出産前後の痔にはご注意!

文学も国語も大好きで、友人からは「暇さえあれば本を読んでいたね」と言われるくらいなのですが、いまだに源氏物語だけは、その描かれている世界が嫌で、なじめないでいます。
テストのためにしか近づく気になれないままにきてしまい、源氏ブームなどもあって「ちょっとまずいかも」と、ちらっと思うのですが、内容のすべてが受け入れられません。
大雑把なあらすじ程度しか知りませんから、このようなことを言うのもどうかとは思うのですが、同じように感じている人っていませんでしょうか。
偉大すぎる作品のことですので、いまさら身近な人にも聞けず、気になっています。

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A 回答 (11件中1~10件)

 徳川時代は儒教道徳の観点から、「不倫の書」として卑しまれていたそうです。

どの程度一般的な見方かは知りませんが、武士の道徳からは許せないでしょう。天皇崇拝者にも我慢ならない内容でしょうねぇ。

 内容は、金妻ですね。個人的にはイヤですね。道徳的にというより、色々めんどくさそうですし、悩みの種も増えて結局苦労してそうなので、あこがれはしません。でも、たくさん恋愛してることに、たくさんの愛を経験したとか言いつつ美を感じる人には、ドロドロした駆け引きもまた優雅に思えるかもしれません。私自身には、狂気の沙汰です・・。

 でも服装とか綺麗だし、お姫様や王子様、公卿たちが華麗に登場するし、とにかく美しいというのは引きつけられるんでしょう。同じ内容を、社員と団地妻がやっても綺麗でも華麗でもありませんね。衣擦れの音や香で人を偲ぶのは、王朝貴族の雅を思わせます。

 ブームに載っている多くの人は、話自体というより、そういう風景の美しさが引きつけるのだと思います。十二単の好きな女性は多いはず。言ってる内容は同じでも、女子高生が「できちゃった」とか言われると笑えない現実が突きつけられますが、平安時代の貴族なので、現実味もなくなんとなく美しく感じます。
衣擦れの音は、庶民には出せません・・・。

 所詮は作り物として楽しむということですね。それは平安時代も同じかもしれません。帝への不敬罪を適用せずに、楽しんでしまっていますね。源氏物語の世界を地でいった和泉式部などは、「不倫女(浮かれ女)」と藤原道長に嫌われております。現在の私たちがトレンディドラマを見るのと同じで、フィクションとして見ていると思います。それと、現代人が王朝の美を感じるように、あちこちに和歌なども書いてありますし、そういう和漢の教養や文学的才能を、物語を通して見せる場でもあったのでしょう。
半面、武家の時代とは違って、こういう物語を、作り物として楽しむ文化的な余裕もあったということは言えるかもしれませんね。

 服装や貴族趣味からではなくて、もちろん、源氏以前の歌物語程度の書き物を、いきなりあそこまでの長編小説に持っていたその能力や人物描写の力や、文化的な意味を評価している人もたくさんいるでしょうけどね。 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
こんなに多くの方から力強いお返事をいただけるなんて。
不安を払拭することができます。
限りある人生の大切な時間を、自分が意義を認めることのできるものに使いたいと改めて思います。
「服装とか綺麗だし、お姫様や王子様、公卿たちが華麗に登場するし、とにかく美しい」というのは、逆に、荘園で働かされていた数知れない奴隷たちの非人間的な暮らしの上に、彼らのあのような日々があったと思うだけで、ひとかけらの同調もできない気分なのです。
紫式部は藤原道長と特殊な関係にもあったなどとも言われていますし、とにかく私もドロドロした駆け引きや、じとじと・ねとねとした人間関係などごめんこうむりたい派です。
源氏以前の歌物語程度の書き物を、いきなりあそこまでの長編小説に持っていった能力や人物描写の力や、文化的な意味は評価できる・・というのはその通りだと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/08 20:02

まだ締め切られていないようですので、違った視点から。



源氏物語の根底に流れているのは仏教でいう「無常感」です。さらに「罪」でしょうか?
物語のあらすじはご存知のようですから詳しくは延べませんが、晩年源氏は女三宮に裏切られますね。これは「因果応報」です。ではこの「因」を作ったのは誰か?源氏自身です。
このように一見華やかな世界の中で、非常に暗く深いものが漂っているのが源氏物語だと思います。
当時の思想や宗教観を理解したうえで読むと、また違った趣が感じられます。
源氏物語は前半、確かにちゃらちゃらした平安貴族の生活なので、俗にいう「須磨帰り」してしまったら物語の本質はつかめないと思います。
「若菜上」から続く後半は本当になんていうのか‥うなってしまいます。
若いときは後半はもう、なんというか暗くて読んでてしんどくなりましたけど、自分も年を重ねるにつけ源氏物語の面白さはやはり「若菜上」から先(宇治十帖除く)なんだなぁと思う今日この頃です。

とはいっても受験対策などで好きでないものを読むのは確かにつらいですよね。と言うわけで、まじめに読もうとしないで少しちゃらけて読むといいのではないでしょうか?下記のURLは、凄く楽しいサイトです。特に「あらすじ」と「登場人物」はかなり笑ってしまいました。あの源氏という大作にここまでツッコミいれる管理人はすごいです。

あと平安貴族たちの小説として永井路子著「この世をば」をオススメします。平安貴族=政治家たちのドロドロぶりはなんというか、現在の政治家がかわいく思えるほどです。雅な源氏の世界は、当時の人たちの現実逃避から生まれたのではないか・・・私見ですが。

参考URL:http://www.mori-gatari.com/
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この回答へのお礼

熱いお返事をいただき、光栄です。
このサイトのよさ・価値を再認識しています。
いろいろ勉強になることばかりで、感謝します。
派生的に広がってゆくやりとりも、深みと幅と陰影をもたらすもので、いいものだと私は肯定派です。
最近はぐちゃぐちゃしたことはあまり頭に入らないので、それがいいのか悪いのかは判断の難しいところではありますが。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/14 19:54

#8です。

老婆心からいらぬ事を言ってしまってすみません。
でも、思ったことをこうだって言うのはいいことだと思います。

贅沢で遊び三昧に思える生活が許しがたいのか
それともどろどろした恋愛が嫌なのか・・・。
確かに、源氏物語を現代の設定で読んだら
吐き気がしそうな感じですけど
平安時代ということでまたちょっと違うと思うんですよね。

女性が、自分で生き方を決められない時代で
尊い家柄でも親が死んだりすれば、
それこそ男性に恵まれない限り
心もとない生活を送らなければならないわけですよね。
政治にかかわる家系では、道具にされるわけですし。
そんな限られた人生の中でも、せいいっぱいプライドを持って
生きていることが感じられると思うのですが。

