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定義が難しいってよく聞くのですが、なぜ定義が難しいのですか?

そもそも、なぜ、定義をしなければならないのですか?

A 回答 (10件)

No.9です。



定義と意味の違い。
これはもう辞書を引いて頂いた方が良いのではないかと思います。
人様に明確な回答が出来るほど自分が理解しているとは思えません。

私なりの解釈を書かせていただきますと、
「定義」は言葉や物事の認識や概念、または条件を解説するもの
「意味」は言葉そのものが示す内容
という感じです。

申し訳ありませんが、私はここまでです。
他の回答者様のお返事か、辞典などに疑問を託します。

参考URL:http://kotobank.jp/word/%E5%AE%9A%E7%BE%A9
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他の回答者様が詳しい答えを出していらっしゃるので、この辺で平たい回答を載せてみます。


あくまで平たく説明すると、という回答ですので、
【他の方の回答を踏まえた上で】参考にして下さい。

何故定義付けが難しいか。それは、人それぞれ物事の解釈や概念が微妙に違っているからだと思います。
例えば「幸せ」の定義って、何でしょう?
A「健康である事」
B「愛する人がいる事」
C「裕福である事」
D「みんなに注目され、褒め称えられる事」
E「やりがいのある仕事がある事」



X「煩悩から解き放たれる事」

極端な例も入れてみましたが、人によってかなり分かれると思いませんか?
Aだけで幸せだと思う人も居る。AもBもCもDもEも無きゃ幸せとは言わない、と思う人も居る。
「幸せ=○○」、この○○に、万人が上手く納得できるモノを当てはめるのが難しい。
その辺では無いでしょうか。


次は定義をしなければならない理由について、ですね。
例えば「美味しい」という言葉の定義が無かったら、どうなるでしょう?
「美味しい」という言葉が、使う人やその時の状況、雰囲気次第でどうにでも意味や解釈が変わって
しまうものだとしたら、迂闊に「これ、美味しいですね。」なんて言えなくなってしまうでしょう?
この世に何の定義も無くなったら、言葉の殆どが役目を果たせなくなります。
「美しい」の定義。
「悲しい」の定義。
感情や思考をコンパクトな「言葉」に詰めて相手に伝えるために、定義があるのではないでしょうか。

言葉が箱で、中身が定義。
箱だけじゃ何をもらったのかわからないですよね?

以上が、私が考える定義の必要性と、その難しさです。
参考になれば幸いです。

この回答への補足

ご回答、ありがとうございました。

疑問に思ったことがあるので、質問させてください。

幸せの定義、というのは辞書に載ってる意味のことではないのでしょうか?私は、定義と意味の違いがよくわかってないと思います。よければ教えてください。

補足日時:2014/03/20 17:38
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/20 17:40

”定義が難しいってよく聞くのですが、なぜ定義が難しいのですか?”


    ↑
定義にも色々の定義がありますが、一般的には
その定義により総て説明可能なモノを指します。

例えば、善を「相手の望みを叶えてやること」
と定義したとします。

この定義によれば、相手が隣家の娘さんを強姦して
殺害することを望んでいた場合、その望みを叶える
ことが善になってしまいます。
これでは困るわけです。

どんな概念でも、例外的なモノがでてくる場合が
多いのです。
定義は、そういう例外も含んで、総て説明できる
ものでなければなりません。
だから難しいのです。

刑法では「人」を殺したら殺人になります。
それでは、人ってどう定義したらよいでしょうか。

民商法では、法人も人ですが、この場合は含めることは
できません。
肉体を持った人で無ければ殺人の客体とするわけには
いきません。

又、刑法では胎児を殺害した場合は、堕胎罪になる
のであって殺人罪にはなりません。
従って「人」には胎児を含めることはできません。
じゃあ、胎児が人になるのはいつからなんだ?
母体から全部が露出した時だ、いや一部でも露出すれば
人だ、いや産声を上げて初めて人だ、という
論争があります。

更に、死人も人ではありません。
死人にナイフを突き刺しても、死体損壊になるだけです。
だから人に、死人を含ませることはできません。
じゃあ、死、とはなんだ。
脳死なのか心臓死なのか、細胞の総ての死なのか・・・

