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私は無宗教です
しかし家には仏壇があります
お葬式はお寺に行きます
お正月は初詣に行きます
これは仏教ということなのですか?
しかしふつう宗教に入信する場合
何かしら手続きをして入信という形をとるのですよね?
私は別に仏教に入信した覚えはありません


例えば、キリスト教の方がお祈りをしていたら
それはイエス様にお祈りしているということですよね?(違ったらごめんなさい)
しかし、私はなんの宗教にも属してないのに
初詣に行きますしお守りも買います
テスト前とか神様助けてくれと思ったりします
無宗教の私はどの神様に助けを求めていることになるのですか



日本人は生まれながらして仏教ということですか?
自分で言っていてよくわかりません
どういうことなんでしょうよろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

「神様に助けを求める」という発想が都合よすぎることに気づいてください。


あなたは神様に何もしていませんよね?
ただ拝んだり念仏を唱えたりするだけで神様が応えてくれるなら、世の中万々歳です。不幸も発生しません。

日本人に限らず、宗教はとっても便利な存在です。
だって、どんなことでも立証できないので言いたい放題ですから。

便利なものを求めるのは世の習いです。それだけのことです。
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まず第一に基本的なことですけど、貴方が無宗教であっても貴方のご両親、ご先祖はそういうわけじゃないですよね。

だから家に仏壇や神棚があっても貴方の立場には関係ないです。

>しかしふつう宗教に入信する場合 何かしら手続きをして入信という形をとるのですよね?
別にそんな事する必要などありません。決まりもありません。
古来の宗教団体では、儀式をお願いしなければ縁は切れます。神社やお寺も崇敬会や奉賛会などの維持管理団体や信徒団体を作って積極的に所属する場合のみ費用の発生がありますが、それ以外に縛りはありません。
新興宗教は教団本体と信徒団体が同じ物になっているから入会手続きが必要になるだけです。

日本は古来より神道の国であり、明治時代に神道国家であるとなりました。同時に明治政府は個人の信教の自由を認めました。
誤解している人が多すぎるんですけど、明治時代に示された国教としての神道と軍国時代の靖国を中心とした国家神道は全く別物です。だからGHQは国家神道は解散しましたが神道を解体はしていません。国の管理するものを廃止して私立の神社本庁が出来たのです。更に伊勢神道と皇室神道も解体していません。なので日本が神道国家である事は明治以来維持されています。ということで日本人は生まれながらに神道でもあるわけです。ちなみに教義のない神道は宗教でもありません。

仏教に関しては江戸時代に日本人は全て寺の檀家であるべしという決まりが出来ました。神社の神主ですら寺の檀家にならなければなりません。これは隠れキリシタン防止のための政令です。明治時代にこの規則が廃止されることはありませんでした。更に昔は墓を先祖と同じくすることが慣例とされていました。
なので習慣として家系の墓に入る=檀家になる=仏教徒という構図になるわけです。
そういう意味では日本人は生まれながらにして神道であり仏教徒とも言えますね。

しかし明治時代に信教の自由が発布され、更に近年では世帯が分かれれば別に墓を絶てる機会が多くなり、墓苑も無宗教で良いとされるようになったのでいずれかの信仰に属すという習慣もなくなりました。

外国人が神社の祭礼に参加したり神輿を担いだり、初詣に行ったり座禅を組んだりもします。しかし彼らのすべてが仏教徒や神道ではありません。彼らはイベントとして楽しんだり、方法としての座禅だったりするのです。
中には神霊を信じていても特定されないという無宗教もあります。だから日本に居れば日本の神様、キリスト教国に行けばキリスト教の神様に詣でるということになります。
だいたいクリスマスだからキリスト教でなきゃとか初詣だから神道や仏教でなきゃなんて言ってるのは日本人くらいなものですよ。
無宗教、無信仰の豪州の友人は祭に行って神輿担いで「マツリ最高、スッキリするネェ」と喜んでいますし、初詣行って「気持ちが引き締まるネェ」と気持ち良さそうにしています。それでいいんですよ。
神社に初詣に言って今年の目標を自分の心に言い聞かせたっていいんです。本来祈るのに場所などないんですから、風呂やトイレでも祈りは出来ます。神仏を信じなきゃどこでも神仏は居ないし、信じているならどこに居ても神仏は隣にいるということです。