それと文学的なことではないですけど
やはり日本人の美意識を大いに感じることが出来ると思うのです。
私は若い頃は、服装とか余り興味がなく読み流していましたが
最近素敵だなあと思うようになりました。
赤い着物の上に白い着物を重ねて、ピンクに
透けて見える桜重ねとか、そういうのを
千年も前の人たちも美しいと思っていたことがすごいですよね。

NHKで化粧品会社の外国人が新しい赤い色の口紅の色を
探る番組を見ましたが、日本の伝統的な染め方を見ると
とても手間がかかりかつ繊細でした。彼はその色に
「AKA」と名づけていて、日本人として何となく誇りに思いました。

なんだかとりとめのないことを書いてしまいましたが
私も、みんなが良いという本でも、「?」と思うこと
たくさんありますよ。
ベストセラーはとりあえず落ち着くまで読みたくないし。
でも、読まないでいるのも癪なんですよね・・・。

人間である限り、何千年経とうとも
どんなに文明文化科学技術が発達しようとも
恋愛事情だけは変わらないというのが私の感想です。

参考になりましたでしょうか・・・
因みに私が一番感動した本は遠藤周作の「深い河」です。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。
ふと思ったのですが、私が「奴隷が・・」とか「作者と道長が・・」とか言ったのは、ただ単に苦手の口実だったかもしれないということです。
こうしてみなさんのご意見を伺っていろいろ勉強になりました。
自己洞察の意味も含めて。(大げさですが)
遠藤周作の「深い河」を教えていただきましたので、読んでみたいと思いました。
感謝します。

お礼日時:2004/05/12 12:05

6です。


なんだか、私の書き込みのせいで、片意地に古典を否定させたのかぁと思って心配しておりますが? 8さんへの返信を見るとそうでもないということでしょうか? 

古典は、基本的に身分制の中で出来た物ですからね。それを言い出すと、ほとんど全ての古典は否定されてしまいます。

それも個人としての読み方では、悪いとは思いませんが、古典の世界に階級制度への批判を持ち出して批判しだすと、中国共産党の文革時の古典研究になってしまいます。あちらの国の研究書には、今でもそうかは知りませんが、一時は、よく「これは階級制度的には、庶民を虐げ~~~~だが、この時代としては、思想的には良い面もあった」という評価がついていました。それは研究者の身を守る手段だったのでしょう。

「服装も綺麗だし」なんて言うと、文字通り殺される時代があったわけです。今それが言えるのは、脳天気ではありますが、作り事として楽しめるようになったからです。

好きかどうかという個人的な事は別として(私もストー自体は好きではないと言っております)、文化的な遺産に対して、こういう評価を前面にアプローチするいうのは、つらいことですし、また視野の狭いことです。

作り世界の中では、華やかな貴族達ですが、道長の姪に当たる中宮定子の娘は道長によって毒殺されたといいますね。つまり、大叔父によって毒殺されたわけです。遊女になっていった貴族の娘もおりますね。決して、物語の世界にあるように華やかで奴隷を抑圧してだけいる世界ではなくて、自らも身分制の中で結構つらい人生を歩んでいる人も多いです。所詮は物語りですから、源氏や有力貴族に相手にされなくなった貴族達がのたれ死んだなんて話は書いていないだけです。しかし、そこを超えられないことを、どう評価するかは、それこそ人それぞれだと思いますが・・。

単に左翼的思想からのご批判であれば、主義ですので他人の言うべきことではないと思って見ておりましたが、そうではないということなので、責任を感じて補足させていただきました。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
左翼的思想からの批判などとんでもないことで、大切なお時間を私の為に割いていただいたことに感謝あるのみです。
なんとなく気になっていたことを深い考えもなしに質問してしまって、お礼の中で少し軽口になってしまったことを反省しています。
これをきっかけにしていろいろ友人たちとの会話を深め、今後の指針にしたいと思っています。
あっちにふらふらこっちにふらふらみたいで、ご不快な思いをさせたかも知れず、申し訳ないことでした。
ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2004/05/11 20:21

好き嫌いは別として、ぜひとも読んでみて欲しいです。

若いうちに一度。
そして、大人になっていろんな経験をしてからまた改めて
読んでみたときに、違う感じ方をできればより世界が広がると思うのです。
映画でも、そうじゃないですか?
高校生のときに見てあまり何も感じなかったのに
大人になってから見てみてみるとこんなにも
迫るものがあったのか・・・と思うことが多々ありますよ。

光源氏ような生き方は、多くの男の人にはあこがれでしょうし
女性にとっても、「抱かれたい男」なんて記事があるくらいですから
そういうのも素敵、と思う人もいるでしょう。
くそ真面目で、型どおりの仕事しか出来ない、そして仕事が終われば
一目散に家に帰り、趣味はなく、ただ奥さんの後を
ついてまわるような男の人が文学になるとは思えないですよね。
かっこよくて、頭も良くて、風雅にも長け、センスもよい男の人が
しっかりと家庭を守っていても文学にはならないわけです。

千年も昔の話とはいえ、源氏物語の女性たちには
女性としての生き方を考えさせられます。
さまざまですよ。
プライドを崩せなかったために幸せになれなかった女性。
プライドをずたずたにされ生霊にまでなった女性。
ただただ幼く思慮浅いために破滅する女性など。
紫の上が、何があってもひたすら耐えて明るく優しく
生きていたのに、源氏が後年三宮を迎えてから
嘆き悲しむ様子は、身にしみるものがあります。
若いうちはわからないと思いますが、
30前後になると、こういうことだったんだ・・・
とわかるようになります。

光源氏もさんざんなことやってますが、
もともとは藤壺の宮へのかなわぬ恋を埋めるため
だったのでは、と思います。
それほど、彼女への想いが強かったのかな、と。
でも、現実的にはそんな男性はむかつくだけだけですが。


>荘園で働かされていた数知れない奴隷たちの非人間的な暮らしの上に、彼らのあのような日々があったと思うだけでも、ひとかけらの同調もできないでいました。

少し話がずれますが、私たち日本人の暮らしも、自分たちが
意識していないところで苦しんでいる多くの人によって
成り立っているのですよ。いくら自分が清く正しい生活を
送っていると思っても、そうではないと思います。
私たちの周りにあふれる品物も、海外で安い賃金で雇われている
人たちによって作られていますけれど、その人たちは
何年か働いて賃金が上がりそうになったら簡単に
辞めさせられるそうですよ。
平安時代を否定するのは、私たち自身を否定することだと思いますよ。
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この回答へのお礼

