痔になりやすい生活習慣とは?

 ここでミラー・ニューロン現象とは: 

   相手( A )の・特に疚しいと感じている思いや行動を
   こちら( B )があたかも自分という鏡に映して 
   多少ともその内容を表現してしまうこと

 を言うとします。

 ヤマシサだけに限らないのですが いまはそれをあつかいます。

 そのヤマシサは 一般に・漠然とになりますが 相手もこちらもそう思っているという意味とします。つまり 定まらないのですが そうだと思っていること自体は 事実としてあるというかたちです。

 

 このとき こちら( B )が侵すあやまちについては あたかも相手( A )の代わりにおこなっているということであり ならば多少とも水割りのようなかたちで あやまちの度合いがうすまっているとは思われます。

 けれどもこれは つまり A と B との間において あやまちについての共同自治なのであると考えることが出来るかも分かりません。

 アヤマチであると同時に 共同自治の一環である。そういう見方です。






 さて 一般にコミュニケーションにおいて 相手がけんか腰でやって来たら こちらもけんか腰になって わたしは 応対していました。いまも色濃くそれは のこっています。いつになったら こういったミラー・ニューロン現象は 静まっていくのでしょうか?



 このミラー・ニューロン現象を 自分の中で 避ける・しないと決めた場合は あり得ます。

 それは あやまちうるスサノヲ人間語にもとづくのではなく あたかもそこから去って もはやあやまち得ない〔と冀った〕アマテラス普遍語――アマテラス科学語(真実)およびアマテラス人格語(倫理規範)――の世界にのがれる場合です。
 
 この普遍語アマテラス方言をたくみに駆使し得る場合というのは 神聖にして侵すべからざる権威が 人びとによって着せられます。

 このアマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität )なる権威のもとに生活するなら ミラーニューロン現象は 避けることが出来るかも分かりません。

 けれども そのときには このミラーニューロン現象を起こした相手( A )をどう扱うかと言えば じつは しばしば ウラで処理をする。ということだと思われます。自分( B )の手は汚さない〔恰好をよそおう〕。


 つまりは アマテラス普遍語は だからこそ 普遍語アマテラス方言であるとも言いましたし 見てもいます。



 このときひとつのみちびかれる結論としては 問題が 成るべくあやまちうるスサノヲ人間語にもとづき・これから離れないで できるかぎり主観を共同化しうるアマテラス科学語およびアマテラス人格語としての普遍語を用いる。ここにあることになるかと考えます。

 ミラーニューロン現象を 《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語》なる構造的なコトバをつうじて 生け捕りにするような方向へとすすむこと。これが 求められるものと考えます。




 具体的な事例が出しにくかったのですが 取り敢えずここまでをつづって 当否・成否その他批評・批判を問います。自由なご見解をお寄せください。

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A 回答 (5件)

 #4です。



>特には そのばあい 世界がわたしの認識によって存在するというような見解が発表されているのを見て それに対していだいた違和感から 問うているものです。
>★ 前も言いましたが、物理学者はどこかで、素朴実在論を信じています。そうでなけりゃ、物理なんかやる気はおきませんよ(^^;)。
> ☆ 何だか これは こちらのセリフみたいなんですけれど。

 そうでしたか。健全で安心しました。あちら側に行っちゃわれるのではないかと危惧したもので・・・(^^;)。

 コペンハーゲン解釈と言われるボーアの量子力学解釈は、量子効果とどう付き合っていけば良いかという認識論であったはずなのですが、「世界を決めるのは、観測者の意識だ!」という存在論めいた考えにたやすく結びつくものでもありました。

 ボーアは「世界を決めるのは、観測者の意識だ!」とは言っていません。古典物理の用語の定義に照らすと、「観測した時に、我々が実在と呼ぶものが現れる」としか言いようのない状況ではあるようだ、程度の事は言いましたが。

 そしてコペンハーゲン解釈は観測事実の定性的な公理化だったので、あらゆる場面で役に立ちました。フォン・ノイマンは量子力学を数学的に公理化し、この前お話した波束の収縮が、量子の物理法則からは出てこない事を明確にします。「・・・状況ではあるようだ」を、「・・・状況なのだ」に変えた訳です。それを見たファインマンは言いました。