こうやって問題が無限に広がっていきます。

だから定義は難しいのです。



”そもそも、なぜ、定義をしなければならないのですか? ”
    ↑
これは他の方が既に回答していますね。
定義をしなければ、議論がかみ合わないからです。

有名な話ですが、ナサが打ち上げた火星探査機が
失敗したことがあります。
失敗の原因は、探査機を製造調節したロッキード社と
ナサの、距離に関する定義が異なったことによる
ものでした。
ロッキード社はインチを使っていたのですが、
ナサはミリを使っていました。
これなどは、距離に関する定義を定めなかったから
発生したミスです。
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果物の魅力について話をするとしましょう。



それがリンゴなら議論が白熱することがあっても、議論自体は問題なく進行するでしょう。

ではイチゴはどうでしょう?
木に生っていませんが、果物屋で売っています。
散々イチゴについて激しく議論をし、乱闘寸前まで白熱をして、後から「イチゴは木に生っていないから果物ではない(果物屋で売っているという分類は認めない)」という定義付けされたら、それまでの議論が全て無駄になります。

だから最初から「果物」というものは、どういうものを扱うのか、辞書や学術上の分類、社会通念上の扱いなどをもとに、一番最初に決めなくてはならないのです。

神や霊もそう。
共通の認識をしっかり決めないと、神について議論したつもりが、霊であったり、そうでなかったりして、そもそも議論が成立しないのです。
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なぜ定義しなければならないか、そう少年に


問われて、その初老の女性は答えた。

「私の人生は誤解されるばかりだった。
自分の気持ちや、何故そんなことを
云ったのか、そんなことをしたのか。
それを伝えようと一生懸命言葉を尽くした。
でも、思いもしない悪意の解釈で私は
心が折れてしまった。 一意に思考を
伝えたい。 そうして私は中途半端に
それに挑み、多くの人から更に誤解され
心がボロボロになって死にそうになった。」

少年は答える。

「僕は定義について訊いたんだよ?」

初老、というにはまだ少し若いその女性は、
微笑みながら、まだ肌寒い砂浜の潮風に
奇麗なラベンダー色の柔らかそうなマフラーの
襟元を寄せて、声変わりしたてのような
ハスキーボイスの、背丈では自分よりずっと
高い隣の少年にうなずいた。

「誤解されていく言葉をきちんと伝えるために、
言葉が持つ色あいや肌触りを削ぎ落としていったの。
そういうものは、人によって捉え方が違うのよ。
だから、誰にでも伝わる思考の部品だけで
思考を伝える文章、数式なんかその最たる
ものなんだけどね、そういう風にカチカチに
編んだ言葉のことを、リロンテキ、と称する
ようになったのよ。」

少年はスラリと長い足で足もとに捨てられて
転がる漁師のガラス玉をサッカーボールみたいに
弄びながら、大好きだった、でも死んでしまった恋人の、
彼女のお母さんに訊いてみた。
(似てるな、やっぱり親娘だ)と思いながら。

「それを短く詰めたものが、定義なの?」

昔の人にしては背丈のある、優しい品のある
おばあちゃん、なんて見たら失礼なのかな?
と、少年は彼女の銀色の髪留めを撫でながら、
彼女の言葉を辛抱強く、待った。

「・・・ごめんなさいね、ちょっと昔のこと、
思い出してたの。 そうよ、色んな誤解を
受けないようにと色も味も匂いも抜いた
文章の「考え」を、更に永遠のものに、
変質しないように短く詰めていったらね、
それは「言葉」というよりも「定義」という、
別な単語を割り当てた方がよくなったのよ。」

ナスカ、と僕がつけたあだ名で呼んで欲しい、
という彼女は、古い遺跡の研究をする学者だ。
今も時々南アメリカや太平洋上の孤島に
一人で調査の旅に出る。

「言葉には、魂が宿る、って日本人は昔から
言うのね。 あたしもそう思う。 魂が宿る、
つまり生き物だから、人から人へと伝わる時に
成長したり全然違うものに変身したり、疎外されて
フェアリーがゴブリンに化けたりしちゃうのよ。
誰もが間違いなく、誰かが人生を費やして
考えたことを受け取って自分の人生に活かす
ことができたら、自分が死んでもね、自分の
命は色んな人の心に伝わって、その人の
心や思考に同化して生き続けていけると
思わない?」