熱い思いをお伝えいただきありがたく読ませていただきました。
心してもう一度今後の私のあり方を考えてみたいと思います。
おっしゃることはとても良くわかります。
私も決して平安時代を否定してなどいないつもりです。
誤解される書き方だとは思っていましたが。
私たち日本人の暮らしも、自分たちが意識していないところで苦しんでいる多くの人によって
成り立っているというのもわかっているつもりです。
いろいろ、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/10 23:33

私もどうしてもなじめません。

本は結構読んでいると思うし、漫画も結構読んでいるので、源氏物語も、色々な人が書かれたものを読みました。それでも、どうしても・・・許せないものがあるとでも言いましょうか?
あらすじも登場人物も大体把握しているとは思っているのですが、宇治十帖に至るまで、むかつきます。
あれは平安時代だからこそ許される話で、現在に光源氏や薫の様な人がいたら、非難の的です。
平安時代の貴族社会の背景や行事などを知るには良いと思いますが、物語として現代意識で読むには抵抗があっても良いと思います。
なじめないものは、なじめないものです。頑張って読もう、なじもうと思って読む時点で楽しくはない。学校などの授業でやるというならどうしても避けられないものですが、読書として読むのなら、楽しい方が良いに決まってます!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
こんなに多くの方から力強いお返事をいただけるなんて。
不安を払拭することができます。
限りある人生の大切な時間を、自分が意義を認めることのできるものに使いたいと改めて思います。
荘園で働かされていた数知れない奴隷たちの非人間的な暮らしの上に、彼らのあのような日々があったと思うだけでも、ひとかけらの同調もできないでいました。
(平安時代だって許されない!!!)
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/08 19:48

 言いにくいですが、私は、あれは本当はエロ本だと思っています。

職業柄そうはいえず、、、。あれが好きだなんて言ってる気品のありそうなおば様をみると (1) 本当は読んでない (2) エッチィ!のどちらかとおもいます。

 でも、当時の風俗、生活習慣を知るのはいいかなとはおもってます。社会学的に。

 あなたの感性がまともだと思います。
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この回答へのお礼

この質問をして本当によかったと思っています。
ありがとうございました。
「あなたの感性がまともだと思います。」とは、なんと力強いお言葉!!!
どうしてあれが日本を代表するような作品なのかと、なんともいえない気持でいました。
社会学的に意味があるというのはわかります。
感謝します。

お礼日時:2004/05/07 21:13

別にまずくも何ともないのではありませんか?好き嫌いは理屈ではありませんもの。


「大雑把なあらすじ」やマンガしか知らずに源氏物語を理解したようなことを言うよりは正直だと思います。私も最近のベストセラーや、100人のうち99人までが感動したというような類で、好きになれないものは
たくさんありますから。
ただ、少なくとも偏見はもたないで頂きたいと思います。
知ったような人の意見で「つまりレイプ小説でしょ」「今で言うロマンス本よね」などと言う人もいますが、それだけのものならば千年も残り評価されるとは思いません。
私も好き側の意見ですので申し訳ありません。
でも知っていて得をすること、たとえば日本の美術やその後の時代の古典や現代小説への系譜を理解するのに、知っていればこその楽しみもあることもわかってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにそうですよね。
人によっては人生が変わってしまったとさえ言って騒いでいた「星の王子様」にも、さほど特段の突き抜けたような感動はなく、そのことを信頼できる人に伝えたら「私も」と言われ、ほっとした覚えがあります。
ですが、確かに、日本の美術やその後の時代の古典や現代小説への系譜を理解するのに、知っていればこそということは多いと思いますから、みなさんのアドバイスを参考にこれからチャレンジできたらいいなと思います。

お礼日時:2004/05/07 20:45

当時、皇族の中に、とんでもないドラ息子がいて、悪行の限りをつくしていた。

怒った紫式部は、筆禍の及ばないように全力を挙げてドラ息子周辺を批判しまくった。源氏物語は、平安時代の「フォーカス」(暴露記事)として、文の内容を理解し、賛同した当時の貴族達にうけた。時代は巡り、迫真の中身が風化してしまった。今や受験技術の材料にもなっている。
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この回答へのお礼

なるほど、そういう背景があったとは初耳でした。
私が何となく受け入れられなかったのはフォーカスだったからなのかもしれません。
心底、とんでもないドラ息子だと思います。
あれは怒った紫式部の全力を挙げてのドラ息子周辺への批判本だったのですか。
そういう下地というか、作者の息遣いまではとても感じ取ることができないでいました。
あの文章ではそれはちょっと無理ですね、私には。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/07 20:54

私の夫も非常に源氏物語が嫌いです。


夫はマンガ好きですが大和和記さんの
あさきゆめみし(源氏物語のマンガ)だけ
集めていないのでなぜか聞いてみたところ
「男に都合のよい女と結局愛しているのが自分自身なだけな主人公しかいないくだらない価値観が大嫌い」との事でした。
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この回答へのお礼

端的に、私と同じ感覚のご主人のことをお答えくださり、ありがとうございます。
たぶん、ふだんわざわざ口にはしなくても、こういう方は
かなりいるのかもしれませんね。
「源氏を読む会」なんて聞くと、なんともいえない気分になっていましたが、少しでんと構えていようという気になりました。
感謝します。

お礼日時:2004/05/07 21:06

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Q源氏物語の持つ意味ってなんでしょう?

こんにちは。
先日(といっても年始)、「千年の恋 ひかる源氏物語」を見に行った話を友人にしたら、彼は「源氏物語ってエロ小説だろ、あれのどこが素晴らしいのか、女の子が面白がる理由が理解できない。」と言われました。確かにそういわれると身も蓋もないのですが...
私は「女性が書いたはじめてのかな文学の長編小説である」という歴史的意味があると解釈している(この認識自体が間違ってたらどうしよう...)のですが、あの物語の凄さについて、友人を納得させられるよい回答がありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。

そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。
もちろん、女性が書いた初めての長編小説であることも歴史的意義があります。

純粋に物語としての魅力をあげると、
・膨大な登場人物一人ひとりの書き分けが出来ていて、魅力ある様々な
 人物を創造している。
 なんせ、源氏占い(クイズに答えると、「登場人物の誰か」という
 診断ができる)というのがあるほどですから。
 (最近となえられ始めた説ですが、それぞれの人物に合わせて
  和歌のうまい、へたのレベルも書き分けられてるらしいです)

・光源氏という人物(ヒーロー)の創造。
 (在原業平につぐアイドル?を女性の手でつくった)
 どんなに評判が悪くっても、日本人みんな「光の君」というと
 知ってる、というのはすごいこと。好き嫌いは別として。