 「もうとりあえず、観測者の意識が世界を決定すると、しとこうじゃないか。そうしたところで計算結果は常に正しいし、そうでないという立証なんかできはしない」・・・からです(^^;)。

 ところがファインマンはその時すでに有名人で、その上「力学を解釈しなければならない」という古典物理的センスにとっては異常な事態に、哲学の方でも飛びつき、様々な拡大解釈も横行し出したという印象を持っています。さらにシュレーディンガーの猫が拍車をかけた・・・。シュレーディンガーは、量子力学は原理的上どこか不完全である、という事を言いたかっただけなのだと思います。

 なので拮抗ではなく、現在の人達は「コペンハーゲン解釈を唯心論などに結び付けるのは、やはり行き過ぎだ」と思っているはずです。


> ☆ そうしますと けっきょく量子レベルというのか基底レベルが 人間とその社会のレベルなる階層にどれだけその特徴を現わしうるか? こういう問題はあるのでしょうか。ありえないほど 現実の階層は 量子とは別世界をかたちづくっているのでしょうか。それが 相補性でしょうか?

 拡張解釈しないなら、「それが相補性」ではありません。我々は量子そのものを見たいのだけれど、観測するとそれは古典的実在に必ず化けてしまうので、古典物理の言葉を使ってでしか量子力学を定式化できないという、ジレンマ状況を指す言葉です。量子物理に特化した考えです。

 で、別に基底レベルが量子レベルでなくても構わないんです。古典的な原子・分子レベルの挙動を想定しても、階層性については語れます。

 ベナール対流という現象があるんですが(けっこう、ヤカンの中で見れるかも知れない(^^))、それは添付図にあるような綺麗な循環領域を作るように、対流は発生するというものです。対流は鍋の底で熱せられた水が軽くなって上昇しようとするから起こる訳ですが、水やお湯の運動は概ねランダムなので、最初から沸騰時のように温水が底から乱雑に湧き上がっても良いはずです(そうなるケースも存在します)。しかし現実には、添付図にあるような綺麗で暫定的に安定な構造を形成します(ベナール・セル)と言います。

 それを決定するのは、まずレーリー数とプランドル数という流体の特性値です。ええと、プランドル数の方は忘れてしまったのですが、確かレーリー数は流体の持つ粘性の強さと密度(流体分子の質量)の比だったと記憶しています。流体の粘性や密度は、もちろん基底レベルの個々の分子や原子の物理法則から導かれるものです。しかし注目すべきはそこではありません。

 ベナール対流が起こるかどうかは、(粘性,密度)の「組み合わせ」によって決まるからです。さらに鍋の底と水表面の温度差、つまり外気温とコンロの火力にも、決定的に影響されます。

 (粘性,密度,外気温,火力,・・・)のある適切な組み合わせ、これらは個々の原子・分子の物理法則をいかに知ったところで、わからない事です。そこからは絶対に出てきません。集団には集団の現象法則があります。それは現象法則なんですが、基底レベルとは全く別の数理です。そして現実には、そっちの方をより知りたいのかもしれない・・・。

 このような認識のもと、ベナール対流のような現象を語っているのは、散逸系とか非平衡熱力学とか自己組織化、複雑系の科学とか言われる、比較的新しい分野です。

 人間の発生は、間違いなく自己組織化です。そこには物理法則しかないはずなのに(予想では(^^;))、心を持った存在が出来上がる・・・。宇宙の大規模構造も、ビックバン時のユラギによる不均一さが成長した(自己組織化した)ものと言われてるようです。自然に階層性は、きっとありますよ。


>そして ミラーニューロン現象は 量子レベルとは はっきりと別ということでしょうか?

 自分は、はっきり別だと思います。
「外から来るアヤマチ:ミラー・ニューロン現」の回答画像5
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この回答へのお礼

 でーでーてーさん こんばんは。春いちばんを待つ今日この頃における特別集中講義をありがとうございます。


 こうお聞きしてくると 量子の世界というのはますます奇妙な お化けの住むようなところなのですね。

 しかもこのお化けは しっかりと閉じ込めてある。と言うか 火山のようには外に出て来ることはないのですね。別の世界として成り立っている。

 別の世界として閉じ込めたままそのお化けを われわれはこのふつうの世界において利用している。ということでしょうか。






 ★ (粘性,密度,外気温,火力,・・・)のある適切な組み合わせ、これらは個々の原子・分子の物理法則をいかに知ったところで、わからない事です。
 ☆ それでいて 自己組織化するかのような秩序だった対流を起こすのですね。右回りと左回りとが規則正しく交互に現われるのでしょうか。大したものですね。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >そして ミラーニューロン現象は 量子レベルとは はっきりと別ということでしょうか?