彼女が難しい話をする時は、目がきらきらして
顔がアスカに似てるせいかも知れないけど、
若返って行くような錯覚さえ覚える。
そんな彼女の横顔には、時々早くに亡くした
彼女の夫の、彼も考古学者だったそうだけど、
彼女の写真入りペンダントの中で問いかけて
くるような、いかにも先生らしい表情が、確かに
彼女の表情にも宿ったような印象があった。

<あなたは、本当は、誰なの?>

少年はふと、目の前で印象が変化する女性の
海を見る横顔が奇麗だな、と思ってしまった
自分の気持ちにドギマギして、つばを飲み込んで
うなづいた。 随分年上の女の人なのにな。

「定義というのは、当分の間、疑いをさしはさむ
余地が殆どない、だからそこを起点に問題を
解き明かしていきましょう、そしてもっと新しい
考えを生み出しましょう、という人類の英知を
育てていく基本単位として決められたものね。
だから、人の思考のネットワーク化のために
決められている、厳密な思考のプロトコル、
とも言えると思うわ。」

授業中の先生みたいな口ぶりの彼女の、
淡いブルーに染められた髪は奇麗に後ろで
巻いてまとめられていて、その銀の髪飾りは
明日香が生きていた頃に彼女のために
僕がシルバークレイで手作りしたものだった。
少年は彼女の顔を透かして、永遠に歳を
取らなくなったガールフレンドの面影を
記憶の中に追いかけていた。

「・・・明日香はさ、俳句とか好きだったよね。
あれも一種の定義、かもね。理屈を縮めて
シンプルにまとめたものを定義というなら、
風景とか、それを見て感じた気持ちとか、
そういうものをシンプルにまとめた俳句って
<心の定義>みたいなものかもね。」

彼女はふいに髪留めを外すと、少年の
ほうに向きなおった。

潮風に、彼女の長い髪が一気に広がる。

長い蒼い髪をなびかせて、彼女は少年の
色違いのマフラーの襟元を、寒くないように
巻きなおしてあげた。

「ナスカさん、また遺跡の旅にいくの?」

「来月ね。ねえ、この髪留め、お守り代わりに
持って行ってもいい?」

「当たり前じゃん。それ形見なんだし。
それに、本当はそれとペアで造った
指輪を僕、持ってるから。大丈夫だよ。」

ありがとう、とにっこり笑った彼女は、また
鎌倉の海に向きなおり、楽しそうに言った。

「あの娘のおかげで私は本当に幸せだった。
まさか、13歳も若い恋人を連れてくるとは
思わなかったけどね。
シングルマザーとして色んな事に歯を食い
しばって生きてきたけど、流石にね。
もう、死のうと思ったのよ。
定義、ってシンプルだからこそ難しいよね。
定義できないものばっかりだもの、人生って。」

少年は来年は受験勉強の学年だ。
目指す大学はもう決めてある。
彼は、考古学者になるつもりなのだった。

自分の命をお終いにしようとしたナスカを
急行電車からタックルして死に物狂いで
助けてから、もうすぐ一年になる。
しばらくは気が気じゃなかった。
無理やり一人ぼっちになってしまった
彼女の家に押しかけ下宿人になったのは、
少年の家も定義しにくい複雑な家庭だった
ことも理由だ。

今では疑似親子・・・友達同士?
みたいな、でも気持ちは通じる付き合いを
している。

人間関係だって、本当に定義するのは
難しい。
親子、恋人、夫婦・・・どれも確かに一意に
同一のものを示したりはしないもの。

「気を付けて行ってきてね。留守番はちゃんと
やっとくから。」

「うん。私は長生きするつもりだから。
元気で帰ってくるね。 ちゃんと待っててね。」

少年は思った。

定義そのものが大切なものなんじゃないのかも
知れない。
想いや考えや、その人がどんな経験をして、
どんな人生を歩いて来て、だから何をどう
考えているのか、何を目指しているのか。
そういう色んな頭の中のことを、誰かに伝え
生きていくということ。