・長い年代にわたる一大ロマン小説の構成
 桐壺から宇治十帖まで、親子3代にわたる長編ロマンというのが
 千年前に描かれていたことはすごい!
 付録の家系図なんか読むとくらくらしますね。人物多くて。

古典としての価値は
・当時の風俗・習慣・考え方(仏教の思想など)を垣間見る
 ことができる。
・膨大な数の和歌(登場人物が作ったとされている)が載っている。
・古文の味わい。
・当時の都(京都)の様子をしのぶことができる。
 (今でも嵯峨野・宇治に行き、源氏ツアーが楽しめます)

結局、ひとつの小説作品として考えると、好き・嫌いは分かれるでしょうし、
光源氏を良いと思うか否か、でも評価は分かれるでしょうね。

でも、女の子の面白がる理由の一つはやはり、光が好きか、または、やはり時代は違っても人の恋愛話は面白い、ということではないでしょうか・・・。

たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。

そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。
もちろん、女性が書いた...続きを読む

Q何故紫の上は?

いつも思うのですが、何故紫の上が野分の帖で夕顔に姿を見られても非難されないのですか?

これって彼女が聡明でいつもしっかりしているから責められてないけど、れっきとした過失ですよね?

コレに対し、源氏の正妻、女三宮が柏木に姿を見られて、不義の子を宿してしまったら、「それみたことか」と非難されています。かわいそすぎます。あんまりですよね?相手が悪くて結果(不義の子懐妊)が出ただけで、紫の上の過失も同じ事だと思います。実際源氏が「夕顔に顔を見られたのでは?」と懸念もしていますし。

夕霧が紫の上の姿を見て、恋焦がれたものの持ち前の真面目さと理性で、行動には出ずに済んだだけで、台風だったとはいえ、端近にいたのは女三宮と同じだと思うんです。あれだけ女房がいながら。。。

結局紫式部が紫の上を理想の女性として描いているから、誰も彼女を非難できないようになっている気がしますが、皆様どう思われますか?
私は欠点がなさすぎる紫の上が嫌いだからかもしれません。

Aベストアンサー

女三宮と紫の上、同じように姿をさらしたのに、なぜ片方だけが非難されてしまうのか?との事ですが、これはやはり二人の人格設定が大きく関係しているのではないでしょうか。

想像するに、あるとき作者は夕霧に紫の上を垣間見させる、という状況を思いつきました。
しかし若紫のいたいけな頃ならともかく、今や六条院の女主人の地位についた聡明でたしなみ深い彼女が、やすやすと姿をあらわにするのはキャラクタのイメージダウンになりかねません。
そこで思案の末、季節は秋、近年稀に見る野分が襲来し、常日頃愛でている前栽の草花を心配するあまり、つい何時もより端近に出てしまった。
有能なはずの女房達も 吹き上げられる御簾の方に集中し、頼みの源氏はおびえる明石の姫君の方へ・・・といういわゆる非常事態を作り上げたのでしょう。
可能な限り悪条件をそろえておいて「このような日だったら、さすがの紫の上に隙が出来たとしても仕方が無い。それに花の様子を気遣われるとは、なんとまあ、お心の優しいことよ!」と夕霧に(そしておそらくは読者にも)思わせても違和感が無いように。
方や女三宮の場合ですが、どうやら身分の割にはあまり優れたお人柄ではないようだ、と感じていた夕霧は、垣間見の一件で更に幻滅する事になってしまいます。
夕暮れ時とはいえ、外部からはっきり見られる程の場所に立ち、蹴鞠見物にかまけて御簾が上がっても微動だにせず(御簾が上がった事に気づかないのではなく、本来は速やかに隠れるべき事に思い至らないという事ですね)夕霧の必死の合図でようやく奥に下がるという鈍さ・・・。

petite_mtlさんがおっしゃる通り、事実だけを見れば、確かにどちらも過失の類いに入るのだろうと、私も思います。
ではその過失にも関わらず、紫の上ばかりが非難の対象にならぬよう設定されたのか、と言えば、そこには<重要なのは、垣間見されぬ事よりも、いつ垣間見されても恥ずかしくないような嗜みを身につけておく事だ>という作者独自の価値観にあるのではないかと思うのです。
(話はそれますが『空蝉』の巻で、空蝉の君と軒端の荻の君が碁を打つのを源氏が覗くシーンがありますね。あまり美人ではないが慎み深い空蝉に好意を抱き、可愛らしい容姿にも関わらずだらしのない軒端荻に軽薄さを感じます。結局、その後肉体関係を結ぶのは軒端荻なのですが、不美人なはずの空蝉の方にずっと強く未練を残し、最終的には出家した彼女を引き取ってやるのです)
作者にとって紫の上が理想の女性、というよりも、<物語の典型的な女主人公>として紫の上のキャラクタ設定をしている、かと思いますので、<本来は過失であるはずの垣間見が問題にならないくらい、花を欺くばかりに美しく気品漂う女主人公>を読者に再確認させる事、そこに『野分』を書いた目的の一つでは、と想像します。
そしてその逆の意味を込めて書いたのが、『若菜上』の蹴鞠のシーンではないでしょうか。
源氏は密通がばれて、ひたすら子供のように縮こまる彼女を見て「女の頼りなく子供っぽい様子が、男の恋心に更に煽ってしまい、行き着く所に行ってしまうのだろう。その点、玉葛は自分に言い寄られても上手くあしらっていたし、髭黒とあんな形で結婚することになっても人から見て見苦しくないような態度をとっていたなあ」と嘆息しています。

人目に着かぬよう気をつけるのはマナーの基本だけれど、かといって一日中格子を降ろしている訳に行かないし、薄暗い母屋の中ばかりで過ごすのも味気ない。何よりも巡る季節の移ろいを肌で感じ心をふるわせる事も、歌を詠み琴をかき鳴らすといった自己表現の礎になるもの・・・花や月を愛でる為に端近に出る事も、時によっては必要でしょう、但し、あくまで気品のある振る舞いを身につけた上で。
垣間見されてもその際の態度によって、また最悪夜這されてしまったとしてもその後の対処の仕方によって、その女性の人間的価値が察せられるのだ、といった紫式部の心の声が聞こえてくる気がするのですが、極論でしょうか。

作者は藤壷との密通の因果応報として、紫の上と夕霧の密通を予定していたが、何らかの理由でそれを取りやめた、という見識もあるようです。
その場合、源氏の苦悩たるや女三宮と柏木のバージョンの比では無いでしょうね。

女三宮と紫の上、同じように姿をさらしたのに、なぜ片方だけが非難されてしまうのか?との事ですが、これはやはり二人の人格設定が大きく関係しているのではないでしょうか。

想像するに、あるとき作者は夕霧に紫の上を垣間見させる、という状況を思いつきました。
しかし若紫のいたいけな頃ならともかく、今や六条院の女主人の地位についた聡明でたしなみ深い彼女が、やすやすと姿をあらわにするのはキャラクタのイメージダウンになりかねません。
そこで思案の末、季節は秋、近年稀に見る野分が襲来し、常...続きを読む

Qチャールズがカミラさんにこれほど惚れたのは何故?