 自分は、はっきり別だと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ だとしますと やはり意識の排泄に載せたガミガミ電磁波とか ガミガミ放射線とか ヤマシサ生体電波とか。・・・
 アース役は つらいよがまだまだ続くかも知れません。





 小保方さん。どうも はっきりと残念だったようですね。

お礼日時:2014/03/12 23:04

 #3です。




> 【Q:われ・ことば・表現は 世界と同時一体である。】
>  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8505592.html

> これの回答No.1とNo.5での ねむりねこさんとのやり取りについて コメントを・・・

[No.1に関して]
>☆すなわち 問いのねらいとしては うたのヌシとその心と周りの山々なる環境とは 言葉の生成をめぐって 同時発生である。
>◇ご紹介した「佐保わたり・・・」の方は。
>この歌では、おそらく「鳥・はし・妻」が同時発生的に発生しているのではと。そして、一つの世界を作者の前に現出させている。また、読み手もそのように感じ、この文学的な世界、環境を(心的に)再現する、もしくは心的・文学的な世界を現出させる。

 心の問題として、全く賛成ですし、否定しません。私見を述べれば、言葉という技術は言霊ではないので、いくら口を極めて語ったところで、こちらの真意が伝わるとは限らない。むしろ要らぬ誤解を招くことの方が多い(法律文書のように)。

 その時に重要なのが、言葉のキャッチボールだと思います。けっきょく良く話してみる事なんですが(^^;)、これは口を極めて語る事とは違うと思う。相手との相互作用が確立し、大げさに言えば同じ世界観を共有できたら、二言三言で通じてしまう事も少なくない。これは理系の専門書を読んでる時にも通じる話で、論理や計算の塊と思われている理系の専門書でも、じつは行間を読むことはとても重要なんです。特に独学する場合には。

 でもあなたは上記の事を、物理的な量子揺らぎに結び付けようとしているのだろうか?。


[No.5に関して]
 もしもそうなら現状では、日常世界はほとんど絶対に揺らがないと物理的に信じられているのが定説です。また心の問題を物理法則に還元しても、何も得られないだろうというのも定説です。

 原子レベルの法則がわかったところで、集団レベルにはまた別の法則があり得る。人間も含めた自然現象には、19世紀や20世紀初頭に信じられていた単純世界よりも、もっと豊かで基底レベルの法則だけでは記述しきれない階層性を持っている。今の科学はそういう認識を持っています。これは平たく言うと、数が増えれば質も変わり得るという認識です。

 最後に、

> ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>  「世界を決めるのは、観測者の意識だ!!」ということになります。
>  一時期、一部の哲学者の間でこうした考え方がもてはやされたようです。
>  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
>  ☆ この考え方に違和感をおぼえるところから この質問があります。

についてですが、物理学者達は、たぶんず~っと、この考えに不満だったんです。しかし他にやりようもなかったので、1920年代頃~1980年代初頭で、上記の研究を物理理論として真面目にやったりしてました。象徴的なのは、

  唯心論物理学の誕生,中込照明,海鳴者、1998年.

あたりでしょう。中込さんは保江先生の盟友なので、決して「トンデモ」の部類ではありませんが、自分は賛成しかねる。

 そういう人達はけっこういるようで、「世界を決めるのは、観測者の意識ではない」事を、現行の物理法則から導こうとしているのが、「デコヒーレント理論」です。自分は現状では、これが一番現実的に思える。「デコヒーレント理論」は「シュレーディンガーの猫のパラドックス」を、不完全ながら解決してくれます。

 前も言いましたが、物理学者はどこかで、素朴実在論を信じています。そうでなけりゃ、物理なんかやる気はおきませんよ(^^;)。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ でもあなたは上記の事を、物理的な量子揺らぎに結び付けようとしているのだろうか?。
 ☆ 物理的な現象をタトエとして 人間・社会について・特には 心の問題として あつかおうとしています。

