう。



地球市民などといって憚らず、自分がどこのものかという認識がないのに「お国のため」という言葉がでるわけがありません。
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この回答へのお礼

「お国のために」という表現がごく自然に使われていた戦前の方が、健全だったということですかね。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:40

戦後の日本の教育が「公」より「個」を優先するようになったからではないでしょうか。

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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:36

#1さんの、「戦前は主権が国家」の「国家」とは、イコール「天皇家」をさしていました。



主権者である国民のために国が存在するのであって、国のために国民がいるのではないから。
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この回答へのお礼

>国のために国民がいるのではないから。

戦前は、天皇家のために国民がいるって感じだったんですかね。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:35

「お国」が何かしてくれるわけじゃないからでしょうね。

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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:33

戦前は、主権が国家にあり、戦後は、国民になったため、憲法的に考えてもおかしい考え方ということになり使われなくなったんだと思います。

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この回答へのお礼

>戦前は、主権が国家にあり、

なるほど、そうだったのですか。

有難うございました。

お礼日時:2004/05/05 05:32

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