イギリス王室の世紀の結婚式を拝見してました。
もし、ダイアナさんが生きてらしたら何処の席で息子さんの結婚式を
ご覧になってたんでしょうか?
いつも疑問に思ってたのは何故美しいダイアナさんよりあの下品なカミラ
さんと長い間不倫を続け、愛を注いだのでしょうか?
男女間のミステリーを感じます。
不誠実な夫に耐えかねた妻の最後はあまりにも悲劇的、それなのに
カミラはちゃっかりとイギリス王室の一員となってしまった。
カミラの前の夫が彼女は凄い床上手だと発言したのを記事で読んだ
事があります。
"君のタンポンになりたい”という信じられない言葉を盗聴されてしまった
チャールズ。
そこまでカミラを愛し続けたのは何故?相性?同じ趣味?価値観?
真面目に答えて欲しいです。

Aベストアンサー

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。

ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。
しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。

チャールズの母であるエリザベスは王女だった為にチャールズに対して母として接する機会があまりなく愛情不足だったと思われます。
チャールズは気難しく理屈っぽい。正直さ、率直な振る舞いが特徴です。
伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。

そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。
ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。
ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。
しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。
ですから元々の性格は真逆だったと思われます。
その為チャールズはダイアナに寄りつかなくなったのかもしれません。

もちろんダイアナは理屈を理解しようと努力をした事は伺えるのですが・・・理解は出来ても許容する事が出来なかったと思われます。

そしてカミラの場合は難しい理屈などは置いておきたい人のようです。
カミラにとって重要な事は自分を求め愛してくれる人がいること。
ドロドロとした三角関係にあってもチャールズの事を理解しそして許容する事が出来る方のようです。

気難しい彼に対してデリケートな部分を刺激したりしない、とても尊重してくれる方だと言われてます。
そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。
愛する男性を子の様に慈しみ、命を捧げて生涯を守るほどの古典的な母たる姿勢を崩さなかった事と周りから何を言われても誇り高く、強い女性であった為にチャールズにとっては不可欠な女性だったのだと思います。

長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか?
ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。

私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠...続きを読む

Q紫の上は、なぜ子どもを産まなかったか?

『源氏物語』に登場する紫の上は、最期まで子供を産むことがありませんでした。光源氏がもっとも愛していたのは、紫の上と考えらているのにです。作者の紫式部は、なぜ紫の上に子を授けなかったのでしょうか?
紫の上に永遠の若さを与えるためとか、紫の上に苦しみを与えるためとか正反対の意見とも取れるものがあります。他にどのような説がありますか?
あるいはどのように考えられますか?お教えください。

Aベストアンサー

No.3です。
>子が生まれなかったのは、ハッピーエンドにしないためだったということですか?以下のご回答はなぜ、紫上が子どもを作者に生ませてもらえなかったのかの回答にはなっていないと思いますが。

権勢を極め、好きな女性を身の回りに集めて自分に悦に言っている色男にハッピーエンドを与えたら、話になりません。最愛の女性に子供が産ませないのは作者の因果応報の仏教的思想から、ある意味当然のストリーではないでしょうか?さらに念を入れて、正妻である三の宮は不義の子を身ごもらせるのは、自分が不義を犯し藤壺の宮を孕ませたことを光源氏に過去の罪を再認識させています。
 この因果応報のストーリーの底に流れるのが無常でしょう。

 >真に紫の上の愛情に源氏が気づいたのは、紫上死後だと思うのです。死後の源氏の乱れようが如実に示しています。

 光源氏が紫の上への自分の愛情に気付くのは正妻の三ノ宮をもらってからで、正妻に近づかなくなります。紫に上にしてみれば、本当に自分を愛してくれているのなら、三ノ宮を娶らないでほしいと強く望んでいたと思います。それが通じなかったことで、紫の上は死へ傾斜していくのだと解釈します。
 源氏物語の主人公は光源氏ですが、本当は光源氏を取り巻く女たちの群像を描くことが作者の目的であったと解釈しています。

No.3です。
>子が生まれなかったのは、ハッピーエンドにしないためだったということですか?以下のご回答はなぜ、紫上が子どもを作者に生ませてもらえなかったのかの回答にはなっていないと思いますが。

権勢を極め、好きな女性を身の回りに集めて自分に悦に言っている色男にハッピーエンドを与えたら、話になりません。最愛の女性に子供が産ませないのは作者の因果応報の仏教的思想から、ある意味当然のストリーではないでしょうか?さらに念を入れて、正妻である三の宮は不義の子を身ごもらせるのは、自分...続きを読む

Q通りすがりに悪口を言う人を、取り巻く人間関係とは?

私は、通りすがりの人(主に女性)に悪口を聞こえるように言われたことが、何度かあります。
友人、知人、親、いとこなどに聞きましても、やはり通りすがりの人に嫌がらせを受けたことがあるようです。
悪口の内容は、(キレイじゃない、服装がダサイ、アクセサリーの悪口、バカ、ブス、死ね、チビ、)など容姿に関わる、ありとあらゆる悪口が主です。
すれ違い際に、悪口を言われて、えっ?と思った瞬間はその人は、歩き去ってもういません。

行動についても、講座で一番前に座った人のことを、「ふつう、一番前には座らないよね?」とか電車に駆け込んで乗った人のことを「必死だね?ふつう、あきらめるよね?」とか平気で大きな声で言っているのを何度か見聞きしたことがあります。

そこで、通りすがりの人に悪口を言っている人は、数秒で悪口を探して(目について)言うことをしているわけですから、その人と関わっている人たちの人間関係は、(家族間、学生、社会人、主婦の間、趣味仲間、友人間と多種多様な間柄)で同じように悪口のオンパレードを関わった相手に言うから、みんなから嫌われている存在なのでしょうか?
それとも、そういう自分に関わる人間関係では、あからさまには悪口を出さないようにしているのかも知りたいです。陰口だけにとどめて言わないとか。

通りすがりの関係ない人でさえ、数秒で悪口を言わずにはいられない性格なら、その人を取り巻く人間関係って、どうなのだろうと思います。

何か御存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
よろしくお願いいたします。

私は、通りすがりの人(主に女性)に悪口を聞こえるように言われたことが、何度かあります。
友人、知人、親、いとこなどに聞きましても、やはり通りすがりの人に嫌がらせを受けたことがあるようです。
悪口の内容は、(キレイじゃない、服装がダサイ、アクセサリーの悪口、バカ、ブス、死ね、チビ、)など容姿に関わる、ありとあらゆる悪口が主です。
すれ違い際に、悪口を言われて、えっ?と思った瞬間はその人は、歩き去ってもういません。

行動についても、講座で一番前に座った人のことを、「ふつう、一番前...続きを読む

Aベストアンサー

つまり、
「通りかかった知らない人に言葉の暴言をはく」人は身近な人に対してどうしてるか?っということでしょ?