 鳥の声も わたしの心におけるその受け留めも そのとき想い起こされる妻のことも みなあたかも量子のユラギが励起されたようなウゴキ(現象)としてあり それゆえ わたしと世界とは 同時一体であるのではないか? という問いです。

 特には そのばあい 世界がわたしの認識によって存在するというような見解が発表されているのを見て それに対していだいた違和感から 問うているものです。
 
 けっきょくは 物理をしっかりと知らなければ何も言えないことなのに 勇み足のまま 問うています。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・・・「世界を決めるのは、観測者の意識ではない」事を、現行の物理法則から導こうとしているのが、「デコヒーレント理論」です。自分は現状では、これが一番現実的に思える。「デコヒーレント理論」は「シュレーディンガーの猫のパラドックス」を、不完全ながら解決してくれます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。そういう構図は 分かりませんでした。拮抗しているのでしょうか。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 象徴的なのは、

  唯心論物理学の誕生,中込照明,海鳴者、1998年.
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すごい象徴的ですね。看板も 唯心論と来ていますから。

 

 ★ 前も言いましたが、物理学者はどこかで、素朴実在論を信じています。そうでなけりゃ、物理なんかやる気はおきませんよ(^^;)。
 ☆ 何だか これは こちらのセリフみたいなんですけれど。




 ★ [No.5に関して]~~~~~~~~~~
 原子レベルの法則がわかったところで、集団レベルにはまた別の法則があり得る。人間も含めた自然現象には、19世紀や20世紀初頭に信じられていた単純世界よりも、もっと豊かで基底レベルの法則だけでは記述しきれない階層性を持っている。今の科学はそういう認識を持っています。これは平たく言うと、数が増えれば質も変わり得るという認識です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうしますと けっきょく量子レベルというのか基底レベルが 人間とその社会のレベルなる階層にどれだけその特徴を現わしうるか? こういう問題はあるのでしょうか。ありえないほど 現実の階層は 量子とは別世界をかたちづくっているのでしょうか。それが 相補性でしょうか?

 そして ミラーニューロン現象は 量子レベルとは はっきりと別ということでしょうか?

お礼日時:2014/03/11 23:34

 #2です。



 ・・・例によって例え話は、分かりかねました(^^;)。これはイエスが「どうでも良いと思った」という事なのですか?。

 仕方ないので、自分の経験で穴埋めします(^^;)。


(1)
 以前、地球温暖化のホッケースティック曲線に関して発言した事がありました。その板のオーナーは、「自分は専門家でもないし、理系でもない」ので、温暖化に関するある記事を「ざっと読んだ」が、とても信用できる文面ではなかったと言いました。

 それで、ざっとでは駄目でしょう。詳細はわからなくても(自分も詳細は無理だし(^^;))、論理を追ったり、たんにグラフを見て文面と矛盾するかどうかくらいは、誰だって判断出来るはずだと発言しました。

 すると、「自分は専門家でもないし、理系でもないのに、そんな事できる訳がない。出来るなんて言うのは専門家の驕りだ」という返答でした(自分は専門家じゃないってば。理系ではあるけど(^^;))。

 理系文系ではなく「国語力の問題じゃないの?」と言いかけたのですが、そうじゃないなと思いました。結局この人は、真面目に読む気がないのだと。己のイメージに合った回答だけを欲していると感じました。その時点で黙りました(去りました)。何を言っても無駄なので。


(2)
 もう一つは、発言するかけっこう迷ったのですが、反相対性理論を標榜する質問に対してのものです。反相対性理論を標榜する人って、どういう反応をするのだろう?と興味があったんですよ(^^;)。


※重要
 反相対論の全てが、以下のようなものではりません。以下は、ここでの出会いにおける偶然の結果です。


 結果は、人の回答の一部だけを取り上げて揚げ足を取ろうとする、引用文献を要求しても文献調査自体がお粗末極まりない、質問しても応えない・・・などなど。

 そこで感じたのは、己のイメージに合った回答だけを欲している「のではない」。「わざとやっている」というものでしたが、この時点にいたっても去りませんでした。

 「こう言ったら、どう反応するの?」と面白くなっちゃったからです(^^;)。時には「ここは喧嘩腰で行ってみるか!」なんて事もしました。そうすると、喧嘩腰回答の補足やお礼では口汚く罵っていたのに、ベストアンサーに選ばれたりして・・・。「やっぱりこいつ、わざとだな」と思いました。わざとなら、やりようがある。

