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ことは不可能なのですか?本で読んだのですが、個々のものは、指を指して「この~」って表現しなければ示せないらしいです。

これって正しいのですか?もっと細かく形容すれば、個々のものを示せるのでは?と思いました。てかそもそも、たった一つのものを示すって どういうことなのでしょうか? 猫を見て、こいつはタマだ、と言ったら、これは示せたことになるのではないのですか?これはなんですか?と聞かれて、これは出版番号~番の 何月何日何~号の漫画だよ。これだとたった一つのものを示せたのでは?

何回も質問してすいません。

A 回答 (6件)

たった一つのもは、


おそらく、私が持っている「漫画本」といったような意味ではない、
と思う。
たとえば、千年前にタイムスリップし、その当時の人にその人たちが誰も持っていない「携帯(電話)」を説明するようなイメージ。あるいは、アマゾンの奥地で携帯はもちろん電話も知らない、いわゆる文明の利器をまったく知らない人に───でも言葉だけは通じる───イメージ。
この時、携帯を見せることなく、言葉だけで、その人たちに「携帯」を完全に正確に伝えられるのか、その外形的な特徴のみならず、機能をはじめに原理まで正確に伝えることができるのか、これはかなり疑問です。

何年何月何日に発売された○○という漫画本について、それを持っていて読んだ人は、その漫画本について知っている。知識などが共有化されている。ですから、出版番号などの最小限の情報の提示するだけで事足りる。どの漫画本もそれほど違うものではないので。

でも、携帯の場合は違います。携帯電話に関する限り、ほとんど知識の共有化が行われていない。この時、実物を見せることなく、それを実際に使って見せることなく、言葉だけで正確に伝えられるのか。これは甚だ疑問です。

「この~」というのはそういうことを言いたいのでは。
タマちゃんネコにしても、猫を知らない、猫科の動物も知らない、四つ足の動物さえ知らない人たちに、タマちゃんを見せることなく、これを言葉のみで説明する、表現してわからせるのは難しい。外形的な特徴は理解させることができたとしも、ましてタマちゃんを撫でたときの質感などは絶望的。
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こんにちは



>たった一つのものを言葉で示す
私の希望としては、個々のものは、指を指して「この~」って表現しなければ示せない で留めておいて欲しいですね

今は インターネット、GPS、監視カメラ等あります
あらゆるものに 超小型のGPSを内蔵して 超小型の監視カメラで監視して インターネットを通じて高性能のコンピューターで処理をして 管理するとなります
近い将来 自由は無くなり全てのものが管理される日常となるでしょう

そこで 我々は自由を勝ち取るために 「個々のものは、指を指して「この~」って表現しなければ示せない」を証明しなければならない
この世界は 管理不可能な不確定な部分が存在すると
言葉により 人間を管理することなど不可能だ この世界は 我々の意志により決めることができる
何故なら 未来の道具を創るのは紛れもなく人間であり 人間の幸せになりたいと云う意志だからです
道具を利用するか利用しないか 人間の決断による

貴方の自由は無くなるかも(つд・)ウエーン
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たった一つのものを言葉で示す.



○これは可能ですよ。例えば60億の人類一人一人に番号や記号を振り当てれば、一人は特定できます。
これは動物でも植物でも鉱物でも出版物でも同じです。
ただね、長い言葉や記号、数字になりますよ。覚えられないですね。
固有名詞も完全独立に全てに当てはめれば同じように一つを区別可能です。
ただし、個人が勝手に固有名詞を与えることはできません。個人が勝手に固有名詞を与えれば、ダブリが生じますので一つであることが確定しないからです。
そんな面倒なことをしなくても「この猫と指させば一つが区別できます。」固有名詞の「猫のたま」だけでは日本中にたくさんいる「猫のたま」になってしまいますので特定の一匹にはなりません。
これは分類としての言葉の意味にしかなりません。言葉は会話に適するように簡単に出来ていますので、それじたいが分類程度にしかならないのですね。分類用の言葉を多数使うことで一つを絞り込むことはできますが、それだけでは完全に特定の一つを指定することは困難です。他の情報、例えば、位置情報などを併用すれば可能になると思いますが、分類用の言葉だけでは難しいということですね。
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 こんにちは。