簡単ですよ。それは当然、嫌な人が自分の周りに一人でも居れば「暴言をはく」のは当然で 決まって敵が多い自分の中で問題を抱えてる人という事でしょう。

しかし、通りすがった人のうち言われて黙ってる人ばかりじゃ ありませんから、もちろん言い返されれば自分自身も傷ついてるはずですよ。

‥。。。 だったら知らない人に失礼な事を言うべきじゃないでしょう!となりますから。

言えば「自分も傷つく」のだと覚悟の上でしょうね。

このような人は乏しい心の病気を抱えてるんでしょう。

Q「源氏物語」の中で好きなキャラクターは?

源氏物語が好きな方たちにぜひぜひお聞きしたかったのですが一番好きなキャラクターは誰ですか?理由も教えてください。
もちろん原文の「源氏」に出てくるイメージ以外に、わかりやすく小説化されたものや「あさきゆめみし」などコミックに登場する姿に対してでも結構です。

Aベストアンサー

 
「キャラクター」とかいうと困りますが、「登場人物」と言えば、これは、紫上以外にはないのではないかと思います。円地文子の現代語訳と大和和紀のコミック、更に、「六条のおばはん」とか書いていた田辺聖子の翻案小説(と言っても、ほぼ原作に近いですが)などが入り交じり、何か訳が分からないのです。

イメージ的には、どうしても、コミックの影響が強くなりますが、源氏が太政大臣になって権力を掌握して栄華栄耀を極めた時期には、円地文子の訳では、源氏は、でっぷり太った(とは言い過ぎですが)、堂々とした精力に満ちる「男」として出てくるので、これはコミックのイメージとはだいぶ違います。

源氏はロリコン趣味で、小柄な女性を愛したので、紫上も当然、小柄な女性なのです。明石君も小柄な女性のはずです。

紫上とはどういう人であったのか、はっきりしません。少女の頃に、源氏が笛を吹き、若紫が琴を弾くという情景がありますが、あれは、一条天皇と、その中宮(藤原道長の娘)彰子の様子を映したのだという説があります。

人物造形としては、もっとも複雑な人物というか、「物語」の登場人物の域を超えた造形だと思います。作者が自己投影していたのだと思います。六条御息所、葵上、朧月夜、明石君、玉鬘などは、いかにも、物語の登場人物として人物を設計したように見えるのですが、紫上は、かなり複雑だと思います。

単に、聡明であるとか、芸術的感性が豊かという以上に、「心の深さ」があるのです。花散里は、心が穏やかな、安らぎのある女性ですが、紫は、その深い心のなかに、情熱的な愛と、素直な優しい心と、不安定な自己の存在の悲しみを、同時に具現していた、備えていたとも思えます。

作者は、紫上に源氏の子供を産ませることをしません。紫上は、明石君の娘の姫を代わりに育てます。六条院の新年の衣装選びで、明石君は、雅やかさが強調され、紫上は、美人であることが強調されますが、よく考えると、紫上の衣装は、その六条院における立場を意味しているのであって、彼女の個性を表したのかどうか疑問です。

明石の姫君が母親から別れる時、藤式部の文章は、明石君に対し、中宮の母にささげる、最上級の敬語を使っているという指摘があります。まだ明石の姫君は童女で、将来はまったく不明であるにも拘わらずです。源氏が、明石君に雅やかな衣装を選んだのは、この延長上にあるとも思えます。

源氏物語の主要な女性のなかで、出自や、後見や、成長が不安定なのは、実は紫上なのです。兵部卿宮の脇腹の娘というのは、六条院で、三宮が出現するまでは、源氏の正室の立場にあるには、それぐらいの身分が最低必要だったからですが、「脇腹の女王」で、しかも身分に相応しい育ち方をしていません。

玉鬘の物語は、典型的な貴種流離譚で、数奇な運命に玉鬘は翻弄されますが、結局、ハッピー・エンドと一応なります。紫上は、玉鬘よりも数奇な運命だったとも言えるのですが、そういう風に見えません。それは、外面的な流離ではなく、内面の流離が紫上の人生だったからだと思います。

紫上は、源氏よりも年下ですが、姉か母親のようにも見えることがあります。源氏にとって、紫上は、娘で、妹で、恋人で、妻で、姉で、母であったことになり、紫上とは、一体、どういう人なのか、と驚くのです。

紫上は、絶望の心のなかで、それでもある平安の境地を得て、世を去ったのだと思います。紫上の心のなかに結ぼれた、愛や悲しみや、生きることの矛盾や不安は、死によって解消されなかったのであり、ここで、『宇治編』の大君や中君の物語、そして、薫の願いを断る浮舟の話のエンディングへと展開して行くのです。

これは、『源氏物語』を概説しているのではなく、結局、紫上を中心として、過去、未来のすべてのできごとが旋回しているということです。源氏を中心に置くか、紫上を中心に置くかで、『源氏物語』は違ったように見えて来るのです。源氏を中心に考えると、何故、『宇治編』が必要なのか、何故、浮舟のエピソードで、唐突に話が終わるのか、分からないのです。

数多くの女性登場人物たちは、紫上の存在に陰影を与えるために配置されたようにも思えるのです。『源氏物語』の主人公は、紫上ではないかと言えるのです。その心の深みに、星の輝く暗黒と、春の光に香る花花を持った女性でしょう。
 

 
「キャラクター」とかいうと困りますが、「登場人物」と言えば、これは、紫上以外にはないのではないかと思います。円地文子の現代語訳と大和和紀のコミック、更に、「六条のおばはん」とか書いていた田辺聖子の翻案小説(と言っても、ほぼ原作に近いですが)などが入り交じり、何か訳が分からないのです。

イメージ的には、どうしても、コミックの影響が強くなりますが、源氏が太政大臣になって権力を掌握して栄華栄耀を極めた時期には、円地文子の訳では、源氏は、でっぷり太った(とは言い過ぎですが)...続きを読む

Qフランス語とドイツ語どっちがいいですか?