 もっとも楽しくなっちゃった時点で、実質的には立ち去ったのと同じだとは思います。


<追伸>
 自分は競技スキーを下手の横好きやっているので、世界に出て行くような一流選手の心の内などわかりませんが、思うところはあります。

 まず自分の所属する社会人チームのメンバーは、誰もが「沙羅ちゃん」と言います。浅田真央は「真央」です。

 高梨沙羅の優勝インタビューを聞くたびに、「この子は優等生だなぁ~」と自分は思います。北海道の田舎から出てきたままの純朴な高校生のイメージです。だからいつか、こういう時は来るだろうと思っていました(オリンピックでなくても良かったんですが)。

 身内からの過去の実績からのプレッシャーがあろうと、心が不安定であろうとパフォーマンスを安定させるために、死ぬほど練習するのが体育会系です。心とは関わりのないパフォーマンスを、体に覚えさせるためです。「練習は嘘つかない」は本当ですよ。だからミラーニューロン現象の結果であっても、自分に負けたと言います。

 高梨沙羅は、ソチのジャンプ台に練習の時からずっと手こずってました。だから4位はある意味、順当な結果です。直後のワールトカップでは優勝してますし。でも4位でも泣いたのは、ミラーニューロン現象なんでしょうね。誇っていいのに。

 いっぽう浅田真央のショートプログラムの失敗は、ミラーニューロンでしょう。あれはポカです。心とは関わりのないパフォーマンスを実現するはずの体が、動かなかった。鍛えた人達は九分九厘は大丈夫なはずなんですが、一厘にミラーニューロンが作用する事があるものの、浅田真央は十分に鍛えていたので、フリーでは練習は嘘をつかなかった。その後の笑顔は、高梨沙羅とは対照的に晴れやかでしたよね?。同じく4位なのに。


 高梨沙羅はミラーニューロンと関わりなく4位だったのだが、同効果のおかげでその後泣いた。ソチのジャンプ台が不得意という事実は逆に、「練習は嘘つかい」という事の証左なんですよ。

 浅田真央は、ミラーニューロンのせいでショートプログラムを失敗したかも知れないが、やっぱり「練習は嘘つかなかった」ので、同じ4位でも笑顔は晴れやかだった。


 昔、ニッカネンという天才ジャンパーがいました。今の沙羅ちゃんよりちょっと年上でしたが、それでも二十歳前にワールドカップもオリンピックも制してしまったという人です。当時は二十歳にもなってなかったので、いったいこの人、ワールドカップやオリンピックで何勝するのだろう?って思ってました。

 しかし、その後は転落人生まっしぐらでした。前途洋洋に見えた彼の人生の転落こそ、ミラーニューロン効果かな?。調べたら、たぶん面白いですよ(^^)。残酷だけど。


 いま高梨沙羅は、ニッカネンの記録を越え、女子では世界一の優勝数を持っています。

 自分とは全然かんけいないんだけど、胸が熱くなるのは、どうしてだろう!(^^)。

この回答への補足

 【Q:われ・ことば・表現は 世界と同時一体である。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8505592.html

 これの回答No.1とNo.5での ねむりねこさんとのやり取りについて コメントをお願いできないでしょうか?


 ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もともと世界はあった。われとともにあった。鳥や蛙やとともに あたかも一体としてあった。その中で 声なら声が 言わば世界全体にユラギを起こし これをわれは認識する。(もともとユラギとして 世界はわれもなれ(汝)も一体であった。ユラギが目を覚ました状態になった)。――こういった事態が 世界とわれとのあり方なのではないか?

 というふうに――例によって推測において――問うています。おしえてください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

補足日時:2014/03/11 00:24
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 (1)
 わたしの感覚としての反応をそのまま書いてしまいますが:

 つまり このグラフは かんたんに言って これこれこういうふうに見るとよいと思うくらいの説明をして 去ればよいのではないかと思いました。


 (2)
 わたしならと考えると どうするか?