神道とはという質問が良くあります。
日本には幾つもの神道があり、神社本庁もその一つに過ぎません。平成13年(2001)、高円宮憲仁殿下は次のように挨拶されました。
『神道は一般的な宗教の概念だけでは捉えられない、わが国の歴史と伝統とを踏まえた道徳、倫理、秩序、生活規範など、風土・生活に根ざした広い意味合いを包含しています。
神道は日々の生活の中で、自然との調和を図り、また祖先や人々と共に生きていく、という日本文化の根本をなすものに深く関わりを持つものであり、わが国の、或いは世界の諸問題に我々が相対していく上で、多くの示唆を与える事ができるものです。』
簡単に言えば日本人の日本人らしさそのものが神道だという事です。別に神様云々じゃないし、そもそもその神様は私たちの先祖でしかないのです。
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世界標準で見ると、ある宗教を信じている人が、他の宗教も信じることは、許されないことです。



ところが、日本でトップ2の浄土真宗と神道の現時点の教義では、他の宗教も信じることを明確に許容しています。
また、キリスト教においても、他の宗教の信者がクリスマスや結婚式等々に来ることを許容しています。
これらの宗派が、わずか400年前から100年前までは排他的だったことは、説明するまでもないでしょう。

では、なぜ、日本のトップ3の宗派がこのようになったのか?
これは、明治初期以降、火葬が一般的になり、戦後は火葬しか有りえなくなったことと連動していると思います。
というのは、火葬は、生前どのように生きてきた人も、死後は、灰と化してしまいます。
日本人なら誰でも、幼少期から、火葬場でお骨を骨箱に収めるシーンを体験しています。
これは、日本人の死生観に強い影響を与えており、宗教観にも強い影響を与えていることと思います。

そしてまた、今なお土葬が多数を占めている各国とは大きく異る事情だと思います

上記の多くの信徒を持つ宗派では、このような死生観を合理的に説明することを教義に組み入れたのです。

無宗派な人たちにも、これらメジャー宗派の教義の影響が及んでいるものと思います。
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日本人はみんな「私は無宗教です」と言うのですが、ウソです。

ウソというか「宗教」をキリスト教やイスラム教のような「聖書や戒律のあるもの」と思っているから、分からなくなるのです。

そもそもキリスト教やイスラム教の人たちからみて「無宗教」というのはとんでもないことです。
無宗教ということは「心の中に善悪を判断する基準」も「心のよりどころ」ももたず、それは「生も死も感情としてなにも感じない」とか「自分が生かされているということが理解出来ない」ということになります。
それは無神論者とは多少異なりますが、信仰をもつ人々からみれば無宗教というのは「人としての心を持たない」と言う意味であり、逆をいえば「人の心をもつならば、身内の死を悼み、生の誕生を喜び、不安の時には何かにすがるはず」であり、それが神の存在や仏の慈悲を感じることになり宗教の本当の必要性、ということになるわけです。

日本人は信仰がないわけではありません。漠然と先祖は西方浄土におりお盆のときに帰ってくるとか、天国にいる、とかお墓や仏壇には先祖の気持ち(魂でもいいです)が宿っているとか、そういう気持ちを持っています。同時に、山や川などの自然や、場所、物に至るまですべてに神様が宿るとも信じています。
これはアミニズム信仰といって、日本人が日本の風土で育つうちに培う自然な信仰心なのです。その一例が「いただきます」であり、武道場に入るときに礼だったりするわけです。これらのことをしているうちに日本人は自然に「ものを大切にする気持ちが神様に通じるのだ」のように信仰心をもつようになるのです。

この過程においては、キリスト教のような洗礼もイスラム式の入信式もありません。あれはむしろ「一神教」であるが故に「私は、今この瞬間からあなた(一神教の神)しか信じません」という決意の儀式が必要だから、わざわざセレモニーがあるのです。