今年から大学で第二外国語勉強するのですが、
わけあって、後に英語とともに、フランス語かドイツ語の試験(卒業など学業には関係ない)を受ける必要があります。
試験に受かる事だけを考えて勉強しやすい(簡単)なのはどちらでしょうか?

それぞれについて長所・短所など些細な事でも構いませんので、なんでも教えてください。
失敗談や苦労する点なども教えていただけると非常にありがたいです。

Aベストアンサー

フランス語と比べるなら、ドイツ語は暗記して駆使しなければいけない情報量が「格段」に多いです。

例:新しい単語が出るたび単数形と複数形を両方個別に覚えなくてはいけない。(片方からもうひとつを誘導できない)

例2:格変化を理解するのは難しくないが、使い分けるのは大変。a, the, my, big, this などに相当する名詞を導く語をすべて16通りの可能性から選ばなければいけない。形容詞は加えて他の冠詞と合わさるかどうかでチョイスが3倍に増えます。

例3:フランス語で文法を間違えれば、それはほとんどの場合文法の間違いと認識されるだけで、意味は通ることが多い。ドイツ語でやっかいなのは文法が意味の伝達で非常に重要だということ。たとえば「私に猫がおもちゃの好きです。」と言われたら、真意を探るのにかなりの推理力がいります。ドイツ語では名詞の性や格を間違えるだけでこのような間違いが頻発します。

口頭や論文試験ならどちらでもいいと思います。文法の些細な間違いがその答えをまるごとばつにされる設問が多いような試験なら、↑のようなことを緻密にこつこつ覚えれる性格の人じゃないと苦労すると思います。私はそういう性格じゃなかったので、新聞くらいなら読めますが、この間センター試験を遊びでやってみたら、読解以外は全滅でした。フランス語に接した時間も同じくらいかと思いますが、そちらの試験はまあ大体できました。

フランス語と比べるなら、ドイツ語は暗記して駆使しなければいけない情報量が「格段」に多いです。

例:新しい単語が出るたび単数形と複数形を両方個別に覚えなくてはいけない。(片方からもうひとつを誘導できない)

例2:格変化を理解するのは難しくないが、使い分けるのは大変。a, the, my, big, this などに相当する名詞を導く語をすべて16通りの可能性から選ばなければいけない。形容詞は加えて他の冠詞と合わさるかどうかでチョイスが3倍に増えます。

例3:フランス語で文法を間違えれば、そ...続きを読む

Q明治大学と明治学院大学の違いは?。

 明治大学と明治学院大学というふたつの大学が存在すると思うんですが、両大学は同じ明治という名前を付けてますが同じ系列の大学とかなんでしょうか?。
 
 共通点と顕著な違いがあれば教えてください。

Aベストアンサー

明大OBです。友人に明学を中退した明大時代の友がいっていたことを書きます。

明治大学と明治学院大学は系列も違うし、カラーも違います。

明大ははっきりいって男臭いです(笑)。文学部は通常女性の割合が高い学部ですが、明学は通常通り男2:8女でしょうが、明大は男5:5女です。文学部といえども男の数が多いのです。でも明学は女性の方が多い大学だと思います。

あとは皆さんも書かれていますが、明大の方が偏差値が高いです。一応「東京六大学」ですから。明学の場合はそれよりも落ちます。よく「MARCH」、「坊ちゃん四大」、「日東駒専」、「大東亜帝国」と大学のレベルを指す表現がありますが、明大はMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政大学)のレベルに属します。明学は坊ちゃん四大(学習院・成城・成蹊・武蔵大学)のレベルに入るでしょう。

それと明大は無宗教ですが、明学は宗教色が強いキリスト教のプロテスタントの教えを基盤とした学校です。

以上まとめると、
1.男臭い(明大)か女臭い(明学)かの違い
2.無宗教(明大)かキリスト教(明学)かの違い
3.偏差値の高(明大)低(明学)の違い
4.キャンパスが三箇所(駿河台・和泉・生田)の明大と横浜市戸塚区のキャンパスの明学

この四点が上げられます。

明大OBです。友人に明学を中退した明大時代の友がいっていたことを書きます。

明治大学と明治学院大学は系列も違うし、カラーも違います。

明大ははっきりいって男臭いです(笑)。文学部は通常女性の割合が高い学部ですが、明学は通常通り男2:8女でしょうが、明大は男5:5女です。文学部といえども男の数が多いのです。でも明学は女性の方が多い大学だと思います。

あとは皆さんも書かれていますが、明大の方が偏差値が高いです。一応「東京六大学」ですから。明学の場合はそれよりも落ちます。よく「M...続きを読む

Qお気に入りの文学評論を教えて下さい

文学作品を評論する文章として、これはスバラシイというのがあったら教えて下さい。

立派な小説を扱っていなくても、
内容も主張もどんなものでもいいのですが、

作品の紹介の仕方から、章の組み立て、引用の仕方などなど、自分で評論を書くときに参考にしたい、と思うようなものをお願いします。わたしも参考にさせて頂きたいので。

Aベストアンサー

補足拝見しました。
比較的「理論」というものが表面に立たない、内容よりも、書き方、スタイル、引用の方法など、「評論を書く」という観点から参考になるのではないかとわたし自身が思うものをいくつかあげていきます。

まず、古典的名著として
『曖昧の七つの型』(ウィリアム・エンプソン著 岩崎宗治訳 研究社)
イギリスに文学批評という形式が誕生して間もない1930年の作品です。 内容はあくまでも詩学についてですから、読んでいくのは相当にしんどいです。わたしもなにしろ典拠とされる作品がよくわからないので、評論をどこまで理解しているか、はなはだ心許ないのですが、それでも「曖昧性」をキー・ワードに、分析を絞り込んでいくスタイル、「意味」の微妙なニュアンスをときほぐしていくときの鮮やかさ、なんかすごいです。
いまさしあたって読まなくてもいいけれど、こんな本もある、と視野のなかにだけは入れておいてください。

「ひとの欲望というものは他者の欲望を模倣することから発生する」という欲望の理論を、フローベールやプルーストから解き起こしていくものとして、ルネ・ジラール『欲望の現象学』(吉田幸男訳 法政大学出版局)を。欲望の主体をS、対象物をO、欲望を媒介するモデルをMとする欲望の三角形理論が、作品の中からどのように浮かび上がってくるか、ジラールの手法も見事です。

このジラールを援用しつつ漱石の『こころ』を読み解いたものが作田啓一の『個人主義の運命』(岩波新書)に所収されています。これも大変に刺激的。作品を引用しつつ、論を展開していく手法として、参考になるのでは、と思います。