 たぶん――反相対性理論を知りませんし それの批判もできませんが―― その批判をきちんと説明してつたえるかなと思います。




 <追伸>
 ★ ・・・「練習は嘘つかない」は本当ですよ。だからミラーニューロン現象の結果であっても、自分に負けたと言います。
 ☆ ソチ以後のワールドカップでも 三連勝でしたか。もっとも好敵手がいないので優勝が問題なのではなく きちんとよい成績としての結果を出している。つまり 《練習は嘘つかない》のとおりの結果が出ている。――それなのに オリンピックだけは 別だった。おかしい。ミラーニューロン現象だ。となります。

 ただし 沙羅のときに限って 風が追い風になったとか。そういう不運な外的な条件があったとも言っていますが。それでも そういった風に対しても 乗り越える練習をもしていると 自分で言っていたと思いますから やはり好敵手の側からの《失敗しろ》といった内容の《敗けろ敗けろ放射線》を受けたのだと なお思っております。

 ★ でも4位でも泣いたのは、ミラーニューロン現象なんでしょうね。誇っていいのに。
 ☆ ん? あぁ 周りが《誇ってよいにもかかわらず それをゆるさなかった》ですか。だから その周りの思いを察して 沙羅は泣いた。ううーん。



 ★ いっぽう浅田真央のショートプログラムの失敗は、ミラーニューロンでしょう。あれはポカです。心とは関わりのないパフォーマンスを実現するはずの体が、動かなかった。
 ☆ ん? これは よく飲み込めないなぁ。

 ポカをやったのは 周りからの・特には好敵手の側からの《おまえは 転べ》という念力(?)放射線を受けて その影響が 不覚にも 出てしまった。と見るのですが?


 ★ ソチのジャンプ台が不得意という事実
 ☆ このソチだけが そして沙羅だけが 不得意であるというのは 解せないですねぇ。



 真央の場合は 採点の問題があるようですから それを差し引くと やはり 失敗という出来事がなぜ起きたかという問題になると思います。つまり フリーの演技は 採点でおそらく損をしている。だから あのフリーの演技では さらに加点され メダルにとどいていたかも知れない。


 沙羅は メダルにもとどかなかった結果を受けて 顔がくしゃくしゃになっていた。これこそ 何が起きたのか? どうしてこうなったか? について真剣に向き合っている心だと思った。ミラーニューロン現象だとまでは認識しないと思うけれど 自分の中には原因や理由を探し得なかったのだと思う。んだけれど・・・。
 
 





 
 ○ イエスのタトエ話
 ☆ これは 《これらのもっとも小さな者たちのひとり》に対して 水を飲ませたか飲ませなかったかの問題は その小さな者がイエスであると言っているということは けっきょく弱い者や困っている者を前にしてそれは自分自身であると捉えるかどうかなのだと思われます。

お礼日時:2014/03/11 00:17

 まず、スサノヲ人間語,アマテラス普遍語の正体についてはおいときます。




 で、理想的に上手くいった場合ですが、

>さて 一般にコミュニケーションにおいて 相手がけんか腰でやって来たら・・・

とりあえず怒りを覚えます。これはトリガーです。否応なく実生活を生きている以上、ほとんどのケースはスサノヲ人間語が動機になっていると思います。

 しかし十分な訓練を積めばここで、スサノヲ的に反応するのが得策かどうかの判断が入ります。それはアマテラス普遍語で行います。その結果、

  ・どうでも良い、と思えば「去ります」。

 どうでもよくないと思った時(その多くは自分のスサノヲ的な都合です)、アマテラス普遍語で説得を試みます。論点の明確化あるいは、ずらし(^^;)、相手の自己矛盾への急襲(相手の言説の無意味化)、双方の方法論の違いを指摘すると同時に目的意識の共通項をあげつらう(相手の意見を解釈しなおし、自分の意見の補強材料とする)・・・などです(^^;)。

 しかしこれらの行動の動機の全ては、スサノヲです。そこが何をしたいのか?を、決める気がします。

 それで、
  「・・・表現が違うだけ・・・」
とか、
  「・・・自分の言ってる事と同じくらいに、あなたの言ってる事も不確かだ・・・」
みたいな状態に、持ち込もうとする・・・。