日本に限らず一神教ではない国(仏教なども含む)はそのようなセレモニーはないか、あっても気がつかないのです。

日本において洗礼のようなものはないか、と言われれば実はあります。それはお宮参りです。これは生後1ヶ月の節目で神社やお寺にお参りする儀式ですが、その前に大体の母親は安産祈願と腹帯式を、お宮参りと同じ神社で行っていることが多いでしょう。

つまり日本人は生まれる前から、神様とお付き合いしているのです。

仏教については、日本には神仏混合という考え方があり、日本で言う神様がインドでは仏様として現れたもので本来は同じもの(神仏垂迹説)とされています。現在では明治の廃仏毀釈などもあり、少なくなりましたが、神社とお寺が同じ敷地にあることも珍しくなかったのです。

これが日本のそもそもの信仰の有り方ですので、お寺に行くのもいいし、神社に行くのもいいでしょう。また使い終わった箸に「ありがとう」と感謝の気持ちを込めながら神社などで供養してもらうようなこともいいのです。

ああ、もちろん受験などの苦しいときに「神様、仏様、ご先祖様、助けてください」と祈るのもアリになるわけです。

さて、グローバルな世界に出て行くと、信仰に無自覚な日本人、がトラブルを起こすことがあります。

私の聞いた例ですが、
ある外国の寮の話です。そこは世界中から来た人々が共同生活をしていますので、宗教的な儀式や規範は共同の場所には持ち込まない、と言うルールがありました。たとえばイスラム教徒がお祈りをしたければ、自分の部屋でする、ということです。
この寮は自分達で炊事をしていたのですが、そこに日本人がやってきてトラブルになりました。

その日本人曰く「炊飯器の一番最初のご飯を祖父祖母の遺影にあげたいので、自分がご飯を取るまでは誰も取らないでほしい」という申出です。
日本人以外の外国人はこれを拒否します。なぜならそれは「宗教的規範」に当てはまるからです。そして「どうしてもそれをやりたいなら、自分の部屋でご飯を炊いてください」とその日本人につげました。
しかし、日本人は「これは宗教的な行為ではない、なぜなら私は無宗教だから、これは日本人ならほとんどの人がやっている習慣に過ぎない」と抗弁しましたが、外国人はだれもそれを理解せず、結局宗教的規範は共同の場所に持ち込まない、というルールが優先されて却下されました。

というはなしです。

どうでしょう。このような先祖崇拝そのものは宗教(心のよりどころ)であり、その行為が優先されるならば、それは「宗教的規範」である、というのが様々な民族が寄り集まる世界の標準的な考えなのです。

日本には自然と身ににつける、アミニズム的信仰と先祖崇拝信仰があるのです。キリスト教やイスラム教のようなものとは違います。

その上で、仏教的なお経にありがたみを感じるのか、神社に参ることを習慣とするのか、などは自分の好みの方法(または家族のしきたり)でいいのです。
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日本人には宗教の自由があります


寺に葬式に行くのは仏教の形式
お正月の初詣は神道の形式です

別に入信する必要はありません
無宗教だからどの神様に祈ってもいいのです


どこかの宗教に入信してしまうとそこの神様にしか祈れなくなりますから
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最終的にどうなるか、で所属してる宗教が決まります。



ご両親に、明日車にはねられて死んだらどうなるの?と聞いてみてください。
我が家のお墓が~寺にあるからそこに埋める、といわれたら~寺の信徒。
海に散骨する、といわれたら好きな神様でも祈っておきましょう。あなたの自由です。遺言で、~教でお願いします、とでも書いておけばバッチリでしょう。

ちなみに、都合のいいときだけお祈りして、まかしとき!って言う神様はまずいないと思いますよ。
だから、常に徳を積んでおけ、だのお布施しとけ、だの言われるわけです。でもだからといって助かるという証拠は無いから、無宗教になっちゃう人が多いんでしょうね。普通は100万円お布施したら、100万円分の効果が無ければしようと思わないでしょう。宗教に熱心な人は、100万やったら何倍にもなって戻ったり、天国へいけたり、と100万円以上の効果があると信じてる人なのですよ。それで気持ちが安定するのですから無駄というわけではないでしょう。結局、宗教とは精神的なよりどころを求めた結果なのだと思います。
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文科省によると、日本人の宗教は神道が1億1千万人