定義しようとすることは、沢山の人に伝えて、
誰かに受け取ってもらって、そして、自分も
誰かも皆をも、生かすことだ。

定義も大事だけど、定義して生かそうとすることが
人間のイトナミということなんだろな。

<<二人は自分達をこれから、どう定義していくのでしょう。
物語は印象を変え人を変えながら、続いていきます。>>

定義の向こう側に、それに向かい合って生きた、
あるいは今、生きている人々の心や思考に触れて
生きていけることが幸せだよ、アスカ。
君のママと、一緒にずっと、忘れないから。

少年は、ナスカと寄り添って、七里ガ浜の水平線の
上に広がる青空と、夕焼けが近づいてオレンジに
染まりつつある雲を、ずっと眺めていました。

少し肌寒い、柔らかく湿った海風が、ずっと
遠い海の向こうから渡り続けていました。













<EOF>





ちょっとショートショート風に書いてみました。
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>定義が難しいってよく聞くのですが、なぜ定義が難しいのですか?



使用言語において語彙が不足しているからです。
たとえば、日本語の「あまえる」や「あまやかす」という概念を英語やドイツ語で定義するのが難しい。



>そもそも、なぜ、定義をしなければならないのですか?

使用言語において語彙が不足しているからです。
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 こんにちは。



 ★ そもそも、なぜ、定義をしなければならないのですか?
 ☆ 基本として 対話や話し合いにおいて その途中の過程で互いに用語の意味が分からなければ尋ねればよいと考えられます。

 定義をするのは そのような場合にあらかじめ意味が互いに違って持たれているのではないかと予想される用語について 取り決めておくということになります。手間をはぶくためです。



 ★ なぜ定義が難しいのですか?
 ☆ それは あるとするなら 人びとがそれぞれ考え方が違っているからです。

 この社会で はたらかず何もしない者を なまけものと呼ぶかどうか?

 そもそも博打ののように見込み生産をおこなって その結果の損益に左右される経済生活の仕組みの中で 失業が起こるのは 何も好き好んでそうなるのではないという要因が じゅうぶん あります。非自発的なものだと見られています。

 それでも 《自律せよ》とかと言って《なまけ》をなじるという意見が出たときには そのような用語について 互いにきちんと定義して話し合いを持たなければ 空回りになります。
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>そもそも、なぜ、定義をしなければならないのですか?



○外国に行ったことないのではないですか? そこでは、あなたの使っている言語だけではなく常識的思考さえも一切通用しませんから。宇宙人が違う星にいったぐらいわけがわからなくなりますよ。
そこでは狭い定義域で表されるものでさえ違っていることさえあります。昔のことですがアメリカとソ連の宇宙船のドッキングが失敗したことがあります。原因は電気のプラスとマイナスが違っていたのですが、これは両国の電気設計のプラスとマイナスの基本設計が全く逆だったからなんですね。これは一つのわかりやすい例にしか過ぎませんが実際は国によって考え方が月とすっぽんほどの違いがあるのですね。
それゆえ、定義やそれに基づくマニュアルがないと特に異民族間では意思が通じないのですね。日本でも義務教育導入以前は自分の生まれた地方から一歩出ると言葉によって意思は通じなかったんですよ。東北から関西へ、あるいは逆の場合、いまでも何を言っているかさっぱりわかりませんね。共通語は算数ぐらいですね。
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言語とは、本来特定の意味を持たない音や図形の記号


において、その発信者と受信者の双方において、同じ
イメージを想起させるためのものだ。
しかし、そのためには、個人的な経験や遺伝的形質、
属する集団の伝承する文化的要因、自然環境などが
共通である必要がある。
そうでない場合が多いので、多少ずれた定義域を持つ
言語を用い、その前提となる定義の発生した基礎条件
にまで遡及したりして、双方のイメージの食い違いを
減らそうとするのだが、そもそも経験や文化が違って
いるものを結果的な言語から補正しようとするのは、
自分の座っている座布団を持ち上げて空を飛ぼうと
するのに似て困難である。
(小さな食い違い1つに対しても、比較文化論や言語
学の分厚い本が必要になる)
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人によって、言葉の意味するところがどうしても異なるところがあり、他の概念との明確な区別をしないと正確な議論にもコミュニケーションにもならないからです。

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