 それでも駄目なら見限って、スサノヲのように、

>こちらもけんか腰になって・・・

やってしまう(^^;)。


 具体的事例には、なりませんか?(^^;)。

この回答への補足

 ミラーニューロンについての事例を思いつきました。

 先ごろあったソチ・オリンピックで 沙羅と真央それぞれの失敗は このミラーニューロン現象として起きたのではないか? とうたがっています。

 むかしは ニッポン柔道の選手が 身内からのプレッシャーを受けるというかたちのミラーニューロン現象であったのではないかと思いますが 昨今の真央や沙羅の場合には ヨソの人たちからのヤマシイ思いや気持ちや情念が かのじょらにそれぞれ乗り移ったのではないか。

 つまりかのじょらは あやまちうるスサノヲ人間語から去らなかった。こういうことだと見るわけです。どうでしょう。

補足日時:2014/03/08 21:20
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 それでも駄目なら見限って、スサノヲのように、

 >こちらもけんか腰になって・・・

 やってしまう(^^;)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これには 思わず笑って(ほほえんで)しまいましたが まづは ご回答をありがとうございます。

 でーでーてーさんでも けんか腰になるときもあるのですね。



 分かっていらっしゃるので もはや次の一点についてお尋ねしてみたいと思います。

 ★ ・どうでも良い、と思えば「去ります」。
 ☆ この《どうでもよさ》をどう捉えるか? どう判断しそう仕分けするのか? についてです。

 例え話でお訊きします。

 というのも例によってイエスという人間は 次のように語ったからです。文脈を必要以上に削ったかも知れませんが。

 ▲ (マタイによる福音書 25:31-46 )~~~~~~~~~~
 http://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html

 ・・・
 35: お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
 36: 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。

 37: すると、正しい人たちが王に答える。
   『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
 38: いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
 39: いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

 40: そこで、王は答える。
   『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

 ・・・
 44: すると、彼らも答える。
   『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

 45: そこで、王は答える。
   『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2014/03/08 20:56

こんばんはです。




あえて類型的にいいますと、
スサノヲ言語 :具象的、自然言語的、感情・感覚的、有機体的
アマテラス言語:抽象的、人工・科学言語的、理性的・合理的、無機的・機械的
という性質を有しているのではないでしょうか。
───あえて、対照的に色づけしたこともありますが(ポリポリ)───

したがって、スサノヲ語を使う人には、アマテラス語で語られた内容は理解が困難、逆も然りです。
同じ桜の花を見ていても、
片や感情を重視し詩的・文学的に語り、
もう片一方は、感情ではなく理性的・科学的に語ろうとする。
いやいや、両者は、同じ桜の花を見ていても、まったく別なものをそこに感じ取っているのかもしれません。
この可能性は否定できません。
そもそも出発点が違うのかもしれません。
そして、「理屈ではないのだ!!」と抗議や不満の声を上げ、「感情的にならないで、落ち着いてよく(合理的に・理詰めで)考えてください」と説得にかかろうとする。そして、この言葉をみみにしたスサノヲ村の人々はさらに激昂し、感情的になってゆく・・・。
この両者の間の溝は永遠に埋まらないのかもしれないですね。

ですから、
~~~~~~
 それは あやまちうるスサノヲ人間語にもとづくのではなく あたかもそこから去って もはやあやまち得ない〔と冀った〕アマテラス普遍語――アマテラス科学語(真実)およびアマテラス人格語(倫理規範)――の世界にのがれる場合です。
 
 この普遍語アマテラス方言をたくみに駆使し得る場合というのは 神聖にして侵すべからざる権威が 人びとによって着せられます。
~~~~~~
は、返って、「火に油を注ぐ」ことになりはしませんでしょうか。
これは、かなり危険です。先方は、「バカにされた」と思うのではないでしょうか?



~~~~~~
 このときひとつのみちびかれる結論としては 問題が 成るべくあやまちうるスサノヲ人間語にもとづき・これから離れないで できるかぎり主観を共同化しうるアマテラス科学語およびアマテラス人格語としての普遍語を用いる。ここにあることになるかと考えます。
~~~~~~
白亜(大学の先生や学問)の世界に住む人や高級官僚などの人々は、なかなかその高みから地べたに降りようとしませんから。
その正確性を期すために、抽象的で難解な(?)アマテラス科学語の使用をやめようとしないのではないでしょうか。