理論とも思想とも無関係に、ここまで読めるんだ、というか、もうひたすら読むことの快楽に身を任せたくなるような本として、ウラジミール・ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』と『ロシア文学講義』(ともにTBSブリタニカ)。

さて、つぎは日本の評論に行ってみましょう。
おそらくここらへんはどれも読んだことがおありかと思いますが、念のために。

吉本隆明『悲劇の解読』(ちくま学芸文庫)

大江健三郎『小説の方法』(岩波現代選書)

蓮實重彦『表層批評宣言』(筑摩書房)

中村光夫は『二葉亭四迷論』でもいいし、『風俗小説論』(ともに新潮文庫――絶版ではあるけれど、古書で比較的簡単に手に入ります)でもいい。

もし『風俗小説論』をお読みになるんでしたら、合わせて後藤明生『小説――いかに読み、いかに書くか』(講談社現代新書)も併せて読むとおもしろい。田山花袋の『布団』について、中村と後藤の評論は合わせ鏡のようになっていて、両方を読むと『布団』が非常に立体的に浮かび上がってくる。これは小説を読むより、評論を読む方が圧倒的におもしろいです。同じことは、同書に収められた後藤の志賀直哉の『城之崎にて』と、伊藤整の『文学入門』(講談社文芸文庫)に収められている「下降認識と上昇認識」で読む『城之崎にて』の対比にも言えて、ひとつの作品を別の論者がそれぞれに扱うとこんなふうになっていくのか、と目が醒めるような思いがします。評論読みにはこたえられないたのしみ。

前田愛はとりあえず『樋口一葉の世界』(平凡社ライブラリー)を。

あとは阿部昭『短編小説礼賛』(岩波新書)。

比較的新しいものから何かあげると。
『漱石と三人の読者』(石原千秋 講談社現代新書)
「書き手にとっての読者は作品に組み込まれている」という問題意識から、漱石の作品の読み直しを行っています。非常に刺激的な本。

翻訳された評論となると、どうしても文学理論が中心のものが多いような気がしたので、結構重要なものもバサバサ落としていますが、おそらくサイードやスピヴァクなんかはお読みだと思うので。読み返してみると、なんかバランスが悪いんですが、まぁこんなところで。
これだけあげておけば、とりあえず一冊や二冊、参考になるものが見つかるんじゃないでしょうか。

補足拝見しました。
比較的「理論」というものが表面に立たない、内容よりも、書き方、スタイル、引用の方法など、「評論を書く」という観点から参考になるのではないかとわたし自身が思うものをいくつかあげていきます。

まず、古典的名著として
『曖昧の七つの型』(ウィリアム・エンプソン著 岩崎宗治訳 研究社)
イギリスに文学批評という形式が誕生して間もない1930年の作品です。 内容はあくまでも詩学についてですから、読んでいくのは相当にしんどいです。わたしもなにしろ典拠とされる作品がよく...続きを読む

Q創価大学って、どんな大学ですか?

評判の良くない創価学会ですが、創価大学とは、どんな働きのをしているのでしょうか?就職先にヒュー●ーにあるということですが・・・。学生は、ほとんどが学会会員なんですか?

Aベストアンサー

訂正を兼ねて回答します。

勿論、創価大学は創価学会(池田第三代会長)が設立した大学であり、根本理念を共有する教育法人です。

大学での教育内容そのものは他の大学と殆ど変わりません。経済学部であれ、法学部であれ、工学部であれ、標準的内容の科目が設置されています。意外に思われるかも知れませんが、どの学部にも創価学会の教義(日蓮仏法)を学ぶ科目はありません。文学部に法華経研究のゼミがありますが、基本的には宗教学のゼミ以上のものではありません。これは、創価大学がその他宗教関係大学と違い、聖職者(神父・牧師・坊主など)を養成する機関ではないからです。よって学会員以外の異教徒が教育上不利になるということはありません。

学生の99%は学会員の子弟でしょう。学会員でない学生は、学部あたり10名弱、留学生では約半数といったとこじゃないでしょうか。

卒業生がヒューザーに就職していたとのことですが、別に問題ないでしょう。ヒューザーの社員ほとんどが創価大学卒業生や創価学会員だったというのなら別問題ですが、傍目からは業績好調な急成長企業だったのですから、一人や二人就職した人がいてもおかしくないですよね。事件発覚後、大学のサイトから消されたとも聞きましたが、まぁ、当然の措置でしょう。好き好んでそんな会社の名前を載せておく大学もないでしょうし。

創価大学が他の大学と際立って違う点といえば、やはり学生の殆どが創価学会員であるということでしょう。価値観を共有する学生が揃うことで良い面悪い面いろいろあるでしょうが、創価学会の宗教哲学をパックボーンに、チャレンジ精神旺盛なのは間違いないでしょう。例えば今年の司法試験の大学別合格者数では全大学で26位(私立では15位)と、この辺の偏差値の大学ではちょっとありえない数字を毎年叩き出しています。

「池田氏を間近で見ることが出来るから名誉」
というのはちょっとずれた表現ですね。よく誤解されますが、学会員にとって池田名誉会長は何人をもっても代え難い重要な指導者なのですが、いわゆる「教祖」ではありません。ですので、「会えるから幸せ」というのとはちょっと違う感覚です。単純に想像してほしいのですが、自分ないしは自分の子弟が心から尊敬している人がいて、その人が創った組織(大学・会社・劇団等々)に参加できて、直接薫陶を受けられるとなったらこの上ない幸せですよね。この感覚のほうが近い気がします。

ちなみに「創価グロリア吹奏楽団」は創価学会の組織です。創価大学の組織ではありません。創価大学の吹奏楽団は「創価大学パイオニア吹奏楽団」といいます。交流はあるでしょうが別組織です。

「間違いない」のタレントも卒業生ですが、成績は知りませんが、主席ってことはないですよ(笑)。創価大学の主席であれば、お笑いタレントはやってないでしょ(芸人さん、失礼!)。

訂正を兼ねて回答します。

勿論、創価大学は創価学会(池田第三代会長)が設立した大学であり、根本理念を共有する教育法人です。

大学での教育内容そのものは他の大学と殆ど変わりません。経済学部であれ、法学部であれ、工学部であれ、標準的内容の科目が設置されています。意外に思われるかも知れませんが、どの学部にも創価学会の教義(日蓮仏法)を学ぶ科目はありません。文学部に法華経研究のゼミがありますが、基本的には宗教学のゼミ以上のものではありません。これは、創価大学がその他宗教関係大学と...続きを読む


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