仏教が9千万人だそうです。
そんで、日本の土着宗教は神道ですが、実は日本人は
殆どが神道の信者なのです。

え?
俺は入信した覚えが無い、というひとがこれまた殆ど
でしょう。
私もその一人です。

しかし、神道は実にいい加減な宗教でして、信者という
認識が無くても信者になれるのです。
つまり、神道というのは他の宗教と異なり、教義も
教典もありません。
明治以降、緊急の必要性があって無理矢理神道みたいのを
造りましたが、これは本来の神道の姿ではありません。

自然を畏敬し先祖を想う、これだけでもう貴方は神道の
信者確定なのです。
これはもはや宗教とは言えないかもしれません。
この神道の頂点に位置しているのが天皇という訳です。

日本人の考え方感じ方にはこの神道が深く染み込んでいる
と言われています。
仏教もインドのそれとは大幅に異なっておりますし
儒教も神道的に変容されています。

結婚式は神道で葬式は仏教なんてのは当たり前ですが、
これは神道が多神教で、どんな神様もあり、という宗教だからです。
最近は、この神道に魅力を感じる欧米人が増えております。
欧米人は宗教間の紛争で悩まされてきたので
ことさら魅力的に感じるのだそうです。


”どういうことなんでしょうよろしくお願いします。 ”
    ↑
私の説明が奇異に思えるのは、宗教というと
キリスト教のように体系や教義がしっかりして
いるモノを想定してしまうからです。
こういう神道みたいな宗教もあるということです。。
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日本には いただきます という言葉があります



これは、植物・動物などの命をいただくという意味で、他の国には無い思想です

狩りを楽しむことが発展した国には・・・無理な思想かと思います

(イルカ・クジラ漁が理解できない根本の原因)


 ※ここからは、私(教祖)は神だとか言っている宗教は除きます


だいたいの国(外国の宗教)は、神様からの恵みとして神に感謝します

ですから日本の いただきます という表現の言葉がありません


この思想(考え)にもっともあった(近い)宗教が、仏教となります

また、先人(先祖、無くなった人たち)を敬う心も、日本人には馴染みました


書かれている初詣は、仏教(お寺)でも普通に行われていますし、初詣はそもそもお願いするものではなく、祈り感謝のものであるので、やはり日本人にあったモノだと思います

※お守りや絵馬は願賭けです


もちろん宗教は、いいとこどりでOKです

もともと感謝や祈りなどですから、生まれたらお宮参り(神教)~七五三(神教)、結婚式はチャペル(キリスト教系)、亡くなったらお寺(仏教)というのは珍しくなく、もう普通のことかと思います


>日本人は生まれながらして仏教ということですか?

お寺に家のお墓があるのでしたら、生まれたときから仏教(信者として数えらる)となりますが、特別熱心ではないかぎり意識しないまま生活を送られると思います

しかし後に、大人になって個人的に他の宗派になっても、仏教から抜けるという手続きは特にありません

したがって、日本の宗教信者総数(文部科学省の宗教統計調査・2億900万人以上)は、日本の人口を超えています


例えば私は、何か困った時に子どもの頃は「おじいちゃん助けて」と思っていましたので、仏教思想に近い環境で育ったと言えますし、お墓参りは毎月いきますが、熱心な仏教徒ではありません

クリスマスもイースターもあって良いと思います
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あと、貴方が「一人っ子」であれば、貴方が「入信したかどうか?」は無関係です。



貴方の意思に関わらず、貴方は、仏壇を受け継ぎ、親の位牌を管理し、親が入ったお墓を管理しないといけません。

そこに「貴方の意思」が入り込む余地はありません。

お盆やお彼岸に、お寺から「お彼岸の法会」とかのハガキが届きますし、仏壇があれば、定期的にお坊さんが尋ねてきて、お経を上げます。

よっぽどの事情が無い限り、それを断わる事は出来ません。

貴方が、次男や次女であれば、長男や長女にそれらを押し付ける事も可能ですけどね。
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日本人はみんな神道です。

学校でも道徳、神道の教授が始まります。首相も靖国へ参拝します。国家神道をありがたく受け入れましょう。
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