 これは 言語表現の問題であるよりは 世界やそのものごとをどう捉えるかという哲学の問題であるように思います。

 ひとなら コトワザのごとく 掛け替えのない存在だというようにです。
 それは 意志 つまり《そのひとりしかいない人間》の自由意志 これをその人がどう発揮しているか。ここでそれぞれのひとについて 掛け替えの無さが受け留められます。

 ひとよりほかのモノゴトについては どうなんでしょう。それぞれ そのいま・その空間を占めているのは その《たった一つのもの》である。ということになるようです。そういった説明をとおして 示すことになるのではないでしょうか。


 
 そのたった一つのものを 指し示す場合 それは そのモノを見せることによるのでしょうね。
 観念であるなら できるだけそのモノ・コトに特徴的なところを説明しつづける。のでしょうね。


 すべてのモノゴトは――やがて移ろいゆかざるを得ないからには―― 一回性としてある。と言えましょうから 《たった一つのもの》ではあります。

 どうなんでしょう 人間よりほかのモノゴトは 或る意味であたかも掛け替えは効くのではないかとも思います。
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ラッセルの記述理論によれば固有名は確定記述に還元できると言いました。


たとえば、猫の「タマちゃん」は固有名ですが、眼が青いとか、毛が白いとか、尻尾が短いとか、いろいろな性質や特徴を列挙してゆけば、そのような性質や特徴もっているのは「タマちゃん」しかいないので、「タマちゃん」を特定できます。
もちろん、もっとたくさんの性質や特徴を上げないと、中には同じ性質や特徴を持った猫がいないとも限らないから、切りがなくなりますが、いずれはどこかでストップするはずです。
それに「たった一つ」というのは言語をもって示せるものであって、言語を除外するとモノは「この」とか「これ」とか指示代名詞で示せるものでしかなく、そもそも言葉をもって示すことのできないモノではないでしょうか?
あなたは「出版番号」とか「何号」という言葉で「たった一つ」しかない漫画を特定しようとしていますが、それは固有名を確定記述で特定しようとするのと同じで、出版物に一点、一点番号を印刷なんかしていられないから、同じものが何冊もあると思いますよ。
それともナンバーリングで一冊つづ人の手で番号を打っていれば別ですが。
それだと「この」「これ」と同じで、出版番号なんか打っていなくたって、あなたが指で本を指示すれば、指示されたものは固有のもので、同じ場所を同時に占拠する出版物はありませんから、それだけで固有のものです。
たとえば、今あなたの目の前に何の変哲もない鉛筆があったとして、それをあなたが指でさして「この」「鉛筆」と指示すれば、そのような鉛筆は「たった一つ」しかありません。
他の鉛筆は同じ場所には存在しないし、しかもあなたが指をさして特定している鉛筆は目の前にある「この」「これ」としての鉛筆なんですから。
鉛筆の性質や色の違いなどを特定しても、そんな鉛筆はたくさんありますから、最終的には「この」「これ」としてあなたが指で示すもの、それこそが「たった一つ」のモノではないでしょうか?
「私」というのも同じですね。
「私」もいろいろ性質や特徴を持っていますが、たぶんそんな性質や特徴を持っている人は私以外にもあるかもしれないから、「私」の「私」である固有のものと言ったら、私が「今」「ここに」「これ」として存在しているということしかないのかもしれません。
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何回質問しても同じ内容でなければ特に問題ないと思います。



たった一つのものを的確に表せないと物理はおしまいです。

場所と時間を特定すればいいわけですから、緯度経度標高日時を正確に指定すればそれが目的のものだと思います。
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