哲学書などはひとまずおきまして、
にしても、
お役所の文章や、法律などの文章や文言は何とかなりませんかね~。
数行読んだだけで、わたしなんぞは、もう辟易として読む気になりませんよ。
読み手の存在を全然意識していないですよ。お役人さんたちの自己満足で終わっていますよ。
分かりやすく伝えようという意識が欠落しているとしか言いようがない。
ちょっと工夫すれば、分かりやすくなるのに、その意識や、そうしようと努力する気持ちが欠落している。
庶民に理解できないように、小難しく書いてありますよ。
あるいは、すこし読んだだけで、読む気を喪失させるために、そうしているとしか思えない。
文章やその内容の正確さと、その分かりやすさとは相反しないはずなんですがね~。

この回答への補足

 ミラーニューロンについては 大昔にいちどここでおそわったことがあって その後 ねこさんからもあらためておそわった知見ですが

 これについての事例を思いつきました。

 先ごろあったソチ・オリンピックで 沙羅と真央それぞれの失敗は このミラーニューロン現象として起きたのではないか? とうたがっています。

 むかしは ニッポン柔道の選手が 身内からのプレッシャーを受けるというかたちのミラーニューロン現象であったのではないかと思いますが 昨今の真央や沙羅の場合には ヨソの人たちからのヤマシイ思いや気持ちや情念が かのじょらにそれぞれ乗り移ったのではないか。

 つまりかのじょらは あやまちうるスサノヲ人間語から去らなかった。こういうことだと見るわけです。どうでしょう。

補足日時:2014/03/08 21:19
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この回答へのお礼

 ◇ そもそも出発点が違うのかもしれません。
 ☆ ここまでは思わなかったのですが――なぜなら ヒトとして生まれて来て 自然本性に種やカテゴリの差はないと思うからですが―― それにしても スサノヲ人間語とアマテラス普遍語との違いに 大きな違いを見ておられるのですね。

 まづは ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
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 同じ桜の花を見ていても、
 片や感情を重視し詩的・文学的に語り、
 もう片一方は、感情ではなく理性的・科学的に語ろうとする。
 いやいや、両者は、同じ桜の花を見ていても、まったく別なものをそこに感じ取っているのかもしれません。
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 ☆ といったことは 大いにあり得るとわたしも考えます。つまりは 同じ人間である相手を見ていても・向き合っていても アマテラス族は スサノヲ庶民のことを ビンボー人で ゾクブツであるとハナから思っているという場合が 現代においても無きにしも非ず。ではないかとは思います。




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  ・・・
  この普遍語アマテラス方言をたくみに駆使し得る場合というのは 神聖にして侵すべからざる権威が 人びとによって着せられます。
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 は、返って、「火に油を注ぐ」ことになりはしませんでしょうか。
 これは、かなり危険です。先方は、「バカにされた」と思うのではないでしょうか?
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 ☆ いえ。そうですが それをねらって言っています。なぜなら 《神聖にして侵すべからざる権威》が いかにもろく むしろしばしばインチキであることが分かっているからです。

 少なくとも 必要以上の・中身以上のカザリをつけられた権威や権限や権力に つねに 落ち入るおそれがあると見られるからです。

 しかもそうであるにもかかわらず 
 ◇ 白亜(大学の先生や学問)の世界に住む人や高級官僚などの人々は、なかなかその高みから地べたに降りようとしませんから
 ☆ 《挑発》しています。(ほんとうは アンチテーゼに対する――アンチテーゼとしての――ジンテーゼなのですが)。



 そうして
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 哲学書などはひとまずおきまして、
 にしても、
 お役所の文章や、法律などの文章や文言は何とかなりませんかね~。
 ・・・・・・
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 ☆ というように 援護射撃(ちょっと物騒な言い方ですが)をしてもらっています。ありがとうございます。

 役人や小賢しい学者に対しては 《折伏》することもむしろ愛なのではないか。こうも考えます。

 

 

お礼日時:2014/03/08 20:35

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